'98年ウィーン・チロル観光記


1998年、夏休みにオーストリアへ行った。ウィーンで2泊、インスブルック郊外のイグルスという町に6泊。実にのんびりしたものだった。

到着したのはウィーン国際空港。そこからタクシーで4000円ほどの親子三代で経営するホテルは
「西駅」(ヴェストバーンホフ)の側フュルステンホーフという安ホテルに朝の7時半頃到着。ウィーンの西駅前の便利なホテル。入り口は狭く、レセプションは小さく、「おいおい、大丈夫かぁ?」という感じ?とはいえ中は広さも充分。朝食(ビュッフェ)付きで一泊2人、1300シリングなら満足できる価格。 それに、到着した時間はチェックインに遙かに早い時間だったが、しばらくして部屋を整えてくれ、待ってる間にコーヒーまでサービスがあり、すっかり気に入った。事前に何回かメールのやりとりをしていたのがよかったのかも知れない。
因みにこのホテルはE-mailで予約をすると1割引になる。
着替えて早速世界の観光地「シェーンブルン宮殿」へ。18世紀の半ば、マリア・テレジアの元で最終的に完成したもの。世界の観光客が集まる
シェーンブルン以来ハプスブルク家の夏の離宮として使われていたものとか。外壁はマリア・テレジアイエローという特徴的な黄色で彩られている。
内部は説明員がつくガイドツァーがあり、数カ国語での案内があるが、日本語はなし。ただしやはり時間別の入場になっており、入場券を買ったからと言って勝手に入場はできないことになっている。
内部は実にたくさんの部屋に分かれておりそれぞれに立派なものだが、正直なところどの部屋も同じようで・・・。どの部屋にもある大きな磁器製のストーブが目立っていた。ストーブと言っても火をくべる口はなく、部屋には開口部がどこもない。これは壁の背後から石炭を供給するようになっているそうで、そこで働いている人は大変だっただろうし、冬の間は外に石炭の煙がただよって周辺は近所迷惑だったろう。
1998年はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフの美貌の后、エリーザベト没後100周年ということで、彼女の使ったベッドやカウチなどが注目を集めていたが、想像ほど豪華なものではなかった。 シェーンブルンの庭園は実に広大。庭園の先にしゃれたカフェハウスが付属の「グロリエッテ」も見えているが、利用は健脚者向け?(ハイキングじゃないって!)でも、時間に余裕がないとコースに入れるのは難しい。
 さてシェーンブルンを後にして、ベルベデーレ宮殿へ。シェーンブルンとベルベデーレはともにウィーンのやや郊外。当方としては郊外のチェックポイントを先に見学して、後は市内を見て回ろうという魂胆。しかしシェーンブルンからベルベデーレまでの公共交通機関は接続がうまくいかない。シェンーンブルンは地下鉄、ベルベデーレはオーストリア国鉄のそば。地下鉄を利用すると ベルベデーレまで歩いて20分ほどかかってしまう。結局途中でアイスクリーム屋に沈没。これならタクシーで行った方が安い?

さて、ベルベデーレ宮殿は上宮、下宮に分かれていて、歩いていく気になれないほど
遠い下宮両者の距離はこれまた相当離れていてこっちも急ぎの旅行者なら片方はパス。結局私たちも上宮だけの見学となった。ところが宮殿そのものは改修中で、近代絵画の美術館
として使われている上宮建物は眺めることができなかった。
  この宮殿は現在美術館として使われていて、中でもクリムトの作品は有名。誰でも必ず 見たことのある「接吻」や「抱擁」などの作品、また特徴のある(玄人受けする)エゴン・シーレ、オスカー・ココシュカなどの作品も好きな人なら見逃せないだろう。 ベルベデーレ宮殿からはタクシーでウィーンの中心街に向かう。ウィーンの中心街はなんと言ってもシュテファンスドーム。12世紀から約200年をかけて建造されたこの大聖堂はウィーンのシンボルとも言えるものだ。ウィーンの中心に聳える
カテドラル「シュテファンスドーム」それだけに世界の観光地で、当日は日曜日だったため周りは観光客ばかり。またその観光客を目当てになにやら 宮廷服を着たおじさん、お兄さんたちがビラ配りをしていた。観光客用の音楽会の案内を配っているのだが、大体一人5000円ほどで、これはパス。
 一方ドームの中はミサの最中で、荘厳なミサの最中でした奥までは入れなかった。また、塔に登るエレベーターも工事中で上れず。これまた残念。

シュテファンスドームを見学後は、ぶらぶらとペストの塔へ。ペストの塔、宗教的な
意味もあるようだ 彫り物でいっぱいのこの塔は17世紀末にペストが大流行した折り、レオポルト一世が立てさせたもの。ボリウムある大理石の見事なものだが、皆目もくれず通り過ぎて行く。後で分かったのは、このような祈念塔はあちこちにあるよう。平癒祈願になにがしかを奉るのは要の東西を問わないようだ。
  ペストの塔のある通りを左に曲がると王宮(ホーフブルク) ホーフブルクはウィーンの中央。この辺に来るとなにやら辺りに妙な匂い。だれでもすぐに気が付くが、観光用の馬車「フィアカー」の馬の落とし物がそこここに・・。観光客に大受けの
フィアカー動物による大気汚染は無いはずなのにこれは一体どうしたことか?いくら毒性はないとはいえ気分のいいものではない。
さて、王宮は13世紀から18世紀まで増改築を繰り返した建物で、中には見所がいっぱい。 ホーフブルクとkosimaさんにあうこと ホーフブルクはさっさと銀器コレクションとかを見て回りました。莫大な数の銀器ですが、日常品ですから豪華と夜のホーフブルクいうよりは豊かな生活がかいま見える訳で、その渋い光からハプスブルク家の栄耀栄華を想像するのは難しい。私の想像力不足かもしれないが・・。
その日は到着日だったので、やや疲れて早めにホテルに戻ると、メールパルのkosimaさんから「お会いしましょう」というファックスが・・。kosimaさんは、ドイツ文学をウイーン大学で勉強中で、そのホームページの内容充実ぶりは驚くばかりだ。日本を出る前に連絡をして置いたのですが、まさかファックスをくれるとは・・。またいそいそと出かけて、紹介してもらったお店で食事をした。いかにもプレッツェルとホワイトソーセージ
ウィーンらしい食事の典型?ウィーンらしいところなんですけどお味の方は・・・。うーん。いえいえ決して不味いなどとは・・・。写真をご覧下さい。想像できる味だ。オーストリアも決して「美味しい」国ではなさそう・・・。

(因みにハプスブルク家の事をもっと知りたい方はkosimaさんのホームページへどうぞ、って他人まかせな私・・)
その後はウィーンで一番小さい家を見たり、人気のアイスクリーム屋でアイスを食べたり、学生街を散歩したり(夜だったけど)。kosimaさんなしでは絶対行かないようなウィーンをちょっとだけ散策した。ありがとう>kosimaさん。(^^)/

さて、翌日は奥さんのたっての希望であの「第3の男」で有名なプラータへ。ま、遊園地だ。大きな観覧車に乗ってきた。大きなゴンドラのついた
プラーターの観覧車遊園地特有のあのうらぶれた感じがとてもいい。安っぽいゴテゴテとした色使い、すえたような匂い・・、うーんたまらん。観覧車からはウィーンが一望できます。ゴンドラが大きくて、そう6畳間ほどもありましょうか?若い人がカップルで乗っても、「二人だけの世界」って訳にはいかない。 ウィーンの森ツァーに参加すること 朝早いせいもあったのだろう、プラータはうらさびしく見えた。そんな訳でそうそうに退散。午前中の残りはホーフブルクの見落としたところを回ったり、オペラ座を覗いたりですごし、ウィーン オペラ座前は
観光バスの出発地午後からは半日バスツアー「ウィーンの森ツアー」に参加。多くのツアーはオペラ座の前からスタートする。

ウィーンの南から始まる「森」は、アルプスの東の端にあたるそう。そこに息づくオーストリアの歴史。日本語の歌詞とは大分
趣の違う菩提樹の故郷
写真はシューベルトが「菩提樹」の曲想を得たところといわれる菩提樹の樹。民家の庭にあるので、バスを降りて見学というわけには行かないそうだ。というわけで窓からの見物となった。「泉に沿いて茂る菩提樹・・」の生まれたところとは大分イメージが違う。ドイツ語の直訳だと「門の前の井戸の側に、菩提樹が一本立っている・・」と、もうちょっと人間の匂いのする詩にはなってはいるのだが。

そこを過ぎて修道院「ハイリゲンクロイツ」(聖なる十字架)へ。これは1135年に創建されたシトー派の修道院で、中世から水が枯れない
井戸?噴水?中には柩の置いてある薄暗い半地下の部屋があったり、とにかく非常に濃いキリスト教の雰囲気にあふれる場所だった。
ツァーバスはさらに進んでマイヤーリンクへ。ここは今から100年ほど前のオーストリア皇太子ルドルフが、17歳のマリー・ヴェッツェラとピストル心中した現場。心中の現場に作られた
立派なパイプオルガン映画「うたかたの恋」で有名な事件の現場だ。小さな修道院は皇帝が二人の鎮魂のために建てさせたもの。なかに立派なパイプオルガンが据えられている。
ツァーは途中で森の中のカフェで休憩。こちらはザッハトルテ(チョコレートケーキ)とコーヒー。ところがザッハトルテにつきものの生クリームがない・・・。要求したところ後から持ってきましたが、「どうせ観光客相手」ときっと手を抜いたんでしょう。

1998年ウィーンからチロルに。滞在地:インスブルック近郊イグルス
ウィーンから電車で約6時間、オーストリアチロルの中心地インスブルックに到着。インスブルックの駅からクルマで15分ほどのところが今回の滞在地イグルス。ホテルはシュポルトホテルという小さなホテルだが、客層はさまざま。ヨーロッパ中から観光客?が集まっているかのようだ。ホテルの従業員はドイツ語・英語・フランス語・スペイン語を話す。 ここに家族で泊まりに来ていた当時10歳のベルギーの子供は、日本語の挨拶と母国語の他に英語・ドイツ語ができた。
写真はインスブルック郊外、イグルスの町並み。雨上がりで路面が濡れ、すがすがしい天気に恵まれた。ここはも保養地・観光地といっても、観光のためというよりはスポーツのため、フィットネスと山歩きのためにあるような場所。だからヨーロッパ人はいてもなかなかアジアからの訪問客はあるまい。
山歩きと言っても風光明媚な感じとはちょっと違う。天気がはっきりしなかったせいもあるかも知れないが、いわゆる日本人がイメージするアルプスとは異なり強いて言えば志賀高原のような感じか。 さて、ホテルからだらだら坂を南に上るとロープウェーの乗り場があり、この終点が山歩きのスポット「パッチャーコフェル」だ。 イグルスの南、パッチャーコフェルの中腹で飼われてい る牛。果たして何用なのか?何十頭かの単位であちこちに放牧されている。
観光地として多少の整備もされているようで、駅近くに「アルペン植物園」などもあるが、あとははっきり言って何もない。ただただ歩くための砂利道が延々と続くばかりである。天気が良ければ、もしかしたら高くはないが奥の深いオーストリアアルプスの眺めが得られたかも知れないが、この日は残念だった。ポイントとしては30分も歩くと、小さなレストランがあり、そこがこの辺りの頂上ということになっているのだろう。歩く人はまばらでも、店内は結構混んでいた。

右の写真はパッチャーコフェルから眺めたイグルスの町並み。ご覧のように半分ガスっていて見通しは良くない。せいぜい20〜30キロほどだろうか。それでもかすかにイグルスとその先のインスブルック、さらに北に続く山並みはノルトケッテ(北の鎖)と言われる山脈が見えている。
写真はインスブルックの中心街「マリアテレジア通り」だ。写真の一番奥に有名な「黄金の小屋根」がある。そこを左に曲がるとかつてゲーテも投宿したという「ゴルトナーアードラー」(金鷲亭)というレストラン。すっかり観光地の食堂という感じで、雰囲気はない。
インスブルック中心街を望む(マリアテレジア通り)
インスブルックの中心街に建つ「市の塔」からの眺め。市庁舎の一部のようだ。高さは約30mほどだろうか、高い塔ではないが周囲の建物が低いため見晴らしがいい。塔から北東を眺める。市の中心街から「イン川」を挟んで反対側には街の住宅街が続くが、この街の住民は退屈さをどうやって消化しているのだろうか?とふと思ってしまった。これは大都会にしか住んだことのないモノの傲慢さだろうか。
休日にはこんな楽隊も。インスブルック「黄金の小屋根」前。 すぐ左奥に有名な「金鷲亭」
パチャーコフェルからインスブルックを挟んで反対側に連なるノルトケッテ。これを越えるとドイツの保養地「ガルミッシュ・パルテンキルヘン」を通りミュンヘンへとつながる。
インスブルックの北、「フンガーブルク」がノルトケッテへと登るケーブルカーとロープウェーの出発地。2回乗り換えてノルトケッテの中心部、終点のハーフェレカーに到着する。あたりは白い岩肌が寒々しい。2334mというから、相当な高さだ。こちらも当日はパッチャーコフェル同様天気がいまひとつ。それでもインスブルックの全体が見渡せる。

標高はパッチャーッコフェルに比べこちらが高いが、歩くのなら断然パッチャーコフェルが良いだろう。こちらは岩ばかりで、普通の?人には下界を眺める以外の楽しみはちょっと想像しにくい。
ノルトケッテ(北の鎖)。白い岩肌が印象的だ
ただ、乗り継ぎの途中にある「アルペンツォー」はこちらの魅力の一つかも知れない。小さな動物園だがなかなか充実していると思った。駅からは急坂を含め相当歩くので多少の覚悟は必要かも知れない。なにしろ山の中腹にある動物園だ、入場してからもアップダウンがきつい。元気な人向けの動物園、といったところだろうか。
ノルトケッテ中腹の動物園、「アルペンツォー」。急斜面で歩くのが大変


次の日訪れたインスブルックの隣町、チロル地方の古都「ハル」。古くより岩塩の採取で栄えていたそうだ。中世の名残りがあちこちに感じられる美しい地方都市。教会には先人の遺骸が飾られていて、いかにも中世、それも宗教観の違いをまざまざと感じさせる。 左はハーゼック城のミュンツェントゥルム、アメリカドルの語源とも言われるターラー銀貨がここで鋳造されていた。中はその博物館。塔に登ることもできるが時間制になっており、着いたときはあと1時間も待たないと上れないとのことで、あきらめた。
右はシュティフトキルヒェの内堂。祭壇に向かって左側にはこの教会の関係者の遺骸が飾られている。要するにミイラだ。周囲の壁には多くの人骨が埋め込まれているそうで、これが教会の礎にでもなっているのだろうか。日本でも即身仏や人柱などの考え方はあるが。
中世の雰囲気が残る町並み「ハル」 ここでは日本人観光客の団体と出会った。 いきなり見知らぬバスの運転手から「・・・以内に戻ってください」と声をかけられ当惑した。要するに日本人団体客の一人と(二人か?)勘違いされたのだ。自分たちのことを棚に上げてナンだが、こんなところまで来る日本人のパワーはすごいと思った。
インスブルックにチロルの中心地を奪われたハルだが、その分中世の狭い石畳や石壁にその面影が残り、なかなか渋い街にはちがいない。


次に訪れたのがワッテンスだ。インスブルックの駅前から出発するトレーラーバスに乗って2時間ほど。
「ワッテンス」と言ってもピンと来る人は少ないだろう。クリステンヴェルト入り口実はガラス工芸で有名なスワロフスキーの根拠地だ。最近は日本でも小さなクリスタルの動物がデパートや宝飾品売り場などで売られていることがあるが、大抵それがスワロフスキー。宝飾品とは別に光学レンズなどでも有名で、特にバードウォッチャーなどには「スワロフスキーの双眼鏡」は垂涎の高級品になっている。 工場の側には「クリステンヴェルト」(クリスタルワールド)というガラスの工芸品展示館があるが、その半分ほどを占めるのは現地の土産物売場だ。インスブルックに滞在して、ご用とお急ぎでない方は訪問するのもいいかもしれない。日本人はまずみかけない。

この後、マイアーホーフェンへ脚を伸ばした。ここは言ってみれば日本の「清里」。賑やかさは清里や軽井沢に勝るとも劣らない。ここからさらに山に登り、ハイキングなどを目的とするのならとにかく、街自体は「俗化」の誹りをまぬがれない。
それでも10年ほど前までは、オーストリアアルプスの良さを残した街だったようだが、資本の論理にはかなわないと言うことか。
旅行は1998年10月。
この翌年にまた同じ場所へ戻ってくるとは夢にも思わなかった。1999年は中東から北欧にかけて大規模な「日蝕」が見られた年。この日蝕を見物にウィーンを再度訪れることに。パッケージツァーなので、シェーンブルンとかマイヤーリンクなどを再訪した。ご近所の江の島灯台だって10年以上行ってないのに・・。(笑)