アンファニーハーダウェイ

 あだ名はペニー。おばあちゃんっ子でプリティーと呼ばれていたのがペニーに変わったと言われている。彼はマイケル・ジョーダンに劣らない運動神経を持っていると思うが少し精神的に弱いところと不幸な事件がもう1歩才能を伸ばせないでいる。

 1971年7月18日テネシー州メンフィスの貧しい黒人家庭に生まれた。両親に捨てられ、祖母ルイーズに育てられる。そんな中教会や学校に通う以外は近所にあったプレイグラウンドでバスケットに夢中になり、8時間から9時間プレイしていたと言う。バスケットに夢中になっていたことが悪い道に巻き込まれないで済んだと話す。高校時代にも大活躍し、大学はメンフィス州大を選んだ。その理由は、祖母が試合を見に来られるからだと言う。しかし、その1年生のとき強盗に出くわし、その強盗の撃った弾丸が、歩道に跳ね返って足に命中。強盗にピストルを突きつけられ、地面にうつぶせにされていた。「背中を撃たれる。頭を撃たれる。」とずっと思っていたと言う。この弾丸で3本の骨を骨折。弾丸は取り出すことができず、しばらくは全くプレイできない状態が続き、キャリアもこれで終わりかと絶望の淵に立たされた。それでもペニーは復帰後プレイを続け、大学3年を終えたとき、オールアメリカファーストチームに選ばれた。

 そしてNBAドラフト。オーランドマジックは1位指名でクリスウェバーを指名する。しかし、マジックはウェバーに払うお金がなかったこと、同じチームのシャックの薦めもあって、すぐに3位指名のペニーとトレードになった。このトレードは2年後にNBAファイナル進出という形で成功する。

 1年目にはオールスタールーキーゲームでMVPを獲得。翌年、シャックとのコンビで復帰したばかりのジョーダン率いるブルズを倒し、ファイナルに進出。しかし、ファイナルではオラジュワン率いるロケッツにシャックがいいようにあしらわれると手も足もでず、完敗。翌年、リベンジに燃えるジョーダン率いるブルズに完敗した。シーズンが終わるとシャックは新天地を求めてレイカーズに電撃移籍。マジックはペニーのチームになる。

 1人立ちを求められたペニーはその期待の大きさのせいか暗いように見えた。孤軍奮闘のなか伸び悩んでいるように思えた。しかし、プレイオフになると、パットライリー率いるヒート相手に、毎試合40点以上取る活躍。改めてペニーのすごさを実感する。そんな時に古傷の再発。約1シーズン棒に振ることになる。

その後、怪我の影響、チャックデイリーコーチとの確執などからマジックでのペニーの存在が疎まれるようになりサンズへ移籍する。サンズではジェイソンキッドとともに復活を期すも怪我に悩まされ続け、現在はニックスの貴重なプレイヤーの一人となっている。

ペニーの良さはその得点能力もさることながら、PGをやっているせいか周りを使うのがうまいと思う。

 1996年、ネッツとの日本開幕戦。東京ドームまで見に行ってきました。印象としては、ショーンブラッドリーがやたらとでかく、それでいて下手で、すぐにファールトラブルに見まわれていたこと。それに対し、控えから登場したジェイソンウィリアムズが活躍し、カリパリコーチ(この時は奥さんのお産とかで来日しなかった)にこの後認められ、ずっと才能があるといわれていたそのリバウンド力をついに開花させていく要因となりました。それに対し、ペニーは足を怪我していながら、ずっと出続け、それでもスーパースターの名に恥じないスーパープレイを見せ続けていた。しかし、このけががきっかけにペニーは古傷を再発させ、約1年半を棒に振ることになったと思う。この時は同じように才能があるといわれていたケンドールギルや、ロバートパックに比べ、やはりそのセンスは飛びぬけていたと感じました。がんばれペニー!