レジーミラー

 レジーミラーといえば、自分の中ではやはり94年のいまでは伝説となっている‘ミラータイム’があまりにも印象的でしょう。プレイオフカンファレンスファイナルのニューヨークニックスとの戦いの中で、6点差で負けていたのをなんと残り15秒の時点から1人で8得点して、大逆転劇を演じたのである。得点後のアンソニーメイスンのパスをすぐさまスティールし、自ら3ポイントラインまで下がってシュートを決めたプレイは圧巻であった。私はこの15秒間に見入り、あまりのすごさに鳥肌がたち、本当の意味でバスケットボールのおもしろさを実感した一瞬でした。ニックスとはこの前年にプレイオフでのMSGにて第4クォーターにレジーミラー一人で25得点した大逆転を演じており、すでにMSGはミラータイムの舞台になっていました。

そのころから対ジョーダン、対ブルズの激しいディフェンス、オフェンスの応酬を楽しみに見ていました。特に98シーズンカンファレンスファイナルのブルズ戦では、ジョーダンが完全にシーズンに復帰して以来、ブルズに対してはじめて第7戦までもつれさせる大接戦。最後までどちらが勝つかわからないシーソーゲームの末、惜しくも敗れてしまいました。この第4戦でもレジーミラーは終了間際にマイケルジョーダンを跳ね除け、劇的な逆転の3ポイントを決めています。しかし、どうもインディアナペイサーズにとって、カンファレンスファイナルは鬼門のようで、94年のニックス戦、95年のマジック戦、98年のブルズ戦と第7戦までもつれこんだ末に惜敗するという非常に悔しい過去がありました。 

しかし、伝説のラリーバードがヘッドコーチに就任し、ベテランたちの完璧なチームプレイ、チーム戦術によって、97年のボロボロだった1年から完全復活したこのチームは2000年についにファイナル進出を果たします。(ロサンゼルスレイカーズに24敗にて敗れる。)

翌シーズン、チームは世代交代を図ります。レジーミラーは唯一のベテランプレイヤーとして、そしてインディアナのフランチャイズプレイヤーとしてペイサーズを引っ張ります。

その2年後のシーズン、順調に世代交代を進めたペイサーズは成長したジャーメインオニールやロンアーテストといった選手を中心にレギュラーシーズン8位でプレイオフに進出すると、ジェイソンキッドの加入で強豪へと変身を遂げたニュージャージーネッツと対戦します。ここでネッツを苦しめたのはやはりレジーミラーでした。大接戦の末の最終第5戦、終了間際レジーミラーの劇的な3ポイントシュートで同点に追いつきます。勝利を確信したネッツベンチやキースバンホーンのガッツポーズから奈落の底に落ちたような落胆ぶりが印象的でした。OTでも同様に終了間際逆転を狙い、レジーミラーにボールが渡ります。レジーミラーは誰もが3ポイントで逆転を狙うシュートを打つだろうと予測する中、巧みにシュートフェイクでディフェンスを交わし、同点のダンクシュートを決めたのでした。試合は2OTの末、敗れてしまいますが、レジーミラーの本領が発揮された試合の一つでした。

 レジーミラーは本名レジナルド・ウェイン・ミラー、全米でも屈指のスポーツ一家に生まれた。1965824日、カリフォルニア州リバーサイドにミラー夫妻の息子として誕生。5人兄弟の4番目として生まれ、次男はメジャーリーグのカリフォルニア・エンジェルスで5年間キャッチャーをしていた。妹のタミーはバレーボールで奨学金をもらって大学に進んでいた。姉のシェリルは金メダルの獲得やWNBAのフェニックスマーキュリーでヘッドコーチを務めるなど、女子バスケットボールの伝説的プレイヤーである。

 レジーは生まれつき足の骨がゆがんでいて、4歳まで足にスチール製の金具をつけていて、母親は医者にまったく歩けないかもしれないと言われていた。しかし、母の努力が奇跡を起こす。

 少年時代、レジーは姉のシェリル相手に1ON1の毎日だった。レジーにとって、姉は超えられぬ壁となって常に立ちふさがっていた。プレイグラウンドでは、姉と組み、2ON2の戦いをいどみ連戦連勝をかさねていた。この後、姉のシェリルは84年のオリンピックでアメリカの女子代表チームの一員として、金メダルを獲得する。

 その後、レジーはアメリカで最も有名なUCLAに進む。そのころには身長も201cmになっていた。UCLAでは、伝説のカリーム・アブドゥル=ジャバーに続く歴代2位の通算得点を記録して卒業。NBA入りを果たす。

 インディアナペイサーズに11位で指名される。その後、リックスミッツの加入により、二人の力で弱小だったチームをプレイオフ常連チームにまで育て上げる。そして94年のカンファレンスファイナルでの惜敗、続く95年にもカンファレンスファイナルまで進むが、オーランドマジックに惜敗。しかしレジーはその活躍により、ドリームチームU,Vに選ばれ、人気を不動のものとする。

 ところが、96年プレイオフ1回戦、レジーが激しいマークにあい目の下を骨折する。その後追いこまれたペイサーズは、怪我をおしてレジーが出場するが、まさかの1回戦負けを喫する。翌年、リックスミッツの怪我で、レジーが孤軍奮闘するものの、ついにプレイオフ進出を逃してしまう。だれもがペイサーズの時代が終わったと思ったなか、伝説のラリーバードがヘッドコーチに就任、リックスミッツの復活で、98年前半ブルズを抜いてイースタンカンファレンス1位で通過、結局シーズンをブルズに次ぐ2位でプレイオフ進出を果たす。その後ブルズとのカンファレンスファイナルで第7戦まで及ぶ激戦の末おしくも敗れた。

 そしてついに2000年ファイナル進出を果たす。レイカーズに6戦にて敗れるものの、優勝に一歩近づいた瞬間であった。

 しかし、その後、世代交代を推し進めるチームはこのファイナルメンバーを解体。順調な世代交代によって、ベテラン選手はレジーミラーだけとなってしまった。それでもレジーは未だにペイサーズで優勝を追い求めている。

 レジーは、超がつく一流プレイヤーではないと思う。なぜなら、レジーのプレイは仲間にスクリーンなどでノーマークを作ってもらってからシュートを打つ。マイケルジョーダンのように1ON1で自らきれこんでチャンスを作るわけではないからである。ではなぜ一流プレイヤーであり、こんなに人気があるのか。それは非力な自分を助けるべく、自分をノーマークにする術としてスクリーンの使い方が抜群にうまいこと、NBAでも1,2の勝負強さ、ここぞという時の頼りになるプレイ、アウトサイドシュート。プレイオフになると普段以上の力を発揮するからである。私が知っているだけでも鳥肌が立つような劇的な逆転シュートがいくつもあります。

そんな魅了するプレイを見せ続けるレジーを、残り少ないジョーダン世代の選手として引退するまで応援していきます。