曙ハウス 東京都文京区
曙ハウス1
 初めてこの物件の存在を知ったとき、この右から左へ流れるプレートの表記から戦前の建物である可能性は高いと思ったものの、いまひとつ確信は持てずにいました。
 ところがその後、私はこの物件の名前を意外な場所で目にすることになります。

 それは同潤会(※1)が昭和八年に発行した「昭和七年度事業報告」。
 この年、同潤会は事業の参考とするために、東京市内の民間アパートメントの調査を行っています。調査対象のリストには、鉄筋コンクリート造りのアパートが十九カ所、木造アパート二十カ所が掲載されており、そしてその木造アパート二十カ所の中に以下のような記述が…

「曙ハウス 本郷区根津片町 戸数十五」

曙ハウス2
 …ってことは、これは古そうに見えるなんて生やさしいもんじゃない。正真正銘の昭和初期物件の生き残りだ!

「昭和七年度事業報告」には、さらに「之等建物は、古いものは大正九、十年頃建設のものもあるが、大多数は昭和五、六年中に建設せられたものである。」との記述があります。
 曙ハウスがどちらに該当するのかは分かりませんが、関東大震災の被災地図に目を通してみますと、本郷区根津片町は焼失区域の外側にあり、これが大正期の建物である可能性も、わずかながら残されています。

 今回も現役物件であるため、詳しい住所は掲載していませんが、ヒントは「本郷区根津片町」。けっこう人通りの多い通りでした。

(99.10.3記)
※1)同潤会については、「同潤会アパート」のページを参照。