デニスロドマン

 ロドマンといえば、悪(ヒール、わる)やウォームというあだ名、毎試合かわる髪の毛、マドンナとの付き合い、ハリウッドへの進出、プロレスへの挑戦など、幼いころのハングリーの反動かどうかわからないが、話題がつきることにない。しかし、NBAではリバウンド王として君臨し、チャンピオンリングを5つも持っている。ブルズではすっかり「いい子」になってしまったイメージがあるが、その闘志と努力は見習わなければいけないところである。

 1961年5月13日にニュージャージー州トレントンで生まれる。その後、父親は家を出てしまう。幼いころは時計を盗んで警察につかまったこともあった。高校は卒業するが、空港で清掃員のバイトをして過ごしていた。しかし、サウスイーストのオクラホマ州大の目にとまり、大学でバスケをプレイすることになる。その長い手足や身長を生かし、その才能の一部を開花させていく。

 86年に2順目でピストンズから指名される。最初のころは全然うまくプレイできず、緊張していたようだ。そのころのピストンズはバッドボーイズと呼ばれ、アイザイヤトーマス、ビルレインビアを中心として、タフなプレイを展開していた。その影響をうけ、タフなディフェンス、闘志を身につける。そして、89年、90年とバッドボーイズは連覇をはたした。

 しかし、その後、ピストンズが崩壊すると、ロッドマンはスパーズへトレードされる。髪の毛の色を変えたり、マドンナと噂になったりとコート内外でも話題が多かった。しかし、スパーズ経営陣とうまく行かず、いくつか問題も起こし、95年にブルズのウィルパデューとトレードされた。

 96年のシーズンにはジョーダン、ピペンとともにビックスリーとよばれ、前人未到の72勝を達成する。その後3連覇を果たし、5個のチャンピオンシップを手に入れた。時にはジョーダンより目立つプレイをし、本当のファイナルMVPはロドマンだと言われたりした。(96年ファイナルの活躍はとくにすごかった)

 ロドマンはその問題ばかりが取り沙汰されがちだが、彼の努力ははかりしれない。NBA入りしたときにはNBAで生き残るために何かで力をつけなければいけないと悟った。そこで得点はみんな取りたがる上、マイケルジョーダンというスーパースターがいるから、だれもやりたがらないディフェンスとリバウンドで一番になると努力し、リバウンド王になった。必ず試合前には相手チームのVTRをチェックし、研究をおこたらない。バスケをはじめるのが遅かったロドマンが勝ち取った栄光はその分の努力の積み上げによって、手にしたのである。