1994.08.21 雌阿寒岳(阿寒湖畔コース)


メンバー 夫婦のみ
天候   くもり、ガス

 北海道南岸に前線が停滞し、雨の降る確率は前日発表で50%、当日発表で30%だった。朝から釧路はガスとどんよりした雲に覆われていた。前夜、家族で人生ゲームをしたため寝不足気味。それでも「行ってみようよ」の一言で準備を整え、ドライブがてら出発す。
 9:30雌阿寒岳の阿寒湖畔コースの登山口到着、10時登山開始。天候さえよければ雌阿寒、阿寒富士を経て、オンネトーに下りる予定。
 なだらかな登りが続く。1合目から山頂まで4700mと距離もさほどでもない。4合目付近から足場は少しずつ悪くなるも傾斜はあいかわらず緩やかだった。7合目付近からガスがしだいに濃くなり、念のためコンパスを取り出しておく。8合目をすぎ、ガスはさらに濃くなり、視界は10mを切っている。メガネが曇るほど。ペンキを一個一個確認し、登っていった。9合目をすぎて青空が見え始め、山頂は晴れ。さほど寒くもない。ただ、汗で身体が冷えてきたのでヤッケを着込むことにする。
 昼食休憩後12:45下山開始。このあと初めてガスの怖さを体験することになる。まずは阿寒湖畔への分岐で左折(天候不良で阿寒富士は中止)。ペンキを頼りに進み、登りのときに自分で作ったケルンでまた左折。さらにペンキを確認しながら進んでいく。下りが急になったあたりで踏み跡がしっかりしていたのでそちらをどんどん進んだ。(9合目の標識は見ずに通過。)急な下りが終わると踏み跡が不明瞭になっている。ペンキをさがしても見つからない。あたりはガス。ちょうどそのとき、先に下山を開始した男性が左から右(北から南)へ横切って行くのが見えた。道に迷って修正しようとしているのか、それとも阿寒富士に向かっているのかはわからない。
 とにかく自分達がルートからはずれているのは確か。まずは下りてきた線上の尾根に向かう。ここには大きなケルンがある。しかしペンキはない。やや北側の尾根に入ってみるがここにはペンキもなければ踏み跡も全くない。一旦ケルンに戻り、「30分ペンキを探してだめなら(頂上に戻って)野中コースへ下りる」ことを決めておいて、ペンキ探し続行。南側(男性の向かった側)を探すも見つからずまたケルンに戻る。
 地図とコンパスを出して調べると正規のルートはもっと北東であることがわかる。ケルンから20m、たった20m北側に数多くのケルンを見つけた時には、嬉しいというよりもむしろびっくりしてしまった。「こんな近くにあったのに」という思いだった。

 とすれば、さっきの男性はどうなったのだろうか?まずは正規のルートに戻った安心感から、割とゆったりしたペースで、しかも確実にペンキを確認しながら下山を続けた。あたり一面硫黄のところでは記念写真を撮る余裕。正味20分も歩いた頃、濃い霧の中から鈴の音が聞こえてきた。それも沢の方から、強くなったり弱くなったりしている。あの男性に違いない。そう思って二人で「オーイ」と声をかけた。すぐ「オーイ」と返ってきて、程なく「すぐそっちへ行くから」とという声が聞こえてきた。待つこと5分位。歩いてきた尾根のピークのガスの中に黒い影がかすかに見えだした。まちがいなく先に下山を開始した男性だった。道に迷って他の山(尾根)に行ってしまい、引き返してきたとのことだった。おそらくは引き返してきて霧の中を鈴の音を頼りに追いかけてきたのだろう。顔は真っ赤で汗だく、いかに必死だったかがわかる。自分たちも一旦道に迷って、道を見つけてからはのんびり歩いてきたんだと話すと「それで助かった」と安心した様子だった。次の眺めのよいところでその男性は先に下り始め、自分たちもいつものペースで下山を続けた。
 6合目あたりからはガスも消え、2合目では鹿の母子の見送りを受ける。登山口には15:00着。下山開始後2時間15分。迷った時間と休憩を除く1時間50分くらいか。駐車場につくと同時にあの男性の車が出発。登山届けから釧路市益浦の54才の方とわかる。

 釧路への帰り道、さすがに眠く、3回の休憩を要した。

感想:眺めはよくなかったのに登山そのものを楽しむことができた。下山開始時(なおちゃんが)「絶対迷わない自信があるから」と言っていたのに、ちょっとした不注意から、ルートを見失ってしまったのが最大の教訓となった。角度にしてわずか10°ずれただけで下山ルートからはずれてしまったのだ。地図、コンパスは登山の必需品であることを認識させられた。

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