2008年1月29日(火) 皆、レベルは同じ。努力で変わっていく。

新しい年を迎えてもう1ヶ月が過ぎようとしています。
1日1日が何と早く過ぎ去ってしまう事でしょうか。1日1日を惜しむように幸せな今日の日を大切に過ごそうと心がける毎日です。

昨日は大学の試験があり、明日もまた、大学での最後の後期試験が行われ、学生達も試験ずくめで大変だろうなと思います。
私が試験で学生達に点をつけるとき(コンクールなどでも)いつも思う事は、人間は皆、違う個性を持っているけれどしかし、
能力的にはほぼ同じようにつくられているなぁ、神様は良くつくってくださっている、と、つくづく思えるのです。

ピアノを弾く学生達を見ていても余程弾けない子は1人か2人、飛びぬけた子も1人か2人、後は普通のレベルです。
だからこそ音楽にかける時間と情熱と努力で並以上になれるわけです。
人並みの努力なら、人並み程度。人並み以上になりたければ人並み以上の努力が必要です。

大抵の人は、ここであきらめるというところであきらめず踏ん張りがきく人、何があっても、へこたれない人、
ある分野での天才とは、そういうものかもしれません。
周りに上手な人が沢山いようがいまいが、周りを気にせず、マイペースで自分のやるべき事を成し遂げている人は必ず成功します。
又、努力が出来るのも才能のうちだと私は考えています。
努力をいとわない子は才能がある証拠です。
才能があるかないかは別として何をさておいてでも前向きで毎日ピアノを弾いていく、そういう強い意志のもちぬしは、
たとえ指のハンディがあろうと音楽的な力に欠けていても必ず素晴らしい音楽家になれるのです。

心の中に強く決心した事で、人生が決まってしまうのですから怖い事だと思います。
後ろ向きなマイナス志向をしていると必ず、どんどん悪い方向に進んでいきます。反対に前向きで、口にする事もプラス思考の言葉を話し、何事も勇気を持って立ち向かっていけば
どんどん前へ進んでいけるんだという事を生徒達に強く伝えたいです。


2008年1月21日(月) 興味を持ったとき初めて学ぶ事ができる (昨日の続き)

次の生徒は中学2年生の質問から・・・。
「先生は学生の時、塾に行っていたんですか?又、勉強もピアノと同じくらい頑張っていたんですか?」

私は、この点に関しては、生徒に偉そうな事は、全く言えない立場です。
塾も行った事がなく、又、学校の勉強もあまりしていません。というより
勉強する時間が取れなかったという感じです。

それは他人からしてみれば言い訳のように聞こえるかもしれません。
しかし、私は勉強する時間があったら、ピアノがとにかく弾きたかった・・・。
学校の勉強で将来役に立つとは到底思えないような「数学の「距離と道のり」とか「証明」とか、(いまだに
あれが何だったのかよくわかりません・・・。)そういうものをまる覚えするような時間があるのなら、私にとっても、おもしろくて役に立ち、又、将来
人のためにもなれるような事がしたかったのです。
数学の得意な人には、とても面白いものと思えるでしょう。人それぞれ興味を持てるものがそれだけ違うという事です。
しかし、私にとってはちっとも面白くなかったので面白い事をずーっと続けてきたら、自然にピアノの道を歩んでいました。

しかし、ドイツ語だけは、高校1年生から大学4年までものすごく勉強しました。
それは絶対日本の音大を出たら、ヨーロッパでピアノを学びたいという目的があったからです。
好きな音楽をとことん突き詰めたかった・・・。ヨーロッパの音とはどんなものなのか自分の耳で、肌で、感じたかった・・・・・。
それには生活するうえで必要な役所の手続きから、家を探す事、など、ドイツ語が出来ないと1歩間違えば生命にかかわるように思えたので
生きていくためにドイツ語だけは、必要性を感じてしっかり勉強しました。

結局人は、自分にその時点で必要な興味のあることや、又これをしていかなければ、
命にかかわる、くらい、追い詰められて初めて本当に「学べる」し、「身に付く」と思います。
よく周りに「英語の授業はきらい」、という子がいます。私はその子の気持ちがとてもよくわかるのですが、当然だと思います。
何故って日本に住んでいれば、必要性がないからです。日本にいる限り毎日、英語で話さなければ生きていけないなんて事は
ないし、いつ使うとも分からない英語を真剣に勉強していこうと考えられる子は、
将来役立てようとはっきりした目的のあるごくわずかな子だと思います。

私にとって、勉強とは興味のあること、好きな事をとことん突き詰めていく事だと考えています。

不思議とドイツ語でもピアノレッスンでも突き詰めていくとほかの事も理解できるようになってくるものです。
学生の間は、英語というより、今、必要な日本語がきちんと理解できてきちんとした日本語が話せるようになる事を
しっかり勉強するほうが余程大切だと思います。
日本語が充分理解できてから、外国語を学んでも決して遅くないというのが私の体験です。

塾もその場所で目的意識を持って真剣に学んでいるのなら素晴らしいと思いますが、
友達と会うためとか、友達が行っているから、私もとかあいまいな考えで目的がないのなら、ただ行くだけに過ぎないと思います。

あることがとても好きになり、興味を持って真剣に取り組みたいという意欲さえあれば人間はいくつになっても
本当に学べるものなのです。


2008年1月20日(日) 興味を持ったとき初めて学ぶ事が出来る

近頃、私が何もいわなくてもその曲について、又、作曲家について調べてレッスンノートに書いたりコピーしてはったりして、
自分なりに勉強の仕方を工夫してくる生徒が増えてきました。
小さい種が少しずつ音を、自分が弾く曲に対してただ弾くだけでなく、その曲はいつ作られたのかとか、作曲者の事も
興味が出てきたのか、とても良い傾向だと思います。

例えばつい最近では、小学5年生の生徒が、バッハのフランス組曲のアルマンドについて詳しく調べてきました。
又、今日は、中学1年生の生徒が、ラフマニノフとエルガーについて、インターネットから調べてきて、
それをコピーしてノートにはりレッスンに望んでくれました。

彼女の弾くラフマニノフは、人間の持っている一番美しい澄み切った心にスーッとしみこんでくるような演奏です。
「いつまでも聴いていたい演奏だね」と私がいうと彼女はにっこりしました。

ラフマニノフの名曲ピアノコンチェルト2番の事にも触れ「ラフマニノフは、その時精神病院で主治医に励まされながら、作曲したのよ、
でも、精神的に参っていたとは、思えないように素晴らしい名曲よね、人間は、却ってそういうときのほうが素晴らしい作品を生み出せたり
、人の心に訴えかける演奏ができるものよね」と、話しました。

私はウィーンから帰ってきてラフマニノフが作曲した27歳と同じ年にオーケストラと実際、
このコンチェルトを、生まれ故郷の四日市市で演奏した事があるのですが、私にとってとても思い出深い曲となっています。
「○○ちゃんも一度聞いてごらん」と言っておきました。
   明日に続く


2008年1月18日(金) 音楽の緊張

私がレッスンの時、生徒達にしょっちゅう言っている言葉があります。
それは「音楽の緊張をゆるめないで」です。
脱力する事と混同しているのかすぐそういう子は、フワフワ、フワフワ、いつでもぬこうとします。
それは、固いというのと同じくらいよくありません。「指先の意識」と同様、目で見て分かるものではないので、言葉で
とても伝えにくくこちらもとても教えるのに苦労します。
それがどんなに年齢が幼くても伝わる子には、伝わるのですが、その子自身が感じない限りは何年経っても伝わらない場合もあります。

まず緊張する事と、リラックスする事で身体がどう変化するかすら、分かっていない場合が多いので、
私はその子自身の身体や指先に直接触れてみて、
緊張すると身体中の筋肉がどうなるかから感じてもらいます。
それがリラックスすると、身体の筋肉がどうなっていくかという事も・・・。

ここまでは、どんな子でも分かると思うのですが、それが実際音楽をする事とどのような関係が有り、
どんな時に緊張を高め、緩めさせるかがなかなか結びつかないという子もいます。

ここで必要になってくるのが、ハーモニー感です。ハーモニーを感じていない子は、弾くのに必死で音楽を1つのまとまりとしてとらえていないという事に尽きると思います。
私がまずお勧めするのは、ハーモニーを聴くためになるべく背筋をまっすぐにして身体をふらふら動かさず、客観的に自分の音をよくきくことです。

私は自分では、ピアノを弾く時の私の身体は、何か幹の太いまっすぐな木をイメージします。
そして風が吹けば柳のようにしなやかに揺れて(柳はメロディ)、しかし風がやめばぴたっと1本筋の通った木です。(木はハーモニー)

私がもう1つ生徒に良くお話しするのが、「何か大切な事を聞こうとするときは、身じろぎも出来ないほど、身体全体全身、耳になって動けないはず。
暗闇の中で誰かがいる気配がしたら、シーッ、足音が聞こえた、と立ち止まって静かにきくでしょ?
どんなに強いフォルテシモでも静かに聴かなきゃダメよ。
どこかで必ず冷静に聴いている自分がいなきゃね」、

後、身体が大きくなってきて中学生以上に多いのが姿勢が良くない点です。
身体が必要以上に前のめりになっていたり、弾くたびにゆれたりすれば、そのたびに音楽が切れてしまい、フレーズがまとまらなくなってしまいます。
動きは、少なければ少ないほど良いのです。

音楽と関係のない身体の動きは見ていてとても不自然ですしフレーズを理解していない事が一目瞭然になってしまいます。
動けば歌っているような気持ちになっているのかもしれませんが、実は本当には、歌えていない場合が多いのです。
本当に歌おうとする時は、前や後ろに身体が動けないものだからです。

動きは出来るだけシンプルで出てくる音楽が本当にその子の内側から出てきたもので暖かい歌があれば最高です。


2008年1月15日(火)アドバイスレッスン

昨日は、YPFのアドバイスレッスンをしてきました。
朝から夜まで、YPFのピアノフェスティバルに参加する子達の年長さん、小学生から中学生まででしたが、みな、頑張ってよく弾いていたと思います。


こういうところで、レッスンをする生徒さんたちは、私のレッスンを始めて受ける方ばかりなので、
プライヴェートで、通われている生徒さんを教える事よりもずっとずっと大変です。

毎週来ている生徒には私の日本語が、小学生の子に対して難しすぎはしないかとか、中学生なら段々、自分の殻に閉じこもっていきその子が
見えなくなっていく時期なのでうるさく干渉しすぎず、かといって一番精神的に大人からの
やさしい励ましが欲しい時なので、放任しすぎてはダメなど、年齢に沿った目線で見るように常に気をつけてプライヴェートの生徒は見る事ができます。

しかし、1回だけのレッスンの子達には、どうすれば、その曲がもっとピカピカと輝いて生きたものになるかという事を中心にレッスンを進めます。
一番苦労するのは指先の意識を持たせるという事が、いかに伝わりにくいかという事です。
元々音楽性を持っている子は、気持ちが指先に伝わっていくので、タッチの事をとやかく言わなくても自然に意識出来るのですが、
そのような子は殆どいません。となれば皆、長い年月をかけて指先に気持ちを伝えていく事を学んでいくわけです。

こういったことをたった1回のレッスンで、教えようとしてもとても無理です。
親が子供を育てるように1人の先生が、長い間根気強く、その生徒と向き合う事で、ほんの少し分かってくれれば大成功、といえるくらい時間がかかるものなのです。
勿論、それにはある程度の音楽的才能と、生徒自身の努力が勿論なければ、先生の1人相撲で終わってしまいますが・・・。
しかし、「意識する」という事は、何においてもその人間全てをかえるほど大きな力があると私は確信しています。
その生徒自身がこんな事ではいけない、とぼんやりしている自分に気付き自力で立ち上がった時初めて成長できます。

特にピアノは、自分自身が弾くものですから、意識がなく気付かないうちは指先もフニャフニャのままだし、歌うという事にも意識を払えないと思います。
アドバイスレッスンの生徒達はプライベートの生徒同様すぐには直せないけれど皆一生懸命私のレッスンを聞いてくれました。

2008年1月12日(土) 音を切るとき

先週は明和高校3年生の卒業試験があり、私の生徒も無事に3年間最後の試験を頑張ってくれました。
プライベートの生徒達の年齢が段々上がってきて今、私のところは、殆どが中学生といった感じになってきました。
皆、身体が大きくなり、レッスンする曲が大曲ぞろいになってきて楽しい毎日です。
明日は、PTNAのあしながコンサートに生徒の何人かが、出演するので聴きに行きたかったのですが、丁度、
私は、YPFのアドバイスレッスンと重なってしまいました。
又、外部の生徒さんとの新しい出会いを楽しみにレッスンしてこようと思います。

ところで、今日は、音を切る時について書いてみます。
切る時といってもさまざまです。
スタカートもあるし、8分音符と8分休符のときとか、4分音符に休符とか、実に色々です。
音楽のつながりを感じて切っている子と、ただ、切っているだけの子、とありますが、私のところに来られて間もない生徒さんは、
特に難しいようです。ドシラソファとスタッカートで弾いていくとします。たいていの場合
断定的にただ切っているだけの音です。それを1つ1つでなくまとまりとして切る、というのが大変です。
これをサッと感じられる子となかなか感じてもらえない子といます。
又、音と音の間に間がありそれをどのように間を取るかー。
皆、ピアノはキイをたたけばそれでよいと思っている人が、あまりにも多いと思います。
音楽で大切なのは、音というよりむしろ、音のないところ。そこに私達が求めている芸術の限りない美しさが詰まっているからです。
音と音の間、そしてフェルマータや休符の部分、静寂の部分を、すごく感じて弾いている子を見ると心のそこから感動します。
そこに何か人間的なあたたかみ・・・・・命を感じるからです。

私の生徒達は、命のある音楽を、目指して今日も一生懸命ピアノを練習しています。

今日のレッスンは明日本番を迎える子が殆どでしたが、皆とても上手に弾いていました。
頑張って欲しいです。


2008年1月7日(月) 人の話をよくきく

今日から大学が始まりました。
昨日は、中学1年生と小学5年生のレッスンノートでとても感心させられた事がありました。

先日私が受験生のためのリハーサルでレッスンした事を1つも聞きのがさずよく理解してノートに彼女達は、書いてきたのです。
2人とも受験の時は何時に集まるか、新曲視唱や面接はいつあるのか、ソルフェージュはどんなものが出題されるのかまでピアノの事だけでなく
全て正しく聞き取ってメモされていました。
特に小学5年生の子は、まだ受験まで時間はありますが、今からおおよその事が分かっていると、気持ちに余裕が持てるでしょう。
又、楽譜も用意してきいてくれていたのだと思いますが小節番号もきちんと書いて隅々まで本当に真剣に聞いてくれていたんだなぁと感心してしまいました。

とりわけ、彼女はつい最近、音楽科へ進むという目的を持ってからものすごく頑張っています。
はっきりした目的を持つとこんなに生き生きとして夢に向かえるのだなぁとつくづく思います。

人間の進歩は、その人の決心次第です。
あやふやな時は、ずっとあやふやな状態のままですが、やはり、幼い頃はっきりとした目的を持ってピアノを練習している子とそうでない子とでは、
将来うんと大きく差がついてくるというのは真実です。

中学1年生の子も、小学5年生の子も素晴らしかったことは、自分のやるべき事としてしっかり責任を持ってきいてくれた事です。
こういった事は、それこそ、面接などでの受け答えなどでもとても役に立つ事なのです。
自分の考えを自分の言葉で相手にわかりやすく話す。又、人の話を聞き取る能力もそれ以上に大切な事です。
誰かが聞いてくれるだろう、というようなうわの空で何事も行っていると、全て自分に必要なチャンスを逃してしまう事になるのです。

レッスンノートに書いてくれた内容は1つも聞き漏らさず、書き取っていた彼女達、面接でも立派な受け答えをしている彼女達を想像すると、今から楽しみでなりません。
かなり、大きくなっても相手の心が読めず他人任せのような生徒がいる中を彼女達は幼いのに、たいしたものだとつくづく感心しました。


2008年1月5日(土) 弾き合い会(受験生のための)

今日は、受験生のための弾き合い会でホールを借りてのお勉強会がありました。
将来音楽科を受験しようと思っている生徒達も沢山来てくれて受験生達はとても張り合いがもてたと思います。

私もかつてその昔、中学3年生の受験の頃は、やはり、ホールではありませんでしたが、先生のお宅で合同レッスンのような事をやっていました。
自分がレッスンを直接受けている時は、何を注意されているかも良くわからないというような事が他の人のレッスンは、
客観的に聞けるものです。
だから、レッスンを受けている当人よりも聞いている人たちの方が良くわかるというのは当然です。
しかし、弾いている本人は弾く事に必死になっていますから、本人がまず、理解しなくては始まりません。
特にピアノは、肉体を使う楽器なので弱音を弾く時も、和音を弾く時、強い音を出す時など、それぞれに応じた筋肉が
使えなければなりませんし、それが表面的に真似した音なのでなく、その人自身の中から出たものでなくてはなりません。

受験といえば、まずは、弾けるか、弾けないかを一番見られると思います。
音楽高校に入って3年間勉強する間にあれも弾けない、これも弾けないでは、困ると思うからです。
だから、弾けない子と思われれば落とされます。
又、受験は確かに恐いけど、現実的に言えば、実際、高校生活が始まってからのほうが、何と大変な事かと驚かされると思います。
今まで練習してきた曲の数とは比較にならないほどの曲を、しかも短時間で暗譜して試験で弾かなくてはいけません。
その間も学内のコンサートのオーディションなど、1年中、ひっきりなしに、演奏する事が盛り沢山です。

恐らくレッスンの内容も1つ1つ手取り足取りなんて事は勿論やる時間もないし、自分でやらなくてはいけません。
譜読みして暗譜したらすぐ、本番で弾く、みたいな音楽生活を送る事になりますが、
3年間、鍛えられると、音大へ行く時、皆とっても楽だなぁと思えるみたいです。

いってみれば中学3年生までの曲は本当に基礎の基礎であり、まだまだ子供の曲なわけです。

高校からとたんに難しいと感じるようになるか、それほど違和感なく進んでいけるかどうかは、やはり、
小さい頃、どれだけの曲を沢山やってきたかに尽きると思います。
コンクールの曲だけ弾いてきたとか、コンサートの曲だけにかかりきってきたという感じだと、大きくなってから行き詰ってしまいます。

私のところに来ている生徒には、くれぐれもそんな感じになってしまわないよう、時間の沢山ある小さい頃から
出来るだけ沢山の曲を譜読みして知るように勧めています。
曲を知っているだけでも随分と、楽ですし、早く自分に合う曲を自分で見出せるようになるので、その分余裕が出来るわけです。

受験は、人生の中でも大きな試練の1つですが、皆、これ以上頑張ったことがないというくらい頑張ってみるのも良いと思います。
そのくらい一生懸命やってみると、自分の力が、良くわかるようになって来るからです。
今日弾いてもらった受験生達には、体調管理も充分気をつけてやる気満々で望んでもらいたいと思います。

2008年1月1日  あけましておめでとうございます。

新しい年を迎え私がまず1番に朝起きてした事は、ピアノを弾いた事です。
ピアノが私に「あけましておめでとう!」と言ってくれました。
今年も、私自身も周りの人たちも心身ともに健康で、幸せにピアノが弾けますようにと祈りながら・・・。

今から数10年前の私はウィーンでお正月を迎えました。そういえば今日はみんなウィーンフィルを見てるかな・・・・
ウィーンのお正月は、日本とはまるで逆。クリスマスもそうです。
ヨーロッパのクリスマスは、私にとっては、とてもひっそりして家庭だけで過ごし、淋しいというイメージ。
そして郵便も銀行もお店も休みだらけで、全てがストップしてしまうのですが、
12月31日大晦日から、元旦にかけては、打って変わってドンちゃん騒ぎです。
私も友人とウィーンのシンボルであるシュテファン寺院まで夜中の11時半ごろ繰り出しました。
12時前になると、カウントダウンされます。
”フュンフ、フィーア、ドライ、ツヴァイ、ヌル(5、4、3、2,1,0)そして、
フローエス、ノイエスヤール(あけましておめでとう!)といって1晩中花火がパンパン打ちあがります。
全く知らない人からキスされたり飲めや歌えの大騒ぎ。

そして一晩中おきて元旦は、文字通り寝正月です。
しかし、2日からは、会社もスーパーも全て開店します。

日本のお正月は反対に家庭で静かに過ごすといった感じで、まるっきりヨーロッパと逆という感じです。

お正月だからといってピアノだけは、休めません。
私にとってピアノは自分が生きているという事を唯一実感させてくれる証のようなもの。

今年も生徒と共に沢山練習して、さらに自分の魂がレベルアップできるよう励みます。
今年も皆さんよろしくお願いします。