縁起によれば神武天皇時代の創建と伝えられるが、やや無理がありそう。
周囲の地名が高麗、背後の山が高麗山、高来神社ももともとは「こうらい神社」と読んでいたのだから、いくら古くても神功皇后の三韓成敗(4世紀)以降の創建と思われる。この「三韓成敗」が神話なら、少なくとも日本が朝鮮半島にその勢力を伸ばしていた時代の話だろう。 新しくとも、応神天皇の時「母国を逃れた権現様」という記述が由来書にあるので、高麗の豪族、若光が一族郎党を引き連れて大磯に上陸して、このあたりを開発したのが始めではなかろうか。若光の一族は、その後埼玉県飯能市あたりに移住するが、この辺りは金達寿の「日本の中の朝鮮文化」(これには諸説ある)に詳しい。とにかく神奈川県の中でもかなりな古社であることは間違いない。幾多の戦乱に巻き込まれ、また明治の廃仏毀釈運動にもまれ、古文書が散逸してしまっているのはいかにも惜しい。 明治時代までは、背後の高麗山頂の千手観音を中心とした堂塔を含む神仏習合の地として有名だったようだ。 参道は国道一号に面しているが、入り口は狭く、うっかりすると通り過ぎてしまう。最寄り駅は大磯だが、バスを利用したほうが良いだろう。東海道の旧街道にも近く、昔の大磯宿のそばとあって、一里塚、化粧(けわい)の井由来の化粧坂など、周囲は旧街道の面影を残し、なかなか良い雰囲気である。 |