けいさやの世界旅行記旅行記TOP>ホノルルマラソン

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 中学時代に陸上部に所属するもたいした成績を残せなかった。自分の中で陸上をやったという満足感が欲しいと感じていた。大学時代に何か大きいことをしたかった。だらだら過ごしていた生活の中で、友人にホノルルマラソンを走らないか?と誘われて、久しぶりに胸がドキドキして挑戦してみようと思ったのがきっかけだった。

メンバーは、同級生2人と先輩2人と私の5人で行くことになった。この5人は大学生活を満足させたがっていた。夏に富士山、富士五湖周辺登山を制覇し、冬にホノルルマラソンで今年を締めくくるというのが今年の5人の目標だった。旅行・キャンプが好きな私は、「冒険」という言葉に弱かった。そして、すぐにこの4人に加わった。しかし、準備が大変だった・・・。まず20万の大金。そして、トレーニング。(旅行会社との交渉は、よく分かってなかったし友人たちにまかせることにした。)9月からホノルルに向けての本格的な準備がはじまった。



バイトを週4〜5、朝6時から13時まで弁当屋さんで、16時から23時まで飲み屋でバイトをした。きつかった。9月半ばから11月の末まで約40万を稼いで、そのうち毎月の生活費が5万くらい必要で12月の分まで差し引くと20万くらいが手元に残った。起きたらバイト、起きたらバイトの毎日だった。つらい毎日だった。

トレーニングはバイトの合間をぬって、駒沢公園や近所を約2時間から3時間くらい走った。一度、同級生と駒沢から鷺沼まで往復もしたが、運動不足のせいで足が全然もたなかった。駒沢のトレーニングセンターにも通った。それでも、トレーニング量が全然足りないだろうがまあなんとかなるだろうと思っていた。



12月の初めに成田からホノルルへ飛んだ。異国の地は2度目だったがこの異国に降り立ったときのドキドキがたまらない。飛行機から降りただけで“来てよかった”と思えてしまう。天気も非常に良く、気持ちのいい風が吹いていた。人は陽気な人ばかりで感じがよく、日本人がハワイを好きな理由がわかった気がした。

滞在中1日はマリーンスポーツに使って、パラセイリング、ジェットスキー、ジェットボートをやった。海は本当にきれいだ。

翌日は、ドライブとショッピング。先輩がオープンカーをレンタルしてオアフ島を走り回り、大して金持ってないのにやたらと買い物をした。

もう1日は、海でのんびり過ごした。あほな自分の英語は全然通じなかったし、理解できなかった。ジェスチュアでなんとかしていた。

本来の目的である「マラソン」はというと、ホノルル到着後、毎朝トレーニングをしていた。実際の本番のスタートは朝5時、当日は2時起きの予定。ホノルル到着時に実際の走行道路をバスで回ったが、フリーウェイを走り、住宅街を通ったりと、かなり長くて少々ビビッていた。


そして本番当日。いよいよスタート直前。仮設トイレが大人気ですごく並んでいた。もちろん朝3時ころのため、まだ真っ暗だった。よくわからないうちにスタートの合図がして、友人とはそれまでは仲良く話していたが、なめていると痛い目を見ると思い、パッと気持ちを切り替え、自分のペースを保って走り出した。そこからは長い自分との戦いだった。

  約10キロからのフリーウェイを走るころには、もうくたくたになっていた。夜も徐々に明けて周りを見渡すときれいな海岸沿いを走っていることに気付いた。走行中、とにかく腹が減ったのをよくおぼえている。道路沿いには地元の人たちがクッキーやら、チョコレートやらオレンジやらを道の脇で応援しながら援助してくれていた。順位もわからないし、友人もどこを走っているかわからない。ただひたすら自分との戦いだった。フリーウェイを走行中、ひざが痛くなってやめようかと何度も思ったが、歩いてでも前に進んでいった。途中で棄権だけはしたくなかったし。走行中にスタートからの距離の案内があったのだが、そのたびに後何キロって自分でカウントしながら走った。まるでぜんそくの患者のように息が荒く、のどがきつい。


どうにかゴールにたどり着く。泣きそうな顔でゴールするとなぜか笑いたくなった。とにかく達成したという安心感に笑みがこぼれたのだと思う。達成感もあった。でも、もう走りたくない。最終的には友人、先輩みんなゴールできたのでよかった。

その後はツアーで用意されたカレーを食べ、完走記念Tシャツをもらった。また、順位と記録の入った完走証を後日郵送してくれた。

ホテルに帰ると、自然と爆睡した。夕方におつかれパーティーがあったのだが、それまで全く起きなかった。夕方目を覚ますと体中が痛かった。

自己満足の世界だが、バイトのこととかトレーニングのこととか思い出し、それらすべてが報われたような気がしてマラソンに挑戦して心から良かったと思った。

今でもこの思い出は自分の中で一番の思い出の一つであり、一生忘れない大切な思い出になっている。貴重な経験を共有できた友人に感謝し何はともあれゴールできた自分を誉めたい!!