藤沢の諏訪神社(諏訪大社以外で上・下両社がそろう不思議な神社)

/神奈川県藤沢市片瀬

諏訪神社(上社) ・諏訪神社の縁起を記した石碑(部分) ・諏訪神社(下社)

藤沢市川名に「新林公園」という公園がある。そこは昔「新林古墳群」と呼ばれた横穴式古墳がいくつもあったのだが、公園整備のためか、残念なことに全て失われている。

その公園を南へ下ると「片瀬諏訪神社」がある。「諏訪神社」なんて日本に4000とも言われ、それこそ日本中に点在している普通の?神社だが、ここの「諏訪神社」はめずらしく「上社」と「下社」に分かれている。 ここの縁起には西暦で723年に諏訪大社の最初のフランチャイズとしてここに勧請されたとされている。(これには異説があるらしい)

諏訪大社のご祭神はご存じの通り「建御名方尊」(たけみなかたのみこと)。大和朝廷から派遣された「建甕槌尊」(たけみかづちのみこと)と相撲の勝負をして負け、出雲の国から追い出されて諏訪の地に静まったとされる神。有名な「国譲り」の場面でおなじみか。

その第1号のフランチャイズがどうしてここ「湘南」にあるのか?

この「建御名方尊」を追い出した「建甕槌尊」をご祭神とする神社は「鹿島神宮」(茨城県)。このような大和朝廷の英雄を、よりによって当時は辺境の地ともいえる茨城に奉るのも不思議といえば不思議だ。)だがもし鹿島と出雲で諏訪を東西から挟んで監視する、という意味であれば、ここ湘南に諏訪の第一号フランチャイズがあるということは、諏訪と大和−出雲のまるで囲碁のような陣取り合戦がこの地にあったという証拠ではないか?と想像もふくらむ。
もっともこれは勝手な想像で、素直に考えれば諏訪の地から入植者がこちらへ移ってきて、故郷の神様を祭ったと考える方が自然ではある。

この辺りは古くから人の住んでいた場所。しかし藤沢市の南側は古くは大きく湿地帯であったので、神社はその淵から少し上がった山の中腹にある上社が先に建てられ、あとから平地となったところに下社が作られたのではないだろうか。 上社は下社に比べ小さいが、遊行寺方面から江の島に抜ける古道沿いにあるところから、この想像はまず間違いあるまい。近くに「江の島道」の一里塚や、蒙古からのフビライの使者の墓がある寺があったりする、この道は「山辺の道」ならぬ神奈川の「淵の辺の道」だ。


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