北条政子(1157-1225)は源頼朝の妻として、頼朝無き後「尼将軍」ともよばれて
権勢を振るったが、その墓は不思議なほど小さい。 JR鎌倉駅から北へ歩いて10分の「寿福寺」。その背後の山の中にある墓場の やぐらの中に、北条政子の墓はあります。となりの実朝 と寄り添うように建つ墓 は、わずか50cmほどの驚くほど小さな石塔です。その隣に立派な石塔が建っ ているが、聞くところによれば、実朝と並んで葬られているとのことなので、この 小さな石塔が政子・実朝の墓であるのでしょう。 どっちにしても北条政子の墓としては充分とは言えない。後世の人間によって 作られた話という可能性も捨てきれません。 頼朝の墓も当時の権力者の墓としては小さなもの。貴族とは異なる武家の合理 的精神が墓を軽視させた原因かも知れません。 寿福寺の背後の霊園に「北条政子の墓」との案内板はありますが、誰かにいた ずらされたか、矢印はあらぬ方向を向いています。訪れる人も少ないのでしょう。 とはいえ、これは単なる伝承。実朝は北条義時の陰謀で、甥の公暁によって暗 殺され、その首も発見されなかったようですから 墓の所在など、歴史的には殆ど 意味がないと言えなくもありません。 |
荒海の 磯もとどろに寄する波 割れて 砕けて 裂けて 散るかも −−−源 実朝