引越しに伴い押し入れの掃除をしていると捨てるに捨てられなかった 正真正銘の"マイコン"一式が出てきました。結局、このマイコンも一緒に 引越しの荷物として持って行きましたが、電源を入れると基本的な動作に 問題が見られない事もあって、ちゃんと動く内に一寸したメモを残す事に しました。何せ、この計算機があったから今の私がある訳で、その意味で は非常に重要な計算機、謂わば記念物とも云えます。
今ではマイコンと云う言葉も死語となっていますが、現在で云うパソコン の事です。因に、1984年頃の雑誌を見ると、"パソコン"を使っています。 案外、その辺から"マイコン"から"パソコン"に移行していったのかもしれ ません。このFM-11が現役であった80年代当時の環境を考える事で、 OSがどの様に発展し、また、発展する事が無かったのかを考えるのには 向いていると思います。少なくとも、1984年から長く続いたDOS vs. Mac と云った不毛な宗教的論争を冷静に考える上でも、又、別の可能性を考える 事も楽しいのではないでしょうか。
富士通の出した20年程前のマイコンです。正式にはFujitsu Micro 11 AD2 でしょうか。FM-11 AD2ではF-Basicに加えて、OS-9 level 2と日本語 ワープロが附属したものです。尚、日本語ワープロはF-Basic環境で動作 するもので、残念ながらOS-9上で動作するものではありません。 Floppy Diskは1.25MBのものが一基、メインメモリは128KB、グラフィックス 用には192KBありました。因に、当時の8bitマイコンのメインメモリが多く ても64KB程度、初代PC9801でもその程度であった事を考えると随分容量の あるマイコンです。このメモリも1MB迄拡張可能であり、MS-DOSでも1MBを 認識出来た様です。尚、その後にFM-11 AD2+が出ており、これは当時標準的 であった320MBのFloppy diskが読めるFloppy Driveが二基、メモリも256KB になったものです。
以下の図に現存のFM-11 AD2のシステムを示します:
FM-11 AD2
このコアな雰囲気は昔の計算機そのまま。そう云えば、"スケバン刑事"の 悪の組織か何かの部屋にFM-11があったなぁ…。
現存のシステムでは、ディスプレイが関東電子のもので、640x400の解像度 で16色表示可能なカラーディスプレイ、プリンタがEPSONのもので、24ピンの 漢字プリンタです。値段はFM-11 AD2本体で27万円、ディスプレイで9万円程度 だったと思います。プリンタは2年後に買ったものですが、当時で5万円はした と思います。今で考えると随分高い買物ですが、正直な所、製品サイクルは 現在の様な猛烈なものでは無くて割とゆっくりしていたので、投資としては 悪いものではなかったと思います。実際、CPUの周波数の上昇も今の様な月代 わりの激しさではなく、どちらかと言えば年間ベースだったと思います。 尚、"一つのパソコンを家族で使うと云う新発想"とやらが昨今のCMで流れて いましたが、20年前のOS-9ではそれが当たり前でした。マルチタスク、 マルチユーザ、タイムシェアリングシステム等がOS-9で当たり前だった事 を考えると、マイコン/パソコンのOSは随分長い間、某M社の独占と某A社の 安逸の為に実際は闇の中だったのが実状でしょう。
FM-11はFM-7とFM-8の三機種でFMシリーズと呼ばれていました。当時の FMシリーズの特徴としてMotrolaの6809を二つ搭載している事が挙げられます。 但し、二つ搭載しているとは云え、一つがMain、一つがグラフィックス等の I/Oを担当するSubの二つで、今のDual CPUとは意味合いが異なったものです。 この特異な構成はFM-11 BSの後継に当るFM-16β("いちろくべーた"と読む) まで残っていた筈です。この特異な構成の御陰で、FMシリーズではZ80ボード の様な他のCPUを搭載する事が容易だったと思われます。因に、FM-16βが出る 迄は、MC68000を登載したマイコンが富士通から出る事を首を長くして待った ものです。結局、8086を登載したFM-16βが出た訳ですが、失望も大きかった ものです。
ここで簡単に歴史的なお話になりますが、FM-8が富士通が最初に出した マイコンでした。このFM-8にはバブルメモリが二つの装着可能な窪みが ありましたが、何せバブルメモリは高価なものの為に殆ど使われず、 灰皿とか呼ばれていました。このFM-8ではNECのPC8801と似たスペックで、 640x200の解像度で1ドット単位で8色同時に表示可能でした。この当時は キャラクタ単位で色を設定可能なものが多いものでした。FM-7とFM-11は FM-8の後に出たもので、FM-8の方が兄貴分とは言え、能力的にはFM-7の方 がやや高く、FM-7が趣味、FM-11がビジネス用と用途分けがされていました。 尚、FM-7の路線がFM-77として残り、FM-11EXからFM-16βと繋がるビジネス向 けはFMRとなりますが、その後に関しては興味が無く、その上、あまり覚えて いないので、ここでは割愛します。
FMシリーズの中でも、FM-11は面白い機種でした。6809を搭載した二機種 (ST?, AD)とZ80と8088も搭載した機種(EX)がありました。FM-7,8,11の中で FM-11のみがBasic ROMを持たず、Floppy baseのBasicか何らかのOSを使う 事が前提になっていました。その為、STを除く全ての機種がFloppy disk drive を標準で持っていました。更に、画面表示でもFM-7,8が最大640x200の 解像度で最大8色同時表示であるのに対し、FM-11の最大解像度は640x400で、 16色表示が可能(但し、実際は同時に出せるのは8色)でした。機能的には FM-11が非常に高いものでしたが、FM-7と8の互換性と比べるとあまり高い ものではなく、FM-7の豊富なゲームがFM-11ではあまり使えない悲しさが ありました。それに加えて、FM-11 AD2の場合は、折角の1.25MBのfloppy driveでは320KBのfloppyでフォーマットしたものが読めず、ただでさえ少ない ゲームがメディアの問題で更に少なくなる悲劇もありました。今の様に ドライブが安ければ問題が無いのですが、貧乏学生には辛いものです。
しかし、拡張性は非常に高いもので富士通から出ていたオプションのZ80や 8088カードに加えて、サードパーティから出ていたものに68008ボードも ありました。面白いものにはManhattan Systemと云う代物があり、OS-9上で CP/Mを動かすもので、それ用のZ80ボードがありました。このシステムでは CP/Mがコンカレントに動作し、CP/Mの命令に対してもパイプ等が使えた様に 思います。その為、使えるOSは6809用のFlex、Z80のCP/M、8088用のCP/M86 とMS-DOS(ver.1.2?)、68008のCP/M68とα-DOSがあり、今で考えるOSに関して はとんでもなく贅沢な機種でした。又、メモリも高価であるとは言え、1MB 搭載可能でした(PC98001は640KB)。当時主流の8bitマイコンで64KBが多い方 だったので、全く桁が違うものでした。
然し、拡張用の部品は1.2MBのFloppy Disk Driveにしても7万円強、メモリ も256KBで10万円近く、20MB Hard disk driveも20万円以上の時代の為、 貧乏な私には手が出せませんでした。
手元にある当時の雑誌(Cursor, 1984年3月号)の宣伝を見ていると、 上述の320KB Floppy Disk DriveはFDD I/Fカードが13800円、接続ケーブルが 4000円、本体が128000円とあります。因に、AppleのMacintosh、IBMのPC Jr. 更に、PC9801のE,Fの記事、更に、OS-9の紹介記事や、PC-100の広告なんかも あります。今後の展開を考えると、物凄く歴史的な雑誌かもしれません。 尚、当時は8bitマイコンばかりで、1983年になって漸く16bitマイコンの PC9801が出た時点です。OSもMS-DOSはCP/Mのクローンの一つで、CP/M(86)が 主流だった時代です。寧ろ、OSって何?と云った時代で、一般的にはBasicの 方が重要でした。私もMS-DOSにUNIX風のディレクトリがあるとか聞いても、 それがBasicとどう違うのか訳も判らない為、計算機の展示会で係員にMS-DOS って何?Basicとどう違うのかと聞いた程です。この頃は、マイコンに関しては 百花繚乱の状態であった為、この時点で後のNECの一人勝ちは予測出来ま せんでした。但し、その兆としての初代PC9801の後継機種PC9801E,Fが出た 頃です。このPC9801Fが後のPC9801のデザイン的にも基礎となっています。 但し、MS-DOSが主流になるのはこれからもう少し後の事になります。
尚、ここで紹介するFM-11 AD2はOS-9を標準で搭載した最初の機種でした。 これも雑誌等の紹介で当時FMシリーズのユーザーの多くがOS-9に注目する 様になり、OS-9が本格的に動作する環境として、FM-11が最適であった事が 挙げられるでしょう。今で言えば、MacOSXの様な雰囲気でしょうか。 尚、ハード的にFM-11あまり良いものでは無かった(マルチユーザー環境で、 メモリの保護が不十分だったらしい)様で、数年後に出た日立のS1が最も 良いものだったそうです。而し、S1に関しては出るのが遅過ぎたのが実状 で、既に16bitが主流となりつつあり、MSXが低価格マイコンとしての地位 を築いていた時点です。あと1年でも早く出ていればまだ違っていたと思い ますが、PC-100とは別の意味で不運な機種です。
随分後に経済雑誌か何かで、富士通のマイコン担当者とのインタビューが 載っており、その中で、担当者が"OS-9と云うマニア層に受けたOSを載せた 機種を出した"と言っており、この需要がFM-11 AD2が出る理由の一つに なったと思えます。更に、このFM-11 AD2と同時に出荷されたBSには、 電電公社で開発された1.25MBの5inch Floppy Driveが搭載されています。 当時の記憶媒体としては、漸く容量が320KBの5 inch Floppy Diskが主流 になりつつありました。それ以前はカセットテープを記憶媒体として用い ています。尚、1983年のFM-11のFDDは320KBのものでしたが、AD2とBSの FDDでは320KBのFloppy diskが読めない弱点があり、これには随分泣かされ ました。又、最初はディスクの容量の大きさに喜んでいたものの、肝心の メディアが非常に高いもので、一枚で7000円程度していた様な気がします。 又、メーカによっては非常に歩留まりが悪いもので、あるメーカのものは 必ず10回程読込を行ってオシャカになる酷い代物でした。
その頃、マイコンでは、80年代後半から90年代前半の様なNECの寡占状態 は生じておらず、先行していたシャープのMZシリーズがじりじり後退し、 NECと富士通が争っていた頃です。丁度、FM-7、8がPC8001mkIIとPC8801、 FM-11がPC9801と対応しています。但し、その時の富士通はあまり商売気 が無く、FM-11は知る人ぞ知るマイコンでしたが、PC9801と比べると 人気機種ではありませんでした。又、OSもCP/Mが主流とは言え、実際は マイコンに搭載されたBasicの方が本当の意味の主流です。雑誌も、 ベンチマークと称してBasicで計った結果を載せる程度で、PC9801のBasic よりも8bitマイコンのM5が遥かに速いと云った有様でした。因に、この 原因はM5のBasicが整数演算のみを行うものだった点が大きかった様です。 そんな訳で、コンパイラ言語のBasic09のベンチマーク結果はPC9801を 上回るのが普通でした。
OS-9はその名の通りMotrolaの6809向けのOSです。後に68000に移植され、 シャープのX68000でも使えましたが、X68000の死後は専ら組込用途で 使われています。尚、OS-9は組込用途が最初から主な目的だった様ですが、 FMシリーズのOSとして販売された事から、通常のOSと認識される事になった 様です。
このOS-9はそもそも、Motrolaが6809上で動作する構造化Basicコンパイラ であるBasic09を1978年から1980年にかけてMicroware社と共同で開発した 時に、その動作環境として開発されました。このOS-9はベル研のUNIXを モデルにReal-time対応等の拡張を行なったものとなっています。 OS-9/6809にはlevel 1とlevel 2の二つがありました。先ず、level 1は メインメモリが56KBまでのシステムに対応しているのに対し、level 2では メインメモリが2MBまでのシステムに対処可能となっていました。 FM-11の場合、level 2が利用可能で、FM-11 AD2やAD2+ではOS-9 level 2が 標準で附属していました。尚、OS-9は64KB程度のメモリで動作可能な様に アセンブラで記述されたもので、その動作は非常に機敏なものでした。 Cで記述されたOS-9/68000をX68000で動かした時はその鈍さに驚いた程です。
このOS-9は当時、Poorman's UNIXと呼ばれており、当時のOSの中では最も UNIX風のものでした。因に、その頃の主流のCP/Mではディレクトリの概念 すら無く、MS-DOSで漸くディレクトリとパイプ(但し、中間ファイルを経由 する)を取り入れて、UNIX風な側面を持ち始めた時期になります。ここで、 当時のMicrosoftはXenixと云う名前のUNIXを販売しており、これを搭載した 16bitマイコンもありました。確か、PC9801F等の後継機種の一つでXenixを 搭載したものがあった様に思いますが、実際にXenixが動いているのを見た 事は残念ながらありません。このXenixはやがて売却され、それが後の SCOのUnixとなったそうです。私はXenixは"銭ックス"とか冗談で呼んでい ましたが、当時のMirosoftは現在の様に嫌われる事もなく、高機能のBasic を出していると云ったイメージの方が強くて、単純に語呂の問題でした。 無論、Xenixが搭載可能な計算機はHDDが必須だった事もあり非常に高価 なもので、銭がかるのは事実でした。これに対してOS-9は同時期で8bit パソコン上でパイプやディレクトリを実装し、その上、マルチタスク、 マルチユーザ、タイムシェアリングシステムに加えてメモリの保護まで ありました。更に、OS-9の面白い点は全体がモジュール構造をしている点と ROM化が可能な点でした。但し、概念的に同じとは言え、命令等は色々な 違いがあります。
以下にOS-9の命令の一覧を示しておきます。
OS-9のシステム命令概要
命令 | 概要 |
---|---|
attr | ファイル保護機能の変更 |
backup | デバイスのバックアップ |
binex/exbin | バイナリレコードとSレコード間の相互変換 |
build | スタンダード入力パスからテキストを作成 |
chd | データディレクトリの変更 |
chx | 実行ディレクトリの変更 |
cmp | ファイルの比較 |
cobbler | ブートストラップ・ファイルの作成(level 1) |
copy | あるパスから別のパスへのデータ転送を行う |
date | システムの日時を表示する |
dcheck | ディスクファイル構造を検証 |
del | ファイルの削除 |
deldir | ディレクトリを削除 |
dir | ディレクトリ中のファイル名等を表示 |
display | 変換した文字を表示 |
dsave | ファイルコピーの手続を作成する |
dump | ファイル内容をダンプ |
echo | 出力パスへ文字列を出力 |
ex | シェルを殺して命令を実行 |
format | ディスクのフォーマットを実行 |
free | 記憶装置中の空き領域を表示 |
ident | メモリモジュールのヘッダ情報を表示する |
kill | プロセスのアボート |
link | メモリ上のモジュールを結合する |
list | ファイルの内容を表示する |
load | ファイルをメモリに読込む |
login | タイムシェアリングシステムにログイン |
makdir | ディレクトリを生成 |
merge | ファイルを結合し、標準出力へ出力 |
mfree | メモリの空き領域を表示 |
os9gen | ブートストラップファイルを作成 |
orinterr | エラーメッセージのテキスト出力(通常はエラーは番号で内容が 示されるが、短かいテキストも表示する様にする) |
procs | プロセスを表示する |
pwd/pxd | データ/実行ディレクトリを表示 |
rename | ファイル名を変更 |
save | メモリモジュールをファイルに保存 |
setime | システムの時間を設定 |
sleep | プロセスを一定時間中断させる |
shell | シェルを呼出す |
tee | 標準出力を複数出力パスに分岐して出力 |
tmode | ターミナル・オペレーションモードの変更 (出力端末側の文字出力設定を変更) |
tsmon | タイムシェアリングモニタの起動 |
unlink | メモリモジュールの消去 |
verify | モジュールヘッダとCRC値の確認と書換えを行う |
その他に命令の実行で、#メモリサイズで割当てメモリの指定が行えます。 例えば、basic09 #30kとすれば、basic09に30kbのメモリが割当てられます。 又、リダイレクトは各々>や<を使う点はUNIXと同じですが、OS-9で パイプは!を用います。同時期のbitではパイプを用いて、単機能のプログラム を繋いで一通りの処理を行う事を考慮した"芋虫プログラミング"と云った 記事を見た覚えがありますが、OS-9ではそれが普通に行えました。
面白かったのはリダイレクトで、OS-9ではデバイスが同格になる為、 Basic09やLisp09のグラフィックスをリダイレクトでそのままファイル に落し、それをlist命令でウインドウに表示したり、プリンタに出力 する事が簡単に行えた事でしょうか。この感覚は今考えても非常に便利な もので、他の面白い使い方に、時間の掛る計算や描画でもteeを使って ファイルと画面の両方に描かせたりしていました。
ウインドウシステムもありましたが、これは当時の代理店の星光電子(?) が付け加えていたもののです。複数のウインドウを開くとグラフィックス はウインドウのサイズで表示されます。但し、フォントはそのままです。 その為、小さなウインドウを開いていると、グラフィックスは小さくなる ものの、フォントはいつもの大きさで文字が表示されるので、結構違和感が ありました。
先ずは中身。
FM-11 AD2のカバーを外したものを正面上から
この図の左端にあるのが6809ボードで、右端にあるのがFDDのI/Fボードです。 本来なら8088、Z80ボードに加えて68008ボードと云ったCPUボードが搭載 可能です。私は貧乏であった為、一切拡張していません。プリンタを 付けるのが精々でした。尚、音声合成ボードなんかがあり、これは 買えそうでしたが、結局、興味が無かった為、買っていません。今、 考えるとあれば良かったと思います。尚、ネットワークの構築ではRS232C を用いた筈です。
横から見た様子
この図で、FDD I/Fボードの手前にある取手が漢字ROMボードです。 当時はビジネス向けではFloppy Diskが主流(個人レベルでは音楽 カセットテープからFloppyに移行した頃)で、Hard diskは 10MBで20万円を越える様な時代でした。そんな訳で、漢字ROM無し で日本語を使う事は無理でした。尚、漢字ROMと漢字表示の為の VRAMの存在をNECはつい最近迄、誇張して宣伝していましたね ("速さは力!")。
漢字ROMを除くと全体的に現在のPCと比較してそんなに違和感は ありません。因に1983年にはIBM PC Jr、即ち、今のPCの直接とは 言わないまでも、その先祖が出現した年です。又、AppleからMacintosh が出たのはFM-11 AD2とほぼ同じ時期になります。その意味では非常に 興味深いものがあります。因に、FM-11でもマウスがありました。勿論、 ボード込みです。一度、お絵書きソフトのデモを見た事がありますが、 そんなに凄いものではありませんでした。このマウスを見事に使っていた のがNECのPC100でした。後で知った事ですが、このPC100は京セラで開発 されたもので、その為に切られた様です。もしも、PC9801ではなく、PC100 の系列が残っていれば、その後、同様にNECの寡占状況に陥いったとしても、 日本のマイコンは今とは別の良い方向へ発展を遂げていたと思います。 更に、MS-WindowsもMacintoshの安易なパクリと非難される事のない全くの 別物になっていたかもしれません。そう思わせる程の計算機でした。
閑話休題。ともあれ、FM-11を起動してみました。F-Basicは実家に残して いるのでOS-9のみです。次がOS-9 level2を起動した様子です。
FM-11 AD2でOS-9を起動したところ。
このロゴが出ると何とも幸せな気分になります。MacOS9なんて代物があり ましたが、この20年後のOSであるMac"OS9"やMac"OSX"が出来の悪い冗談に 思える程、OS-9は立派なUNIXクローンです。何と言っても128KBのメモリで UNIXクローンが動作している訳ですから。Xはありませんが、一風変った マルチウインドウシステムがあります! このウインドウシステムではDupキー を使って各ウインドウに順番に制御を移し、マウスを必要としないものです。 ある意味ではEMACSでシェルを複数動かしている状況が少し近いかもしれませ んが、この場合はバッファの切替であって、OS-9のものは本当のウインドウ です。このウインドウの設定はキャラクタ端末としてその設定座標と キャラクタ数でその幅を指定するものです。この方式に慣れていた為、 後でX11R2を用いた時に、その操作方法等に面喰ったものです。他に漢字処理 も可能で、高級言語としてBasicにLispも動きます。Palmで出来る事と 比べると、OS-9でやっている事は非常に芸術的に感じます。 更に、OS-9は全体がモジュール化されており、ROM化も可能です。又、 遅いデバイスから下手に読込む事を避ける為、プログラムをメモリ上に モジュールとして常駐される事も可能でした。この場合、少ないメモリを 効率的に利用する為、pack命令でグループに纏める事を行っていました。 このモジュールの確認はmdir命令で出来ます。この様な事もあってか、 現在はデスクトップ用途では無く、組込用途で使われています。 而し、20年の歳月が何だったのかを感じさせる程、古さを感じず、寧ろ、 その本質は現在、組込用途も視野に入れたLinuxでも到達していないもの を感じます。実に美しい。
さて、OS-9ではUNIXのlsと同様の命令にdirがあります。この点、一寸、 DOS風です。但し、このdirの凄い所は今のUNIXで云うならls -l | moreに 近いものであった事です。当時のDOSもその後のDOSもdirで全てを表示して 勝手にスクロールしてしまいますが、OS-9のdirでは環境変数で設定された 行数を表示すると一旦停止します。その様子を以下に示します。
dir eを実行(UNIXのls -al | moreに近い)
Last modifiedを見ると履歴の古さに笑えます。システムを生成したのは 1985年の11月11日です! この日に生れた子供は大人の一歩手前になってい ます。この様な環境を用いていた為、PC98とDOSの天下になった時に、PC98 で何となしにdirを使って一旦停止もせずに勝手にスクロールする樣を見て、 OS-9の世界との落差(天国と地獄程の差)に驚愕したものです。
ディレクトリにCMDSとありますが、これが/sbinの様なものになるでしょうか。 ここにOS-9の基本的な命令が格納されています。OS-9ではデータディレクトリ とコマンドディレクトリの二種類があります。後者は検索経路上の ディレクトリが対応するもので、chxど云う命令を用いてユーザが動的に命令 の入っているディレクトリを指定します。データディレクトリは作業用の ディレクトリが対応し、chdを用います。このchdで指定したディレクトリが 今のUNIXのカレントディレクトリになります。この辺はシェルの非力さも 関係するのかもしれませんが、当時はFDベースである事を考えると、命令を 入力した時に、闇雲にディレクトリを検索し始めると、それこそ致命的な程 の無駄な時間を費す事になるので、予め指定する方が効率が非常に高い方法 と言えるでしょう。
現在、FM-11にある開発"高級"言語には標準附属のBasic09に加え、Lisp09と Lisp09で記述されたPrologがあります。これは当時のソフトが異様に高かった 為に買えなかった事もあります。確か、C,Pascal,FortranにCobolもあった筈 ですが、何れも20万円はした筈です。但し、Oh!FM誌に掲載されたModula2が ありましたが、それは数十ページに亘るダンプリストを打込む必要があり、 私はそれに挫折した為に、現在のFM-11にはありません。但し、当時は 第5世代コンピュータもあって、人工知能、エキスパートシステムとかが 流行っており、その御陰もあってLispが今以上に大きく扱われていました (丁度、現在のWebに対応するJavaやPHPの様な雰囲気でしょうか)。 その事と、例外的に安かった為、Lisp09は製品を買う事が出来ました。
このLisp09は当時では速い処理系でした。因にFM-11のOS-9はBasic09が 今で云うJavaの様なコンパイラであった為、単純なインタプリタのBasicと 比較しても非常に速い処理言語(PC9801附属のBasicとは比較にならない程、 高速)でした。このLisp09も非常に速いもので、類数を計算するプログラム をLisp09で組んで、2日間で32000程計算しました。同じ問題をPC8801の Basicとマシン語の組合せで2日でも3000も行かなかった様に覚えています。 因に、その類数の計算ではウインドウを一つコンソール用に作っておいて、 そこのプライオリティを一番高くして、そこで各ジョブのプライオリティを 適宜変更して、カレントのジョブが快適に処理が行える様にして遊んでいま した。例えば、類数計算のプライオリティを一番下にして、Lisp09の タートルグラフィックスで高いプライオリティで快適に遊びなから、 Basic09のプログラムも思い出しながら、ぼちぼちと行い、寝る前に、類数 計算のプライオリティを上げて、朝に結果を見ると云った事(17年前の事 です。念の為)です。そんな事が出来るのがOSとして当たり前と思って いたのですが、後にMacやWindowsを使って、そうではない事が良く判り ました。その為、個人的にはMacは似非OS(ファイルブラウザが肥大したもの)、 WindowsはDOS(Disk Operating System、ファイラーの一種)のパッチと思って いました。そんな訳で、OSX以前のMacOSと云う呼び方には今でも微かな抵抗 があります。
尚、後の事になりますが、MacOS上のユーティリティでSpeedDoublerと云う MacOSの仮想メモリや68kエミュレーションを改善するものが売れた頃に、 CPU Doublerなるユーティリティが出ました。これはOSのスケジューラを 改善するもので、要するにOS-9でタスクのプライオリティを変更した遊んで いた事が、MacOSのアプリケーションレベルで行えるものでした。
閑話休題、エディタはラインエディタのeditがある程度です。Basic風の スクリーンエディタではありませんが、何だかんだとそれを使いこなし ていた為、当時は不自由を感じませんでした。その一方で、Apolloの Domainでviやemacsを使わされた時は逆にその操作に苦しみました。 但し、このOS-9のeditで論文を書こうとしたのは幾ら何でも無謀でした。 一晩で数ページしか書けず、それに手書で図を入れる手間もあり、 結局、全てを手書で書く羽目になりました。
OS9の標準のシェルはbashやtcshと比較すると原始的で非力なものです。 一応、tcshも今は亡きOh! FM誌に掲載された事もあり、使う事も可能ですが、 これらのシェルは強力な反面、このFM-11 AD2の様に、搭載メモリが128KBで、 HDD無しのFloppy diskのみでは使いたくない程重いのが実状です。
以降、Basic09やLisp09の事を暇を見付けて書く予定。 今、ふと思ったのはMacintosh CentrisやPowerMac 7600に違和感を全く 感じなかったのは、FM-11に似ていたからかな?