忘れえぬ笑顔
急にミルクティーが飲みたくなって小鍋にミルクを入れて火にかける。
棚から紅茶のを缶を取り出して台所の窓から何気なく外を見れば、小さな雨粒がポツリポツリと窓に印をつけ始めているのに気がついた。
「あー!雨っ!!」
午前中に八戒と一緒に洗濯物を干したのを思い出して、慌てて裏口から庭に出ると既に八戒が大きなシーツを腕にかけて残りの洗濯物を取り込もうとしている所だった。
「八戒!」
「あ・・・も来てくれたんですね。」
「うん、洗濯物大丈夫?」
「えぇあと上のタオルだけですから・・・」
上の方に掛けられている洗濯物はあたしがどんなに背伸びをしても届かない。
ここは八戒に任せるしかないよね。
「あ、じゃぁそのシーツ。先に家に持ってくよ。」
「助かります。」
八戒が二つに折って腕に掛けていたシーツを地面につかないよう腕に巻きつけて、そのままもと来た道を帰ろうとして・・・ドジッた。
「・・・っわぁっ!!」
慌てて外に出てきたからいつも自分が履いてるサンダルじゃなくて悟浄の大きなサンダルを履いてきちゃってたんだよね。
それに束ねられたシーツで目の前が良く見えなかった所為もあって、あたしの体は見事に洗濯物と一緒に地面へと倒れこんだ。
「あ・・・あぁ・・・あー!!!」
次第に雨足が強くなる雨の中、あたしは半面真っ白半面泥まみれになったシーツの上にしっかり転んでしまった。
「!」
「ごめん八戒・・・」
慌てて駆け寄ってきた八戒に頭を下げてゆっくりシーツの上から起き上がる。
「そんな事より怪我はありませんか?」
「うん。」
「残りの洗濯物は僕が持って行きますから、はそのシーツを洗濯機に入れてそのままシャワー浴びてください。」
「でも・・・」
「風邪、ひいたら大変ですよ。」
「・・・はい。」
これ以上八戒に手間をかけさせてもしょうがない。
小さく頷くと今度は転ばないようシーツをしっかり上に持ち上げて家の中に入り、洗濯機のフタを開けるとその中へシーツを放り込んだ。
洗剤を入れてスイッチを押すと洗濯機が小さな振動と共にガタガタと動き始める。
「うぅぅ・・・手伝うと言うより邪魔しに行ったって感じ。」
洗濯機に寄りかかり微かな振動を体に感じながらため息をつく。
足元を見ればシーツの上に倒れこんだ所為で体はそんなに汚れてはいないが、膝に土をつけているのが見えた。
ここで土を払うと掃除を増やしちゃうなぁって思って戸口へ向かおうとした瞬間、ふと最初にやっていた事を思い出し、慌てて台所へ駆け込んだ。
「あーっ・・・」
するとそこには鍋から盛大に吹き零れる・・・ミルク。
「あぅぅ」
慌てて火を止めたけど鍋の中に半分ほど入っていたミルクは跡形もなく・・・とまでは行かないけど、殆どナベ底数センチほどの量になっていてそれ以外は全てコンロの周りに零れてしまっていた。
火に近い部分は既に乾いてしまっていて指で擦っても中々取れない。
側にあったタオルを水で濡らしてゴシゴシ擦るとちょっと薄くなった。
八戒が戻ってくる前に掃除しとかなきゃ・・・これ以上失敗したトコ見せられない!
「・・・?」
「はいいっっ!?」
一生懸命ゴシゴシ擦っていた所突然後ろから声を掛けられて思わず飛び上がる。
小さな子供がいたずらを隠すかのようにミルクの零れたコンロを背に隠して八戒の方を振り返ったけど、そんな事気付かない八戒じゃない。
苦笑したような困ったような顔をしながらあたしの頭にポンと手を置くともう片方の手で洗面所を指差した。
「ここは僕に任せては先にシャワー、浴びて下さい。」
「でも・・・」
「ミルクティー用意しておきますね。」
そう言ってにっこり笑われたら・・・もう何も言えない。
洗濯物を取り込んだ時と同じように、いやそれ以上に肩を落として小さく頷くと八戒に言われたとおり今度こそシャワーを浴びる為に洗面所へと向かった。
手早くシャワーを浴びて居間へ戻ると、そこには笑顔の八戒がちょうど台所から紅茶を持ってくる所だった。
「ちょうど今入った所ですよ。」
あたし専用のコップに紅茶を入れて、八戒はそこへ温めたミルクをいっぱい入れてくれた。
どうぞと言って目の前に置いてくれたミルクティーを見ていたら、自分がやった事がどんどん頭に戻ってきて・・・何だか凄く情けない気分。
「?」
「失敗ばかりして・・・ごめんね八戒。」
「え?」
「何か、やる事なす事全部足引っ張っちゃって・・・」
「そんな事・・・」
「だってあたしが余計な事しなければ八戒の手間はなかったはずだよ。」
八戒一人で洗濯物を取り込めば二度洗い何ていう手間は取らなかったし、あたしもミルクを拭き零すなんてミスしなかった・・・はず。
「ホント、ごめんなさい。」
「・・・そんなに落ち込まないで下さい。僕の良く知っている人も普段そうは見えないけど、時々のように慌ててしまって失敗しちゃった事、ありますよ。」
手にした紅茶のカップを置いて微笑む八戒の表情は、いつもと何処か違っていて・・・何だろう、何となく寂しそうに見える。
「シチューを火にかけて訪ねてきた人と話をしていて鍋を焦がすとか、本を読むのに一生懸命でお風呂を沸かしすぎちゃったとか・・・」
どこか遠くを見て話す八戒の表情は何だか昔を懐かしむような、だけどとても大切な人の話をしているようで・・・。
だからそれが誰の事を話しているのか、すぐに分かった。
「もしかして・・・・・・花喃・・・さん?」
「・・・・・・え?」
少し遅れて反応する、何ていうのはいつもの八戒らしくない。
「八戒、凄く優しい目をしてたから・・・その、そうかなぁと思って・・・」
い、言っちゃいけない事だったかな。
しどろもどろ言葉を繋ぎながらシンとした空気に耐え切れなくなって目の前にあったコップに手を伸ばし紅茶を一口飲んだ。
ふぅ・・・っと一息ついてチラリと窓の外を見れば、雨は止む所かさっきよりも激しくなってる。
雨。
改めてその単語を口にして思い出した。八戒にとって雨は鬼門だと言う事を・・・。
パッと顔を上げて八戒を見ればその目はあたしを見ているようで見ていない。
何処かうつろな表情で、でも口元だけはいつものように微笑んでいる。
「は・・・っかい?」
「あぁ・・・すみません。ちょっとボーっとしていて・・・」
「いや別にそんなのは・・・」
全然気にしないけど、その目は・・・見ていると辛くなるようなその目は・・・。
「・・・ミルクの零れたコンロは掃除しておきましたし、シーツも・・・雨、が止んだらまた干すので気にしないで下さい。」
そこにいるのに、何処か影の薄い魂の抜け殻のように立ち上がった八戒はそのまま無言で部屋に向かって歩き出した。
「八戒?」
「ちょっと、休みますね。」
そんな八戒をそのまま一人にしておいていいのか・・・って一人にしていいワケ無い!
特に今はあたしの行動が八戒の中にいる花喃さんと重なっちゃってるみたいで、いつもより辛そうに見える。
数歩先を歩く八戒の後を追いかけて、部屋に入ろうとする八戒の後ろにピッタリとくっついた。
「・・・?」
「一緒にいる。」
「え?」
「八戒と一緒に、いる。」
ぎゅっと服の裾を握って、いつもだったら恥ずかしくて視線を外してしまうけど今日はそんな事出来ない。
ううん、しちゃいけない。
だから振り返ってあたしの顔を見ている八戒の目を真っ直ぐ見て、もう一度言い聞かせるように言葉を区切って言った。
「今日は、八戒の側、離れない・・・一緒にいる。」
「・・・」
少し青い顔をした八戒はあたしが何を言っても引き下がらない事を悟ったのか、ホンの少しだけ目を細めるとそのまま額をあたしの肩口にそっと置いて小さな声で囁いた。
「・・・ありがとう・・・ございます。」
耳に届いた微かな声は、何処かいつもの八戒とは違う気がした。
八戒が部屋の扉を開けてくれたので小声でお邪魔しますと言って部屋の中に入った。
よく言えば綺麗に片付けられた八戒の部屋、別の見方をすれば必要最低限の物以外何も置いていない・・・部屋。
「すみません、散らかっていて・・・」
「ううん、そんな事ない。凄く片付いてるよ。あたしの向こうの部屋なんて・・・八戒に見せれないもん。」
八戒があたしの部屋を見たら・・・呆れた顔をした後にっこり笑顔で腕まくりして片付け始めちゃいそうだもんね。
悟浄と違ってゴミ捨ての日はちゃんと覚えてるから捨ててるけど・・・物が多くて溢れてるから散らかってるように見えちゃうのかなぁ。
そんな馬鹿な事考えているうちに、八戒はベッドに腰掛けて再び空ろな目で窓の外を眺めていた。
窓のあたる雨粒を見ているのか、雨を見ているのか・・・それとも雨音の向こうに昔を思い出しているのか・・・。
えっと・・・一緒にいるって言って部屋に入ったはいいけど・・・ど、どうしよう。
取り敢えずベッドに腰掛けた八戒の隣に腰を下ろすと、恐る恐る八戒の頭に手を置いた。
髪の流れに沿ってそっと手を滑らすと、少し遅れて八戒がこっちを振り向いた。
「・・・大丈夫?」
「・・・」
こんな時何て言ったらいいのか。
何を言っても心は軽くならないし、気持ちも晴れないって言うのは良く分かる。
でも今のあたしにはこんなありきたりの事しか言えなくて・・・情けない。
「少し休む?」
「いえ・・・」
「そっか」
言葉を切ってそのまま八戒の頭を撫でていると、徐々に八戒の体があたしの方へ傾いてきた。
やがてぽすって音と同時に八戒があたしの肩に頭を乗せて、何かを吐き出すかのように大きく息を吐くと同時にポツリと呟いた。
「花喃は・・・」
「え?」
「花喃は・・・どんな時も笑顔でした。」
初めて八戒の口から聞く花喃さんの話。
「さっきに言いましたよね。『僕の良く知っている人も普段そうは見えないけど、時々のように慌ててしまって失敗しちゃった事ありますよ。』って」
「うん。」
「普段は大きな失敗なんてしない人だったんですが、時折鍋を焦がしたりしたんです。そういう時は大抵突発的事項と重なってしまって、もうひとつの事がすっかり頭から消えちゃうんですよね。」
「な、何だか分かる気がする・・・」
ひとつの事をやってる時に突然何か別の・・・例えば宅急便だったり電話だったりが急にかかってくるとついつい前にやってた事忘れちゃうんだよね、あたしも。
「そんな風に失敗した時でも・・・彼女はいつも、笑顔でした。」
何となく・・・八戒と花喃さん、じゃなくて悟能と花喃さんの二人がどんな風に生活していたのか見える気がする。
小さな家で初めて愛する人との二人だけの生活。
それがどれだけ幸せな事か・・・どれだけ八戒がその幸せを大切にしていたか、分かる。
ただ本で読んだだけの他人の人生。
それが今、こんなに身近な人の事だと感じてしまうほど・・・あたしと八戒の距離は近くなっている。
「大輪の花のような・・・と言うより、草原の草むらにひっそり咲いているようなそんな笑顔でいつも僕を見てくれていました。」
「包み込むような笑顔、だね。」
「えぇ・・・」
頭を撫でていた手をそっと八戒の背に回してあたしよりずっと大きい八戒の体を抱きしめる。
今だけでも八戒が一人では無いと・・・雨の中、思い出を語りながらその中へ閉じこもらないよう、そんな意味も込めて抱きしめる腕に力を込めた。
「・・・ですね。」
「え?」
抱きしめている所為で八戒の声が良く聞こえず、ちょっとだけ腕の力を緩めて八戒の顔に耳を近づける。
「こうして誰かと花喃の話が出来るなんて・・・思いませんでした。」
「・・・」
「花喃の事を語るには、まず彼女について説明しなければいけませんからね。」
「そう・・・だね。」
あたしは現代で『最遊記』を読んでいるから花喃さんが八戒にとってどれだけ大切な人かと言うのを知っているし、過去に何があったのかも知っている。
あえてゼロから話をする必要は無い。
もしもゼロから話すのであれば口にしたくないあの事件も語らなければならないだろうから・・・。
「ありがとうございます、。」
「そんなっあたし何もっ!!」
「いいえ、僕がこうして話が出来る状態でいられるのは・・・貴女がこうして側にいてくれるからです。」
自分ではもっと、もっともっと八戒を癒したいと思っているのにそれが出来なくて歯がゆいのに・・・八戒はこんなあたしが側にいる事で少しはラクになれてる、の?
そんな思いが顔に出てたのか、八戒がほんのちょっとだけ微笑んでくれたのが見えた。
「・・・少し、休んでもいいですか。」
「うん、いいよ。」
あたしの肩に頭を置くようにして目を閉じた八戒の頭をさっきと同じように撫でながら、空いている方の手でバングルを外した。
「・・・この体勢、どうしよう。」
あれから30分。気付けばあたしは八戒と一緒にベッドに寝っ転がっている。
しかも・・・今のあたしはよく言えば八戒と添い寝、だけど正確に言えば八戒の抱き枕状態。
最初は肩を貸してたんだけど、八戒が眠ってしまって体の力が抜けた事で体重がかかり、一生懸命右手をつっかえ棒代わりにして耐えてたんだけど・・・ついに力尽きてベッドに倒れてしまった。
雨の中気持ち良さそうに眠っている八戒を起こすなんて事間違っても出来なくて、そのままにしていたら・・・何時の間にか抱き枕のようにしっかり八戒に抱きかかえられてしまって身動きが取れない状態になってしまった。
「嬉しいような恥ずかしいような・・・複雑なカンジ。」
チラリと横目で八戒を見れば、滅多に見れない・・・と言うか初めて見る八戒の寝顔。
いつも笑顔で時に厳しく諭すそんな表情は今は無い。
バングルをつけていない素顔は年齢よりも幼く見えて、何処か可愛く思える。
「・・・可愛い、かも。」
もうちょっと良く見よう・・・と思って八戒を起こさないよう体勢を入れ替えて顔の向きを合わせる。
八戒の瞳が閉じてるからこんな近くで見れるんだよね。
目が開いてたら・・・恥ずかしくてこんなにじっと見てられないよ。
そう思っていたら八戒の口が微かに開いて何か呟いた。
「 」
「え?」
「・・・」
それが自分の名前だと分かった瞬間、急に恥ずかしくなってその場から逃げ出したくなった。
でも眠っている八戒の腕はあたしの名前を呼ぶと同時に体をギュッと抱きしめてしまって、さっきよりも力が強くなっている気がする。
おかげで逃げる事も顔を逸らす事も出来ず、あたしは外の雨が止んで八戒が目覚めるまでこの嬉しいドキドキに耐えなきゃならなくなってしまった。
それでも雨の中、八戒がこんなに穏やかな顔で休めるなら・・・時にはこんな風に眠るのもいいかな ――― そう思った。
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9800hitをゲットされました らぜ サンへ 贈呈
『八戒と添い寝+α』と言うリクエストでしたが・・・は、半分はご希望に添えましたでしょうか!?
ただどうしてもうたた寝世界にあるソファーは(笑)悟浄が一人横になると足がはみ出ると言う物なので今回は八戒のベッドで眠っていただきました。
花喃がどんな人かって言うのは毎度の如く捏造です。
ただそんな感じかなぁと新装版最遊記のカットの笑顔を見て思ったので・・・(苦笑)
それにしても・・・添い寝と言うよりはコレ、抱き枕ですよね?
大変お待たせしておいてこのようなものでスミマセン(TT_TT)
らぜさん、リクエストありがとうございましたv
少しでも楽しんで頂けると嬉しいです!
また遊びに来て下さいねvvv