ユビキタス社会なんて来るもんか!


ユビキタス社会というものが来るのだそうだ。
それはどんな社会だろうか?多くの場所で語られているから、ほとんどの方がご存じだろうが、ここはおさらいということで・・・。
 ユビキタスというのは、ラテン語で「偏在」ということだそうだ。しかし最近はやっているこの「ユビキタス」は単に哲学的な語彙ではなく、具体的にはコンピュータの発達した社会の中で、各個人個人が「どこでも」「いつでも」コンピュータにアクセスできるような「環境」のことを言う。そして「誰とでも」「何とでも」好きなときにコミュニケーションがとれる状態だという。
 たとえば飛行機や新幹線の予約が、駅に行かずとも、電話をかけずとも、そして自分のパソコンの前でなくともできるような各種チケットの予約やキャンセル、銀行の預金の出入金とその確認、ネットやリアルでのショッピングなどが可能になる。
 仕事も大変化だ。人はいつでもどこでも仕事ができる。サラリーマンだからといって、毎日通勤電車に揺られる必要はない。どこにいても社内と全く変わらない就労環境がユビキタスによって構築できるからだ。寝床の中から仕事をすることも可能で、通勤に無駄に使われていた大切な時間をここで取り戻せる。ゆとりと創造の時間が増えるということだ。
また家庭内外のあらゆる電気機器とつながり、コントロールしたり確認できたりするようになる。トイレは家庭内の健康管理センターとなり、毎日の体温や血圧をはかり、微弱電流をながしてそのインピーダンスを計算して体脂肪の管理をし、排泄物を分析して消化器系をチェックする。場合によってはそのデータを病院に送信し、診断を仰ぐなんてこともできるようになる。インターネット冷蔵庫というものも話題になったことがある。冷蔵庫の中にあるものを常に把握し、その「在庫品」で可能なレシピを表示する。買い物途中でも冷蔵庫にアクセスし、在庫が確認できるわけだからよけいな買い物をしなくてすむ。 こんなすばらしい世界が目の前なのだ!・・・「余計なお世話」だと思わない限りはね。
 いったい誰が冷蔵庫にアクセスする?その前にだれが冷蔵庫に在庫を入力する?そりゃスーパーのレジの段階で個々の家庭のサーバに登録することも将来可能だろう。だからと言っていちいち冷蔵庫に在庫確認の指示を出すか?誰がその情報を読む?読むのにどれだけの時間が必要か? いったい誰が寝床で仕事をしようと思う?やむを得ない場合を除けば寝床は就寝のための場所であり、仕事場ではないのだからぐっすりと眠るか体を休めるのが本来だし、そのほうがその後の体調に良かろうというものである。
 覚えて欲しい。  「ユビキタス」社会は24時間仕事場であり、24時間見張られており(自分の行動が把握されており)、24時間家庭人でなければならない社会なのだ。
ある会社がある。そこの営業部長は自分の部下に対し、営業で外に出る場合は「タクシーを使え!」と指導している。冗費節減の逆を行っているめずらしい人に見えるだろう。つまり「お前等地下鉄なんかに乗ってサボってるんじゃねぇ!」というわけだ。外に出てナンボの世界だから、タクシーを使わざるを得ないほど自分の仕事を増やし追い込んでいくというマネージャの姿勢もわからないではない。 しかし同時にこの背景に「ケータイ」の普及があるのは明らかだ。ケータイで仕事の指示をしたりされたりする。オフィスから連絡の付かない顧客に連絡をとり、仕事を進める。タクシーとケータイというのは実はとても相性がいいのだ。

 自分がロボットになったような感じがしないか?個人がすべて、いつもネットワークにつながっているのだ。仕事・収入・預貯金の総額(もちろん取引銀行口座)・住所/居所・趣味嗜好・健康状態、それこそ冷蔵庫の中身まで自分のプライバシーのすべてがネットワークの中にあるのだ。ネットワークは世界中につながっていく。銀行が自分の預貯金を把握しているというのは当然としても、そこに冷蔵庫の中身まで開陳する必要はない。
「プライバシーは保護される」・・・当然のことだ。しかしこのユビキタス社会ではプライバシーは「ネットワークセキュリティ」とほとんど同義だ。
 「インターネットエクスプローラ6」のセキュリティホールが報告されている。またメリッサに代表されるようなウィルスの報告も枚挙にいとまがない。つまり100%安全なセキュリティなどあるわけがない。自分のプライバシーのすべてがネット上で公開されたらどうしたら良いのだろう?いや、公開される以前にお金やクレジットカードを使いまくられたら? 預金をおろされ、与信限度枠一杯の買い物をされるのをはじめ、いつの間にか死亡届がだされたり、病気履歴が加えられたり、おまけに犯罪歴も付与されるかもしれない。クレジットカードは「現物」だから、盗まれたり落としたりすればすぐに気づく。損害といっても与信限度額内だからせいぜい100万円ですむ。しかしユビキタス社会では盗まれるものは普段目に見えないものだ。気づくまでにどのくらいの時間がかかるのだろうか?言ったようにネットワーク上の自分自身の証明を盗まれれば、そのまま社会から抹殺されかねない。抹殺だけではない「病気・借金・犯罪歴」などといった余計なものがついて帰ってくるかもしれない。それを訂正するには大変な時間と労力を必要とするだろう。

 もうひとつ「デジタルデバイド」の問題がある。
 昔の仕事場では、「30(歳)台はパソコンが使えない。40台はファックスが送れない、50台はコピーがとれない」と言われていたものだ。今ではさすがにそんなナイーブな区分けはあるまい。デバイドはこれからなのだ。前に言ったような「ユビキタス社会」に適応する人たちは確かに出てくるだろう。案外多くの人がすんなりと適応するのかもしれない。しかし考えても見て欲しい。自分のありとあらゆる事をネットワーク上で処理できるということは、ありとあらゆるネットワーク上の約束を覚えなくてはいけないと言うことだ。もちろんユーザインターフェースは研究されるだろう。だがそれを使いこなせる人が全体の何パーセントいるのだろうか。
 その上そんな危なっかしいものをだれが利用する?狂牛病の牛2頭でこれだけおびえる国だ。
デジタルデバイドのやっかいなところは、「デバイドする側には愉快」なことだ。デバイドする側とされる側、その塀の上をあぶなっかしく歩いている我が身から見ると、その辺はよく見える。狂牛病と違うのは、あれは誰にもふりかかる不安。デジタルデバイドは一部の人間に与えられる特権と似たようなところがあるところだ。「ユビキタス」はこれらデバイドする側の人間からこれからも声高に提唱されるに違いない。しかし我ら凡人としては「便利になる」などと喜んではいけない。100%のセキュリティなどあり得ないし、第一これらネットワークを積極的に利用できる者とそうでないもの、その差が社会的地位や収入によってはっきりと見えてくる社会になる手助けをする事などないではないか。
2002年1月
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