ドリームチーム
ドリームチームT
1992年バルセルナオリンピック金メダル
G
ジョン・ストックトン
マジック・ジョンソン
マイケル・ジョーダン
クライド・ドレクスラー

F
ラリー・バード
クリス・マリン
スコティ・ピペン
チャールズ・バークリー
カール・マローン

C
パトリック・ユーイング
デビッド・ロビンソン
クリスチャン・レイトナー(当時学生)
ドリームチームU
1994年トロント世界選手権金メダル
G
マーク・プライス
ケビン・ジョンソン
ダン・マーリー
スティーブ・スミス
レジー・ミラー
ジョー・デュマース

F
ドミニク・ウィルキンス
ラリー・ジョンソン
ショーン・ケンプ
デリック・コールマン

C
シャキール・オニール
アロンゾ・モーニング
ドリームチームV
1996年アトランタオリンピック金メダル
G
ゲイリー・ペイトン
ジョン・ストックトン
アンファニー・ハーダウェイ
レジー・ミラー
ミッチ・リッチモンド

F
グラント・ヒル
スコティ・ピペン
チャールズ・バークリー
カール・マローン

C
アキーム・オラジュワン
デビッド・ロビンソン
シャキール・オニール
ドリームチームW(仮)
ギリシャ世界選手権参加せず
(試合なし)

G
ゲイリー・ペイトン
ティム・ハーダウェイ
テレル・ブランドン
アラン・ヒューストン

F
グラント・ヒル
トム・ググリオッタ
グレン・ライス
クリス・ウェバー
クリスチャン・レイトナー
ヴィン・ベイカー
ケビン・ガーネット

C
ティム・ダンカン
ドリームチームW
2000年シドニーオリンピック金メダル
G
ティム・ハーダウェイ
ゲイリー・ペイトン
ジェイソン・キッド
スティーブ・スミス
レイ・アレン
アラン・ヒューストン

F
ビンス・カーター
シャリーフ・アブドゥール・ラヒム
ケビン・ガーネット
アントニオ・マクダイス
ヴィン・ベイカー

C
アロンゾ・モーニング
ドリームチームX
2002年インディアナ世界選手権6位
G
バロン・デイビス
マイケル・フィンリー
アンドレ・ミラー
レジー・ミラー
ジェイ・ウィリアムズ

F
ショーン・マリオン
ポール・ピアース
ベン・ウォレス
ラルフ・ラフレンツ
エイルトン・ブランド
ジャーメイン・オニール

C
アントニオ・デイビス
ドリームチームY
2004年ギリシャオリンピック銅メダル
G
アレン・アイバーソン
レブロン・ジェームズ
ステフォン・マーブリー
デュウェイン・ウェイド

F
ショーン・マリオン
リチャード・ジェファーソン
カーメロ・アンソニー
ラマー・オドム
アマレ・スタッダマイヤー
カルロス・ブーザー
エメカ・オカファー

C
ティム・ダンカン










バルセロナオリンピックの決勝では、珍しく怪我のため欠場したストックトン

ドリームチームの成り立ち

 バスケットボールがオリンピック種目として採用されて以来、アメリカはずっと頂点に立ってきた。しかし88年のソウル5輪には銀メダルに終わる。(アルビダスサボニス率いるチームに敗退)世界のレベルがアメリカに近づいた証拠である。これによりアメリカの威厳を保つため、NBAを世界市場に売り出すため、NBAのスーパースター選手をオリンピックに送り出すことに決めた。

 アメリカチームには二つの問題があった。一つはメンバー、もう一つはコーチである。そんな中でコーチはバッドボーイズを率いてチーム統率に評判のあるチャックデイリー(現オーランドマジック監督)に決まった。メンバーではマイケルジョーダン、ラリーバードらは、一度は断ったものの、HIVに感染して引退していたマジックジョンソンの誘いなどでOKした。

 そうして結成されたドリームチームTだったが、まだコンビネーションもあわず、体もなまっていた。そんな折、クリスウェバー、アンファニーハーダウェイ、ジュワンハワードらが率いる学生メンバーとの練習試合で負けたのだ。この1敗で目が覚めたドリームチームは平均51.5点差をつけて予選を勝ち抜く。本選でもアメリカチームはその圧倒的な力で金メダルを獲得、ラリーバードは有終の美を飾り引退した。このドリームチームTが今の世界でのNBA人気の火付け役になったのはまちがいなく、またこのあと結成されたドリームチームU、V,WでもこのドリームチームTにはかなわないと言われ、本当のドリームチームと呼ばれている。

 ドリームチームUは世界選手権のために結成された。このチームは、将来のNBAを背負っていくだろうと予想される若手中心のメンバー構成になったが、その試合内容はそれぞれが自分勝手なプレイばかりをし、圧倒的な強さを持っているため金メダルを獲得できたものの、あまり評判もよくなかった。

 ドリームチームVはアトランタオリンピックのために結成された。このときのメンバーは若手とベテランがかみあったいいチームに仕上がっていたと思う。コーチのレニーウィルキンスもチームをうまくまとめていた。そんな中、各国のレベルが非常にあがってきて、アメリカチームでも苦戦する場面がいくつかあった。ファンは不満かもしれないが、ディフェンス中心のチームだとウィルキンスは試合前に話していた。確実に勝つためのもっともな戦術だったと思う。

 ドリームチームWは世界選手権のために結成されたものの、スターンコミッショナーは結局、学生チームを派遣。その結果アメリカチームは金メダルを逃すことになった。

 一人のNBAファンとして、ドリームチームの結成にはわくわくするものがある。これからもNBANBA人気を象徴する存在になるだろう。また、ドリームチームT以上のドリームチームはもう現れないものと思われる。それほどTは偉大で強い本当のドリームチームだった。

 その後、ドリームチームの名前で世界大会に出ることはなくなり、アメリカチームと呼ばれるようになる。その原因はスーパースターのアメリカチーム不参加による「本当」のスーパースターが欠場するようになった為だ。また世界大会がNBAオフに開催されることもあり、選手たちが休暇を奪われるのを嫌ったためでもある。

 そんな中、2002年インディアナでの世界大会に初めてNBA選手で構成されたアメリカチームが敗退すると、2004年のアテネオリンピックにおいても敗退するのであった。

 敗退の要因として、

@     NBAで活躍するトップの選手たちが欠場していること。

A     アメリカチームとしての練習期間が非常に短いこと。

B     国際ルールとNBAルールの違いに選手が順応できていないこと。

C     ヨーロッパを中心とした世界的なバスケットボールのレベルアップ。

アメリカの選手は幼少のころは運動神経にまかせるプレイが多いが、ヨーロッパの選手は幼少のころから基礎、シュート練習を重ねるため、背の高い選手でもドリブルやシュートがうまく、また抜群のアウトサイドシュートを持っているためとも聞いたことがあります。

 これからアメリカチームがどういった形で「バスケットボール」に対する誇りを奪い返すか楽しみであり、サッカーのワールドカップのような国の威信をかけた激しく、おもしろい試合がオリンピックや世界大会で見られることを期待します。