▲本館裏手の温室・ここで育った鉢植えがラウンジで販売されていた
創業当時の建物は、明治十六年十二月の宮ノ下大火で焼失します。それから約半年後の明治十七年七月。富士屋ホテルは木造平屋建・十二室の建物で営業を再開。
この建物は後にアイリー(=Eyrie)という愛称を与えられ、宿泊施設としての用途を退いた後も、敷地内に移築保存され、平成の代まで生き残ることになります。