鎌倉時代、それも北条氏が政権を握っていた時代、親孝行娘の「露」という童女がいた。
母親は身持ちの悪い女で、使えていた北条業時(なりとき)の家で事故を起こし、それを自分の娘「露」に罪をなすりつけようとしていた。露が評判の親孝行娘。そのことは業時もよく知っていたので、露を呼び「母親の仕業であろう」と問いつめたが、露は「親孝行は子の努め、まして親を罪人にするなど思いもおよばぬことでございます」とゆずらなかったため、しかたなく業時は親子二人に暇をだした。 現在の地蔵堂は月影谷戸ではなく、隣の西ケ谷にある。露の墓も現存するが江戸時代に再建されたもののようだ。 しかしこの小さなお堂は今も周囲の人たちによって暖かく世話をされている。毎年二回の草むしり、毎週当番を決めて食事を運んでいるそうだ。こころ温まるいい話だ。 このお堂は、極楽寺駅から極楽寺の前を過ぎ、稲村ヶ崎小学校を過ぎて左に入ったあたり。
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