21世紀に思うこと


21世紀は「鉄腕アトム」の生まれた世紀だ。 横浜で開かれたロボットショーでは、ホンダやソニーの二足歩行ロボットが話題をあつめた。それらが昨今流行の「パラパラ」などを踊っている姿を見ると、それこそ鉄腕アトムの時代も近いなと感じる。ホンダのASIMO
(無断借用)ホンダさん、ごめんなさい
2050年にはロボットと人間のサッカー対決が催され、ロボットのチームがワールドカップで人間のチームに勝つことが目標とされている研究チームもあるそうだ。これらのショウに出ていたロボットの急速な進歩を見ると、夢物語ではないと感じざるをえない。
近い将来に障害者・老人介護や、単純だがしかし危険な場所での作業などにロボットが用いられるだろう。現在の二足歩行ロボットはリモコンで人間が指示を出してはいるが、なによりも人間と同じサイズ・同じ重さで、人間のいる空間に出入りできるというのが、なによりも重要なポイントだ。
 科学の進歩はとどまることを知らない。米国の半導体メーカーインテルは、2005年に今のMPU能力の数十倍ものスピードを持つMPUを開発中だ。現在のパソコンでさえすでに10年前のスーパーコンピュータの性能を持っている。つまり、みんなの机の上に10年前のスーパーコンピュータが乗っているということ。それがさらに数十倍の能力をもつということは、いままでできなかったこと、たとえば自動翻訳や完璧な口述筆記、パターン認識も進歩し、それぞれの人の顔の認識ができるようになるほか、人間とのスムーズな対話も可能になると言うことだ。
 それがたった五年後の話。10年後には一般化するだろう。・・では20年後は?50年後はどうなる?
 今から50年前の我々の生活を思い起こしてみると良い。(知らない人も多かろうが)当時は電化製品で言うとまずは電球とニクロム線の電熱器、アイロン、ラジオ。ちょっと裕福な家では扇風機があった程度だろうか、その程度のものだった。洗濯機、冷蔵庫、テレビが「三種の神器」と呼ばれたのはもうちょっと後の時代。そのころから現代を見ると、つまりその延長線上に50年後の未来が予想されるということになるが、果たしてそうだろうか?
真空管式のコンピュータが登場してちょうど50年。今の最新鋭コンピュータも50年後から見ると現在から見たエニアック同じになる。これはどうやらありそうな話だ。モバイルPCはもっとウェアラブルになり、人はコンピュータを持って外出しても、持っていることを忘れるほどに軽く、小さくなるだろう。持ち主に代わってPCが人の顔と名前を覚え、誕生日や趣味、その人と自分との関係などをアドバイスしてくれるかもしれない。偶然出会った人でも、「顔は覚えているけど、あの人だれだっけ?」が無くなる。我々の会話を全て記録し、画像を記憶し、会話の内容をテーマごとにファイリングして、イヤホンやハンドセットなどで確認すれば良い話で、技術的には可能だろう。
 世界中の人との会話についても、自国語で話せば世界中の言語に同時通訳されて、コミュニケーションが実に簡単になる。それどころか、ディスプレー上に誰でもその人の関係者居場所を確認できるようにもなるはずだ。
 もちろんこれは「可能だ」ということであって、「そうなる」ということではない。できればそうなって欲しくないものだとは思うが。
 もっと劇的に変わるのはメディアの世界だろう。21世紀のディスプレーはほとんど紙と変わらなくなる。そうなると、現在プリントメディアである新聞や雑誌と、電波メディアであるラジオ、テレビが合体したような電子ペーパーが出現しそうだ。現実に紙のようなディスプレーは国内外のメーカーの研究によって完成寸前という話だ。
 ポケットから紙のように薄いディスプレーを取り出し、超高速でプロバイダとつながる携帯機器につなげば、ディスプレーに新聞・雑誌のコンテンツ、書籍のコンテンツの表示ができる。写真は当然動画で、簡単な操作で画像を指定することにより大きさを変えたり、何度も再生したりできるようになる。過去の情報を参照できたり、リンクによってテキストをタッチするだけでキーワードを検索したり、関連する情報を探したりするのも超高速。 テレビと新聞とインターネットが合体したような情報機器の登場というわけだ。
 ロボットや情報機器に限らず、社会産業あらゆる面での情報化に代表される進歩で、生活はどんどん便利になる。若者の必需品「ケータイ」も進歩し、財布やあらゆる自分に関する情報の入った身分証明書に代わるものになるかも知れない。規格と市場の問題だけで、技術的にはなんの問題もない。交通の世界だって、例えば高速道路では近々完全な自動運転が可能になるにちがいない。
生活のイノベーションを考え出したらきりがないが、21世紀にはいろいろな陥穽が待ち受けているのもまた事実だ。
 インターネットの普及は、政治に利用すれば直接民主主義が可能で、今回のアメリカ大統領選挙の混乱など笑い話になるだろう。しかしだれもが言っているように、ネットはあきらかに「デフレ要因」だ。B to Bの取り引きがインターネット上で行われるならば、直接取引きが可能になり、企業は一番安い部品やサービスの調達に走るだろう。すでに崩れつつあるが、日本のこれまでの商習慣はもう通用しない。流通ならば「アマゾンドットコム」に代表されるように、問屋や小売りが不要になり、消費者は安くものが手に入り、生産者は販売・流通経費が大幅に削減でき、販売や在庫管理も容易になる・・いいことづくめのように見える。
 だが実際は生産現場から消費者の間に介在したあらゆる流通部門が必要なくなる、ということは、その間の労働力もいらなくなるということだ。インターネットの普及は失業と物価下落をもたらす、明らかにデフレの要因となるだろう。IT技術の普及は成長分野として、その分野の中で人材を必要とするから失業は増えない、と言う説もあるが、楽観的に過ぎるだろう。求職者と企業の求める人材のミスマッチが、現在でさえ相当大きいのだ。
 もちろんネットの利用で、大躍進する企業・産業もあるだろう。つまり21世紀は成功したものと、失敗したものの差が大きくなる、今までにない競争社会であり、貧富の差が激しい社会になりそうだ。「デジタルデバイド」と言われるがそれがはっきりと見えてくる世の中になる。21世紀が夢の世界になるかどうか、それは個々人の能力と努力にかかっていると断言しても言い過ぎではない。
 我々団塊の世代は、もうすぐ、あと10年前後で社会の一線から身をひくことになるが、若い人たちは大変だ。この厳しい競争社会を勝ち抜いていかなければならない、「ほどほど」という階層のない世界に突入しなければならないのだから。日本では10年前には「中流意識」を持っていた人70%を越していた。この人たちが21世紀にいったいどれくらい残っているのだろうか。

 さて、陥穽のその次は「経済」だ。 科学と、それに伴う技術の進歩が、経済を追い越しはじめている。
たとえば、英仏共同開発の「コンコルド」が就役したのはもう20年も前の話だ。そのときはアメリカも「SST」と称して、マッハ3で巡航する超音速旅客機ですぐにも追いつくかと思われた。しかし現在その夢はついえ、「コンコルド」も去年の事故をきっかけにもう就航することはないだろう。
ジャンボサイズの次世代航空機でさえ、アメリカのボーイング社は各国企業に共同開発をもちかけている。一社で開発するにはリスクが大きすぎる、要は開発費の負担に耐えれられないということだ。 アポロが有人で月着陸に成功したのは1969年のこと。もう30年も経っている。初めて人類が月に降り立ったとき、30年後には月に人間の基地ができている、と誰もが思ったろう。しかし有人宇宙基地どころか、もう10年以上人類は月に行っていない。
 東海道新幹線は1964年、東京オリンピックの年に開通した。その後新幹線は日本中にその網を拡げたが、新幹線後の技術で期待されたリニアモーターカーは、まだまだ実験段階だ。これは技術的課題もさることながら、実際に敷設・運営するための財政的基盤が見えないという事も大きい。 つまり、大型の超音速旅客機も月面有人宇宙基地もリニアモーターカーもその科学技術が、経済規模を追い越してしまったということだ。

 21世紀も半ばになれば、これらの「夢」は実現しているかも知れない。しかしそれは、たとえ超大国のアメリカといえども一国では実現できず、数カ国のプロジェクトになっているだろう。
一方で先進国では「少子化」という問題を抱えている。誰もが想像つくように、経済は人間が支えており、人口が少なくなれば現在の経済や産業・技術を発展させるのが難しくなる。先進国ではその経済を支えるために、大量の「移民」を受け入れざるを得なくなる。
 日本も決して例外ではない。現在日本では中東からの出稼ぎ労働者が働き始めている。雇用者側からみれば、日本人を雇うより安いという単にコストの問題かもしれない。しかし大きな目で見れば日本の産業を支えるために労働力を海外からの「移民」に一部頼っていると言えなくもない。
人が国際化すれば、当然社会も国際化する。貧富の差が激しい社会では当然犯罪も増加すると思われる。日本では外国人による犯罪も増えるだろう。同時に失業が増える分社会が不安定になるに違いない。

21世紀はややこしい世紀だ。科学も技術も発展し、一部の人がその恩恵に浴すことにはなるだろう。だが一方では失業が巷にあふれ、また失業者ではなくてもこれまでの日本の給与水準から考えると、極端に安い賃金のなかで仕事を選択しなければならない人も数多く発生するに違いない。なぜなら、これだけグローバル化した産業構造の中では、日本人だからという理由だけで、世界水準から見て高額な賃金を得るというのが不可能な世界になるからだ。もちろん日本だけの話しではく現在高所得の国ではすべて同様の問題が起こるだろう。各国の所得水準は限りなく世界平均に近づく。・・・その意味では理想的な社会と言えなくもないのだが。
21世紀の年頭に当たってつまらないことを考えた。中年男の「戯れ言」と笑っていただければさいわいです。

気合いの入ったものにしたかったのですが、時間が無くて書きっぱなし、裏付け無しで掲載しました。2001年1月