アキームオラジュワン

 全盛期には世界最高のセンターと呼ばれる。当時パワーならシャキールオニール、スピードならデビッドロビンソンが一番かもしれないが、うまさと勝負強さを兼ねた総合力ではアキームオラジュワンが一番である。もちろんスピードもあり、パワーもあって、リバウンド、ブロックショットともに類まれな才能を見せる。しかしなんといってもドリームムーブと言われるスピンムーブはゴール下で相手センターを翻弄する。そんなオラジュワンはマイケルジョーダンを抑え、ドラフト1位指名で指名されたが、なかなかチャンピオンリングには手が届かなかった。

 1963年1月21日ナイジェリアのラゴスで生まれる。子供のころはサッカーとハンドボールが大好きだった。15歳の時にはすでに身長206cm、体重77kgになっていた。ある友達がそんなアキームをバスケットボールに誘う。それから1年後、アキームはクラブチームでプレイしていた。アメリカ国防省の人の奨めでアメリカのヒューストン大に進学する。しかし、プレイ経験が少ないため、ここでアキームはバスケを基礎から学ばなければならなかった。

1年後、クライドドレクスラーらが率いるチームでアキームは体力不足のため、なかなかいいプレイが出来なかった。84年のNCAAファイナル4では成長したアキームとパトリックユーイング率いるジョージタウン大とのビックマン対決となった。しかし、軍配はジョージタウン大にあがり、この時のアキームは10得点に終わった。

 84年のドラフトではマイケルジョーダン、チャールズバークレーらを差し置きヒューストンロケッツに1位指名される。(このころは強くなるためにはセンターが不可欠だったので優先的に指名される傾向があった。)1年目からラルフサンプソンとツインタワーを形成し、平均得点20.6、11.9リバウンドをあげる。2年目にはファイナルに進出。しかし、円熟期に入っていた職人ラリーバードにアキームは体力不足によるディフェンスの弱さがある。と指摘されるとゴール下で翻弄され敗れ去った。この後、ヒューストンロケッツは8年間も優勝争いから遠ざかることになる。ラルフサンプソンが怪我のためトレードされ、チームメイトは薬問題にからみNBAを追い出されると、ロケッツはオラジュワンのワンマンチームになっていった。

 91年にヘッドコーチがルディトムジャノビッチになると、ようやくチームが上向きになる。そして94年にケニースミス、バーノンマックスウェル、ロバートオーリー、オーティスソープのチームはシーズンを15連勝でスタート。プレイオフでは、前年にファイナルに進出したサンズをホームで2戦落とすが、7ゲームまでもつれた末に勝利。ファイナルでは、NCAA決勝以来となるパトリックユーイング率いるニューヨークニックスとの対戦となる。ビッグマン対決は互角の展開だったが第7戦までもつれた末にユーイングに対して大学時代のリベンジを果たし、アキームは初優勝を果たした。アキームはそのプレイオフでの活躍や勝負強さを認められ、ファイナルMVPを獲得。ほかにもレギュラーシーズンMVPとディフェンシブオブザイヤーを獲得し、NBAチャンピオンに花を添えた。

 翌年、ロケッツは主力の怪我などで優勝するとは思われていなかった。さらにソープとクライドドレクスラーとのトレードは当時怪我を抱え、全盛期を超えたベテランのドレクスラー獲得にうまくいくとは思われていなかった。しかしプレイオフになるとこのベテランは力を発揮する。このヒューストン大コンビは重要な得点源だった。プレイオフではシーズンMVPのデビッドロビンソン率いるサンアントニオスパーズのビッグマン対決を制し、ファイナルでは若手でパワーにあふれたシャキールオニール率いるオーランドマジックをスピンムーブで圧倒。シャックはその動きについていけず翻弄され続け、スイープ(4連勝)し2連覇を果たす。クライドドレクスラーにとってははじめての優勝だった。アキームはファイナルMVPを獲得。並居るセンター陣をやぶり、世界ナンバー1センターの称号を手に入れ、アメリカ国籍を獲得したことから、ドリーム(アメリカに渡り、栄光を手にするアメリカンドリームにちなんで)と呼ばれ、アキームのスピンムーブをドリームムーブと呼ばれた。アキームにとって、栄光のときだった。

 96年、アトランタオリンピックのドリームチームに選ばれて金メダルを獲得すると、本当の意味でアメリカンドリームを手に入れた。そして97年チャールズバークレーが4対1のトレードで来るとアキームとクライドの3人のロケッツはウェスタンドリームチームと呼ばれ、ブルズとのファイナルを確実視されていた。しかし、バークレーが来たために薄くなった選手層、ベンチ層となかなかファイナルまで進めなかったジャズの執念にカンファレンスファイナルでストックトンにブザービーターを許し、惜しくも敗れ去った。

 翌年、バークレー、ドレクスラーの怪我、アキームの手術でベストメンバーが一向にそろわないと、プレイオフもぎりぎり8位通過。1回戦で1位通過のジャズを苦しめるものの敗退した。シーズン終了後、ドレクスラーは引退した。

 その後ピペンを獲得。もう一度優勝を目指すもチームはなかなか噛み合わず解体する。スティーブフランシスのドラフト指名とともに、チーム作りもアキームからフランシス中心となり、ラプターズにトレードされた後、引退した。