昭和13年1月、厚生省の誕生により、内務省社会局は厚生省社会局となり、同潤会も厚生省社会局の管轄となる。昭和16年3月、厚生省に新たな住宅供給組織である住宅営団が創設。同年5月、同潤会は住宅営団に吸収され、発展的解消を遂げる。その結果、同潤会アパートの管理経営も住宅営団に引き継がれることとなった。
同潤会アパートは耐震・耐火構造という看板に偽りなく、そのすべてが戦災を乗り越えて終戦を迎える。昭和21年12月、住宅営団は戦時政府の関係団体としてGHQに解散を命じられる。しかし戦争協力団体というのは建前であり、実際には住宅営団が抱えていた多額の負債を解消するためのリストラ策であったという。この際、同潤会アパートの多くは住民に分譲され、また一部は都営住宅として存続してゆくことになる。
代官山アパートは36棟337戸。昭和2年1月14日(一期工事完成)から昭和5年4月19日(四期工事完成)にかけて建設された。円形アーチの建物は、敷地のほぼ中央にあった「文化湯」の入口。ここはアパート住民でなくても利用できる共同浴場だった。
同潤会アパートの多くは戦後も長く存在していたが、平成になって建て替え計画が次々に実行され、現存しているものは青山、清砂通り、三ノ輪、上野下、虎ノ門、大塚女子、江戸川の7カ所のみ(平成11年10月現在)となっている。 |