誰がジョーダンを引退させたのか(99年1月)

<長すぎた空白が火照りを鎮めた>

 来月には、36歳になる。

 いくつかの選択の中で、マイケル・ジョーダンは引退を決意し、現地水曜日、正式に記者会見で発表する運びとなった。米国の通信社、新聞各紙が、そのように報じている。

 ジョーダンは昨年6月の、この10年間で6度目のリーグ優勝を決めた後、「このままなら引退する」とコメントした。

 チーム側(ブルズ)は、ジョーダンの臨む体制をもうこれ以上継続することはないと発表し、ジャクソン監督を切り、ピッペンにも興味がないと宣言した。

 「それを白紙に戻すなら、プレーを続けてもいい」が、ジョーダンの引退発言の真意だった。ブルズは、方針を変更せず、ジャクソン監督は去った。

 リーグのロックアウトがファンを失望させ、ジョーダンもまた引退(もしくは継続)の発表のタイミングを逸していた。

 内心では、ジャクソン監督がいようがいまいが、バスケットボールを続けたいという欲と(ジャクソンはそのように忠告した)、「黄金の輝きの中で引退したい」という欲が葛藤していた。

 冷静に見ると、微妙なバランスの揺れの中で、結局ジョーダンを最終的に引退に追い込んだのは、長期のロックアウトだったかもしれないと思う。

 例年通りのスケジュールで始まっていたら、ジョーダンがいかにクールに「自分の引け際」を考えても、筋肉や本能の火照りを鎮めることは、出来なかったに違いない。

 しかし、あまりにも、空白の時間は長かった。ジョーダンは夏の間、激しいトレーニングを重ねるのが例年だったが、今年はバハマに遊び、ゴルフに興じて、筋肉トレーニングに集中しているようには見えなかった。

 時間の経過とともに、気持ちの上では逆に「継続」への意欲が再燃したが、いったん集中を失い、その火種を落としてしまった肉体は、もう戻らなくなった。

 ジョーダンは93年、「これ以上、バスケットボールで達成するべきことは何もない」という言葉とともに引退し、それが間違いであったことを証明するように、95年にカムバックした。むろん、やるべきことはまだあった。しかし、その年は優勝することが出来なかった。肉体は、そう簡単には、ピークに戻らない。青ざめたジョーダンが、真剣にトレーニングに励むようになったのは、それからだ。逆に言えば、「中断」の恐怖を、ジョーダンは身にしみて知っている。