
首なし仏が並ぶ百八やぐら
「やぐら」というのは岩壁に穴を穿って人を葬る鎌倉
に独自の埋葬場所のこと。語源ははっきりしないが「岩蔵(いわくら)」が変化したという説が有力だ。
鎌倉の狭隘な地形がそのような埋葬形式を発達させたと言われている。
もともと鎌倉は源頼朝が幕府を開く前は小さな寒村だと思われていたが、数年前大和朝廷の国衙
(こくが)の跡も発見され、古くから開けた土地であったようだ。
多くの戦乱に巻き込まれ、血塗られた地「鎌倉」。今でも多くの人骨が鎌倉市街地の下に眠っている。
昔からこの狭隘な地形の中で死人の埋葬場所に事欠いたことは想像に難くない。
北鎌倉から大船へ抜ける途中の巨袋谷 (こぶくろ
だに)は、古くは「風葬」の地でもあったようで、別
名「地獄谷」とも言われていた。風葬というと綺麗だが、
じつは始末に困った死体を放り投げた場所なのではないだろうか?
とまれ、昔から鎌倉では死んだ人たちの埋葬に頭を痛めていたと考えられる。それが「やぐら」を生んだのだろう。
|
 
「百八やぐら」は北鎌倉の建長寺から覚園寺(かくおんじ)や瑞泉寺(ずいせんじ)へ続く「天園ハイキングコース」の途中にある。
山中の標識もなく、はっきりとした道もない、知る人ぞ知る秘密の墓場だ。
|