お風呂に入ろう
世の中絶対に見る事が出来ないものって・・・結構あるよねぇ。
例えば・・・
快くにっこり笑顔で近隣の説法へいそいそと出掛けていく三蔵とか
ご飯一膳でお腹いっぱいになる悟空とか
早寝早起きは三文の徳といいながら家事に勤しむ悟浄とか
始終怒鳴り散らす八戒とか・・・
取り敢えずこれらの事を見てしまったらこの桃源郷はもう終わりかもしれない。
って言ったらちょっと大げさかもしれないけど、あたしはそれに匹敵・・・は全然しないけど、ちょっと珍しいものを目にしてしまった。
先程から時折視界に入る光景は、ある意味珍しいって言うか今まで見た事が無い。
あまりの珍しさに外は雲ひとつ無い晴天だけど、午後には雷雨になった上、地震でも起きるんじゃないかって思う。
「待ちなさい、ジープ!!」
「キュ―――!」
それは・・・八戒から逃げるジープ。
「!窓を閉めてください!」
「え?あっはい!」
居間のソファーで傍観してたあたしは八戒に名前を呼ばれて我に返った。
慌てて開いていた窓を閉めて振り返ると、白い固まりが勢い良くあたしの方に向かってきたので反射的に目を瞑る。
ビシャッ
びしゃっ・・・って何?
ゆっくり目を開けるとあたしの胸にピッタリ張り付いているのは・・・ジープ?
ぎゅっと目を閉じて体を小刻みに震わせて、まるで何かに怯えてるみたい。
落ち着かせようといつものように背中を撫でようと回した手に違和感を感じた。
ふわふわしている筈の毛並みが今日はやけにペチャンコで、その体は外の天気とは裏腹に雨に打たれたかのようにびしょ濡れだ。
「ダメですよ、ジープ。」
「八戒!ジープどう・・・」
続きの言葉が出てこない。
「の服が濡れちゃうじゃないですか。」
目の前の八戒は長袖のシャツを腕まくりして肘まで上げていて、胸元のボタンはいつもと同じように第二ボタンまでしっかり留められているんだけど・・・。
「キュ〜ッ!!」
「すみません、ジープが・・・」
困ったように笑う八戒の髪は水で少し濡れていて、窓から差し込む太陽の光がその水滴に当たってキラキラ輝いて見える。
「?」
首を傾げてこっちを見る八戒の顔は少し濡れていて・・・やけに色っぽい。
「熱でもあるんですか?」
不安げな様子で前髪をかきあげる八戒の仕草に見惚れていると、ずっと見ていた八戒の顔が近づいてきた。
慌てて八戒とあたしの体の間につっかえ棒のように両手を伸ばす。
「ごっごめん!大丈夫っ!」
「顔が赤いですよ?熱でも・・・」
「平気平気!何とも無いから!!」
かきあげていた前髪を元に戻してじっとあたしを見る八戒の髪から水が滴っている。
水も滴るいい男・・・って言葉が脳裏を横切った。
「・・・それならいいんですけど。」
見慣れない八戒の姿を見てのぼせました・・・って言うと笑うんだろうな。
ふと八戒の視線があたしの胸元へ向いていたので、あたしも視線を落とすとジープが一生懸命あたしの服に爪を立ててしがみ付いていた。
「ジープダメですよ。」
「キュッキュー」
八戒がジープの体を抱き上げようとした瞬間、ジープはカプッと言う音を立ててあたしの襟元を口に咥えた。
どうしたんだろうジープってば!?
八戒の言う事聞かないなんて今まで無かったのに・・・。
「八戒ジープどうしたの?」
「午前中外で遊んでいる時に水溜りにはまってしまったらしくて、帰って来たら泥だらけだったんですよ。それでお風呂に入れようとしたら・・・」
「こうなったの?」
「はい。」
あれ?でも今までも八戒がジープをお風呂に入れてくるって言ってるの聞いた事あるけどそんな苦労してるなんて話は聞いてないぞ?
あたしの顔を見て八戒は小さくため息をつくと、ジープを掴んでいた手を離した。
「先週・・・悟空にお風呂に入れてもらったのがまずかったみたいなんですよね。」
「ご、悟空に?」
なんて無茶を・・・と心の中で思いながら、八戒が椅子をあたしに差し出してくれたので取り敢えず胸元に濡れたジープを抱えたまま座った。
「ちょうど先月悟空が家に来てジープと一緒に遊んでいたんです。その時悟浄が飲み残していたコーヒーが零れてしまってジープと悟空がコーヒーまみれになってしまいまして・・・」
「あちゃ〜・・・コーヒーの染みは落ちにくいんだよね。」
「そうなんです。だからすぐにシャワーを浴びてもらおうと思った矢先に急にお隣さんが回覧板を持ってきて・・・」
何か・・・小さな子供を抱えた主婦みたいな気がするのはあたしだけ?
「悟空がジープと一緒にシャワーを浴びると言ったのでお願いしたら・・・」
「・・・お願いしたら?」
「・・・すっかりお風呂嫌いになってしまいました。」
ガックリ頭を垂れる八戒を見ると、それまでどれだけジープが手のかからない子だったのか良く分かる。
逆に悟空が一体何をしたのか・・・と言うのも気になる所だけど。
「前回は僕と悟浄で半ば無理矢理お風呂に入れてしまったので、それで更に嫌いになったみたいなんですよ。」
「あ〜、なるほどね。」
クシュンと言う音であたしと八戒の視線は再びジープに向いた。
濡れた体が冷えたのか小さなくしゃみを繰り返している。
んー・・・お風呂嫌いねぇ。
あたしは今だ震えているジープの頭をそっと撫でた。
いつもと違ってちょっと手が毛に引っかかるけど、ジープは頭を撫でている人間を確認するように薄目を開けてあたしを見た。
にっこり笑って引き続きジープの頭を撫でながら八戒に声を掛ける。
「・・・八戒、あたしがお風呂に入れてあげてもいい?」
「え?」
「キュッキュッキュ〜ッ!」
「ジープ!大丈夫だから!」
お風呂場へ一歩入ろうとするだけで、抱いていたジープが急に暴れ始めた。
八戒がどんなに声を掛けても聞こえないみたいで何とか逃げようと体をよじっている。
「んー・・・八戒、ちょっとお風呂場の外に出ててくれる?」
「え?でも・・・」
「どうしてもダメだったら呼ぶから。ね?」
「・・・分かりました。それじゃぁタオルここに置きますね。」
心配そうな顔をした八戒に手を振ってお風呂場の戸を閉めた。
「お風呂よりもちょっと暖かいタオルあげようね。」
ジープを抱いたままそっと蛇口を捻ってタオルを濡らす。
あたしの体も実はジープがずっとくっついてたおかげでかなり冷えていたから、手に当たるお湯が気持ちいい。
ぎゅっとタオルを絞ってジープに見せる。
「キュ?」
「シャワーじゃないよ、ただのタオル。しっぽの部分拭いてもいい?」
ジープの様子を伺いながら細いしっぽを手に持って良く絞ったタオルで拭いていく。
最初は体を硬直させていたジープだけどタオルの温かさが伝わったのか、段々あたしのシャツを掴んでいた力も弱まってきた・・・かな?
その後も時間を掛けて体全体をタオルで拭いて取り敢えず冷たかった体を温めた。
「ね?ここは怖い場所じゃないでしょ?」
「キュv」
ふぅ何とかお風呂場が怖い場所だとは思わなくなったみたい。
次はシャワーなんだけど・・・慣れないと音とか勢いが結構怖いよねぇ。
ふとお風呂にふたがされてるのが目に入り、ジープの気をそらしながらふたをずらして手を入れるとまだ温かい。
あたしは側にあった洗面器を手に取ると、ジープに見えないようにお風呂のお湯を洗面器にほんの少し入れて胸に抱いたジープの顔を洗面器に向けた。
「キュ!」
再び硬直した体を安心させるようにポンポンと叩いて、自分の手を洗面器につけた。
「あー温かい♪さっきのタオルと同じくらい温かいよ?足つけてみない?」
「キュ〜・・・」
く、首傾げて考えてる・・・可愛いなぁ。
「ゆっくりでいいから・・・ほら・・・」
ワザと洗面器から遠ざけた所へジープの体を下ろして、あたしは洗面器の中に手を入れて安全性をアピール!
暫く様子を伺っていたジープが一歩ずつ洗面器に近づき、そこに顔を寄せた。
よし、あともう一歩だ!
「ジープ、おいで?」
すると何か覚悟を決めたように羽を広げ、目を瞑ったままジープが洗面器の中に下りて足をつけた。
「キュ!?」
「温かいでしょ?怖くないでしょ?」
「キュッキュッ〜♪」
入っている所へ1センチずつ気付かれないようにお湯を足して、最後にはジープの体が半分くらい浸かるまでお湯が入った。
それでもジープは嫌がるような様子は無く、むしろ冷え切った体が温まって気持ち良さそう。
よーしあとはシャンプーだ、シャンプー・・・ってジープのシャンプーってどれ!?
きょろきょろ風呂場を見渡すと・・・さすが八戒というべきか、分かりやすい。
シャンプーが並んでいる所に一つだけ違う容器の物があって、そこにしっかりジープと書いてあった。
皆の名前くらいは読めるんだよね、あたし。
「ジープ、体温まった?」
まるで日向ぼっこしているネコのように洗面器の中でつぶれているジープに声を掛けるとコクコクと首を縦に動かした。
「それじゃぁシャンプーしようか。」
一旦抱き上げてジープを洗面器から出して再び胸元でしっかり抱える。
ジープを膝に乗せて自由になった両手でシャンプーを取って泡立てるんだけど、気のせいか?
何かまたジープが震え出したぞ。
何とか怖がらせないようにふと小さい頃遊んだシャボン玉を思い出して、手で丸を作ってそこへゆっくり息を吹きかけて小さなシャボン玉を一つ作った。
ジープは不思議そうな顔をしてそれがゆっくり下に落ちていくのを見ている。
何だかジープって動物よりも人間の子供みたいだなぁ。
「もう一つ作るよ。」
さっきと同様シャボン玉を作るとジープは首を動かしてそれを追いかけようとしていた。
「ほら、これ怖くないでしょ?これで体洗うからじっとしててね?」
「キュ〜」
何とか全身を洗って、お湯を変えた洗面器にさっきと同じように入ってもらってすっかりご機嫌になったジープを抱いてお風呂場を出た。
八戒が用意してくれたタオルでジープの体を包んで、あたしもちょっと濡れちゃったから大きめのバスタオルで体を包んで居間へ向かった。
「!」
「八戒、ジープお風呂終わりました〜。」
「キュ〜♪」
「大丈夫ですか?怪我とかしてませんか?」
心配顔の八戒にタオルに包んだジープを手渡すと、あたしはソファーへと体を沈めた。
け、結構動物をお風呂に入れるのは疲れる。
「全然平気、ちょっと湯気でのぼせたくらい。」
「でも・・・どうやったんですか?」
八戒が用意していたのか冷たい麦茶を渡してくれたのでそれを一気に飲み干す。
くーっ美味しい!
「ひとつひとつに時間を掛けて、とにかくあたしが一緒だから大丈夫って連呼したのと、まずあたしがお湯に触れたりシャンプーで遊んだりして怖くない物だって言ってみた。」
「・・・なるほど。」
「ジープは賢いから、あたしの言う事も自分で考えてくれたみたい。」
普通の犬猫だったら、絶対あたしなんかがお風呂入れても無理だと思う。
「そうですか・・・お疲れ様でした。」
「八戒の役に立てたかな?」
困ってる八戒の役に立ちたかった。
あたしが思ったのはただそれだけ。
「えぇ、とても助かりました。でも・・・」
「でも?」
「今度は一緒にジープをお風呂にいれましょうね。」
「一緒に?」
あぁ二人の方がジープの不安も少なくなるからか。
って考えていたあたしの考えはちょっと八戒の思っている事とは違っていたらしい。
「ちょっとジープが羨ましかったです。」
「ほぇ?何で?」
大きなバスタオルを肩に掛けていたあたしの体を八戒がそっと抱きしめて、耳元に囁いた。
「と二人きりでお風呂に入っていたんですから。」
音にするならボンッと言う音を立ててあたしの顔は一気に真っ赤に染まった。
至近距離でクスクス笑っている八戒と、ソファーの上でタオルに包まれて気持ち良さそうに目を閉じているジープ。
今日は何か・・・色々と大変な一日だった!
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『ジープに嫉妬する八戒』と言うリクエストのはずが、いつの間にかジープドリになった気が・・・(笑)
一体悟空はどんなお風呂の入れ方をしたんでしょう?!私にも謎です。
やきもちの対象がジープだから八戒もあからさまに何か・・・と言うのは無いですね。
でもさり気なく自分の気持ちを告げるあたりがやっぱり八戒だなぁ・・・と(笑)
実際に八戒から逃げるジープってあったら・・・一体何が原因なんでしょうね???
瑚鈴さん、リクエストありがとうございましたv
少しでも楽しんで頂けると嬉しいです!
また遊びに来て下さいねvvv