低体温症について

はじめに
 2002年7月にトムラウシで二人、9月に黒岳、十勝岳で一人ずつ低体温症による死亡事故がありました。低体温といえば冬山になるものと思っていた多くの登山者にとってそれはショッキングな出来事だったと思います。もし自分がその場に居合わせたら何ができただろう、あるいは自分自身が遭難したらどうしようと思った人は多いのではないでしょうか。私自身、病院内で低体温の治療にあたったことはありますが、そういう視点で考えたことはなかったので、勉強しなおすよいきっかけになりました。

I.低体温症とは
 直腸温などの中心体温が35度以下になった状態を言います(脇の下ではかる体温ではないことがポイント)。 登山での低体温症は内科疾患や治療目的のものと区別するため『偶発性(Accidental=事故による)低体温症』と言います。
 寒冷にさらされると、末梢細動脈が収縮し皮膚血流を低下させて熱の放散を抑えるとともに、振戦(ふるえ)などの発熱反応が起こりますが、体温が30℃以下になると、ふるえすら起こらなくなり、加速度的に体温は低下し続けます。また体温が低下するにつれて 精神活動、運動能力ともに低下するため、その人本来の能力を発揮できなくなりま す。なかでも判断力は早い時期から低下します(これが一番怖い)。

 以下、低体温時の精神症状、体の動きなどをあげますが、これは体温を測れない状況下での体温の推定にも役立ちます。


前兆(36.5〜35度) 意識は正常。手の細かい複雑な動きができない。
         さむけ、ふるえがはじまる。
軽症(35〜33度)  無関心状態、すぐ眠る。歩行よろめく。口ごもる話しぶり。
         ふるえ最大。
         (協力的にみえて協力的でない。まともそうに見えてまとも
          でない。)
中等症(33〜30度)
   33〜32度 会話がのろい。閉じこもる。逆行性健忘。意思不明。運動失調。
   31〜30度 錯乱状態。支離滅裂。しだいに応答しなくなる。
        震え停止。歩行や起立は不可能。
重症(30度以下)
   30〜28度 半昏睡状態。瞳孔散大。心拍、脈拍微弱。呼吸数は半分以下。
   28〜25度 昏睡状態。心室細動

   25度以下 腱反射消失。仮死状態。
   20度以下 脳波消失心停止

   16度   救命しえた成人の偶発性低体温症の最低体温。
   15.2度  救命しえた新生児の偶発性低体温症の最低体温(66分間水没し
        ていた)。
        ノルウェーでは1974年、40分水没、救出時体温24度で蘇生、
        3日後、全く障害を残さずに回復した5才の少年がいる。

Cf) 30歩まっすぐ歩けなかったら35度以下
  ふるえがなくなったらかなり重症


II.低体温症の現場での処置
 1.基本的な処置
  *まず救援要請をする。付近に登山者がいれば迷わず協力を要請する。
  1)なんとかして風雪、風雨をさける。(できれば小屋かテントに収容)
  2)湿った服や靴下、手袋を暖かい乾燥したものに替える。
  3)毛布やシュラフで患者を覆う。(本人を入れる前に暖めておく)
  4)腋(わき)やそけい部に湯たんぽなどをあてて内臓をゆっくり温める。
腋(わき)やそけい部を暖める方法は医療の現場で、加温点滴とともによく使われ
ます。それは、流れが遅い静脈の血を暖めるので体表から中心加温でき、アフタ
ードロップ(冷たい血液の戻りによる中心体温の低下)の危険が少ないからです。
湯たんぽは二重にしたビニール袋に熱湯を浸したタオルを入れ、乾いたタオルで
くるむとをつくれます。

 2.軽度の低体温症(35〜33度)
  どんな加温法をしても予後がいい。添い寝も有効。
  1)温かい炭水化物を含んだ飲み物を与える(少しずつゆっくり)。おすすめは
   葛湯やお汁粉。アルコール、カフェインはダメ。アルコールは血管を拡張さ
   せて熱を奪い、カフェイン(コーヒー、紅茶)は利尿作用で脱水を助長する。
  2)ニコチン(タバコ)は血管を収縮させて凍傷になりやすくするのでダメ。

 3.中等度の低体温症(33〜30度)
  1)身体を動かさない。
  2)丁寧にとりあつかう。(ちょっした刺激で不整脈をおこす)
  3)急速な加温をしない。
   病院にくる前に体表加温してはいけない。この段階での裸の添い寝は禁止
  中等度以上の低体温症に対して体表面を加温すると冷たい血液が心臓に戻って
  中心温度が下がり、ショックをおこす。手足のマッサージ、急激な加温、心停
  止していない場合の心臓マッサージは厳禁
手荒な搬出や歩行など冷たい末端
  の血と温かいコア(体の中心部分)の血が混ざる行為もいけない。着替えも自分
  でさせないこと。

 4.重症の低体温症(30度以下)
   コア加温は大切だが、重症の場合はこれ以上下げないという気持ちで行う。
  1)無呼吸かゆっくりした呼吸だったら人工呼吸(マウスツーマウスで通常より
   ゆっくり,少なめに)を始める(コア加温にも通じる)。
  2)心拍がなければ心臓マッサージを行う。そして続ける。
   最重症の低体温症では心拍数が1分間に2〜3回のこともあり、1分間くら
  いは頸動脈の脈をふれて確認する。心臓マッサージをやめていいのは心臓が動
  き出したとき。それ以外では、医療機関に手渡した時か,救助者自身の身に危
  険が迫った場合(二次災害の危険,極度の疲労等)のみ。
   3時間半以上も心肺蘇生術を続けて後遺症もなく回復した人もおり、絶対に
  あきらめてはいけない(小児では特に回復の可能性が高い)。

中心体温30度以下では意識はなく、呼吸も弱く、脈も微弱という状態です。悪天
候時、特に北海道の山の中でこのレベルでの搬出はかなり困難です。ヘリコプタ
ーは飛ばないし、陸路での搬送にも危険が伴うからです。助けられるのは現地に
いる人だけです。ためらうことなく、小屋とかテント、最低でもツェルトに収容
して適切な処置をしましょう。

 5.低体温症と生死の判断
  低体温症の死亡診断は、暖めても心臓の動きが戻らないときとされており、医
 療機関で体温を戻してから医師が行うのが原則である。それまでは救助隊員もふ
 くめ、死亡と決めつけたりせずに、心肺蘇生術を続けなければならない。

III.病院での治療
 1.治療のポイント
   体温が戻るまで蘇生をあきらめない。低体温症では、脳を含むすべての重要
  臓器の酸素需要が低下しているため、心肺機能停止状態で発見された場合でも
  後遺障害なしに回復できる可能性がある。通常5分以上脳に血液がいかないと
  脳は死に始め、15分で植物状態になるが、低体温症の場合には40分以上心停止
  していても完全に回復した例がある。死亡診断は32度まで復温させてから行う。
 2.治療の実際
   深部体温、心電図、酸素飽和度を連続的に測りながら速やかに加温(34〜35度
  で中止)する。心肺機能停止状態では心肺蘇生術の継続。心室細動の場合の除細
  動は、低体温では効果的でないことが多く、急速に復温してから再度試みる。

表. 低体温に対する加温法
分類 加温方法 加温効果など
受動的加温法
(保温)
低温環境の改善
毛布などによる被覆
0.1〜0.7℃/時、保温のみで対
処できるのは体温32〜33度以上





表面加温 加温浴 5〜7℃/時、モニターが困難
電気毛布
ウォーミングマットレス
赤外線ランプ
1〜4℃/時、表面加温する場
合は中心加温を併用する必要が
ある(注2)
中心加温 加温輸液、輸血(43℃)
温水による胃洗浄
温水による注腸
温水による膀胱洗浄
加温加湿酸素吸入(42〜46℃)
温水による腹膜灌流(42〜44℃)
温水による胸腔洗浄(42〜44℃)
心筋加温(開胸時)
1.5〜2℃/時、
低体温症では寒冷利尿によって
循環血液量が減少しているた
め、加温輸液は必須である
血液透析
体外循環(PCPS)−(注1)
3〜15℃/時、今までダメだっ
た症例の社会復帰例が散見

 注1)大腿動静脈に経皮的に送血管、脱血管を入れ、血液ポンプ、人工肺、熱交
    換器に接続して循環補助を行う方法
 注2)表面加温は、体表面から暖まるため、体表面の血管拡張が最初に起こり、
    循環血液量がさらに減ってショック(再加温ショック)を起こしやすい。ま
    た、末梢血管内にあった冷たい血液が中枢側に流れ込むため、かえって深
    部体温がを低下する(アフタードロップという)ことがある。
 Cf1)地方診療所レベルでできるのは保温、加温輸液、四肢の付け根の加温によ
    る中心加温の3つ。これでもかなりの効果がある。温水による胃洗浄も行
    われるが誤嚥の可能性がある場合は気管内挿管が必要。
 Cf2)四肢の付け根の加温は、流れが遅く壁の薄い静脈の血を暖めるので体表か
    ら中心加温でき、アフタードロップの危険が少ない。

IV.登山における低体温症の予防
 一旦体温が下がると、安静にしていても大量のエネルギーを消費(体温が0.61度低下すると酸素消費量は3倍)するため、よほどの状況の変化がない限り低体温から脱出することはできない。
 そのため、低体温症では治療よりも予防こそが大事である。

0.登山の一般的な原則を守る:
  1) 悪天候時の登山をさける。気象の変化を予測する。
  2) 行動日程に余裕をもつ。
  3) 疲労、寝不足時の登山を慎む。前日の深酒は禁。
  4) 登山前にコースや避難小屋、テント場など十分な下調べをする。

1.防寒具の準備:
 山、とりわけ北海道の山では、ふもととまったく気象が異なる場合が多く、気象の変化も予測しがたい。そのため、日帰りのハイキングでも全身をおおうことのでき、かつ保温できる衣類を携行するか、着用する。最低限、長ズボン、長袖シャツまたはセーター、ウィンドブレーカー、帽子、手袋、雨具が必要である。衣服特に下着の素材は木綿をさけ、ウール、ポリプロピレンなどの通気性、保温性のすぐれたものを選ぶ(資料2参照)。軽量のテント、寝袋、寝袋カバーがあれば万全といえるが、そこまでできなくても防水シートツェルトは携行したい。替えの衣類や寝 袋は濡れないようにビニール袋にいれておく。

2.早めの退避行動:
 悪天候下では普通、出発後5〜6時間で低体温症にかかる。条件が悪ければもっと早い(最悪1〜2時間)。 症状があらわれてから虚脱状態になるまで1時間、虚脱状態から死亡までが2時間である。したがって、天候が悪化しているときは、低体温症の症状があらわれる前に退却するか、ビバークの準備に入るべきである。
 ビバークする場合は風、雨、地上を流れる水から身を守れる場所を選び、衣服は着られるだけ着てその上から雨具をつけ、テントの中、または防水性のシートの下に入って身を守る。隊員が何人かいる場合はバラバラにビバークするよりも身体を寄せ合ってていた方が保温効果がある。天候がよくならない限り、救助を求めるための伝令も派遣すべきではない(
ビバークのしかた)。

3.水分、栄養をこまめにとる:
 脱水、低栄養は低体温になりやすくする。水分はできれば電解質の入ったもの(水1リットルに塩5g)を、栄養は糖質(果物、カステラ、クッキー、キャンデーなど)、炭水化物(おにぎり、もち、パン、バナナなど)が望ましい。アルコールは低体温と脱水を助長するのでダメ。

V.まとめ
 低体温症の怖さは、主に次の5つ
  1.安静にしていても大量のエネルギーを消費する
  2.早い時期から判断力がおちる
  3.ふるえがおこらなくなると加速度的にすすむ
  4.単なる疲労と区別が困難
  5.低体温症の知識が普及していない
    (よく知られている医学書にも間違った対処法が書かれていたりする)

 低体温症で命をおとさないためには何よりも予防が大事であり、次に早めの退避行動である。パーティの誰かが低体温に陥った場合には、本人の判断力は落ちているため、仲間が判断し、対応しなければいけない。

VI.資料
1.登山に役立つ機器類
 1)2社以上の携帯電話を持つと通話不能範囲が狭まり、救援要請しやすくなる
  Cf)http://member.nifty.ne.jp/yamaonna/yaku-keitai.html
 2)携帯GPSは自分の正確な位置を簡単に知ることができ、救援要請に役立つ。
 3)腕時計型の高度計でも気圧の変化で天候の悪化を予測することができる。

2.低体温症になりにくい服装
 ・通気性のある下着(ポリプロピレン、オーロン、ニット、ウール)
 ・次に湿気は吸収するが、熱を逃がさず保温効果のある生地(ウール、フリース)
 ・一番外に防水性、防風性の生地(ダウンやゴアテックス)
 ・雨具は防水性に加え、水蒸気を逃がす透湿性のある素材(ゴアテックスなど)
 ・手袋の素材にも注意

3.風速と体感気温(風速0.0は実際の気温と同じ)
風速(m/秒) 体感気温(℃)
0.0 10.0 4.4 -1.1 -6.7 -12.2
2.2 8.9 2.8 -2.8 -8.9 -14.4
4.5 4.4 -2.2 -8.9 -15.6 -22.8
6.7 2.2 -5.6 -12.8 -20.6 -27.8
8.9 0.0 -7.8 -15.6 -23.3 -31.7
11.2 -1.1 -8.9 -17.8 -26.1 -33.9
13.4 -2.2 -10.6 -18.9 -27.8 -36.1
15.6 -2.8 -11.7 -20.0 -29.4 -37.2
例)-1.1℃でも風速が11.2(m/秒)あれば体感気温は-17.8℃

4.高度と気温:100m高度が増すごとに気温は0.6度下がる
  Cf1)トムラウシの事故当時、東京30℃、札幌20℃、トムラウシ山頂8℃
     風速15(m/秒)として体感気温は−6℃くらい。
  Cf2)5月下旬の羅臼岳の推定、東京25℃、札幌15℃、羅臼岳登山口8℃
     羅臼岳山頂0℃、風速10(m/秒)として体感気温は−15℃くらい

参考文献
・救急現場のピットフォール(2)外因性疾患 山本保博 荘道社
・ERハンドブック 大塚敏文 インターメディカ
・登山の医学 J.A.ウィルカーソン 東京新聞出版局
・新臨床内科学 第7版 医学書院
・今日の治療指針 2002年版 医学書院
・凍る体−低体温症の恐怖− 舟木上総 山と渓谷社


(学習会などで使う場合はA4左右余白15mmで印刷してください)
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