八幡平旅行記 2004年6月4日(金)〜6日(日)全日薄日差す曇り空

 昼に東京駅を出発した東北新幹線はやては、盛岡駅に2時過ぎに到着した。梅雨が始まる前のこの時期に、ブナの芽吹きを是非見たいと思い立ち、「八幡平横断旅行」が始まった。盛岡駅前からバスで東八幡平交通センターに向う。市内を走るバスの乗降客は年配の方が多く、市内を抜け、岩手山がその姿を大きく見せる頃は、高校生らしい学生が数人乗降した。バスは地元の方の生活を考えてか、
JR花輪線の駅や部落の中を通り抜け凡そ1時間半でバスセンターに到着した。3月下旬に訪れたときの岩手山は中腹まで雪があったが、この時期は一部の場所に雪を残すだけであった。

 バスセンターから今晩の宿舎八幡平ロッジ(旧称観光ホテル)にタクシーで向う。運転手の方は朴訥な方で、車窓を流れる景色を見ながら、そして、冬の雪深さを物語るシェルターを通りながら、当時硫黄や硫化鉄鉱を産出し、雲上の楽園と呼ばれ、昭和45年に閉山した松尾鉱山の歴史の話をしてくれた。

 夕食前に熊避けのカウベルをつけて早速赤沼、御在所沼に出かけた。水芭蕉は時期を過ぎ、ワタスゲ、ヤシオツツジが私を迎えてくれた。同じ源泉なのに、宿舎の内湯は透明で、露天になっている「緑の湯」はその名の通り緑色、宿の方も色が違う訳は分からないとの事。食後は、フロントの若い方と樹氷の話から、バルセロナの海外旅行の話しまで展開してしまった。

 翌朝、同宿の方の車に乗せていただき、籐七温泉よりやや高いところにある八幡平頂上バス停へ向かい、観光客で賑わう駐車場をあとに9時半ごろ歩き始めた。頂上(1613m)近くの八幡沼、ガマ沼あたりはまだ雪が残り花はまだ咲いていなかった。そして、大沼に向け歩き始めて直ぐ残雪で登山道が分からず困っていたら、同じ方向に向う弘前の方たちがいらしたので同行させていただいた。この方たちは、地図やコンパスでしっかりルートファインディングをしていた。草の湯分岐近くでは、ヒナザクラ、ショウジョウバカマ、ミネザクラが咲いていた。分岐を過ぎ、今回のコース最大のきつい坂辺りから森の中の秘沼と呼ばれる長沼までに、キヌガサソウ、サンカヨウ、オオカメノキなどに出会った。大谷地を通り、今回の目的のブナ林に入った。芽吹きは過ぎていたが、相変わらず、ブナの新緑はすばらしい。予定より早く3時過ぎに大沼に着いたので、泥湯、箱蒸し風呂で有名な御生掛温泉に行き汗を流した。

 翌朝、朝食の前に後生掛温泉の自然探索路を散策し、8時半頃の十和田行きのバスに乗り、JR花輪線八幡平駅を目指した。無人駅であったが、待合室には盛岡方面に向うお婆ちゃんが2人いた。切符の販売をしている向かいの雑貨屋さんの話によると、日に8本ぐらいしか列車が通らず、高校生が登下校に朝晩使うぐらいで乗降客数は20人前後らしい。2両編成の列車が到着し、JR好摩駅までしか売ってもらえなかった乗車券を人のいい車掌さんから東京までの切符に変えた。列車は渓流沿いを、東北自動車道と並行して走り、大場谷地峠を登り、安比高原駅、松尾八幡平駅を通り、岩手山が見える松尾村に入った。しばらく窓を大きく開け、清清しい空気を楽しみ岩手山を見ながら今回の旅行を振りかえっていた。