ちょっと一言           


 平成25年1月14日
 長年続けてきた当ホームページですが、この度更新を停止する事といたしました。直接の理由はパソコンを買い換えた為新たにホームページソフトをインストールせねばならず、それが面倒だった事。もう一つは私も60歳代半ばとなり、そろそろ身辺を整理縮小する時期に達したという思いに至ったのが二次的理由です。長年やり続けてきただけに愛着もあり、それが途絶える事は淋しくもありますが、これも時の流れと受け止めています。今後は下記にある「Fさんの山歩きや日々の記録」という、大して閲覧する人もいないブログですが、1本に絞り出来る限り更新し続けたいと思います。最後に当ホームページを閲覧していただいた数少ない方々には厚く御礼申し上げます。「ありがとうございました。」・・・・将来気持ちがポジティブになったら、再開してお眼に掛かれるかも知れません。

「Fさんの山歩きや日々の記録」  
←検索可
    http://blog.goo.ne.jp/fukurai1




 平成25年1月10日
 体調が悪いと出不精になって家の中でウジウジしていたら、妻が映画を誘ってきた。私もウジウジにアキアキしていたから、早速近所の映画館へ出掛けて「ホビット思いがけない冒険」という映画を観た。内容は「遠い昔、豊な財宝に恵まれ栄えていたドワーフ王国が、凶悪なドラゴンに国を滅ぼされドワーフの人々は流浪の民となる。時が過ぎ、ドワーフの子孫達が国を奪還する為に立ち上り、立ちはだかる幾多の怪物達を撃退して凶悪なドラゴンが棲む懐かしい王国に戻ってくるという、アドベンチャー&ファンタジー映画です。C・Gを駆使した映像は中々迫力があり、息もつかせぬ展開は娯楽作品として単純に楽しめました。こういう現実離れした映画は若者向きで、イイ年したオッサンが観るようなものではないかもしれないが、スカッとしてけっこう気分転換になりました。ただこの映画、ドワーフの子孫達が王国に接近した事を察知したドラゴンが目覚めたところでジ・エンド。「オイオイ、クライマックスのドワーフと凶悪ドラゴンの戦いはどうなるの。」と中途半端な終了に不満が残った。きっと続編が後日公開されるんだろうけど、こういう一話完結しない映画って何となく納得できないなあ。





 平成25年1月8日
 先月以来の足・腰の痛みが年を越えても直らず、三箇日開けに再び池袋病院へ通院した。お昼頃到着して整理券を受取り午後はズーッと待合室で待機、受診者の中にはまだ20代と思われる若者もいて、ギックリ腰のようで僅かな移動すら難儀している様子、「彼よりマシだな。」と密かにほくそ笑む。自分より不幸な人を見て自らを励ます己の狭量さが情けない。池袋先生の診察を受けたのはPM5時過ぎ、先月の初診時はじき直るだろうと病名すら聞かなかったのだが、今回は一寸深刻な事態なので病名を尋ねると「腰部脊柱管狭窄症」(ヨウブセキチュウカンキョウサクショウ)との見立て、有名人では「みのもんた氏」が発症した事があると先生の話、彼はあまり好きじゃ無いので、どうせならイケメン俳優は一流スポーツマンと同病になりたかった。とに角これで病名が判り私も一人前の病人?になった。今年の目標は唯一つ、この病気を克服する事だ。先生も「上手くリハビリすれば直りますよ。」と言ってくれたから、それを励みに頑張ろう。





 平成25年1月6日
 以前所属していた山の会の先輩Nさんから珍しく電話があり、「新年早々、暗い話何だけど・・・・」と語り始めた。会の大先輩Yさんが元旦に急逝されたと言う。Yさんは山の会では中心的存在で皆から「Yお父ちゃん」と慕われていた。むろん私もその一員で、結婚する際は仲人までして頂いた人生の大恩人です。その後諸々の事情で山の会が解散して以降、Yさんは山の世界から一線を画して我々とも疎遠になっていきました。お世話になった恩を返せぬまま不義理を続けている自戒が、奥歯に挟まった異物のように私の頭の片隅にありました。各地のウォ−キング大会等で活動しておられる事を風の便りに聞いて、お元気なものと思い込んでいたので、突然の訃報は青天の霹靂でした。「簡素な葬儀を」という遺言も如何にもYさんの人柄が偲べます。急遽、ご遺族や会員達の手でお別れの会が催される事となり、その席へ顔を出すと、私が一番人生を謳歌した頃の懐かしい山仲間の面々がズラリと揃い、再会の喜びに笑いのさざ波が途絶えません。故人を偲ぶ会なのに、「仕様も無い奴らだ。」と空の上から苦笑しているかも知れませんが、これもYお父ちゃんの人徳だから仕方ないでしょう。この世を旅立つ寸前までアクティブに活動し続けたYさんの天晴な人生に、賞賛と憧憬の念を禁じえません。
山の会の懐かしい面々




 平成25年1月3日
 足腰が痛いのであまり外出したく無かったが、日本人として初詣を欠かす訳にはいかず、近郊の東松山市にある箭弓(ヤキュウ)神社へ出掛けました。それ程有名で無いせいかあまり混雑しておらず駐車場が無料なのも好ましく、心穏やかにお参りする事ができました。平安時代初期の創建で、「ヤキュウ」という語呂からプロ野球関係者の参拝も多いそうで、高名では無くとも由緒ある中々立派な神社なのです。それ以外の三箇日はテレビで駅伝に釘付けでした。私はスポーツ観戦の中で駅伝やマラソンが、人生ドラマを見るようで一番好きなのです。箱根駅伝では中央大学や城西大学の選手が棄権する姿を見て眼が潤み、下馬評に無かった日体大のアンカーが優勝のゴールを踏んだ後、号泣するのを見て貰い泣きしてしまいました。これは老化で感情の抑制が効かなくなったせいもありますけどネ。次は私の体調が回復し、マラソン大会で感涙のゴールをしてみたいものです。





 平成25年1月1日
 ジタバタと2012年を過ごすうちにアッいう間に新年を迎えてしまいました。毎年のように見る我家からの初日の出、2年前は上空に竜のような雲が現れ、私は吉兆と捉えたのですが、その後東北大震災に見舞われ大凶事の年となってしまいました。今年はブ厚い雲の合間から初日を拝みました。これをどう読めばよいのか、私は最初はスッキリしなくても、その後はスカッと青空のような1年になると懇願混じりに推察しました。個人的にも昨年から続く足腰の痛みが回復しないので、元旦の計は唯一、痛みから解放される事です。これを直さねば登山やマラソン等私の生き甲斐を実行できませんので、振り返ると10年前の正月は、胃癌の手術直後で、食事すら満足に出来ない状態でした。それを思えばこれ位軽い々々と自ら叱咤しています。
2013年の初日の出

2010年の初日の出




 平成24年12月31日
 年末の3日間、Fさん家族と峰の原高原へスキーに行って来ました。Fさんは私より10歳年下ながら長い付き合いの岳友です。私が登山に一番精力的だった若い頃、積雪期の北鎌尾根や西穂高〜奥穂高縦走、五竜〜鹿島槍縦走等のハードな山行は殆んど彼と一緒でした。遠い昔、正月山行を終えて山の汗を流した信州の秘湯で、湯治客のオバちゃんから「玉三郎」と呼ばれたほど好男子のFさんは、その優しげな風貌とは裏腹に我慢強い精神力と強靭な体力を持った山男で、色黒で四角顔の私とは全く異なるタイプなのだが、頼もしく信頼できる山仲間でした。歳月が過ぎ、もう一緒に山を登る事は無くなったが、年末のスキーツアーだけはFさん家族と恒例のように続けています。奥さんのN子さんとも山仲間なので、年に一度の再会は私にとって数少ない楽しみなイベントです。今回は腰の痛みで満足にスキー出来なかったのは残念だったけど、来年もFさん家族と一緒に楽しいスキツアーが出来れば嬉しい限りです。
峰の原高原スキー場にて





 平成24年12月28日
 ファッションセンスやお洒落何ていう言葉とは無縁の私は、普段着るものには無頓着で時折妻から嫌味を言われるのですが、最近着用する衣服の多くがユニクロブランドで占められているのに気付きました。シャツやジャケット、ズボン等ユニクロ製品は着心地が良くて低価格、しかも安っぽさがありません。今まで「しまむら」が中心だった私の下着もユニクロに変って若干グレードアップした気がします。中でも一番気に入っているのが茶色のライトダウンジャケット、軽くてコンパクトで暖かく、寒い冬場では欠かせません。日帰りハイキングでも重宝しています。しかし先日師走の繁華街を歩いていたら、行き交う老若男女多くの人がユニクロ製ダウンジャケットを着用しています。極端に言うと「石を投げたら当る程」私のオリジナリティーを否定されたようでチクリと傷つきました。それでもユニクロCMモデルみたいに颯爽と着こなせばまだ救われるのだが、ショーウインドウに映る我が身は、胴長、短足、白髪頭の冴えないオッサン、路頭に迷う失業者の風情、華やぐ繁華街で疎外されたような気分です。





 平成24年12月26日
 足腰の痛みがスッキリ癒えてもいないのに、信州へスキー初滑り行って来ました。上信道を北上し信州中野IC付近まで殆んど無かった雪が、そこを通過した途端見る見る雪景色に変貌、その先の黒姫高原スキー場は1m近い雪の中でした。この様変わりにはいつもながら驚かされます。スキー場は、休日にも係わらず客も疎らでパウダースノーと絶好の条件でしたが、私は昼飯として携行した揚げアンパンが当って腹痛を起こし脂汗が出る程で、又妻はセキが止まらず体調不良、半病人夫婦となってはスキーを楽しむどころじゃなくなり、早々に宿へ引上げ、温泉で疲れを癒しました。2日目は二人とも体調を回復し、天気も良かったのでまずまず楽しめましたが、いつまで経っても上手くならないスキーは相変わらずで、素質の無さを痛感したツアーとなりました。唯一の成果は今年購入したFF車のマイカーが、以前乗っていた4WD車と遜色なく走ってくれた事で、雪道運転にチョッピリ自信が持てた事でしょうか。
黒姫高原スキー場




平成24年12月22日
 私の住む町は埼玉県内の何処にでもあるようなありふれた所ですが、異状に多いと思われるものがあります。それは歯科医院とラーメン店とパチンコ店の三つです。どこの町でも同じなのかなといつも?に思います。歯科医院とラーメン店はそれぞれ地域の健康やグルメに貢献しているから選択肢が増えてありがたいのだけど、パチンコ店だけは嬉しく思えません。実は私の住むマンションの隣にパチンコ店が開業したので「潰れてくれ。」と念じたのだが、逆に大繁盛、平日でもAM9時半頃には長い行列が出来て何事かと思えば開店を待つ人々です。定年過ぎたオッちゃんや暇を持て余し風の若者、中にはチラホラとオバちゃんも、その人々に富裕な雰囲気は感じられません。こんな人達から吸上げた金で繁盛してるかと思うと不快な思いが募るばかりです。パチンコやゲーム依存で身を滅ぼした人の話はよく見聞するところ、不幸な人を生み出す可能性がある賭博に類する施設は、規制を強化して市街地から遠ざけてくれというのが、私の常々思うところです。





 平成24年12月20日
 今年も後僅かとなりました。月日の経つのは早いものです。先日の選挙は自民・公明が圧勝したけれど、震災復興、原発問題、財政赤字、領土問題、TPP交渉、格差社会等限が無い程、今も日本は問題山積です。微かな期待を込めて「安倍さん頑張って」と願わずにはおれません。こんな天下国家の大問題はさておき、私個人も現在二つの難問を抱えております。一つは今月初旬から痛めた脚・腰の痛みが充分回復しない事、今走るのはおろか長い歩きも辛い状態です。こうなったら今月一杯、駆け足、長距離ウォークは厳禁し、徹底的に休養します。根が怠け者だから休養自体は嫌いじゃありませんので、それでも直らなきゃ仕方が無い運命と諦め、高尾山辺りを目標に余生を過ごしたいと思います。もう一つの問題は、7年近く使っている我家のXPパソコンが寿命が近づいたとみえ毎度素直に起動しなくなってきました。騙し々使ってますが、ご臨終も遠くは無さそうです。そうなったらコヤツを葬り、新パソコンを買わねばならぬけど、いろいろ設定が面倒くさいなあ。ブログの師匠、ITOさん、確か水、木が暇と聞いておりましたが、その節はよろしくお願いします。





平成24年12月18日
 今回くらい何処に入れたら良いか迷った選挙は無かったですネ。各党はアレやるコレやると相変わらず調子の言いこと並べ立てていたけれど、その前にそれを実行する金を如何に生み出すか、つまり財政立て直しが一番肝要と私は思うんです。家庭に置き換えてもパソコン・マイカーが欲しい、家の改築したいと言っても先立つ金が無ければ何も出来ないでしょ。だから一番地に足の着いた政党を応援したいと思えども、そこが何処だか判らずじまい。結局選挙は自民・公明の圧勝に終り、今後どうなるか期待混じりに注目したいが、今までみたいに足の引張り合いに終始し、何も決められない政局だけは止めてもらいたい。地球温暖化の影響は遠い未来の事かも知れないが、日本衰退化の流れは近未来の出来事で瀬戸際の現実です。智恵を絞って効果的な政策を次々実行していかなければ世界第3位の経済大国日本は、北大西洋航路の処女航海に出港した「タイタニック号」みたいに沈没の運命が待つだけではないでしょうか。





 平成24年12月15日
 「明日の夜、双子座流星群を観に行かないかい。」山仲間のITO氏よりお誘いの電話がきた。その言葉のロマンチックな響きに惹かれ「ザッツ・グッド」と快諾した。観望場所は埼玉県東秩父村の堂平山頂に建つ堂平天文台側の駐車場、待合わせ時間にITO夫妻が巨大なカニを携えて現れた。豪華なカニ鍋の晩餐を終えた後、我々は流星群の出現を待った。双子座が天頂近くになる夜半過ぎがベストな観望タイム、夜空を見上げるとポツリポツリ流星が現れ始めた。「双子座流星群」と言うからには、双子座辺りから次々と流星が飛んでいくのかと思ったら、現実は1分間に1個程度が天空のアチコチから出現するに過ぎない。「双子座流星群」と呼ばれる理由は、個々の流星の軌跡を描くとその始点が双子座辺りになるからだそうです。テレビ等で報じたせいか夜になると次々と車がやってきてまるで夜祭りの様相、錯綜するヘッドライトの光が観望条件を増々悪化させる。氷点下の寒さに長く外に居られず、車から出たり入ったりを繰返し、夜が白み始めた頃寝袋に包まり仮眠を取った。パッと眼が覚めたら駐車場には誰も居らず、我々3人だけがポツンと取り残されていた。昨夜のカニ鍋をベースにウドンの朝食を食べた後、睡眠不足と寒さに疲れた我々は山を降ったのでした。変な姿勢で一晩過ごしたせいか私の腰の痛みが又再発してしまった。昨夜は日本各地で大勢の人が流星を観に行ったと思うけど、私みたいに具合が悪くなった人相当いるんじゃないかな。結論「冬の流星観望は辛い修行と思え、観るなら夏の流星群」




 平成24年12月13日
 地球温暖化と言われながらも早々と寒気が訪れ、日本海側に大雪を降らせています。「今年もスキーが出来るゾ」と喜び勇んだ私は、早速車のタイヤをスノータイヤと交換し準備万端です。しかしその時テレビでは新潟県の過半数が65歳以上という過疎化集落の、腰の曲ったお年寄りが雪掻きに汗を流す姿を放映しており、それをレポーターが「大変ですかア。」何て馬鹿げた質問(当たり前だろが、マイク突き付ける暇があったら少しは手伝え。)するのを観て、スキー関連産業に従事する人以外、雪国の人にとっては大雪は辛い作業を強いる迷惑至極なものという事を気付かされました。それをノーテンキにスキーが出来ると喜ぶ自己の軽薄さ思慮の無さよ。こんな性格だから出世とは無縁、うだつの上がらぬ人生を送ってきたんだろうね。




 平成24年12月11日
 クリント・イーストウッド監督の最新作映画「人生の特等席」を観てきました。マカロニウェスタンで売り出した若い頃の彼は全然興味無かったのだが、彼が監督し渡辺謙が主演した「硫黄島からの手紙」が大変面白くて、以降彼が監督・主演する映画は欠かさず観るようになりました。「頑固で一徹な老いた主人公が序々に心を開き、不正や不条理に立ち向かっていく。」というのが彼の作品のパターンでしょうか。今回の作品は、「大リーグのヴェテラン老スカウトである彼が身体の不調や娘との葛藤を織り交ぜながら、IC機器を駆使するライバルの若手スカウトを打ち負かす。」大雑把に言えばこんなストーリーです。舞台が野球界なので生死に係わる緊迫したシーンが無く、手に汗握るといった迫力ある場面が少なかったですね。そのせいかあまり人気も無いようで、休日というのに数えるほどしか観客も入ってませんでした。我家から至近距離にあるこの映画館は、暇人の私にとっては大変ありがたい施設なんですけど、こう客の入りが悪いんじゃ閉館されるのではと一寸心配です。





 平成24年12月9日
 数日前から右足付け根部分に痛みが発症し、昨日朝、顔をシカめていたら、「すぐに池袋病院で診てもらわなきゃ駄目よ。」と妻が恐い顔で言い、即病院に予約の電話をいれた。池袋病院は川越市近郊にあり、整形外科医の院長先生は腕が良いと評判で、以前妻も治療を受けた事があるのです。朝食もソコソコに病院へ行き、院長先生に診てもらったところ「脚の筋肉と神経が疲労過多の為、痛みを発しているんだろう。」との見立て、又「これ以上無理をすると炎症を起こし、筋肉や神経を痛めてしまう。」とも言っていた。それで昨日は仲間との親睦テニスをキャンセルし、そして今日は毎年参加して楽しみにしていた小川町ハーフマラソンを欠場しました。過去数十年間、年に数度はマラソン大会に参加している私は、途中棄権こそ2回あるものの事前の不参加は初めてで、残念無念の心境です。Butプロでも無いのにサッカーの中山ゴン選手みたいに脚を酷使して引退なんて、そんな無茶はやりたくありません。脚を壊してしまったら、山登りとジョギングしか取柄がない私の人生はモノトーンに染まってしまいます。振り返ると今年9月に発症した脚の故障も今回と同じ原因で、私の筋肉は老化で許容力が無くなり、「今までと同様のトレーニングは無理ですよ。」と身体が教えてくれたんですね。




 平成24年12月6日
 私以前ブログで、「脳の活性化の為、カーナビは使わない。」と豪語しておりましたが、主旨替えしてカーナビを買っちゃいました。パナソニックの最軽量、最安価格モデルの「ゴリラCN−GL32OD」ネット価格で¥24,100円、使ってみたら、こんな便利なものとは思いませんでした。今夏訪れた北海道は大雑把な地形だから道路マップと標識だけで何とかなったけど、今回旅した関西地方は細々した地勢なので、カーナビが無ければアッチコッチで立ち往生していた事でしょう。明治時代に、文明開化の象徴である蒸気機関車を嫌悪して鉄道導入に反対し、自分の住む郷里を寂れさせてしまった頭の固い御仁が居たそうですが、私もその御仁と大して変わらないなあと自戒しているところであります。





 平成24年11月23日
 11月は私の誕生月です。また一つ年齢が増えるので嬉しくも何ともないが、自分へのお祝いとして、今週末から1週間ほど関西の山登りに夫婦で行ってきます。もう一つ言い忘れた事があって、我々夫婦が数十年前に結婚式を挙げた月でもあります。その当時既に新婚旅行は海外が主流でしたが、金が無かった私達は、関西での山登りが新婚旅行で、今は無き「大阪行き、寝台急行”銀河”で出掛けたのでした。その時は、登山以外に奈良や京都見物もしたのですが、随分昔の事で殆んど覚えていません。そんな中で鮮明に覚えている事が一つだけあります。11月末の寒々とした時期に、大峰山系、八経山を目指して二人で登っている登山道で、大きな蛇と遭遇したのです。冬間近に出会うとは思わずビックリしました。多くの人と同じく私も蛇は苦手で、出来ればお会いしたくないのですが、昔の人は家に居つく蛇を守り神として敬ったと聞きます。あの時、寒さに耐える様にジッと横たわっていた蛇は、我々夫婦の末長き安泰を願って現れた神の化身ではなかったか。と私の脳裏の片隅に信じるものがあるのです。そうでなければ、水と油のように性格の違う我々が、今日まで一緒にやってこれた訳がありませんから。新婚旅行以来二人で訪れる関西の山、もしあの時の守り神と再会できるならば、感謝の思いを伝えたいものです。




 平成24年11月19日
 「キンは百歳ギンも百歳」で有名だったギンさんの娘さん達4人が90歳過ぎても揃って元気でいると、テレビの特集で放映していた。一般的に人は老化すると抑鬱症が進行して元気がなくなるという。そう言えば、私のブログの師匠であるITOさんも自身のブログで、「気分的に落ち込んだ訳」何て言っていたっけ。こんな事書いたら「俺は年寄りなんかじゃネーゾ。」と師匠から怒られそうだ。私自身が年寄りになる過程を振り返れば、「年齢を取ると人間が丸くなる。」何て真っ赤な嘘で、むしろ短気且つ悲観的且つ忍耐力低下等、精神的には劣化しているように思えます。「丸い」と言われるのは無気力なのと、長年の生活が培った良識で抑制しているだけの事です。因みにギンさんの娘さん達が元気な秘訣は、全員揃って毎日陽気におしゃべりしている習慣が、脳を活性化させているからだという事です。しかし核家族化が進む中で孤立するお年寄りは増加するばかり、陽気で社交的な年寄りになれと言われたって簡単にはいきません。考えてみれば私だって、日常の中で妻との会話は殆んどありゃしない。こんな調子じゃ遠からず呆けちゃうのかな。・・・・イカンイカンまた悲観的になってしまった。




平成24年11月17日
 野田総理突然の衆議院解散宣言、久し振りに緊迫した国会審議となりました。それに伴う一部民主党議員の右往左往振りには一寸唖然とさせられます。今までやってきた事に自信があるのなら堂々と選挙を受けて立てばいいのに、沈没船から逃れる鼠みたいな姿は見苦しいとしか言いようがありません。こんな子分達じゃ野田さんが気の毒になってしまいます。まあこれで贅肉みたいな日和見党員は皆振い落してしまえば、民主党の公約自体は間違っていないのだから、スッキリしてグレードアップした政党に進化できるんじゃないですか。次の選挙で野田内閣も多分THE END。しかしコロコロとトップが替わるなあ。1年毎の内閣交代がすっかり定着した感じです。日替わり定食ならぬ年替わり内閣ですネ。何十年も独裁やってる隣国よりは益しだろうけど、こんなリーダーでは外国からまともに相手にされず、国益を損なうのではと心配です。大統領選の時、敗者が勝者にエールを送る潔さに米国人器の大きさを感じましたが、与野党足の引っ張り合いに終始する器の小さい日本人に、今の体制がマッチしてるのだろうかと時折疑問に思います。





 平成24年11月15日
 一ヵ月後、ハーフマラソンに出場するので、昨日久し振りに長距離ロードを走ってきました。東武東上線の若葉駅をスタートし、川越を経由して板橋区、成増駅まで約3時間30分掛かりました。2時間過ぎた辺りからヘロヘロでしたけど「何としても県境は越えるぞ。」という執念でやっとゴールしました。まあこれだけ走れるならばハーフは完走できるだろうと一安心です。このコースは去年10月にも走っていて、その時に比べるとタイムが10分遅くなっており、順当に老化が進んでいるという事でしょう。前回走った時期は野田首相が就任したばかりでした。何故覚えているかというと、大震災直後に建設するというので糾弾された、国家公務員朝霞宿舎建設予定地がコースの側にあるからで、この時は野田首相直々に視察して中止となった記憶が強く残っています。それから1年経った今、震災復興予算の不正使用が数々批判されています。全く「浜の真砂は尽きるとも、世に盗人(不正流用)の種は尽きまじ)と辞世の句を詠んだ石川五右衛門の気持ちがよく判ります。





 平成24年11月13日
 幾日かに一度の頻度で「※※町の※※さん、※※才が今朝から行方不明になっています。お心当たりの方は・・・・」というようなお年寄りの行方不明に関する情報が、我が町の行政マイク放送から流れます。普段私は自分の年齢を気にするほうじゃないのですが、これを聞くと気が滅入ります。というのも行方不明者の殆んどは痴呆症を発症しているお年寄りで、その年齢が七十※才何て聞くと「俺も十数年でその年齢じゃないか。」と暗雲漂う未来が脳裏を覆うのです。しかし痴呆症になるならぬは神様のご采配、己の努力でどうなるものでもない。だったら思い悩んでもしょうがない。心身が健全なうちに、やりたい事をやっておかねばと思う昨今です。




 平成24年11月11日
 私は山登りが趣味なのでよく山間部の集落を訪れますが、山間部=田舎&過疎地ですけど、そこに行って感ずるのは「田舎のお年寄りは元気で明るく親切な人が多い。」という事です。部外者の訪れが少ないせいもあるのでしょうが、田舎では、家屋が大きく田畑や森林もあるので家事や農作業、そして地域の共同作業等、お年寄りに委ねられた仕事が多く必要とされている事が、お年寄りの活力となり元気と明るさをもたらしているのではないでしょうか。反面、都会では図書館や公園等で長時間ボンヤリ過ごすお年寄りを多く見掛けます。(私もその一員です。)それは都会のお年寄りはやる事が無く必要とされてないからだと思います。そして一様に精彩が無く暗く頑なな表情の人ばかりです。(以上の事は、私の独断と偏見の推測で、都会にも活力あるお年寄りが多くおられるのは承知しています。)我々は、他人を馬鹿にする意味の蔑称で「この田舎者」何て言葉をよく用いますが、お年寄りの世界では、「この田舎者」は元気で頑張る人への尊称で、他人を見下す蔑称は「この都会者」というのが正しい言葉遣いのような気がします。




 平成24年11月9日
 いつも山仲間達と一泊2日で会津の里に行って来ました。幾重にも重なる山襞の合間にひっそりと集落が点在する会津地方は、日本の古き良き原風景を見るようで本当に良い所です。特に紅葉時期の美しさは格別で、日本人に生まれて良かったと思うほどです。去年大震災から間もない頃訪れた湯の花温泉の本家亀屋さんは、客室が3部屋しかない小さな宿ですが、控えめだけど暖かい接遇と郷土料理の美味さにすっかり感激し、何時か山仲間と共に再訪したいと思っていたのですが、今回やっと実現しました。一緒に泊ったSTO夫妻、ITOさんそして妻も気に入ってくれたので、幹事役の私としては嬉しい限りです。残然ながら本来の目的だった大博多山登山は雨の為登れませんでしたが、しっかりと会津の紅葉を堪能できたので満足の旅でした。衝撃だったのは去年台風による大雨で甚大な被害を受けた只見川沿いの地域が、まだ水害の痕跡をアチコチに残している事で早く元の美しい風景を取り戻して欲しいものです。今回「大博多山登山」という宿題を残したので、来年もこのメンバーで挑戦できればいいなあ。
本家亀屋さんで  高清水自然公園の紅葉




 平成24年11月6日
 復興予算の無駄遣いもあってか震災被害地の復興は捗ってはいないようです。特に原発被害があった福島県の遅れは顕著なようです。以前、震災後に訪れた湯の花温泉の旅館のご主人が「震災を境にお客さんが全く来なくなりました。」と嘆いていた。「お客さんが来てくれるのが一番ありがたい。」とも言っていた。復興の支援作業が出来なくても、被災地東北へ観光に行く事だって立派なボランティアです。全国の金余りで暇を持て余したお年寄り達よ、海外旅行(特に中国・韓国)に浪費する位なら、その金を東北観光に使いなさい。と私は声を大にして言いたい。明日、我々夫婦はいつもの山仲間達と一緒に福島県会津地方に出掛けます。宿泊は湯の花温泉、本家亀屋さん(0241-78-2519)本物の源泉、素朴で美味しい料理、暖かいおもてなし、とても良いお宿です。皆さん美しまふくしまへ是非お出掛けください。




 平成24年11月5日
 8年がかりで製作されたという話題の映画「のぼうの城」を早速観てきました。この映画は珍しく埼玉県(行田市、忍城)が舞台になっています。今年6月に妻と東松山市から行田市までウォーキングした時、時間が余ったので忍城や郷土博物館等見物し、江戸の風情を残す街の佇まいとともにこの映画の存在を知り、公開を楽しみにしていたのです。映像の中に城を水攻めする場面があり、それが3・11の大津波を連想させるという事で公開日を遅らせたそうです。内容は戦国時代、成田長親率いる忍城500名の兵が、石田光成率いる豊臣方2万の大軍を相手に奇策を駆使して散々手こずらせるという、強きを弱きが挫く痛快なストーリーです。CG映像による水攻めシーンは確かに東北大震災の大津波を再現するような迫力で、震災前に公開していたら津波を予見していたのではと言われるかも知れません。主役の成田長親を演じた野村萬齋さんがハマリ役で、見終えた感想を一言でいうとスカッと楽しい映画でした。現代言葉が多くコメディーっぽい演出を嫌と言う人もいるでしょうが、娯楽映画としてみれば充分に面白くて、2時間半の上映時間がアッという間に過ぎました。




 平成24年11月1日
 所属している山の会から送られてきた今月号の会報を見て言葉を失った。会員のNさんが急逝されたという。今年7月会山行で南アルプス鳳凰山登山をした時、Nさんと私が担当リーダーだった。山行の2日間とも雨で生憎の天候だったが、Nさんの周到な準備と落ち着いた統率が山行を成就させた原動力となった。17名のパーティを導いて先頭を歩むNさんの力強い姿が、今だ記憶に生々しい。無事下山後、麓の温泉で隣り合った時Nさんが「疲れたネー。」と発したけれど、その表情に疲れは微塵も無く余裕シャクシャクの風情だった。私より年配なのに身軽な脚力、穏やかで温かみある統率力、経営者として社会人でも立派な実績を刻むNさんは、私等足元にも及ばぬ大きな人間性を感じさせた。鳳凰山の岩場を軽々歩いたNさんが、何故街中の転倒で命を落とさねばならなかったのか。現実の理不尽さに言葉が無い。次回の山行でも「お早うございます。」と明るい声と笑顔で、Nさんがバスに乗り込んで来るような気がしてならない。・・・・ご冥福をお祈りします。





 平成24年10月30日
 私の住む市は、特に知られた名所や旧跡があるわけでなく首都圏近郊の目立たぬ平凡な街ですが、僅かばかり良いところもあります。その一つが、我家から歩いて5分と掛からぬ場所に映画館がある事です。お陰で月に1〜2度は映画を観るようになりました。会員ポイントが溜まったので、昨日は無料で観て来ました。その映画は周防正行監督の「終の信託」、主演は役所広司さんと草刈民代さん、周防監督の映画は面白くて欠かさず観てますが、今回のストーリーは役所さん演ずる末期患者が、草刈さん演ずる担当女医に延命治療を施さぬよう信託し、患者に同情した女医が人工呼吸機を外して死を迎えさせた事が、後日裁判沙汰となり、女医は殺人罪で告訴されるという内容です。終末がそう遠くない私は、時折妻と終末医療についても話し合うのですが、「無駄な延命治療や、蛸足みたいに管で繋がれたまま死を迎えたくない。」と言うのが一致した意見です。同世代の多くの方もこれに同調されるのではと思います。現在運転免許証の裏面は、臓器提供の意思カードとなってますが、併せて延命治療拒否の意思カードも記載すべきではないでしょうか。膨大な医療費抑制や病院施設の効率的運用の為にも、世界一の老人大国日本は、それを必要としていると推察します。





 平成24年10月28日
 長年使っていた2槽式洗濯機が壊れてしまったので、新しい全自動洗濯機を購入しました。先日も雪用タイヤセットを購入したばかりで、立て続けの高額ショッピングは、年金暮らしの我家に手痛い出費となりました。消耗の激しいタイヤは、何年に一度は買い換えざるをえないのですが、洗濯機の方は、十数年間動き続けてくれたものです。それを購入した頃は全自動式が普及し始めており、既に旧式の感があったのですけど、長い間故障もせず黙々と働いてくれました。しかしとうとう限界に達したのか、水漏れを起すようになり、この度引退の運びとなりました。女性は即物的だから、妻は新しい洗濯機を単純に歓迎してるようですが、ウエットな心根の私は、頑張ってくれた古い洗濯機に惜別の情を禁じえません。今までの貢献に対し我家栄誉賞を贈り、感謝の気持ちを込めてお別れしたいと思います。





 平成24年10月24日
 地図で見るとゴマ粒みたいに小さな竹島や尖閣諸島を「俺の領土だ。」と日中韓が争い続ける限り、領土問題は永久に解決しないだろう。では力づく(武力)で奪い合うか。でも戦争の愚かさ悲惨さは歴史が物語っている。国のエライさんもそこまで馬鹿じゃないだろう。だったらそれぞれの国が領有権を放棄して、共同管理地域とするしか解決の道は無いと思う。私は一番の先進国たる日本が真っ先に領有権を放棄して、共同管理に向けリーダーシップを取るのが一番賢い選択ではと思う。こういうと「お前は在日中(韓)国人か。」と糾弾を浴びそうだが、日清戦争で「台湾と遼東半島」、日露戦争で「千島列島と南樺太」そして隣国朝鮮の領土を奪い取った過去を持つ日本が、太平洋戦争で敗北しながら領土分割もされず今日の再興を得た立場で、「我国固有の領土」に固執するのは説得力不足のような気もする。「名を捨てて身をとる。」ではないが、領土問題を解決し日中韓が結束して共栄圏を築けば、EUを凌ぎ米国に迫る巨大経済圏が誕生する。「岩屑みたいな島で争って、奴らはやっぱりイエローモンキー」と嘲笑い、黄色人種の紛争を内心喜んでいる欧米白人国家を見返して、東アジアを繁栄させる事は即ち日本の繁栄に繋がるベストな道となるのではないか。こんな意見を持つ私は、非国民なんだろうか。






 平成24年10月21日
 以前一寸働いていた添乗員時代の仲間達と会食に行って来ました。全員同じ団塊世代のオジサンどもで、相変わらず皆さんいろいろご活躍のようです。中にはまだ添乗員として活躍されてる人もおり、真っ先に脱落してしまった私は、末席で身を小さくして頷くばかりです。会食場所は、小江戸、川越市だったのですが、ちょうど川越祭りの最中でした。川越在住でいつも幹事役をやってくれるH氏の計らいで会食前後にお祭りの見所ポイントを見物したのですが、江戸時代から始まったという伝統あるお祭りは、笛や太鼓の音が場を盛り上げて豪華に飾った山車が30台近く蔵の街を練り歩き、賑やかで楽しく見応えあるものでした。毎年10月第3土日に開催されるとの事ですから、一度は見ておいて損は無いイベントですよ。自然志向が強く人里で行なわれる催しにはトンと興味無い私ですが、山歩きが出来なくなったら、全国のお祭り見物巡りをするのも悪くないなあと思いました。


 
小江戸、川越祭り(12.10.20)




 平成24年10月19日
 秋の信州、安曇野を旅してきました。観光見物、爺ヶ岳登山、キノコ採り等目一杯のスケジュールを満喫してきました。北アルプスの大自然、爽やかな気候、数多くの温泉、豊かな食材と、安曇野の魅力を掲げたら両手指でも足りません。今回は地元在住Fさんの山荘に宿泊させてもらいましたが、外国人留学生をお世話するボランティア活動を運営しているFさんの、留学生に係わる幾多の話題も面白く&興味深くて旅の印象を深めてくれました。今回同行した山仲間(先輩)のSATO夫妻、ITO夫妻とは、年に何度か共に出掛ける間柄だが、このメンバーだと100%の確率で愉快な旅になります。(私だけの思いだけかも?)私より年上なのに、両夫妻とも呆れる程多趣味で、海外へも日帰りバスツアー感覚で気軽に出掛けちゃうし、ものぐさな私は正直圧倒される思いです。いつまでも一緒の旅が出来る事を願ってますが、全員還暦ラインを早々と越えちゃった世代なので、健康だけが心配です。規則正しい生活、適度な運動、バランスの取れた食事を心掛けて、皆さんしぶとく元気でいてください。


 
F山荘でナメコの収穫




 平成24年10月14日
 日本の中で最も好きな場所は?と問われれば、私は「北海道と安曇野」を真っ先に掲げます。どちらかと言うと寒冷地になるこれ等の場所を好む理由は、魅惑的な山が数多く存在する事もありますが、南国九州で生まれ暑さにウンザリの体験が私に涼しく爽やかな場所を憧れさせるのでしょう。その安曇野へ夫婦で明日から出掛けます。そして天気が良ければ北アルプスの稜線にも登る予定です。上手くすれば素晴らしい紅葉が拝めるでしょう。たとえ登れなくても安曇野には沢山の美味しい食べ物や観光名所もありますから退屈する事はありません。一緒に行くのは山仲間(先輩)のSTO夫妻とITO夫妻、山麓の山荘で過ごす二泊三日の旅は楽しい思い出になるだろうと今からワクワクします。ストイックに一人で挑む登山も嫌いではないですが、心通う仲間達との山旅も私は大好きです。





 平成24年10月13日
 今夜のNHKスペシャル「日本アルプス大縦断、過酷な山岳レース」観た方もいらっしゃるでしょうが感動しました。富山湾を出発し、北アルプス〜中央アルプス〜南アルプスの険しい高山帯を駆け抜け、415km彼方の静岡県、駿河湾にゴールするという凄まじい山岳レースです。普通の人には、それぞれ個々の山に登る事さへ大変なのに、幕営装備を背負って一気に駆け抜けるのだから正に超人です。体力の極限に挑戦する無名のランナー(登山者?)達の熱い思いに胸打たれるとともに羨ましくもありました。私も20歳若かったたらなあ。(あの頃はフルマラソン2時間台で走れたんです。)・・・・何て言いつつ、こんな馬鹿げたレースは参加する気にならなかったでしょう。でも久々に見応えのある感動のテレビ番組を観ました。こんなマイナーな競技を放映してくれてNHKさんどうもありがとうございます。登山を愛好する者として感謝いたします。






 平成24年10月11日
 先日の植樹祭で負傷した右眼は、今日慈恵医大で再診したところ「白目の傷は塞がっていてもう大丈夫ですよ。」と担当医(美人の女医さんなので本音はもう少し通院したかった。)の見立て、あしたのジョーの丹下段平にはならなくてすみそうなので一安心です。ところで、このところ国難多事の日本で、山中教授のノーベル賞受賞は久々に明るいニュースですね。IPS細胞と言われてもよく判らないけど、文明の進歩は彼のような一握りの天才によって切り開かれるのだと実感しました。それに引き換え生産するのは排泄物だけ、貢献するのはささやかな納税のみ、社会の粗大ゴミみたいな存在の我が身に気恥ずかしささへ覚えます。まあそれでも世間様にご迷惑を掛けず何とか自立した生活を営んでおりますので、良しとしてください。そんな私が言うもの僭越ですが、文明の進歩は大いに結構ですけど原子力の例で判るように、進歩=人類の幸せと必ずしもならず逆に不幸の元凶にさへなる。そこが現代社会のアキレス腱のような気がします。我々庶民が望むのは、ささやかな安心と幸せが実感できる社会なんですけどね。





 平成24年10月9日
 ゴミと残土で築かれた東京湾に浮ぶ夢の島(一部)を森で覆われた島に変えようという、お役所にしては粋な事業が東京都の計画で進められています。近代建築物が林立する東京湾のド真ん中に緑に覆われた島があるなんて一寸感動ものの風景ではないですか。一般市民の植樹ボランティアも募集されており、昨日我々夫婦も参加してきました。自分の手で植えられた木が自分の死後も存在すると思うと何かワクワクします。植樹場所は、まだ立入制限されたお台場近郊の砂漠のような一角にありました。5年ほど前から植樹が始まり、3年以上過ぎた樹林はけっこう立派に成長していて10年後には森の島が完成するそうです。係員の女性に我々が植樹する場所まで導かれ、割当てられた区域で作業を始めます。最初はネットで梱包された苗木の束を取り出して一定の間隔で置いていきます。その作業中、妻が持上げた苗木の先端が私の右目に当り出血、本部にある救護所に連れて行かれ、看護師さんから消毒処置をしてもらった後、慈恵医大眼科まで行って診察を受ける事態となりました。担当医の話では「白目に傷がある」との事で、黒目に異常は無く痛みも無いので大した事も無く済みそうです。植樹が終ったら美味いものでも喰って帰ろうと思ったのが、とんだボランティアの一日となってしまいました。





 平成24年10月2日(火)
 一昨日、日本列島を縦断した台風17号は久し振りの大型台風でしたね。テレビでも当日の外出を控えるよう報じていたのに、駅で足止めくってる人々は懲りないというかバカですねー。と言ってる私もそのバカの仲間でした。台風直撃の最中、予約していたコンサートに出掛けたのです。よほど止めようと思ったのですが、支払い済みのチケット代が惜しかったものですから。悪天にもめげず集まった満席の観客は、殆んど40〜60代の中高年でした。それも道理で「アラウンド40メモリーコンサート」というコンサート名のとおり、中高年が青春時代を懐かしむという趣向なんです。(杉山 清貴)(沢田 知可子)(辛島 美登里)(中西 保志)と二昔前に一世風靡した実力派歌手4人がコラボしてのコンサートは素晴らしく大盛り上がりでした。それぞれ個性ある歌唱力とトークに魅了され、浮世の憂さを忘れてほろ苦い青春時代に浸りました。最後はスタンディングオーベィションとなり、久しく触っていない妻の手を握って諸手を挙げ盛り上がりました。興奮冷めやらぬまま劇場を出ると、外は強風が吹き荒れています。我家へ戻るマイカーは、風に翻弄され、街路樹はロックンローラーのように暴れて今にも倒れそうです。肝を冷やしながらの運転でしたが、これも余興と思えば、中々刺激ある道中でした。





 平成24年9月30日(日)
 全国的にみて地味な埼玉県の中で更に地味なのが、私の住むT市です。他所で聞いても、まず大抵の人は正しい場所を知りません。そんな目立たぬ我が町に何か目立つものは無いか、ズーッと考察していたのですが、一つ思い浮びました。T市は都心の池袋まで40分の通勤圏内にありますが、駅周辺の駐車料金が異常に安いのです。駅近で一日400円、一寸離れたら一日300円・・安いでしょ。T市より更に都心から離れた町の方が高い料金だから不思議なほどです。多分安い理由は、空地が多いT市には、駐車場が多過ぎて需要を上回り、安値争いの市場原理が働いているからでしょう。以前は駐車料金が安い=田舎町と思い込んでた私ですが、よく考えたら安い料金のドコが悪い。むしろ良い事ではないかと考えを改めました。そこで私の考えたスローガンが「日本で駐車料金が一番安い町」・・・だけど過疎地に行けば無料だろうから、正しく無い。では「大都市通勤圏内で駐車料金が一番安い町」・・・・このスローガンで目立つのは一寸無理があるかな。




 平成24年9月28日(金)
 民主・自民両党のトップが決まり、来たる解散総選挙でいよいよ政局が動きそうですが、政権が変わっても又脚の引張り合いを繰返し、重要政策を決められぬまま、日本はズルズルと三流国家へと地盤沈下していくのでしょうかね。これを打開するには常識を覆すような行政改革が必要と思いますが、そこで疑問に思うのは、行政トップの国務大臣に「何故国会議員ばかりが登用されるのか。」という現実です。勿論有能な人もおられるでしょうが、多くは適性に係わりなく年功序列や論功行賞で登用されているような気がします。大臣職は議員の勲章じゃありません。次期総理には、国会議員を除外してでも、広く国内から本当に優秀な人材をピックアップして官僚を操れる実力ある内閣を組閣してほしいものです。財務大臣に「大前研一氏」、外務大臣に「櫻井よしこ氏」等実現すると、私的には何か期待できそう何ですが。







 平成24年9月25日(火)
 丹沢山系の大倉尾根で、「丹沢ボッカ駅伝」なる風変わりな駅伝大会が毎年開催されています。何が風変わりと言うと、20sの砂利(又は水)をザックに収め、そのザックをタスキ代りに5人の選手がリレーして、山麓のスタート地点から山頂まで担ぎ上げる速さを競う、言わば登山者向けの駅伝大会です。山岳会や職場の仲間と共に、私はこの大会に過去10回近く出場しています。最初の参加は、他の山岳会の助っ人でした。その大会前夜、会場付近にテントを張った我々は、酒宴で大いに盛り上りました。その席で山岳会のリーダー氏が、「俺は何十キロもの重荷を背負い、アノ岩、コノ沢と飛ぶように登攀したもんだ。」と大言壮語し、それを聞いた私は凄い人だなあと感心したのですが、翌日駅伝が開始されると我がチームは、リーダー氏が大ブレーキとなって散々な成績でした。その体験から私は、「大言壮語する人は大した事無い人だ。」という教訓を得ました。それとは逆に「凄い人だ。」という本物の山男にも幾人か出会いました。その人達は、決して大口叩かず何気ない会話で凄さを知る。というのが共通点です。これは山の世界に限った事で無く、一般社会でも言えるのではないでしょうか。弱い犬ほどよく吼える。と同様、「俺が々々」と大言壮語する人ほど大した事は無く、本当に凄い人は黙して語らずとも漂う風格が教えてくれる。これが過去の体験から得た私の数少ない人生訓の一つです。






 平成24年9月21日(金)
 有名人で無くとも多くの人は、「これには自信がある。」という何がしかの自負を秘めて、これを拠り所に人生の荒波を克服しているのではと推測します。この自負が「囲碁の名人」「ITの専門家」「経済のスペシャリスト」等と知的分野であれば、年齢を重ねても日々の研鑽で衰えを防ぐ事も出来るでしょうが、私のように知的分野に縁が無く、登山やジョギング等で築いた「年齢の割には体力有り」だけが唯一の自負という、体力勝負の人間には老化は深刻な問題です。何故なら「老人の年齢増加は、体力に反比例する。」というピタゴラスの定理にも劣らぬ真理の法則が存在するからです。9月になって脚や腰に違和感があり、快適にジョギング出来ない日々が続いております。「老人年齢増加の法則」がいよいよ実証されて、私の唯一の自負が消滅すれば、拠り所を無くした私はどのように生きていけばよいのかと不安思う昨今です。







 平成24年9月19日(水)
 ヘタをしたら東シナ海海戦勃発かとハラハラしておりましたが、中国各地の暴動も沈静化の方向に向っているようにも見受けます。暴動に加わった野蛮人共は溜飲を下げたつもりでしょうが、あの映像が発信され、中国人及び中国政府の下劣な品性を世界に宣伝したようなものです。連中の低レベルに対応せず冷静且つ理性的に振舞えば日本はモラルの高さを世界から評価してもらえると思います。利は我にありです。民主・自民の総裁候補の人達も尖閣問題については勇ましい事を言ってるけれど、彼らは遠い所から吼えるだけですが、命を張って領海警備に当る海上保安庁の方々には真摯に頭が下がる思いです。彼らが安全且つ誇り高く任務遂行できるよう、国及び国民は物心両面でもっと熱い支援を送るべきでしょう。都知事の石原さん、十数億円の寄付金がまだ手元にありますよね。あのお金、海上保安庁に全額差し上げたらいかがですか。島を守る為だから寄付した人も文句言わないと思いますよ。





 平成24年9月17日(月)
 尖閣諸島を巡る諍いで日中間の緊張が高まっている。明日にも千隻を越える中国漁船が尖閣領海に到達するという話、これを海保の巡視船だけで阻止するのは困難でしょう。中国が南沙諸島でやった手口のように、恒久施設を島に構築し、第2の竹島となってしまうのではと懸念しています。国連に訴えても相手は常任理事国でコッチは後から仲間入りさせてもらったペェペェだから勝ち目なし。フォークランド紛争時の英国のように、軍事衝突を辞さないのか、憲法に戦争と軍事力放棄を謳った日本に、その勇気と決断が出来るとは思えません。日本人が血を流さなければ米軍だって「普段は文句ばかりの国の為に何で我々が犠牲になるんだ。」と出動しないでしょう。進退窮まる国難の時こそ求められる政治家の強いリーダーシップだが、以前何百人もの国会議員が貴重な国費を遣い、訪中したのは一体なんだったのか。太い信頼の絆を築く為では無いのか。中国のエライさんと一緒の写真を撮っただけでは国民を馬鹿にしている。あの時の団長だった小沢さん、この非常時こそ事態打開のために訪中すべきではないですか。肝心な時にダンマリでは「国民の生活が第1」という看板は、「我々の当選が第1」と改称すべきでしょう。






 平成24年9月15日(土)
 本当はあまり口外したくないのだが、春先から料理教室に月一で通っておりました。市が主催する市民大学講習の一環で題して「親父の料理教室」家庭内で粗大ゴミと化している中高年男がターゲットです。それを証明するように、最初の自己紹介では大半の人が「女房の勧めで」と動機を語っておりました。(恥ずかしながらかく言う私もそうです。)妻側にしてみれば、キッチンの戦力にというより、邪魔だから何処か行ってくれ。というのが本音なんでしょう。講習が進んでくると団塊世代男特有「俺が、俺が」の自己顕示欲剥き出しオヤジが自慢げな包丁裁きでグループを仕切りたがります。「料理出来るんだったら来るなよ。」と言いたい私は、そんな気力も無いので、専ら洗い物等の裏方で過ごしました。熱心に教えてくれるお婆ちゃん先生には申し訳ないんだけど、最初の一回目で嫌気が差し、小心者の律儀さで渋々通って一昨日最終受講日を終えました。お土産で料理レシピも貰いましたましたが、はっきり言って、料理に目覚めようなんて気は更々ありません。第1私は、「なんたらかんたら風なんたら」何ていう舌を噛みそうな名のややこしい料理より、八代亜紀が歌ってるように「サカナは炙ったイカでいい」し、トマトやキャベツは生で塩ふって食うのが一番美味いと思ってるんです。





 平成24年9月13日(木)
 先日テレビで、企業のリーダーたる社長後継者の人材不足が報じられていた。要するに「天下を取ったろ。」という野心家が減って、現状満足派が増えたって事でしょうか。そういう私も典型的な現状満足派の消極的人生を送ってきました。そんな世の中で、最終的には総理大臣を目指す、民主党、自民党の次期総裁選に我も我もと立候補されてます。過去、総理大臣になられた方を見ると、間違い無くマスコミを始め各方面から批判・叱責・罵倒され、身内からは足を引張られ、散々な目にあって例外無く人気凋落の道筋を辿っておられます。私なんかがその立場だったら精神的虐待に耐えかねて人格崩壊しちゃいます。こんな割に合わぬ地位を目指して立候補された方々の勇気には心の底から(嫌味でなく)敬意を表します。更に日本という国事態が、人口減少(国の将来を担う若者が減って、老人は増えるという最悪のパターン)、経済グローバル化で主要産業生産拠点の国外移転(多分近い将来には、老人介護サービス業が国の基幹産業となるでしょう。)、それから原発は見込めないから、地球温暖化に眼をつぶって化石燃料による発電が増大するので、石油・石炭・液化ガスの輸入代金で貿易収支は慢性的に赤字となり、国の資産はドンドン減少するでしょう。選挙になったら皆さん「財政を立て直す。国を変える。」と口を揃えて仰るが、こんな八方塞がりの国をどうして立て直すのか。魔法かマジックでも使わねば無理でしょう。正直今立候補されてる方々に、その力があるとは思えません。此処は日本におけるマジックの第一人者、Mrマリックさんを首相に引田天巧さんを幹事長で如何でしょうか。・・・・「やっぱり、これは無理ですか。?」







 平成24年9月11日(火)
 昔、中国の杞という国の人が「空から天が落ちてくるのではないか。」と恐れていた。こんな起こり得ない事を憂うのが、「杞憂」という言葉の意味だそうです。一般に我々大衆は、なんだかんだ不平不満をボヤキながらも「近所のスーパーや駅は人々で賑わい、銀座や新宿の繁華街は華やかな活気で満ちている。」こんな日常が永遠に続くと思い込んでるのではないでしょうか。だけど人間を含めた生物の命がいつか尽きるように、我々人類がいずれ滅ぶのも厳然たる真実です。その原因は「大隕石の地球衝突かor最終核戦争かor地球規模の大自然災害。」又その時期は、「遠い未来の事か。あるいは近い将来の事なのか。」、世界中に蔓延する核兵器や原発にテロ活動、マスコミを賑わす東南・南海大地震and大津波及び富士山大噴火等
こんな現状を鑑み「人類滅亡は、そう遠くない出来事なのでは」と憂う私の思いは、「杞憂」と言えるのでしょうか。








 平成24年9月9日(日)
 北海道の旅から戻って早一週間、やっと旅ボケが薄れ退屈な日常生活に慣れ親しんできました。さあこれからは社会のお役に立つ事を頑張らなくちゃと思いつつも、厳しい残暑に重い腰が中々上がりません。そんな中、登山以外の北海道の写真をまとめてみました。閲覧いただければ幸いです。

 






平成24年9月7日(金)
 今日やっと北海道の登山記録全てをHP(ブログ)更新終えました。文才が無いのにHP(ブログ)を作成する辛さを今痛切に実感しているところです。ここ数日パソコンを独占していたから妻は機嫌悪そうだし、私は私でパソコンキーを叩くのにアキアキしてきました。でも文章を綴っていると旅を振り返る事もできました。つい先日の事でいろいろあったのですが、過ぎてしまえば楽しい思い出ばかりです。あとは観光で行った所で、良い写真があったら載せていきたいと思います。







 平成24年9月5日
 私の大好きな高倉健さんが久し振りに出演して話題の映画「あなたへ」を昨日観てきました。既に観た方も多いでしょうが、荒筋は富山刑務所の刑務官役の健さんが亡き妻の遺骨を散骨する為、車で長崎まで旅するという内容です。久し振りの健さんは、寄る年波のせいか流石に昔の頑なな男気は薄れ、少しオジイチャンっぽくなった感じでした。映画の中では心優しき人々が次々と健さんを助け、演じられる富山や九州の風景も私には既知の所が多くストーリーの中に素直に感情移入でき、とても良い映画でした。一寸辛口批評させてもらえば、出演する役者さん達があまりにも豪華キャストなので、リアリティーを損ねた感があります。それに私の旅の経験から、「見知らぬ他人があんなに簡単に声を掛けてくるなんて、現実にはありえないけどなあ。」と思えました。でも映画だからしようがないか。車中泊するところと不器用な雰囲気だけは私と似ている気もするが、後は容貌、風格、性格、生き様等全て健さんの足元にも及びません。やっぱり健さんはカッコいい。






 平成24年9月3日
 昨日マイカーの一ヶ月点検を受けてきました。何しろ購入して一ヶ月余で4200キロも走り、そのうち砂利のダート道を200キロ以上走破してるので、タイヤのパンク以外にもアチコチ傷を受けているのじゃないかと心配してましたが、特に異常が無くホッとしました。ホンダの担当者に聞くと「今ホンダの車はスペアタイヤを付ける設定になっていない」そうです。道路事情が良くなって車は舗装道路を走るもんだと決め付けているんでしょうね。私みたいに時々砂利道を走る機会が多い登山愛好者は困った事態です。安価な予備タイヤを買って山に行こうかと思っています。
 ところで北海道の登山記録、序々に作成していますが、文才が無いので中々作業が進みません。溜息をつきながらキーをたたいています。





 平成24年9月1日
 一昨日の夜、北海道の山旅を終え一ヶ月ぶりに我家にへ戻ってきました。やはり関東の暑さと湿度は北海道とは異質ですね。この蒸し暑さに慣れるまで少し時間が掛かりそうです。昨日は西武ドームでプロ野球、西武〜ロッテ戦を観戦してきました。結果は中村おかわり君が試合を決定づけるホームランを打ち、エース涌井がピシャリと抑えて勝つ西武ファンにとっては堪えられない試合内容となりました。それにしても数日前まで日高の山中をさ迷っていたのに、昨日は埼玉でプロ野球観戦、このギャップ中々刺激的です。
北海道の登山記録は、オイオイ作成していきます。






 平成24年7月29日
 我家の癒し猫キキが亡くなって早1ヶ月になろうとしています。今だ淋しい想いは消えませんが、彼女が居なくなった事で我家を長期不在する事が可能になりました。それで早速今月末から夫婦で北海道の旅に出掛けます。目的は道内でまだ登っていない2百名山7座、3百名山6座の登山です。最初は妻と二人EASYな山から挑戦、基本車中&テント泊なので、そのうち嫌気が差した妻が離脱するでしょうから我家に追い返し、その後は単独でHARDな山に挑戦という完璧な計画です。私はモバイルPCなんて便利なツールを持っていないので、旅の間ホームページの更新は出来ません。が、同様の記事を載せているブログは携帯メールで更新可能なので、至急電報風に更新するつもりです。通信費が嵩むので長文&写真は載せません。私のHPをご覧になってる稀有な方で、ブログを見ようか何て物好きな方は、下記のアドレスで閲覧可能?です。もし私が熊に喰われず帰宅出来ましたら、HPとブログに詳細記事を載せたいと思います。

myブログ Fさんの山歩きや日々の記録  http://blog.goo.ne.jp/fukurai1






 平成24年7月25日
 「代官山にある○○というお店のスイーツ△△はとても美味しいの。パリで修業した素敵なパティシエが心を込めて作ったもので、上品な甘さが舌にトロけそう。」何て下らぬグルメ話を、ネタに困ったギャルタレ等が写真付きで自身のブログによく載せている。・・「何がトロけそうだ。舌がトロける前にお前の脳味噌がトロけるワイ。」と嫌味を言いたくなる位に、馬鹿げたグルメ話だけは私のブログに載せないと固く心に決めていたのですが、ネタが無いので禁を破ってグルメネタを一つご紹介、我家でエブリディ欠かさず食べている食品が二つあります。それは納豆とカスピ海ヨーグルト、納豆を常食する習慣の無い?北九州に生まれた私は、子供の頃納豆は大嫌いだったのですが、時が経つうちに何時のまにか大好きになっており、その時期とキッカケが今だ謎のままです。もう一つのカスピ海ヨーグルトは、山の先輩S氏の奥様F子さん(この方も山の先輩)からヨーグルト菌を譲り受けたもので、最初は健康の為と食べていたのが病み付きになり、アル中ならぬヨーグルト中になってしまった。お陰でその後私の腸は至って快調です。だけど今一寸心配が、実は今月末からしばらく夫婦で北海道の旅に出る予定だが、その間にヨーグルト菌が冷蔵庫の中で死滅してしまうのじゃないかと危惧しています。F子さん、もしこのブログを見ておられましたら、ヨーグルト菌が死滅した時、又譲っていただけませんでしょうか。





 平成24年7月19日
 極貧だった私の生家は、当然汲み取り和式便所で小さい頃は古新聞をペーパー代わりに使用していたほどでした。それが今では我家のトイレはウォシュレットに変り、便利な時代になったものだと思います。それゆえ困った事態も生じました。以前は平気だった山小屋の汚い便所や野糞(下品で失礼)に、現代文明に馴染んだ身体が拒否反応を示すようになりました。私の野生力が低下しているようで、山男としては由々しき問題です。ところで便利と言えば、先日岳友I さんの車に乗せてもらった時、装備されていたカーナビの便利さには感心させられました。「50m先の交差点を左に曲ってください。あと3キロは道成りです。」という風に優しい女性の声で懇切丁寧に導いてくれます。道を間違えても、不機嫌にも不貞腐れもせず(誰かにちょっと見習ってほしいよ。)再び次善のルートを優しく教えてくれます。私の場合、今までカーナビを使った事が無く、ドライブはロードマップと道路標識と私の地理カンだけが頼りなので、しばしばルートを間違えています。しかしこの方法だから、体験に基づく地理情報と地理カンが私の大脳皮質に刻まれているような気がするのです。脳の活性化を促す為にも、今後もカーナビは使う気持ちはありません。だから今回購入した車にも装備していません。この私の深慮なる思いを、妻は「単にケチだから買わない。」と思い込んでいるのが勺なのですが、







 平成24年7月17日
 昨日から猛烈な暑さが続きいよいよ夏本番ですかね。そんな中、やっと我家に新しい車(ホンダフリードスパイク)が納車されました。当初の予算をオーバーしましたが、エコカー補助金が間に合ってホッとしています。庶民にとって車はマイホームの次に高価な買い物、我家の家計も今日の熱風のように燃え上がりそうですが、たった一度の人生ですから、清水の舞台から転げ落ちる覚悟で手にいれました。最近の車はコンビニエントな機能が多すぎて勝手が判らず、ディラーから我家までの初運転はヒヤヒヤものでしたが、早く仲良くなって共に人生の思い出を創っていきたいと思います。先日新車を購入したばかりの岳友Iさんが、愛車の長期的無傷記録の達成を自身のブログに載せていたけれど、私もIさんには負けないぞ。



16日に納車されたホンダフリードスパイク




 平成24年7月14日
 私の地元T市の福祉協議会が主催した東北ボランティアバスツアーに参加して来ました。今回活動したのは、福島県南相馬市の南部に位置する小高地区、福島第1原発から20キロ圏内にあり、今年4月に立入制限が解除されたばかりです。とは言っても一時的な立入のみで住む事は出来ません。今日指示されたのは、放置され雑草に覆われた畑の草刈作業です。草刈機を手に私はエンジンを轟かせて雑草に立ち向かったのですが、今日は曇り空ながら無風、不快指数最高レベルの天候で、たちまち全身から汗が噴出し、身体を冷やす水も無いので休憩時にはノックアウト寸前のボクサー状態です。午後3時半の作業終了時には全身汗まみれ、心底疲れましたが、畑の持ち主80歳近い高齢の女性と、その娘さんの感謝の言葉に、少しでもお役に立てたという喜びが湧きました。それにしても復興されつつある岩手や宮城の被災地に比べると、原発に近い此処福島の立ち遅れは際立っており、海岸付近の被災車両は放置されたまま、直接眼にした南相馬市南部や飯館村の広大な地域は、家屋はそのままに人影が途絶えてデスゾーンと化し、不気味な雰囲気を漂わせています。東京電力にも言い分はあるのだろうが、これを見たら犯した罪は例えようも無く甚大で、今まで原発で良い思いをしてきた前会長K氏を始めとする東電幹部、関連企業幹部、関係高級官僚、推進した政治家等のOB達は、その全財産を投げ打ち、福島復興に身を捧げてもらわねば罪無く故郷を追われた福島の人々に報いる事はできますまい。


 
南相馬市小高地区の作業現場





 平成24年7月7日
 myブログの師である I さんが彼のブログで先日亡くなった猫(キキ)の事を載せてくれました。それにより多くの人がキキの存在を知ってくれたと思うと飼い主としては嬉しい限りです。ところで以前、私が胃と大腸の内視鏡検査を受検した時、疑わしき一部を採取され、昨日その結果を確認に病院へ赴きましたが、先生曰く「問題ありません。ピロリ菌も居ませんよ」と嬉しいご宣託、「キキが身代わりになってくれたんだ。」何て思うほど私はピュアじゃありませんけど、まず一安心です。病院へは渋谷行きの直通電車に乗ったのですが、都心が近づくにつれ車内は凄い混雑振り、久し振りに味わうラッシュアワーにサラリーマンや学生達の労苦が察せられます。夏も近づき女性の服装が大胆になると痴漢被害も増加するんでしょうね。痴漢犯罪の元凶は、加害者たる男共で弁解の余地もありませんが、女性も少し自助努力をすべきではと思います。ミニスカートに胸元大胆透け透けシャツでは男を煽っているようなもの、本気で自己防衛したい覚悟があるのなら、モンペに婆シャツ、丸型極厚フレームサングラス等の痴漢来なーず通勤ファッションで武装されては如何です。お洒落はTPOに合わせておやりになれば良いのでは、







 
平成24年7月5日
 昨日、ペット霊園で愛猫キキの火葬を行いました。 僅か数sの身体でしたから、30分程で骨となり小さな骨壷にスッポリ収まりました。数日前まで甘えてまとわりついていた命のあまりにアッケない幕切れに、心の整理が追いつかず夜中僅かな物音に、「キキが水でも飲んでいるのか。」と、そんな錯覚すら覚えました。僅かな慰めは、命が途絶える瞬間まで我々夫婦で見届けてあげられた事でしょうか。愛猫の静かなあの世への旅立ちは、いずれは赴く我々のお手本となってくれたような気がします。

黒猫キキ(享年15歳)



 平成24年7月3日
 昨夕から危篤状態に至り、苦しい息遣いを続けていた我家の愛猫(キキ)が今朝未明2時25分に亡くなりました。最後の息を洩らした後、魂が身体から離脱するのがよく分かりました。最後まで何も欲せず何も言わず、静かで立派な最期でした。死とは残酷なものですが、あらゆる苦痛から逃れて黄泉の国へ戻っていったのだと思えば、淋しさ悲しさも薄らぎます。そして彼の地で我々が訪れるのを待ち受けてくれる事でしょう。





平成24年7月1日
 私とそんなに年齢の違わぬ馴染みの芸能人の人達が相次いで逝去された報に接すると、何だか自分の番が近づいてきたような気がして薄ら寒い思いになる昨今です。そんな中、我家の猫(キキ)も数日前から具合が悪くなり、殆んど食を取らず片隅にうずくまったままです。過去に幾度か病から立ち直っているのですが、高齢なので今度ばかりは命の灯火が吹き消されそうな悪い予感がしてなりません。ペットを飼う人は同じ思いでしょうが、何をしてくれなくても小さな命が側に居てくれるだけで、無償の安らぎと潤いを与えてもらえるのです。小さな命でも、愛するものを失うのはやり切れない淋しさです。再び奇跡が起き、元気になってくれるのを願うばかりです。






 平成24年6月29日
 先週末は、立て続けに楽しい事と嫌な事がありました。楽しかったのは、「もらい泣き」が大ヒットした女性歌手一青 窈(ヒトト ヨウ)さんのコンサートに行った事です。彼女の素晴らしい歌唱力と会場の雰囲気が一体化して、とても楽しいコンサートとなりました。そして翌日は、都内の病院で胃と大腸の内視鏡検査を受検しました。毎年一度受検しているのですが、その都度苦しい思い(特に大腸検査)をさせられるので嫌になるのです。「じゃ受けなきゃいいジャン。」と言われそうですが、私の場合、9年前の胃の手術から経過観察のため欠かす事が出来ないのです。今回はベテランの先生が担当したので、そんなに苦しまず検査を終えましたが、その先生曰く「一寸腸が長めなので、屈曲箇所が多くてカメラが通りにくいのでしょうね。」との解説でした。身体的特徴を「長い」と表現するのは、「足が長い」、「手が長い」、「髪が長い」と一般的に誉め言葉として用いられますが、「腸が長い」というのは誉め言葉には感じられません。日本人は欧米人に比べ、腸が長めと言われてますから、私のお腹は純和風という事ですね。でも私の風貌は、南方アジア系とよく他人に言われ、以前交差点を歩いている時に見知らぬイラン人らしき人物から声を掛けられた程なのです。こうした身体の内と外のアンバランスが、私の性格を歪めてしまったのかも知れません。







 平成24年6月24日
 新聞販売店からタダ券を貰ったので、昨日妻と西武ドーム球場へ出掛けました。球場に付属する駐車場は割高なので、今まで電車ばかりだったのですが、近くの狭山湖畔に安い市営駐車場がある事を知り、今回は車で出掛けました。狭山湖堰堤の眺めの良い場所でランチを済まし、歩いて球場へと向いました。試合開始は午後2時、西武ライオンズ対オリックスのパリーグ最下位争いです。その割にスタンドは盛況で、土曜日というせいもあるのでしょう。試合は序盤に西武が四球とヒットを絡めて5点を奪いリードのまま、低迷するチームらしい投手戦でもなく打撃戦でもない緊迫感に欠けるイニングが続き、観戦するのもだんだん飽きてきました。それで気付いたのですが、西武ドームは我々の居る内野自由席で、最下部から最上部まで20m程の標高差があります。試合の間中、ビール販売の女の子達は重そうなビールタンクを担いで、蒸し暑いスタンドの中を何度も何度も上下しているのです。その労働量はヘタな山登りよりハードかも知れません。もしかすると彼女達の中から将来有望な山ガールが輩出するのではなかろうか。そんな感慨にふけるうちに試合はゲームセット、エース涌井が締めくくって西武が5−2で勝利しました。今回はグランドでプレーする選手達よりも、スタンド内で笑顔をふりまくギャル達に、応援エールを送りたくなった球場での一時でした。







平成24年6月21日
 私今まで日陰の人生を歩んで根性がひねくれてますから、「こんな事言ったら袋叩きにあうだろな。」という!!悪魔の囁き!!が時折良識の隙間から湧き出し、つい口走ってしまいそうになる事があります。エッどんな事だってですか。?それは、@ !!原発再稼動!! だって莫大な金使ってせっかく造ったのに勿体無いジャン。 A !!憲法9条廃止!! だって現実に戦闘機や戦車、軍艦を持った自衛隊(軍隊)が存在して、今更解散何て雰囲気無さそうジャン。B !!障害者や高齢者を除く健常者への生活保護費支給廃止!! だって仕事が無いと言うけれど、東北被災地では建設土木や警備の仕事は求人難という話だよ。餓死しそうという人には衣食住の現物支給という事でどうよ。・・・・と言うような事は、決して私の本意ではありませんから誤解無きよう願います。私の「良識」という制御棒が、!!悪魔の囁き!!を強力に制御しておりますから、外部に洩れる事は絶対ありません。でも惚けちゃったら一寸ヤバイかな。





 平成24年6月19日
 生活に直結する消費税を増税するのなら、国民に百害あって一利無しの煙草税を真っ先に増税すれば良いのにと喫煙習慣の無い私は思うのですが、以前NHK出身の某女性大臣が思いつきで口にしたら、「軽率だ。」と非難されて以降全く音沙汰がありません。これはひょっとすると、評判ガタ落ちの野田政権には珍しく、長期的視野に立った深謀遠慮な思惑が隠されているのではないかと、私は推測しました。
 ご承知のように日本は現在、世界に類を見ない速さで少子高齢化の道を進んでいます。身体に害を及ぼすと医学的に証明された喫煙習慣が廃れてしまえば健康なお年寄りが増加して、益々高齢化に拍車がかかります。高齢化の抑制には、一人でも多くのご老人が現世からあの世へ旅立つ以外にありません。そこで寿命を縮める手段として、喫煙がクローズアップされてきます。野田総理、ここはもっと積極的に喫煙推進の施策を図りましょう。@60歳以上の喫煙者には、煙草減税並びに煙草補助金の実施。A喫煙が原因で年金受領前に亡くなられた方には、勲章授与(仮名:紫煙国家功労章)等の優遇施策の実施。
 以上のような発言を、もし私が大臣の立場で言ったなら、「老人を何だと思ってる。人権侵害だ。」即刻糾弾され、直ちに罷免されるでしょう。でも私は単なる一般人、無責任な事を言っても誰にも責められない。(相手にされないとも言える。)一般人って本当に気楽で良いなあ。






 平成24年6月17日
 消費税増税がどうやら本決まりになりそうで、鬱陶しい梅雨空が益々鬱陶しく思えてきました。民主党のマニフェストについて今更言うのも空しいが、「4年間の消費税増税はしない。」という約束を「4年間を過ぎて実効するのだから公約違反じゃない。」という言い訳は戯言に過ぎません。「4年過ぎたら消費税を増税します。」と言うのが正しい言葉の遣い方ではないですか。
 東京電力が「オール電化はお得ですよ。」と言うのでオール電化マンションに入居したら、「電気の節約に努めましょう。」と真逆の事を言い始める。「エコカー補助金で今がお買い得」と自動車メーカーの宣伝に釣られたら、「予算オーバーで来月には打切りみたいですよ。」と販売員に水を差される。この国の政府や大企業の言う事は、怪しい健康食品のCMにも勝るいい加減さであります。しかし一番いい加減と思うのは。「安全を確認できましたので、私の責任で原発を再稼動します。」と説明した野田総理の言葉、正しくは「5千年に一度の災害にも耐えうるという安全は、福島原発で証明されたように60年に一度の災害でも耐えられませんでしたが、出来得る限り努力して安全に努めます。原発は稼動しなくても熱を出し続けるから稼動した方が得です。そうすれば電力不足は解消、石油の輸入が減り貿易収支は改善、電気代値上げも無くなり良い事尽くめです。稼動しなければ今まで原発に投入した膨大な資金が無駄になってしまいます。 エッ、万一大飯原発が爆発したらですか。?多分関西圏は壊滅するでしょう。勿論私に責任何か取れっこありませんから、その時は日本を脱出してください。それに備え脱出資金だけは手元に置くことをお勧めします。」野田総理、これが正しい説明ではないでしょうか。







 平成24年6月14日
 先日、妻が退職した為、最近二人で家に居る時間が増えました。そうするとどちらからとも無く「モヤモヤ〜」とした空気が充満する事があります。こんなときはベント解放しないと水素爆発ならぬ家庭内爆発の危険が発生します。我家におけるベントは外に出掛ける事が一番です。「何処かを歩かない。?」という妻の声で、昨日はウォーキングに出掛けました。東武東上線、東松山駅から歩き始め、国道407〜県道66をつないで荒川の畔に着きました。振り返ると我々の住む武蔵野の里の茫洋とした拡がりが望めます。昔の旅人達が此処に辿り着いた時、お江戸まではあと2日かと感慨も深かったろうと思われます。荒川に架かる大芦橋を越えるとと旧中仙道、吹上の宿を抜け、3時間余かかって到着した行田市街でウォーキングを終えました。行田市は私が東北自動車道羽生インターへ向う時通り抜けるだけの小さな町ですが、じっくり散策したら忍城を中心に各所に蔵が点在する中々風情のある城下町でした。歩く事で何気ない場所にもいろいろな発見があるものだと思いました。結局16〜17kmも歩いたでしょうか。帰り道、居酒屋で妻とささやかな打上げを行ないました。どうやら我家のベントは成功したようです。


行田市の忍城にて






 平成24年6月13日
 今回のボランティアツアーで見た被災地の状況についても触れてみたいと思います。最初に訪れた石巻市立大川小学校は昨年に比べると瓦礫も撤去され随分スッキリしていました。しかし周囲に建物は無く人気もありません。このまま大震災の記憶を残すメモリアルとなるのでしょうか。此処で思うのは何故100m程離れた山に逃げなかったのかという事。しかし被災当日は余震が収まらず倒木や山肌崩壊の危険もあったから責任者が決断出来なかった事情も理解できます。
 宿泊は牡鹿半島突端にある現在休業中のおじか家族キャンプ村コテージでしたが、そこへ向う海岸沿いの被災地は、概ね瓦礫の整理を終えているようでした。しかし眼の届かぬ磯や岩場には、まだ多くの瓦礫が残されたままです。次に訪れた女川町には、高さ20mもの津波が襲来したそうです。20m近い高台に建つ近代的な町立病院にも2mの津波が押し寄せたというから想像を絶する凄さです。幸いにも病院は復旧し、綺麗な施設に甦っています。しかし病院から見下ろす街並は壊滅したままで、横倒しになったビルが無残な姿を留めています。眼にした被災地は、いずれも瓦礫の撤去は進んでいるようですが、再建は手付かずという感じです。被災地の多くは漁業が主産業なので、海岸沿いの再建が一番良いのでしょうが、そうすると津波の危険度が高まります。このジレンマがネックとなって再建が進まないのではと推測されます。


 石巻市立大川小学校





 平成24年6月12日
 今年最初の東北ボランティアに行って来ました。今回は石巻市橋浦地区で田植えや鶏舎の掃除等の作業を行なったのですが、終ってみればボランティアというより農業体験ツアーと言った方が正解でした。六十数年日本人としてご飯で生きてきたのに田植えは初体験、知るのが遅すぎたと一寸悔やみました。場所を提供された農家の今野さんは無農薬有機農業の実践者で、肥料も自宅の鶏舎から出る鶏糞です。鶏の餌も自然のものが与えられ、その創意工夫や熱意と努力には頭が下がります。お昼は此処で採れたお米と卵の「卵掛けご飯」を頂いたのですが、あまりの美味さに素材の良さを実感しました。
 橋浦地区は、多くの犠牲者が出た大川小学校から遠くない場所ですが、現在「石巻茗荷村」建設プロジェクトが進んでいるそうです。此処は新たな交流の場を提供する地域コミュニティーで、近々ホームページも公開するとの事です。興味ある人は検索してみてください。申込めば地域外の人も賛助村民になれ、いろいろ優待特典があるようです。こういった被災地活性化プロジェクトを応援する事も立派な被災地支援ではないかと私は思います。
田植え体験         昼食会





平成24年6月8日
 今日から10日(日)まで東北ボランティアバスツアーに参加します。計画によると9日は石巻市の農家で田植えを行い、10日は鶏舎の鶏糞出し作業との事です。素人がやっても大して支援になるとは思えず、足手まといにならぬのが関の山でしょうが、こうして現地に出掛ける事が一番の貢献と自己満足しています。何しろ作業を終えれば温泉にも入れ、雨露凌ぐ屋根の下で寝袋に包まって暖かく眠れるのですから半分は旅行気分で気楽なものです。それでもボランティアに対する関心は去年に比べると随分低下しているようで、今回も満席とは程遠い17名の参加、私と同様暇を持て余している中高年の方々、ドンドン東北へ出掛けましょう。








 平成24年6月6日
 「金星の太陽面通過」という世紀の天文ショー当日の今日、嫌味なほど天気予報が当って涙雨の朝となってしまいました。とすれば晴れマークがあった新潟県へ行こうと車で出発しました。メンバーは「ぜひ一緒に観たい。」と昨夜我家に泊った岳友のI氏と我々夫婦の3名、関越道を北へ行けどもブ厚い雲は途切れず、「こりゃ駄目だな。」「こんな事やって我々も暇人だなあ。」ボヤキながら長い関越トンネルを抜けた途端、奇跡のように陽が差した。トンネル出口付近の土樽パーキングに慌てて車を停めて望遠鏡を組み立てると太陽に向けた。視野の中には太陽に接触したばかりの金星が、「観えたァー」と歓声を上げたのも束の間、数分で太陽は雲に隠れてしまい、再び現れる気配は無かった。我々は望遠鏡を車に積むと太陽を求め関越道を北上した。北陸道の米山辺りを過ぎた頃から日本海側より青空が拡がり始めた。やがて路上に陽が差した。上越JCT付近の大潟パーキングに車を停止させ望遠鏡を組み立てる。そして観ようとする直前、嘲笑うかの様に太陽は雲に隠れてしまった。だが天気は確実に良くなっている。待つ事数十分、再び太陽が現れた。望遠鏡で観る宇宙「白く輝く太陽とその表面に黒く浮ぶ金星」その姿は想像以上に厳かで神秘的なものでした。ふと辺りを見渡すと十名ほどの人々がそれぞれ観測に夢中です。物好きは我々だけでは無かったようですね。いやあ遠出した甲斐がありました。私の生きた証として今日の出来事は忘れないでしょう。(認知症になるまでは)同行したI氏と妻も同じ思いに違いありません。
       







 平成24年6月4日
 昨日、以前勤めていた職場のOB会へ行って来ました。年1度の開催ですが、去年は大震災で中止となった為2年ぶりの参加です。会場には懐かしい面々が揃い、現役の時はソリが合わず喧嘩ばかりした人とも、今は互いの思い出として笑い話に出来るのも時の流れのありがたさですね。話を聞けば鬼籍に入った方や療養中の方もおられて、此処に顔を出せる方々は恵まれた人生を過ごされているとも言えるのでしょう。
 ところで明後日は、金環日食に続く天文ビッグイベント第2弾{金星の太陽面通過」がありますね。次に観測できるのは105年後とあっては見逃す訳にはいきません。その為に金環日食時より1桁多い3千円の巨費を投じ、太陽観測フィルターを作成しました。と言えば大袈裟ですが、太陽光を十万分の一に減光するフィルムシートを丸めたボール紙に張付けただけの代物です。ネットショップで購入した10cm四方のフィルムシートの値段が3千円したという訳です。だけど、これにより太陽を直接望遠鏡で観る事が可能となり、今朝のテストでも太陽面に浮ぶ幾つかの黒点群を確認する事ができました。本番が待ち遠しくなりますが、どうも天気は芳しく無さそうです。当日我家で観れないならば、太陽を観れる場所を求めて遠出する決意でいます。






 平成24年6月2日
 昨日は一寸嬉しい事がありました。通院がてら都内に出掛けて夕刻我家に戻ると、玄関先に大量の「ワラビ」がビニール袋に入れて置かれていました。それは山仲間のSさん・Iさんが山菜採りに出掛けた新潟からの帰りに我家へ立寄ってお裾分けしてくれたものでした。山菜取りって言うとノドカそうな雰囲気だけど、実際は道無き原野を歩き、蛇やら棘やらありそうな藪に身体を突っ込んで採取する、けっこう過酷な作業何です。それが解るだけに多謝感謝、苦みばしった香ばしさと歯ざわりがビールのツマミに最高で美味しくいただきました。
 そして今日は一寸ムカッとした事が一つ、永さんのラジオ番組「TBS土曜ワイド」を聞いてて、あるリスナーからのハガキ「先日の永さんと○○さんの会談とても面白くて感銘を受けました。それに比べて野田・小沢の会談のくだらない事は・・・・」出演者には「さん」づけなのに。罪人でもない野田さんや小沢さんを呼捨てにしている。政治家は呼び捨てても良いと思ってるんだろうか。私も政治家の事をボロクソに言ったり書いたりしてるけど、その位の節度は弁えてますよ。このリスナーの出演者に対する阿り、諂い、ヨイショがミエミエで不快です。そのまま読む番組担当者の神経もおかしいよ。礼儀に煩そうな永さんがよく黙ってたなあ。


 
アク抜きを終えたワラビ





 平成24年5月31日
 単なる民主党の内輪揉めに過ぎない野田首相と小沢さんの会談を、何故大騒ぎするのかと首を傾げてしまう。それより大飯原発再稼動に関する首相発言の方が重要ではないでしょうか。世論は圧倒的に「再稼動反対」でしょうが、「再稼動」と聞いて内心ホッとした人が少なくないのではと私は感じます。今の街中を見渡せば、すっかり去年の3・11以前にリカバリーされており節電の痕跡等皆無です。本気で節電何て思ってる人は極少数じゃないのですか。?テレビだって本気で反対と主張するならば、「夏場の電力最大消費時間帯はテレビ電波を流さずラジオのみ放送します。」位の覚悟があってしかるべき、テレビを観なくて死ぬ人なんていませんから。でもCM収入が減るから絶対やらないだろうね。
 膨大な資金で築いた原発も使わなければタチの悪い巨大なゴミに過ぎない。それが稼動となれば、電力不足は心配なし、化石燃料の輸入も大幅減だから貿易収支も改善し、そうなると電気代値上げも無くなる。と良い事づくめ・・・・でも唯一つ問題は、もし万が一事故が起きたら日本は壊滅的という恐ろしい現実です。最後に東電が示した電気代値上げの根拠に、《東電社員のボーナスも含まれている。》と大ブーイングですが、感情的に理解できますけれど、私は消極的容認です。政治家ならば、田村亮子さんや横山ノックさんみたいな人でもかまいませんが、原発という恐ろしい施設を管理する東電社員に無能な人間では困ります。優秀な人材を確保する為には、ある程度の報酬は必要でないかと思うのですが。





 平成24年5月24日
 悩まされていた下腹の痛みがようやく薄らぎ、昨日辺りからジョギングが出来るようになりました。原因を考えるにタイヤ交換作業をした時に腹筋を痛めたのではないかと推測されます。これも老化の兆しでしょうね。
 ところで今朝の朝刊を見たら先日来疑問に思ってた事が社説として載っておりました。それは、ゲゲゲの鬼太郎映画に出れば「子泣き爺」としてピタリはまり役の輿石幹事長を使者として、野田首相が小沢一朗氏にお会いしたいと懇願している様子です。そんなに会いづらいのは小沢さんが地球の裏側のブラジル辺りにでも住んでるからなのかなと思ったら、何と彼の事務所は野田首相の所から僅か5分程の至近距離、しかも毎晩のように子分共と会合を重ねているという話、小沢さんが国を憂う正論をお持ちなら、首相官邸に乗り込んで直談判すればよいだけの事で、まるで日中首脳会談みたいに大騒ぎする程の事か。野田さんも野田さんです。貴方は仮にも国の宰相、民主党党首ではないか。何で子泣き爺(違った
輿石さんだ)を使者にして(一兵卒になる。)と言った平党員にペコペコしなけりゃならないのだ。これでは立場が逆ではないか。首相が命を賭けると言った法案を、与党が反対し野党の自民党が応援する。一体どうなっているのか。今の民主党は烏合の衆にしか見えない。それから小沢一朗先生、貴方は自分が被告の裁判を控訴されて「理解出来ない。」と言ったけど、私は貴方のヤリ口が理解できません。







 平成24年5月22日
 昨日は金環日食で日本中が大騒ぎでしたね。事前の天気予報は芳しくなかったものの本番は見事な観望日和、朝空に演じられる神秘的な天文ショーに心揺さぶられました。暗い出来事ばかりの日本にも何か良い事が起きそうです。時間はちょうど朝の通勤・通学時間帯、観望何てやってられない忙しいサラリーマンや学生達からは「何をノンキな事を、だからどうした。本当に良い事あるのかよ。」と嫌味の一つも言われそうですが、「それを言っちゃーお終いよ。」と寅さんみたいに言えない私は「だからどうした。」理論を展開されちゃうと続く言葉がありません。でも数十年しか存在しない人間は、悠久無限の宇宙からみれば泡沫みたいなもの。こんな事で生きる喜びを感じてもいいでしょう。地位・名誉・富・知性全て無い無いづくしのまま人生の後半を迎えた私は、「他人より少しでも多くの体験を我が身に味あわせて冥土土産にしてやりたい。」そんな思いが強くなっています。・・・・「だからどうした。」 ・・・・ 「・・・・・・。」

 
投影板の金環日食(制作費3百円なのでこの程度)





 平成24年5月20日
 明日は金環日食が観られるというので盛り上っていますね。私も若い頃天文カブレをしていた時期があり、その名残が写真の望遠鏡です。今風に紹介すると「口径65mm3枚玉アポクロマートレンズ搭載、極軸望遠鏡内蔵、F7.7タカハシ製TS−65P型赤道儀望遠鏡」という名称で、今は製造されていませんが、40年近く前のベストセラー機です。当時の価格で8万円以上、清水の舞台から飛下りるような心境で購入したのです。その後急速に天文熱は薄れ、長らく部屋の片隅で埃を被っていたのですけど、何百年ぶりに日本で観望できる日食とあってお出まし願いました。望遠鏡で太陽を観るには専用フィルターか太陽投影板が必要ですけど、メーカー品だといずれも万単位の価格です。それが惜しくて100円ショップで300円程の材料を買い太陽像投影板を自作してみました。妻には「オヤッ珍しい。」何て馬鹿にされながらも、今朝のテストでは不満足ながらも黒点の点在する太陽像を観る事ができました。明日は本番、でも前日夕刻の今上空は雲に覆われています。最近は不運続きの日本国、悲観的になりがちですが、こんな時だからこそ、太陽と月が描き出す金色の○を、日本の空に輝かせてもらいたいものです。


TS−65P型望遠鏡





 平成24年5月14日
 今朝起きたら右の下腹に鈍痛を感じた。普通の姿勢だと何とも無いのだが、屈んだり背伸びしたりするとズキッと痛い。その内直るかと思っていたが、だんだん痛みがましてきた。実はテニス仲間のEさんが都内の病院に手術入院していて昨日見舞ったのだが、一緒に見舞ったMさんと3人で「皆まだ盲腸が残ってるんだよね。」と話し合ったばかりだった。もしかすると盲腸炎ではと心配になり、近所の総合病院に行ってみた。待合室は凄い混雑で、「具合の悪い人がこんなにいるのか。」と少々驚かされた。随分待たされて、やっと外科で診てもらった。その後検尿・採血を経て、「検査結果からは炎症や胆石、腎石等は疑われず、筋肉痛ではないですかね。」とアッサリした医者の話、それを聞いた私はホッとする一方で物足らぬ感が無いでもない。「もし盲腸炎ならば入院・手術となり、寝ながらにして医療保険がガッポリ、それも悪くないなあ。」と取らぬ狸の皮算用が一瞬脳裏をよぎったのだ。結局鎮痛薬だけ処方されて帰宅したのだが、痛みはまだ直っていないし原因もはっきりしない。。ゆえに狸の皮算用は、私の脳からまだ消滅していない。
だけど人間っていう生き物は脆いもんですねぇー。この前までフルマラソンや雪山登山してた奴が、1箇所不調なだけで歩くのさへままならないのだから。






 
 平成24年5月8日
 一昨日、妻と北アルプス西穂高岳へ出掛けました。 これは妻にも黄金週間の気分を味わってもらおうという私の思いの計画でしたが、登山口の新穂高温泉ロープウェー駅に着いたら、何と大雨と強風の為に運行停止、昼過ぎまで待ってみたものの運行には至らず、登りの大部分をロープウェーに依存した我々の登山は、断念せざるを得ませんでした。結局6日は奥飛騨の神岡町を散策して新平湯温泉の宿で一泊、翌7日は松本市内散策後一般道をドライブして帰宅という単なる観光旅行で終りました。山岳遭難続出の折、この方が良かったかも知れませんし、妻の顔にもホッとした表情が伺えました。でも帰宅した私の胸の内には消化不良の胃袋みたいな気疲れが残りました。ところで中高年の登山については、いろいろ批判されてるようですね。確かに遭難は、各方面に多大な迷惑を掛けてしまいます。でも同好者の一人として私の心境は複雑です。春とはいえ雪山登山は厳しいものです。敢えてその困難に挑戦する中高年の心意気自体を、私はそんなに悪い事と思いませんし、好感すら覚えます。そう思うのは私が同じ穴のムジナだからでしょうかね。



 風光明媚な神岡の町





 平成24年4月28日
 私の所持する登山用具の中で一番長く使っているのは、「ホエーブス725」というガソリンコンロで35年程になります。オーストリア製で90年代には生産中止となっています。これを購入した理由は、当時所属していた山岳会で「ホエーブス625」という共同装備品の大型コンロがあり、いつも使っていたので個人的にも欲しくなって、少し小型の「ホエーブス725」を手にいれたのです。ガソリンコンロは着火と繰返し使用が面倒という欠点はありましたが、火力が強く、寒さに弱いガスカセットコンロに比べると、特に冬は格段の火力の強さでした。雪山で一人テントに居る時、ゴッーと音をたてて燃える炎には随分勇気付けられたものです。しかし経年劣化の為か、今年に入って2度ほど原因不明の故障で使用不能になり、已む無く「MUKAストーブSOD371」という日本製ガソリンコンロを新たに購入しました。新しいコンロは軽くてコンパクトで火力も強く、とても気に入りましたが、古い「ホエーブス725」も愛着があり廃棄するのは忍びがたく思っておりましたけれど、妻がオブジェとして活用するそうなので、別れずに済みそうです。

 
新旧のガソリンコンロです。





 平成24年4月21日
 「オラが町自慢の無いのが自慢です。」と言いたいくらい私の住む町には自慢できる名所・旧跡が一つもありません。ところが先日、市民農場に広がる黄色い菜の花の大群落に出会った時、オッこれは自慢できる風景かなと一瞬思いましたけど、菜の花畑と「菜の花祭り」と書かれたノボリ以外見るべきものは無く、気の利いたお店やレストラン一つ無いのでは、「何処にでもある田舎の風景だよ。」と言われても仕方ありません。そんな我が町ですが、私はけっこう愛着を持っています。まずはソコソコ都内から近い距離だし、ソコソコ自然のある田舎だし、ソコソコ買い物に便利なショッピングエリア(映画館だってある。)があるし、山登りに出掛けるのにもソコソコ便利な場所だしと、今まで中途半端且つ凡庸に生きてきて、ソコソコ人生を過ごした私には相性がピッタリ合い暮らし易い町なのです。じゃソコソコ人間ばかりが住んでいるのかと言われたら、イエイエそんな事ありませんよ。アノ女優、菅野美穂さんだって我が町育ち何です。(と言う噂です。?)しかしそれが事実でも、彼女は公言したくはないだろなあ。決してイメージアップにつながるとは思えないから。

 
市民農園に拡がる菜の花の群落





 平成24年4月18日
 北朝鮮ミサイルに対する日本政府の対応を批判するテレビ番組を観ていて、こんな例え話を思い浮かべた。北朝鮮君という不良が悪さをした事を連絡するのが遅れた級長の民主党君が、「何故連絡が遅いんだよー。」とクラスメートから吊し上げられているという話、級長には以前連絡を急ぐあまり誤報を流したという苦い経験があり、今回は悪さがクラスに影響無さそうだし慎重を期して連絡が遅れた。という言い分もあるのだが、元凶の北朝鮮君は蚊帳の外で、級長ばかりが糾弾される。しかし、まずは悪さをした張本人の北朝鮮君を糾弾するのが先決で、次いで級長に「間違ってもいいから早く連絡した方が良かったんじゃない。」と意見具申するというのが筋では無かろうか。テレビ画面で、目くじら立て口角沫を飛ばして政府批判ばかり繰り広げる野党議員、評論家気取りの芸能人や元スポーツ選手等を見ていたら、そんな気持ちになりました。それからもう一つ、「エムネット」や「Jアラート」やらいう国の情報伝達システム、あれ必要無いというか税金の無駄遣いじゃない。?メディアの情報網が行き渡った日本ではNHKさんなり民放さんなりに委託お願いした方が、よっぽど素早く情報伝達出来る気がするのだけど、実際テレビが速報を流した後に、お粗末な手書きファックスが自治体に送られているのを見て、そう思っちゃいました。






 平成24年4月16日
 昨日、霞ヶ浦フルマラソンを走って来ました。2年前の大会(昨年は大震災で中止)は4時間09分の記録、添乗員勤務で練習不足だった悔いがあったので、今年は準備万端、少なくとも2年前の記録は上回り、願わくば3時間台(サブフォー)もと意気込んで臨みました。好天微風、絶好のマラソン日和の中、スタート地点に立ちました。何しろ霞ヶ浦マラソンは東京、大阪に次ぐ日本第3位1万9千人参加の大規模大会なので、スタートラインを超えたのが号砲から4分後、とに角スタミナ温存だけを考えて走りました。10キロ通過はサブフォーペース、20キロを過ぎた辺りから左足フトモモがピクピクし始める。痙攣の前兆です。発症せぬようフォームを変えながら走ります。まだスピードはサブフォーペース、しかし2年前と同様、30キロ地点が限界でした。以降スピードはめっきり落ち、他のランナーにドンドン抜かれていきます。一方フルマラソンは非情なもので、爺いの抜け毛のように数多くのランナーが脱落(歩き始める事。)していきます。私は歩く事だけはしないぞと、ともすれば止りそうな脚を騙し々々走り続けますが、ゴールまでは気の遠くなるような距離を感じます。盲人の女性ランナーに抜かれ、タイヤキや蟹のヌイグルミのアンちゃんに抜かれ、ゴール間近ではハニーちゃんコスチュームのギャルにも抜かれてやっとゴールしました。脚を止めた途端、フッと意識が遠のき思わず両手両膝を地面につきました。こんな私の執念のゴールを待ちきれず、妻は優勝したアノ埼玉県庁の星、川内優輝選手の表彰式を一生懸命撮っておりました。どうせ居てもまともな写真は撮れないだろうからアテにはしてませんでしたけど。やはり60代過ぎたらどんなに努力しても筋力の低下を止めることは出来ないなあと実感しました。今回は完全燃焼です。これで納得してフルマラソンを卒業します。最後に今回の記録ですが、4時間15分48秒(総合順位6138位/16494人中)これが私の卒業成績でした。

 
記録証を手に




 平成24年4月11日
 今度の日曜日、霞ヶ浦フルマラソンを走る予定です。おそらく私にとっては最後のフル挑戦となるでしょう。そのため毎日ジョギングを欠かしませんが、現在疲労がピークに達しベストとは程遠い状態です。これは連日同じ筋肉ばかり酷使するせいだと思い、異なる筋肉の活用を図るべく、一昨日単独ハイキングに出掛けました。行った場所は奥多摩の山で古里から川乗山〜本仁田山〜鳩ノ巣駅の行程、実はこのコース、登山を始めた40年近く前の初冬に逆コース(一部異なりますが)で歩いて以来です。まだ20代半ばで上京したばかりの私は、不器用で気が利かぬ性格から仕事もパッとせず、又赤面症で社交性が無いため恋人は勿論親しい友さへ存在せず、山へ行く事でしか心の淋しさを癒せなかったのです。日々の鬱屈を抱え込んだまま、冷え冷えとした山野を一人黙々と歩む若き頃の自分、その淋しげな姿を思い返すと愛おしささへ感じます。そして老境へ向わんとする今の私が同じ道を歩んでいる事にありがたさを感じています。さてハイキングの効果は、今度のフルマラソンに発揮されるでしょうか。密かな目標はあるんですけど、多分無理だろうから口外いたしません。





 平成24年4月5日
 昨日、西武ドームの開幕戦に行って来ました。本当はその前日が開幕だったのですが、爆弾低気圧のせいで一日順延したのです。ご存知のとおり西武ドームは雨避けの天井だけで壁が無く吹きさらしなので、花冷えだった昨日はブルブル震えながらの観戦でした。試合は開幕から3連勝と好調のロッテが2−0で快勝、ロッテ先発グライシンガーの前に西武打線は手も足も出ず、ただ一人長打を放った高山も三塁で憤死、唯一盛り上がりが判定抗議で西武のコーチが退場させられた時だけでは、西武にとって今宵の天気同様、お寒い試合内容でした。まあファンでも無くタダ券貰って暇つぶしで来ている私にはどうでもよい結果ですが、そのせいでしょうか。短パン半袖姿でビールを売り歩くギャル達に声を掛けるお客さんもあまり見受けませんでした。しかし球場のビールは高過ぎですね。一杯800円とは山小屋のビールより高いです。今風ギャルながら一生懸命ビールを売る彼女らには好感を持つものの、ケチな私は此処でビールを買おうとは絶対思いません。





 平成24年4月2日
 与党内で消費増税反対に尽力しておられる小沢一郎氏と亀井静氏に、老い先短いのに余分な金はビタ一文払いたくない高齢者を代表して私厚く御礼申し上げます。過って党首選で負け「一兵卒として頑張る。」という口とは裏腹に陰でいろいろ画策する小沢さんと、エラソーな態度の割りにアッサリ子分に裏切られた亀井さんが増税反対を唱えるのは、国の行く末を憂いてと言うより、国民に嫌われて選挙でボロ負けし自己の勢力が凋落する事を恐れているからだとミエミエに推測できます。「特別会計から金を出せる。」と言ったって、そんなの今の民主党に出来っこないのは2年間の政権運営がしっかり物語っています。でも財政赤字が野放図に増え続ける現状では、日本の将来を担う子供達があまりにも可哀想です。多分多くの才ある若者や実力のある企業は海外へ逃避する道を選ぶでしょう。そうなると行く末は、無能な若者と衰退企業と大勢の我儘な老人だけの借金大国日本、何というオゾましい未来図でしょう。私があの世に旅立つ前にそうならない事を切に願っております。





 平成24年3月23日
 還暦過ぎた私ですが、時々若い女性からお誘いの電話があるのです。彼女はN証券K支店に勤めています。 そうです。それは私的感情0、ピュアーな営業の電話何です。些少の金額を預委しているので現況報告という訳です。年に数回サイクリングがてらK支店を訪れますが、NHK女子アナ風雰囲気の彼女が説明する経済専門用語のオン・パレードに、解った振りしてフンフン頷きながらもその半分程は理解不能です。気の弱い私はなるべく彼女と目線を合わさぬようにして、最後はヤル気の無い官僚みたいに「検討してみます。」と答えて家路に着きますが、背中のザックはパンフレットのお土産がドッサリ、思い起こせば私が株や投資信託を始めた頃は、丁度バブル崩壊後のリバウンド時期だったので、面白いように値上りが続き、「投資何てチョロイもんだな。」と甘く見ていた私ですが、リーマンショックで一転、急坂を転げるように値下りし、その後は資料を見るのも嫌になっちゃいました。再びあの頃みたいな値上りを期待しているのですが、急速な老人大国化が進む日本では私の生きているうちは無理でしょうね。






 平成24年3月20日
 一昨日の日曜日、熊谷市さくらハーフマラソンを走って来ました。さくらと言う名称とは裏腹に今年は寒さのせいで花一輪咲いておりませんでしたが、熊谷市運動公園をスタート・ゴールにしたフラットなコース、曇天・風弱しというマラソンには絶好のコンディション、私の体調もマアマアで、先月走った荒川ハーフより相当良いタイムが出るかと思ったら大して変らず、どうもハーフ1時間40分台前半が届かなくなってきた。老化がジワジワと筋力を低下させているのが実感させられます。40代の頃は女性ランナーに抜かれる何て滅多に無かったのに最近は抜かれ放題です。記録に治する意欲が薄れていく反面、ピチピチギャルランナーの後姿を見る機会が増えたワイとニヤニヤする私は、スポーツマンシップには程遠いオジサンランナーと化しつつあるようです。






 平成24年3月17日
 山登りがコンセプトの私のHPも、寒さのせいか冬はスキーの方が多くなるようです。どちらも山を舞台にするという点では共通しておりますけれど。私のスキーは40年ほど前に北海道で勤務していた時が初体験でした。北海道の人は皆一様にレベルが高く、幾度も転倒する私の脇を小さな子供達が嘲笑うようにスイスイ滑って行くのです。その屈辱的体験が私をすっかりスキー嫌いにさせ、北海道滞在中二度とスキー場へ足を向けませんでした。スキーを再開したのは東京近郊に移り職場や山岳会の仲間達に誘われてからです。関東のスキー場は私と似たレベルの人が多く、見栄っ張りの私もさほど劣等感を覚えなかったのが続けてこれた理由でしょう。白銀の世界で雪煙を上げて仲間と共に滑るのは確かに爽快で楽しいものですが、一人で行った時等、リフトと滑降を繰返す行為がまるで「巣箱の車輪を夢中で回すハツカネズミ」のようで、空しさを覚えることもあります。それでもスキーを続けているのは、華麗な滑降を夢想しながらいつまでも上手くならない自分に「ああすれば・・・・こうすれば」と思う向上意欲があるからでしょう。それが無くなったら私のスキーが終る時だと思います。





 平成24年3月12日
 大震災はいずことグルメやお笑いタレントばかりだったテレビ番組も、地震発生から1年を迎え、競うように災害報道をしています。改めてその映像を観ると、災害の甚大さに眼を覆いたくなる思いです。中でも福島原発事故という人災は被災地に深刻なダメージを与えました。その対応について、東電そして当時の菅総理が多くの批判を浴びてますが、果たして彼らだけでしょうか。無いと言った水素爆発を追求された某原子力安全委員長、「総理からきつく言われたら誰も何も言えない。」と頭を抱えたという。まるで先生に叱られて泣いてる小学生の言動、こんな人物が原子力の安全を司る組織の長とは情けないの一言。こんな組織しかない日本は、原発を持つ資格が無いと言わざるを得ません。それから「菅首相は極刑に値する。」と言った自民党の某議員、そもそもいい加減な原発行政を推進したのはアンタの党ではないか。それを棚に上げて非難する鉄面皮には呆れてしまう。後もう一つの元凶、湯水の如く電気を浪費し続けてきた国民、「原発を廃止しろー」と糾弾する人々は、同じ様に「電気の無駄使いをするなー」と国民にも叫ばねばなりません。






 平成24年3月10日
 昨日は一日雨の予報、一日中家に居たら気詰まりになりそうでなので、スキーの怪我が直りきらない妻を残し、都内へと一人出掛けました。新聞販売店から入場券を貰っていたので、浅草演芸ホール「東洋館」へ向かいました。JR山手線の車窓から見えるビル群の中では、多くの人が忙しげに働いています。もうすぐ1年目となる東北大震災を思い起こし、今発生したらあの人々はどうなるのか。といらぬ危惧が浮びました。
 有名芸人が出る訳でもなく平日なのでガラガラだと思ったら、以外にも4階のさして広くない劇場内の席は満杯で、立ち見の人差へ見受けます。殆んどが団塊世代以上の人ばかり、意外な盛況に一寸ビックリです。演芸見物等、私には初めての体験で、大して期待もせず観ておりました。始めに出てくる若手芸人達は、熱演すれども観客の笑いを呼ぶには程遠く、パラパラと気の乗らぬ拍手だけのいわゆる寒い、スベる芸が続きます。でもベテラン芸人さん達の出番になると観客の笑いが絶えなくなってきました。上手い芸人さんはお客を笑わすツボをしっかり掴んでいるんですね。八十何歳の芸人さんが演ずる達者な芸には、思わずウーンとうなってしまいました。飽きたら途中退席しようと思っていたのに、だんだん面白くなっていくので、結局12時の始まりから16時半のトリまで席を立ちませんでした。まあ2千5百円の正規料金を払ってまで観ようと思いませんが、明るい未来を描けない世情で、こんな笑いもアリかなあと感じました。





 平成24年3月3日
 久々に感動的な映画に出会いました。スティーヴン・スピルバーグ監督製作による「戦火の馬」、今話題の映画なので、観る人も多いでしょうが、内容は、「第一次世界大戦の頃、英国片田舎の貧乏な農家の少年が育てた馬が、貧困ゆえ軍隊に売られて戦場で数々の危機を乗り越え、最後に兵士となった少年と奇跡的に再会し故郷へ戻る。」というストーリー、馬の自然な演技が素晴らしくて何故にあのように演じられるのか不思議にさえ感じます。ラストシーンの気高い馬の表情に、怠惰な日々で締まりの無い己の風貌を重ねて、恥じ入るばかりです。映画は同時に戦争の悲惨さも描いており、民衆から徴集された兵士が虫けらのように死んで行きます。それは70年程前には日本でも現実の出来事だった事でもあり、私は今更ながらに、平和で自由のある時代そして国に生まれた幸運を深く感謝しないではいられません。戦争の残酷さに比べたら、「消費増税」も「財政赤字」も「少子高齢化」も蛙の小便程の悩みですよ。





 平成24年2月29日
 昨日の天気予報が、「未明から明日に掛けて関東平野でも雪が積るでしょう。」と言っていたので、朝起きてソッと外を覗くと、予想違わず薄明に雪景色が拡がっておりました。朝夕、通勤通学の人々にとっては迷惑至極な降雪も、その必要の無い私には白い世界が目新しく思え、一寸嬉しい気分です。庭駆け回る犬じゃありませんが、こんな時は外へ出掛けたくもなります。「ちょっと歩いてくる。」と妻に言い、軽登山靴とゴアの雨衣を身につけ、雪降る中を外へ出ました。北国と違い関東平野の雪はベチョベチョの湿雪なので、自転車や歩きの人は難渋しながら行き交っておりました。大して目的の無い時、私は概ね市の図書館へ向います。我が田舎町はロクな公共施設はないのですが、唯一図書館だけは立派な建物で数少ない自慢できるものです。でも市長が変った途端、図書購入予算を削られ、保有する蔵書は大したものはありません。普段はジジイ共(何故かババアは少ない。ジジイは行き場が無いんだネェ。)で満杯のソファーも、雪のせいか今日は閑散としています。お陰でノンビリ居眠り&読書が出来ました。そして夕刻我家へ戻ります。妻も日中一人になれて、さぞかしセイセイしたに違いありません。こうして今日も雪が降った以外、何事も無く終えようとしています。





 平成24年2月26日
 スポーツ番組の中でマラソン中継は最も好きなものの一つだが、東京マラソンだけは癪に障って観たくない。と言うのも毎回申し込んでいるのに落選続き。アイドルや芸人は走らせるくせに一般人が参加するのは至難の技です。去年何か落選後に。「10万円払えば参加できます。」何て通知がきて、「金満東京都が何てセコイ金儲けやるんだ。」と頭にきました。でも今回は、川内選手の活躍が見たくて最初から観戦しました。結果は久々に日本人選手(藤原新選手、2時間7分台で2位)がトップを伺う大健闘で、見応えのあるレースでした。残念ながら川内選手は2時間12分台の低調な記録でしたが、市民ランナーである彼の活躍が、他の日本人エリートランナーの闘志に火をつけたのではないでしょうか。?オリンピック男子マラソン代表は、藤原新選手以外まだ混沌とした状況ですが、個人的心情としては、不利益を承知で果敢に走った好青年、川内優輝選手を日本代表として日の丸のユニフォームで走らせてやりたいものです。





 平成24年2月24日
 先日、我家のマイカーが3度目の車検を終えました。という事は、7年間使い続けたという事でもあります。人間が老化で身体にガタがくるように、酷使される車はそれ以上にガタがきています。私の愛車(カローラフィルダー)も、外見はそんなに劣化して見えませんが、車体底部やブレーキ廻りは錆びがひどく、幾つかの部品も交換せねばなりませんでした。修理代がけっこうな金額となり、マイカーは贅沢品だなあと痛感させられますが、彼(私の愛車の事です。)は7年間、愚痴や文句一つ言わず、サボりもせずに約10万kmも走ってくれました。彼と一緒に数え切れない程の場所を巡り、一夜を供にし雪や雨、寒さから私を庇ってくれました。彼との別離もそう遠い事ではないでしょうが、その時は、きっと懐かしい思い出が走馬灯のように脳裏をよぎり、惜別の情ひとしおでしょう。





 平成24年2月13日

 昨日、北風の吹く中、荒川沿いを走る赤羽ハーフマラソンを走って来ました。気合の割りに記録は伸びず、1時間48分と12月に走った小川町ハーフより3分も遅く、冷徹な数字が我が身の老いを教えます。同じ市民ランナーでもタレントの猫ひろしさんは凄いですね。先日別府フルマラソンで記録した2時間30分は市民ランナーの域を超えています。過去何回かフルを走り、最高記録がやっと2時間57分の私には、彼の強さと努力がよく判り畏敬の念すら覚えます。ただ彼がカンボジア代表でオリンピック参加を目標にしている事については、一寸違和感を感じます。彼の記録は市民ランナーとしては立派でも、オリンピック種目となれば男子は勿論女子でも入賞する事は無理でしょう。オリンピック参加だけが目的で、カンボジアのレベルの低さを利用して代表になっても、カンボジアの人々は決して良い気持ちはしないでしょう。ネコさんが日本とオサラバしてカンボジアに骨を埋める覚悟であれば、又話は別でしょうが。
  

  

 



 平成24年2月9日
 最近、沖縄駐留の米軍に返還の動きが騒がしくなってきたようです。沖縄から米軍が撤退する事は私も良い事だと思いますが、そもそも沖縄に米軍が駐留する発端は、日本が宣戦布告無しにハワイを奇襲攻撃した事から日米戦争が勃発、国力の差で沖縄まで攻め込まれて日本は敗れ、米軍に居座られたのが現状でしょう。戦勝国の利権で、沖縄を自国領土とする事も出来た米国は、気前がいいのか駐留軍付きながら日本へ返還してくれました。一方日本にはもう一つ占領された国土があります。北方四島です。ソ連が日露不可侵条約を破って終戦間際のドサクサに侵略した四島は、面積では沖縄の数倍あり、道理から言えば、こちらが真っ先に返還されるべきなのに、今だ1muも返還されません。だのに日本政府も米国相手には口うるさい野党の皆さんも返還運動にヤル気が見えません。「北方四島一括返還」と空念仏のように唱えるだけ。米国のように話の通る優しい国にはズケズケ言うくせに、不良国家のロシアにはビビッて何も言えないのでしょうか。事情通のアメリカ人なら「全く日本人は内弁慶だよ。」←(米国にこんな言葉無いか。)と呆れる事でしょう。




 平成24年2月2日
 最近地震発生の確率を報道で聞いたせいなのか、寝床についた途端地震でも無いのに揺れているような錯覚に囚われる事が時々ある。小心者ゆえの潜在意識がそう思わせるのだろうか。それから寝覚めの悪い夢を見る事もあります。今朝方見た夢は、「以前勤めていた職場で大事な業務をスッポカシ気付いた時は手遅れで、上司から散々嫌味を言われてシドロモドロの言い訳をしているうちに眼を覚ます。」というパターン、意識が戻って「アァー今仕事はしていないんだ。」とホッと安堵するのですが、何故かその後、少し淋しい思いにもなるのです。緊張感のある環境とは縁遠くなった事が淋しいのでしょうか。そんな負のエネルギーが、私を登山に向わしているのかも知れません。






 平成24年1月28日
 年を取ると限り無く嫌な事ばかりの日々ですが、時には良い事もありますよ。昨日妻と群馬の武尊オグナスキー場へ行って来ましたが、チケット窓口でジャガイモみたいな雰囲気のおネーちゃんに免許証を提示して「シニア1日券2枚」と言ったら、おネーちゃんが「ご夫婦で百歳以上割引がありますよ。」・・「エッそれ幾らなの。?」・・「お二人で3千円です。」・・「それを早く言ってよ。もうこれからスキーは此処だけしか来ないよ。」何て嬉しさの余り口走ってしまうほどです。一人1500円は今迄でベスト、ザ、チープのリフト代でした。それにしても今スキー場は空いてますねェー。昨日も午前中に小学生のチビッ子団体が帰ってしまうと、閑散としてスキー客よりスキー場従業員の方が多いくらいです。時折吹雪く生憎の天気でしたが、のんびりゆったりパウダースノーを楽しめました。毎年のように訪れて、このスキー場はお気に入りなんですが、潰れてしまうのではないかと密かに心配になってきました。
華麗?な滑降





 平成24年1月24日
 「M7級の首都直下型地震が起きる確立は4年以内に70%」東大地震研が発表したこの報道には驚かされました。これをぶっちゃけて言うと「近々東京に大地震が、まあ確実に起こります。そして死者1万人以上、損害額120兆円と甚大なる被害が予想されます。」これは日本国の存亡に係わる大災害が現実実を帯びてきたという事で、小心者の私は気の滅入るような思いです。なのに今朝の朝刊にその記事は無く、トップニュースは「錦織圭が全豪テニスでベストエイト進出。」これも嬉しいけれど、「国家の存亡とどっちが大事なんだ。」と世間の無関心を私は危惧しております。去年東北大震災の翌月、まだ余震が絶え間なく続き、原発がどうなるか判らぬ頃、私は高尾山を訪れました。山頂展望台からの眺めは、横浜のランドマークタワーから東京スカイツリーまで全て一望出来、首都圏が以外に狭いエリアと感じ、そこが全て火の海と化し日本が消滅する予感に怯えた事が思い出されます。あの時の恐怖が再び甦り、今日の雪景色と相まって、一段と寒々しい思いが私の心に募ります。




 平成24年1月21日
 今、国立博物館で開催されている「北京故宮博物院200選」は、今朝の朝刊で入場者が10万人を突破したとの報道、実は我々夫婦も新聞販売店からチケットを入手したので昨日行って来ました。AM10時過ぎに上野の博物館に着いたのですが、平日にも係わらず、長蛇の列、館内に入るまで1時間待ちです。氷雨降る中、傘を持つ手がブルブル震えます。寒さを耐え忍んでやっと館内に入ったら、目玉展示品の「清明上河図」は何と4時間待ちの列というので、それは諦め他の展示物を観て巡ったのですが、そこもラッシュアワーのような状況です。約3時間程の鑑賞でグッタリ人混みに疲れました。途中互いに所在不明となったりして妻も不機嫌そうです。もう一箇所チケットを入手していたので、混雑から逃れるようにそちらへ向いました。六本木ヒルズ、森タワー52階のギャラリーで開催されている浮世絵師「歌川国芳」没後150年展です。こちらはほどほどの人出で落着いて鑑賞出来ました。江戸後期の浮世絵なので、現代のアニメや漫画にも通ずるものがあって、けっこう楽しめました。アッそれで観終えた感想なんですけど、北京故宮博物院展の方も面白かったですよ。でも・・・・疲れた。・・・・寒かった。


 北京故宮博物院200選入場者の行列


 平成24年1月18日
 最近、自分専用のデジカメを買った妻は、動画に凝っています。「どうせ撮ってもそんなに観る訳でなし、パソコンの保存容量が減るだけだ。」と私は動画に興味は無かったのですが、撮った映像をパソコン画面に再生してみるとけっこう面白い。昨日も群馬のサエラリゾートスキー場へ出掛けたので、互いに滑る姿を収録し、帰宅後さっそく鑑賞してみました。パソコン画面には華麗とは程遠いフォームで滑降する己が映し出され、思わず眼を塞ぎたくなりました。私が若かりし頃に動画を撮るツールと言えば8ミリ映写機しかなく、それも高価だったので一般大衆には縁遠いものでした。それが今は、ポピュラーな価格で買えるこの手のひらサイズカメラで出来るのですから技術の進歩は凄いものです。
 技術の進歩と言えば、私が小さかった頃貧乏だった我家の電気製品といえば、ラジオ、アイロン、電灯くらいしかありませんでした。小学校1年生坊主頃の私が、現在の我家を見たら桃源郷だと驚愕するでしょう。現代技術の恩恵を浴する時代に生きる幸運に何ら喜びを感じず、それを当然の如く思い、なお且つ不平不満ばかり募らせて幸福度を低下させている我々日本人は、傲慢と言うべきなのか、それとも可哀想な人々なのでしょうか。






 平成24年1月16日
 「秩父、尾の内渓谷の氷を見に行かないかい。」と山仲間のS氏に誘われ、昨日見物に行ってきました。私は全く知らなかったが、尾の内渓谷の氷柱は、けっこう有名らしく両神山の懐にある現地は休日のせいもあって、かなりの賑わいでした。尾の内沢に架かる吊り橋から見える滝の流水が凍りついて氷柱となっているのですが、氷の大部分は人為的に放水して造りあげた様子で、不自然と言うかアザトイと言うか、現地の人が一生懸命造ったものをけなすのは何ですが、冬山登山で素晴らしい氷の造形美を眼にしている私には一寸白けるものでした。でも山の会の先輩で久し振りに再会したN氏、時折登山を共にするS氏そして妻と一緒4人の秩父路半日ドライブは、道中和気あいあいでとても楽しい一時でした。「もう年だから」とボヤキながらも私に付き合ってくれる元気な先輩に、感謝感謝の思いです。






 平成24年1月12日
 今年の初登山、奥秩父の名峰、金峰山を登って来ました。今年のように西高東低の冬型気圧配置が強い時は、裏日本が豪雪なのに表日本はカラカラの乾燥した晴天が続きます。表日本に位置する奥秩父の山も、当然降雪量が減少する事になります。実際に登り始めたら予想以上に雪が少なくて、携行した雪山装備のワカンやアイゼンはお荷物になるだけ、ちっとも冬山らしくない金峰山でした。でも山頂からたった一人眺める絶景には感動もので、今年は良い事があるのではとポジティブな思いになりました。ほど良い疲れで登山口に戻った時、「別に俺でなくても軽登山靴で充分だったじゃないか。」と最近買ったばかりの雪山用登山靴のボヤく声が聞こえてきました。






 平成24年1月6日
 正月のお屠蘇気分も抜けぬ早朝、我家を出発し、冬の甲斐駒ケ岳を目指しました。到着した登山口の戸台河原は、吹き付ける強風に砂埃が舞い上空は雪雲が激しく行き交う天気。予報も天候悪化を告げていたので、登山を諦め停滞を決めました。日中は高遠町内見物等でお茶を濁していたら、午後から寒風と供に雪が舞い始めその後は吹雪と化し、辺りは一挙に雪世界と変貌しました。登山口付近で一夜を過ごした私の車も雪だるま状態、雪山登山と言っても私の場合他人の踏み跡を頼りにしての登山、自らラッセルして登る何てトテモトテモそんな実力はありません。この時点で登頂は無理だなと登山を諦め帰途につきました。「ささやかな納税以外大して社会に貢献していない私が、遭難騒ぎを起こしては世間様に申し訳ない。」何てもっともらしい理屈も、小心者の言い訳、負け犬の遠吠え、撤退する悔しさの裏に、酷寒の辛さを避けえたホッとする思いがあるのも情けない。年頭に甲斐駒ヶ岳山頂でピッケルをかざす勇姿を夢想していた私に、登山させるほど今年の冬山は寛容ではなかったという事です。




 平成24年1月1日
 「NHK紅白歌合戦&往く年来る年を観て年を越す。」という平均的日本人のパターンを踏襲して我々夫婦も新年を迎えました。昨年の日本を振り返ると、東北大震災に伴う大津波と放射能汚染その後の台風水害等で多くの尊い命が失なわれる、まさに未曾有の大厄災年でありました。我家のベランダから見た昨年の初日の出は見事なもので、空に龍のような雲が一筋あり、私はこれを吉兆と見立てたのですが、残念ながらそれは大凶兆でありました。今年は、曇り空の間隙から控えめな初日の出となりましたが、これの意味するものは何でありましょうか。今しばらくは日本列島に安泰の日々をお与えくださいと、大自然の摂理に願い乞いたい思いです。とこれを作成中、かなり強い揺れが発生した。元旦から地震とは、大自然は我々に安泰をあまり与えたくは無いのかと、出鼻を挫く門出です。

  




 平成23年12月29日
 昨日、新潟県湯沢町のスキー場へ初滑りに行って来ました。朝方、関越道を下る車は数多く、朝食に寄った上里サービスエリアでも座る椅子が無い程の混雑ぶり、こりゃスキー場もかなり混むなあと危惧したのですが、湯沢インターに程近い神立スキー場に着いたら、意外な事にガラガラで、スンナリベースキャンプビル目前の第1駐車場に車を停める事ができました。関越道の混雑は帰省ラッシュの先駆けで、師走の忙しい時にスキーなんぞ出掛ける我々夫婦のような非国民は少数派だったようです。ところで川端康成の小説「雪国」に「トンネルを抜けると雪国だった。」という文句がありますけれど、昨日も、赤城高原辺りで雪が現れ、沼田インターを過ぎた頃からポツポツ雪景色に変ったのですが、関越トンネルを抜け新潟県に入った途端、道路の両側は2m近い雪の壁、灰色の空から絶え間なく降り注ぐ雪と、トンネルを境にした気象状況の違いは、何度体験していても衝撃的ですね。スキーの方はゲレンデも空いており充分楽しめました。滑り始めはいつも子供のようにワクワクするのですが、いつまで経っても上手くならない己に、だんだん滑るのが嫌になってきます。午後になると妻は早くもウンザリ気味で撤収ムード、私も、そのムードに引きづられてスキーを終え、早めの帰宅となりました。若い頃なら営業時間終了間際まで粘ったもんですが、これも年老いた証左ですかネェ。
   




 平成23年12月26日
 最近、選挙のたびに「マニフェスト」なる言葉が盛んに使われるようになって、私はその意味を「政権公約」と思っていたが、どうも違うらしい。民主党政権の新年度予算は90兆3千億円、昨年に続いて国債発行額が税収を上回り実質史上最悪の赤字予算になるとの報道です。2年前の選挙で「無駄を無くして財政の健全化」と言ったのは何処のどいつだろうか。「高速道路の無料化」「ガソリン税の廃止」「公務員人件費の2割削減」「議員定数の削減」全てチャラ、実施したのは子供手当てや農家の個別所得補償といったバラマキ政策だけ、これじゃ史上最悪の赤字になるのも無理はない。「コンクリートから人へ」「普天間基地の県外移転」「独立行政法人の全廃」・・・・エト・セトラ何て事も全て嘘だし、要するに選挙に勝ちたい為の大ボラだったんですね。ネェー鳩山さん・小沢さん・菅さん・野田さん民主党マニフェストは、一体何処へ行っちゃたんですか。?




平成23年12月20日
 北朝鮮の金正日が死去しました。いつも暑苦しい程に金親子を賛美する朝鮮中央放送のオバちゃんアナウンサーが重々しく発する白々しい追悼の言葉とは裏腹に、この独裁者のやってきた事は、国家がらみの偽札・麻薬犯罪、飢えた人民を放置しての核・ミサイル開発計画、国際ルールの違反、外国人の拉致、金一族に盾突く者の抹殺等々その悪業は数知らず、金日成〜正日の親子2代に渡って、北朝鮮を暗黒のならず者国家に仕立て上げました。彼らが罪の裁きを受けず死んだ事が腹立たしい限りです。次の権力者は息子の正恩、世襲が3代続くところに、この国の異常さが伺えます。一見苦労知らずで肥満児の息子が、この破綻国家をどのように導くのでしょうか。人民を養う食料は無くともミサイルと核を持つ北朝鮮は、隣国日本にとって脅威の存在に違いなく、日本人民としての私は、今後の動静に眼を離す事が出来ません。




 平成23年12月16日
 昨日友人のMA氏とITO氏が我家を訪れたので、お酒を飲みながら楽しい一時を過ごしました。彼らとは20代の頃職場で知り合った仲で、もう40年の付き合いになるでしょうか。若き時代の懐かしくも恥ずかしい思い出を様々共有しているので語る話題が尽きません。皆それぞれに不満や悩みはあるけれど、こうして今元気にお酒を飲めるのは嬉しい限りです。そして宴もたけなわ、酒で勢いのついた我々オッサン達は「カラオケだー。」と叫び駅前のカラオケルーム」に席を移しました。私はカラオケルームに殆んど行った経験が無く、どんな所か少し興味もありました。若い受付のネーちゃんにマイクとゲーム操作盤みたいなもんを渡され、これでカラオケをリクエストするのですが、操作が判らぬオッサン達は、ネーちゃんに指導を受けながらのカラオケとなりました。カラオケなんて馬鹿にしていた私ですが、大声出して歌うというのは、けっこうストレス解消になりますね。勿論何十年も前の古い歌しか歌えぬ我々ですが、時々カラオケをやるというITO氏は中々の美声で、それなりのMA氏も調子に乗って「よし我々でカラオケ部を結成し老人ホームの慰問をやろう。」なんて馬鹿な発言、こんな騒音聞かされたらホームのお年寄りの寿命が縮まってしまうのがオチです。すっかり気分の良くなった我々は「次回の宴もカラオケだ。」という事で一致しました。幹事役の私はカラオケルームの会員になってしまったので、その夕、妻に「一度カラオケでも行ってみるかい。」と声を掛けたのですが、完璧にシカトされてしまいました。





 平成23年12月12日
 毎年出場している小川町和紙ハーフマラソンに今年も参加してきました。今回はレース前三日間は完全休養し、万全の準備で臨んだせいか脚も軽く、順調な滑り出しでしたが10キロ地点でのタイムが52分と予想外に悪く、「やっぱり老化なのかなあ。」少し落ち込みました。しかし脚取り自体は好調で、心身とも衰える事無く終盤に持ち込み、ラスト1キロで我が身に鞭をいれゴールしました。結果は1時間45分と前年より2分以上タイムがアップしていました。此処のコースは前半にアップダウンが多いという特性があるのですが、後半スピードアップ出来たのは嬉しいサプライズでした。還暦過ぎた年齢で記録が伸びるなんて私的には感激もので、アトランタオリンピック女子マラソンの有森裕子選手が言った。「自分で自分を褒めてやりたい。」を今回恐れながら私も使わしていただきます。最近気の滅入る事が多く、やる事なす事「自分で自分を叱ってやりたい。」事ばっかりの私でしたから、たまにはこんな良き日もあってよいでしょう。

 






 平成23年12月5日
 昨日の福岡国際マラソン、多くの人が観たと思いますが、埼玉県庁の川内選手の熱走には感動しました。終盤、今井選手とのデッドヒートの時は、思わず「行け、行けー」と声を出し拳を握ってしまいました。公務員の仕事の合間に練習する市民ランナーが並み居るエリートランナー達を蹴散らかして勝利する姿に、市民ランナーに限らず多くの人が勇気付けられたのではないでしょうか。しかしシビアに考えると、川内選手が日本人選手のトップでいる現状では、日本がオリンピックマラソンで金メダルを得るのは難しいでしょうね。以前は根性や努力で何とかなったものがレベルが上がり過ぎて、人種の差と言うか素質の差と言うか。例えれば「トヨタカローラがポルシェカレラとカーレースやってるようなもんで、今後日本が金メダルを得るには、ケニヤやエチオピアあたりの有望選手に帰化してもらうしか手が無いんじゃないでしょうかね。でもそこまでしてメダルが必要なのか。という意見もあるでしょうし、あんまりメダルメダルと大騒ぎしなけりゃいいんだ。と私は思います。





 平成23年12月 3日
 今日雨の中、桶川市民ホール開催された作家、椎名誠さんの講演会に妻と行って来ました。以前インターネットで申し込んでおいたものです。彼の一寸いい加減で飾らない文章が好きで特に旅行記等は、愛読していました。実物がどんな人か楽しみだったんですが、ジーパン姿で現れた椎名さんは以前やってたビールのCMそのままにカッコいいオジサンでした。(あの当時より少しばかり老けたかな。)「異文化としての日本」と言うのが演題だったんですが、椎名さんの気の向くままアッチ飛びコッチ飛びで話は進んでいきました。結局、百カ国以上を旅した彼が言いたかったのは、「何処に行っても美味しい水が飲め、清潔なトイレがあり、多機能な携帯が普及している日本という国は、70億人の世界の中では極めて異質何だよ。」という事じゃないでしょうか。「70億人の中で30億人が満足な食事が出来ず、22億人に決まったトイレが無い。」とも話していました。そんな恵まれた国?に居ながらちっとも幸せを感じない日本人民というのも異質なんでしょうかね。





平成23年12月 1日
 大気の透明度が高い11月の下旬、マンション9階にある我家から白く冠雪した谷川岳を確認する事ができました。都心から遠く離れた武州の国に建つマンションは、それゆえ眺めの良いのが、唯一の自慢です。暇つぶしに我家から見える山や建物の距離を地図で測定してみました。谷川岳(108km)、富士山(90km)、筑波山(70km)、新宿東京都庁ビル(38km)、今話題の東京スカイツリーは、本体部分の中央から下が手前のビルで隠され、細くなった上部しか見えないので残念ながらよっぽど大気の条件が良くないと肉眼では確認できません。これから寒くなる冬の季節は晴天率もアップするので、山岳展望を楽しむ機会が増えて楽しみです。私が此処に移り住んだ最大の理由も、実はこの展望に魅せられたからなのです。・・・・一寸見栄を張ってしまいました。都内から離れたこの辺りでないと我家の経済力では購入する事が出来なかったというのが、最大の理由でした。
                 
 






 平成23年11月22日
 あと数日で6※才の誕生日を迎えます。還暦過ぎれば誕生日なんて目出度くも無く、黄泉の国への旅立ちが近づいただけの事ですが、誕生日プレゼントは又別な話で、「今年の誕生日祝は冬山用登山靴を買う。」と妻に宣言。私が現在、冬山用として履いているのは30年近くも前に購入したシングル皮靴で、耐寒性&履き心地とも我慢の限界に達しており、兼ねてから買換えを切望していたのでした。そして先日登山用具店に赴き、念願のニューモデルをGETしました。新素材で造られたその靴を眺めているだけで、雪山を颯爽と歩く己の姿が眼に浮んで、心弾む思いです。・・・・しかし、6※才の私が雪山に登るのは年に数回だけ、そして後何年登れるのか、今回の靴購入代金を今後想定される雪山山行回数で割ってみると1回あたり○千円・・・・こりゃ高い買い物だったな。・・・・《でも、そんなの関係ネー。》・・・・老化による体力・気力の衰えは、金の力で道具に頼るしか仕方ないっしょ。

                      









 平成23年11月16日
 かねてからブログなるものに関心を持っていたので、軽い気持ちでgoo−のサイトからmyブログを開設しました。と、そこでハタと気がついた。このホームページさへ持て余し気味なのに、そのブログに何を記載したらイインだ。私の脳味噌には、そんな余分な引出しはない。まあ腐るもんじゃないから、オイオイ考えましょう。
 ところで今朝の新聞の一面は、抗癌剤イレッサの裁判が大きく報じられていました。私も過去に抗癌剤(TS−1)を服用した身なので、興味を持ちました。癌治療のベストは手術による患部摘出で、抗癌剤投与は次善の策です。薬というのは副作用が付き物で抗癌剤は特にそれが強く、言って見ればバクチ的要素が多分にあります。だから抗癌剤投与となれば、患者は副作用の恐怖がまず頭に浮びます。私も同じで、担当医からTS−1に関する資料を提示してもらいました。裁判結果に関する原告・被告の言い分はそれぞれ一理あり、どちらが正しいと決め付けるのは難しいですね。




 平成23年11月10日
 TPPやらFTAやら訳の判らぬ専門用語で国の偉いさんが賛成・反対の大騒ぎ、それぞれ相手を亡国奴呼ばわりで、言ってる事が間逆だから無知蒙昧な我ら庶民は、どちらを信じて良いのやら・・・只はっきりしてるのは、このまま手をこまねいていると日本はいずれ第2のイタリア、ギリシャとなり、国家破綻も遠くはないという事実。そこで、小学校低学年レベル頭脳を駆使して、ワテが三日三晩寝ないで考えた日本経済の建て直し策について一言。(ここから何故か関西風→)確か日本の負債総額は1000兆円おます。そこで来年度、財務省造幣局は1000兆円分の紙幣を一気に印刷すんのや(一万円札だと紙がもったいないから一億円札を新設して1千万枚印刷)、ほんでその金でばら撒いた国債を回収、保有してるのは、殆んど国内の金融機関や個人いうから返してもろた方は、その金で世界中の優良企業を買収や。早よせんと円安になってまうから迅速にやで、これで国の負債は全部チャラ、こんだけ円をばら撒きゃ為替も円安は間違いなし、国内も金がダブついてデフレがいっぺんにインフレに早変りや、株も天上知らずの右肩上がり、永年の懸念が一挙に解決して、これで日本は平和になりました。メデタシメデタシ・・・「アホ、経済ちゅーうのは、そんな簡単なもんやないわ。」・・・「ワテかてそんなの判ってま、そやかてこのまま何もせなんだら、日本丸ちゅう泥船は、我儘な乗組員を乗せたまんま沈没してしまうんやで、ワテは巻添えにはなりとうおまへん。」・・・以上お後がよろしいようで。






 平成23年11月8日
 11月に入いると主要山岳地帯の山小屋は殆んど閉鎖されてしまい、何か淋しい気持ちにさせられます。雪が積って白銀と化した高峰は、もう我々一般登山者の手には届かず、体力・気力の揃った熟達者のみが立入を許される聖域となってしまいます。里から見ると溜息が出る程美しい雪山は、登高意欲を掻き立てますけれど、そこは風雪吹き荒ぶ酷寒と雪崩や滑落の危険を秘めた場所でもあります。登るとなれば相当の覚悟が必要です。私も行きたい気持ちは山々なれど自分の実力は判ってますから、多くの登山者が入山する年末年始の頃に絶好の天気が続くという条件が揃った時に、私の実力に見合う雪山へTRY出来ればと思っています。







 平成23年11月5日
 先日、中央アルプス安平路山から大平宿へ降る時、以前妻と訪れた時に比べると、随分登山道を覆う笹が増えたなあという印象を持ちました。でも前日歩いたのが道とは言えぬコースだったので別に苦にはなりませんでしたけど。そして飯田市のホームページを閲覧していたら、何処の町でもやっている「市長への提言」というコーナーに登山愛好者であろう方から「安平路山の登山道が笹に覆われて、遭難の恐れがあるので刈り払いをしてくれ。」との提言が載っていました。それに対し「笹が茂るのが山の本来の姿という意見もありますが、ご意見を拝見する中で笹の刈り払いは必要と感じましたので、予算の都合上全部とはいきませんが、準備を進めたいと思います。」という市の回答、調子のイイ返事だけして実行してないところを見ると、市長は民主党出身者かな。?私だったらこう答えるけどね。「物好きが頼みもしないのに歩いている登山道の刈り払いをする予算は今有りません。たとへあっても、それは東北復興の支援金として使う事を優先します。道を良くしたいのだったら、貴方達登山愛好者がボランティアで、草刈鎌を持って笹を刈るというのはいかがですか。但し自己責任でネ、何かあるとすぐ、市長が言ったから。とか市の責任だ。という人が居るから困っちゃうんですよ。」一部登山愛好者にはブーイングでしょうが、多くの市民は「その通り、流石市長だ。」と支持率アップは間違いない。?と思うんですが。







 平成23年10月29日
 パリだとかハワイとか誰しも訪れたい憧れの地というものがあるかと思いますが、私にも有ります。但し、そこへ行くには高額なお金は要りませんが、多少のヤル気と体力が必要です。私の憧れの地は「人跡少ない山岳地域」なのです。具体的には、「南アの白嶺三山〜転付峠」とか上越の「白砂山〜三国スキー場」等、今回歩いた中ア南部の縦走も、その中の一つでした。南越百山から安平路山までの間は、踏み跡薄く笹やハイ松に覆われた藪漕ぎの世界です。歩き始めて道半ば至らぬ前に、出発当初の闘志は消え、徒労感と不安な思いだけが増幅してきます。グッタリ疲れて明瞭な道が通じている安平路山頂に達した時に感じたのは、達成感よりも我家へ戻れるという安心感の方でした。何故こんな所へ行こうとするのか自問してみると、未知の領域への好奇心もありますが、やっぱり踏破した時の「俺でもやれるんだ。」というささやかな自信何だと思います。地震多き国に生まれながら、何事にも自信の無かった私は、こうして得た自信で何とか今まで世間と渡り合って来れたんだと思います。冬も近づき、残されたmy憧れの地への挑戦は翌年以降となりそうですが、老化の進捗に伴い私の体力・気力の衰えは秋の落日の如く、いよいよ時間との勝負という感じがしてきました。







 平成23年10月24日
 またまた購読する新聞販売店から夫婦二人分、2箇所の美術館のチケットを頂きました。これらチケット代を合計すると新聞購読料2ヵ月分近くになるので、販売店の採算が取れるのか気になりますが、マッ心配する義理も無いので話変えて、美術館の一つは丸の内にある三菱1号館美術館で「トゥールーズ・ロートレック展」、ロートレックの名は何処かで聞いた気がしますが、彼が「19世紀末に活躍したフランスの画家で、大の日本びいき、そして僅か36歳でこの世を去った。」という事を初めて知りました。もう一つは恵比寿にある山種美術館で「知られざる歌舞伎座の名画」、こちらは歌舞伎座が現在建替え中のため、館内に飾られていた日本絵画をこちらで展示しているとの事でした。美術については「猫に小判」の私が、作品の感想をエラソーに言うウンチクも有りませんし、言っても白けるだけでしょう。
 それより東京駅を出発して二つの美術館を経由し原宿駅まで歩いた風景の方が遥かに面白い体験でした。丸の内から六本木界隈は各国大使館が数多く、要塞のようなアメリカ大使館、南欧調のスペイン大使館、ミミズが這ったようなアラビア文字が特徴のゴージャスなサウジアラビア大使館と、プチ海外漫遊の気分でした。それに行き交う人々が、丸の内にはエリートビジネスマン&ウーマン。麻布〜六本木ではお洒落でクリエイティブな人々。渋谷〜原宿にはニューファッションのヤング達と異なる街の彩りには、興味深いものがありました。そして都内から、芋せんべいが名物の埼玉県は郊外の田舎町にある我家に戻った私は、ホッと安らぎを覚えるのでした。







 平成23年10月20日
 今年6月に添乗員時代の仲間達と会津、湯の花温泉の旅館に宿泊した時、宿の若主人から「福島原発の放射能汚染以降お客さんが全く来なくなりました。」と聞いて「今度山仲間を連れてお世話になりますよ。」と答えたのですが、紅葉の時期、会津の山歩きを計画したので、その宿へ予約の電話を入れると「紅葉見物のお客さんで10月はお部屋は埋まっております。」と恐縮しながらの返事でした。結局近くにある別の宿に泊ったのですが、福島への観光客が増えつつあるのは、嬉しい現実だなと思いました。実際福島には好ましい観光スポットが沢山ありますから、多くの日本人が「レッツゴー、ふくしま」と訪れれば、福島の経済が活性化し、我々も楽しみながら復興支援ができるんじゃないでしょうか。
会津には魅力的な山が数多くあるので、遠からず再訪しようかなと思っています。






 平成23年10月10日
 先週、私にとって3回目の東北ボランティアに行ってきました。場所は宮城県東松島市の野蒜(ノビル)小学校、海岸から1km近く離れたこの学校にも4mを越す津波が押し寄せたという話です。避難場所だった学校体育館の1階フロアは濁流の渦と化し、多くの人がその中で犠牲となったそうです。辛うじて2階に逃げ延びて、その地獄絵図を目撃させられた人々の心中は想像を絶するものだったでしょう。雪が降り冷え込むその夜、一人の女子小学生の「野蒜小ガンバ」の掛け声で生存した人々は勇気付けられたそうです。我々「H市ボランティアチーム」は2日間で、学校プレハブ建物瓦礫を撤去し、校舎の側溝を全て掘り起こしました。見違える程改善された現場を見て、今回が一番充実した活動だったとなあと省みました。あと最終日の早朝に、「大川小学校」や「雄勝町地区」等象徴的被災現場も見学しましたが、言葉で現すのが困難な程の惨状です。いずれも山・川・海に囲まれた風光明媚が想像される地域で、津波さへ無ければ今も平和で長閑な日常が営まれていたでしょう。私は多くの日本人がここを訪れるべきだと思いました。メディア報道だけでは計れない震災の重さを実感させられますから。





 平成23年10月4日
 12月にハーフマラソンを申し込んでおり、今日は天気も良いので、どれ位長く走れるか挑戦してみました。昼前にTシャツ・ランパン姿で我家を出発、お馴染みの鯛焼き屋さんで粒あん鯛焼きを1個買ってエネルギー補給し、約1時間で川越市街に到達、ビル街のトイレで水分補給、ここからは国道254号(通称、川越街道)沿いに都心を目指します。このコースは過去に4〜5回走っています。一番のロングランは自宅から池袋までで、多分フルマラソンを大幅に凌駕する距離だったと思います。勿論若かりし頃の出来事で、この日は職場の忘年会だったんですが、あまりの疲労に食が全然進まず、帰宅途中に嘔吐さへしてしまいました。話を戻して浦和〜所沢バイパス辺りで2時間経過、この先に武蔵野線、新座駅があり、チラッと弱気虫が囁きます。左にボーリング場があり、昔朝霞で勤務していた頃、宴会でよく此処を利用していました。ここら辺りから脚の重さが尋常ではなくなり、我慢我慢と念仏のように唱えます。揺るかな坂を2度程上下、登りは特に辛く、這うように走ります。やがて左は今話題の朝霞公務員宿舎建設地、右手の自衛隊朝霞駐屯地正門前でジャスト3時間経過、限界まで僅かな余地ありそうなので、も少し頑張って板橋区の成増駅をゴールとしました。走行時間3時間20分、取りあえず、これだけ走り続ける能力があるという事が身を持って判りました。何事もバーチャルではなく体験しなければ自信にはなりませんネ。今日掛かった経費は帰りの電車賃400円だけ(生ビール代もあったか。)イヤー、ジョギングはお金が掛からないから我々プロレタリアートにとっては、うってつけの良いスポーツですね。






 平成23年9月30日
 3.11の東北大震災に始まりその後の台風による水害等、今年の日本は自然災害の酷さが際立っている感があります。先週末歩いた越後の八海山でも登山道が何箇所か山崩れにより寸断されておりました。尊い多くの人命を奪った自然の過酷さというものを痛感しますが、考えてみますと自然災害というのは、今日の日本列島の自然を形成した最大の要因ではという気もします。箱根の芦ノ湖や日光の中禅寺湖は火山の溶岩で誕生したものですし、上高地の大正池は焼岳からの土石流で誕生しました。
 自然の猛威の下では近代文明というのが、如何に無力であったか今次の大災害が露呈させました。人類が自然を克服する何て永遠に不可能な事でしょうし、自然と折り合いをつけながら謙譲に生きる事が唯一の生存していく手段であろうかと思えます。








 平成23年9月21日
 NHKテレビの日曜美術館という番組(妻が大のファンなので)を何気なく見ていたら「犬塚 勉」という画家の特集をやっていました。彼は私とほぼ同世代の人で、38歳の時谷川岳で遭難死した悲運の人でもあります。山を題材として自然を描いた彼の絵は、写真を凌駕する超リアルな描写で、圧倒されるような迫力と感銘を受けました。彼の絵画展が日本橋高島屋で催されていると聞き、新聞販売店からチッケトを入手できたので妻と行って見ました。久し振りの銀座〜日本橋界隈は、相変わらず賑やか且つ華やかで地震や水害で苦境に喘ぐ日本とは別世界の様です。名の知れた画家でないせいか、8階の展示会場は休日なのにけっこう閑散としております。年代順に展示された彼の絵を追っていくと、34歳の時に突然変異のごとく画風がテレビで観た超リアリズム描写に変貌しています。題材は何気ない山野や木々なのですが、油絵で描かれた風景は、枝や草が風になびき鳥や虫のざわめきが聞こえてくるような錯覚すら覚え、写真を遥かに凌ぐ超リアリズムの世界が、テレビで観た時以上の迫力で圧倒されました。彼が今も存命であったなら、素晴らしい作品を世に沢山送り出していた事でしょう。有能な画家の早世が惜しまれてなりません。・・・・無能な私は何も生み出さず60過ぎても恥ずかしながら五体満足に生き続けています。







 平成23年9月16日
 先日、親戚の結婚式に参列してきました。年齢を取るとお悔やみで参列する事が多くお目出度いお式は久々の事です。アットホームな披露宴は、とても雰囲気が良くて明るい気持ちにさせられました。若いお二人に感謝と永久の幸せをお祈りします。若いと言えば山の世界も「山ガール」何て言葉が出来て若い人が増えてきた感じがしますけれど、でも主力はやっぱり中高年の人々です。女性は団体行動が多く、男性は単独行動が多いという傾向があるように感じますが、先日一人で歩いた上州武尊山では遭遇した殆んどが単独の男性でした。社交性に富んで賑やかな女性に比べ、中高年男(特に単独)は全部と言いませんが無愛想な人を少なからず見受けます。せっかく好きで山に来たのだから、もうちょい嬉しそうに歩けば良さそうなものを迷惑げな顔で通り過ぎて行きます。仕事中心で生きてきた男は社会への適応性に乏しいところがあるんでしょうかね。・・・・・・無愛想男曰く「何言ってんだ。お前が無愛想だから、こっちも無愛想なんだよ。」そうか。そういう私が社会への適応性を持ち合わせていなかったんだ。








 平成23年9月7日
 台風12号の大雨による死者・行方不明者が全国で100人を超え、平成に入ってから最悪の被害状況と報じられています。辛い現実ですが、豊饒の国日本は自然災害の多き国でもあります。又台風は、山岳地帯でも甚大な被害を及ぼし道路や登山道が寸断されているようです。もう30年以上昔の話ですが、当時所属していた山岳会の夏山合宿で北鎌尾根から槍ヶ岳を越え、上高地へ下山する最終日に土砂降りの雨に遭い、やっとの思いで松本駅に辿り着きました。中央線上り電車に乗車したものの車軸を洗うような大雨に電車は中々前へ進まず、とうとう猿橋駅で動かなくなってしまいました。疲れた身体に座席で夜を明かすのは辛く、テントを張って寝ようと山仲間と駅周辺を探索していたら、とある酒屋さんの脇に良いスペースがありました。早速家人の方にお願いすると「雨の中テントでは大変だから中に入りなさい。」と家の中へ招き入れてくれました。そればかりか風呂を沸かしてくれるは、お酒&食事を供出くれるはで最後は宴会騒ぎとなりました。何と人情厚き方々だろうと熱い感謝とともに、良き思いでとなっておりますが、今振り返ると我々と一緒に騒いでいたご主人はともかく奥様やその他のご家族には迷惑千万で、「赤の他人の家で何て図々しい人達だろう。」と内心思っていたのではないかと推測し。赤面の思いも若干感じています。その後お礼状をしたためただけで再訪する事はありませんが、今でもあの親切な酒屋さんは健在なのだろうかと時折気に掛かります。






 平成23年8月31日
 「震災復興」「原発問題」「財政赤字」「少子高齢化」等と難問が山積し、日本は今重大な岐路に立たされておりますが、そんな中、菅さんが詰め腹を切らされ、新たに野田さんが第95代首相に任命されました。テレビを観ると「どうせ変らない。」「期待していないよ。」等冷めた意見が多いようですが、彼の舵取り次第で今後の日本ひいては我々が大きな影響を受けるのだから傍観者ではいられません。お笑い芸人、ダチョウ倶楽部の上島竜平さんに何処か似ている彼に、以前は「見てくれがイマイチだなあ。」との思いだったのが、今その風貌にファニーでユニークな個性が感じられて満更でもありません。「ドジョウのように泥臭くやる。」という言葉に密かな期待をしています。首相になれば何を言っても何をやってもアチコチから批判されるでしょうが、そんなものはクルリンパ←(竜平さんのギャグ)ドジョウの根性で信念を貫いてください。くれぐれも口先&パフォーマンスだけの前or前々総理の轍は踏まない事を願っています。






 平成23年8月25日
 「暑気払いで一杯やろう。」と元職場の上司T氏からメールがきました。人付き合いが苦手で要領の悪い私は、職場ではいつも傍流だったので、仕事関係の友人は極僅かです。変わり者の私が今でもお付き合いできるのは、ひとえにT氏の気さくで飾らず明朗な人柄の賜物です。T氏と私には定年前後に癌を発症したという共通体験があり、それも絆を深めた一因であろうと思います。でも私の場合そう珍しくも無い胃癌だったのに対し、T氏は右足に発症したため、右足を膝から下切断という人生が暗転するような大病でした。でも誰もが今のT氏を見て、義足という障害がある人とは判りません。それどころかスキーを履かせれば、私なんか足元にも及ばぬ技量で華麗にシュプールを描き、その他テニス、ゴルフ何でもござれ、そこらの健常者なんて目じゃ無いほどアクティブな人生を送られています。此処に至るまでは人知れぬご苦労もあったのでしょうが、そんな素振も見せず、いつ笑顔の優しいT氏は、数少ない私の尊敬すべき人物なのです。今宵の酒宴も大変楽しい一時となりました。







 平成23年8月18日
 今年も富士山御殿場コースをを登って来ました。お盆の時期の富士山は、押すな押すなの行列ですけど御殿場コースだけは登山者が少なくて静かです。人気のない理由はコースの長さ、御殿場5合目登山口の標高は1440mしかなく剣ヶ峰山頂との標高差は実に2336mもあります。人気のある吉田口や富士宮口の登山口に比べると1千m近くも登山口の標高が低く、これでは登山者が敬遠するのも無理はありません。こんなコースを2年続けて登る私も物好きですが、長丁場だからこそ、密かにファイトが湧いてくる面もあります。未明に登山口を出発。富士山には山慣れない人が多いせいか、出発して1時間も過ぎれば青息吐息状態の人が増えてきます。そんな登山者を次々追い抜いていると、下からグラサン・ロン毛のアンちゃんがWストックを手に私の横をクールに追い越して行きました。「元気のいいアンちゃんだなあ。」と思いつつ後を追随すると、彼の足がだんだん重くなっていくようです。そのうち疲れたのか道端に腰を下ろして煙草をプカッ、「こんなスモーカー野郎には負けられない。」と私は彼の横を抜けていきました。その後剣ヶ峰山頂をタッチして下山の途中、八号5勺辺りでロン毛のアンちゃんが青息吐息で山頂を見上げているのに遭遇、私は「山を甘く見るんじゃねーぞ」視線で彼にニヤリと微笑み、砂煙を巻上げてすれ違いました。グラサンに隠れて彼の表情は読めなかったこれど、「どんな気持ちかな。」何て思う私も嫌な性格ですネ。






 平成23年8月10日
 最近の山は団塊世代や山ガールの進出で賑わいを取り戻しているようです。それにつれて増えているのが山岳遭難、滑落、転落、道迷い、落石、凍死、熱中症等原因はいろいろあるようです。先日の北アルプス縦走で私も遭難未遂を起してしまいました。場所は槍ヶ岳直下の殺生小屋テント場、時は深夜丑三つ時、寝袋の中で便意を催した私は、スリッパ履きでテントの外へでました。周囲は懐電の灯りが数メートルしか届かぬ程の厚い夜霧に包まれている。近隣では周囲の人に迷惑と、少し離れた位置まで移動して小用した私はフト不安になりました。自分のテントへ戻れるだろうか。?何せ殺生のテント場は広い岩屑の中にあり、何処も似たような地形なのです。不安は的中、懐電に照らし出されるテントは、いずれも違う形のものばかり、焦れば焦るほど見つける事が出来ません。上衣は夜霧でジットリと濡れ始めました。「ヤバイこのままでは、一晩外でビバークだ。」死ぬような事はないだろうが、かなり悲惨な一夜になってしまう。気を取り直して再びmyテントの捜索、とそこに私と同型の赤いテントが、確か私はこの少し下に張ったはずだ。そしてやっと私のテントが見つかった。ドッと安堵の吐息が洩れた。時間にすれば10分もなかったろうが、その間私は必死であった。再び寝袋に納まって考えた。「こんなトンマな遭難をする人間がいるだろうか。」しかし密かに確信する。
夜中にmyテントが判らなくなる遭難、かなりの体験者がいるはず。山のテント場は此処と似たようなのが多いし、山に夜霧はつきものだから。






 平成23年7月31日
 毎朝夕、苦行のような薬の投与に我家の猫「キキ」はすっかり怯えてしまい、その時間になると何処かへ行方をくらませてしまいます。その姿を見かねて、どうせ良くなる訳でもないので投薬を中止したところ、不思議な事にそれ以降キキは元気を取り戻してきました。投薬のストレスがキキの体調を悪化させていたのかも知れません。となると私も山へ出掛けられそうなので、近々北アルプスでも行こうかと思ってるんですが、このところ天気が不安定、確か梅雨は明けたはずなのに、まるで梅雨末期の様相、新潟や福島等では記録的な豪雨で各所に被害が出ているようです。今、信州で優雅な避暑暮しをしている岳友 I 氏に登山時の送迎サポートお願い方々現地の状況を聞いてみると「こっちも通行止になった所もあるよ。」との答え、雨天のテント生活は非常に惨めなので、天気の回復を見定めて出発しようと思います。






 平成23年7月25日
 ノーベル平和賞の国ノルウェーで、爆弾テロ&銃乱射による大量殺戮。中国では開通早々の高速鉄道が衝突脱線転落事故と、世界では驚くような事件が日々発生していますけれど、私の日々はさざ波も立たぬような平凡な時間が過ぎていきます。朝6時起床、午前中は読書やパソコン、昼飯の後チョッとウトウト、午後は自転車で付近をウロウロ、大体行き先は図書館やショッピングセンターたまに日帰り温泉かな。夕刻ジョギングの後、晩飯のビールが唯一の楽しみ、そしてテレビ鑑賞を経て23時に就寝、こんな生活をビデオのリプレーみたいに繰返しています。良く言えば規則正しい生活とも言え、お陰で体調は良好ですけど、心配なのは精神を司る脳味噌です。何だか部品が序々に緩んできているような気がしてなりません。このまま進んでいけば最後は「老人性○○症」・・・・そう思ったらゾッとしてきた。何とかしなくては・・・・。





 平成23年7月18日
 連日の暑さにやられたのか、我家の愛猫キキが体調不良で病院通いが続いています。その為私も遠出が出来ず最近山ともご無沙汰です。暑さ知らずの高嶺が恋しいですが、致し方ありません。被災に遭われた方や身内の看病に明け暮れる方の事を考えれば、私の思いは贅沢と言うもんです。そんな日々にドイツから明るいニュース、なでしこ日本が今まで勝ったことの無い、ドイツ、スェーデン、アメリカといった強豪をを打ち破り、W杯女子サッカーで奇跡の優勝、大して強くも無い割にはチヤホヤされる男子選手とは違い、恵まれない環境で頑張ってきた彼女達、はるかに体力に勝るチームを相手に健気に頑張る姿には感動させられました。ヤマトナデシコは本当に強い。復興目指す日本に頑張る勇気を与えてくれました。






 平成23年7月11日
 連日暑い日が続き、脳味噌がふやけて何も考える気も起きません。そんな中「日本の原発について」NHKで公開討論番組があり、賛成派、反対派それぞれが意見を戦わしておりました。このご時勢から原発賛成派は当然悪役の立場で、世論を盾に反対派諸氏が攻め立てるという流れでした。汚染廃棄物の最終処分法が未解決の原発には私も当然反対ですが、天邪鬼な私は、反対派の方々にも?を感じました。その番組スタジオは煌々とライトが照らされ、参加者が盛装して汗一つかかず討論しています。という事は、そこは強力なエアコンが稼動して莫大な電気が費やされ、その電気は当然新潟原発からのもある訳です。国民は原発推進派の電力会社や政治家を責めますが、電気に依存する快適ライフを甘受してきた全ての人々は、彼らを容認していた訳で、消極的推進派の立場にあると言えるのではないでしょうか。情報化社会で「知らなかった。」では虫が良すぎると思います。妻も「原発なんか絶対廃止よ。」と憤慨しておりますが、その我家では、現在エアコンがガンガン稼動しております。「じゃ俺達も節電のため我慢しようぜ。」何て言ったら家庭内紛争が勃発しそうで、とても言葉には出せません。





 平成23年7月4日
 久し振りにぶん殴ってやりたい奴が出現した、宮城県知事室に温泉でも行くような格好で現れた松本復興大臣様、「お客さんをまたせるじゃない。」とか「智恵を出さない奴には金を出さないぞ。」とかエラソーに権力意識丸出し。今被災地で一生懸命頑張っているボランティアにお客様面した人は誰一人いないし、復興予算は尊い血税だ。智恵も何もやってないのは政府の方で、本来ならば被災地に申し訳ありませんと頭を下げる立場ではないか。民主党には、こんな人材しかいないのだろうか。今度という今度は菅政権に呆れ果ててしまった。この国が北朝鮮で私が金正日だったら、菅と松本は即刻解任し、被災地の海岸にテントを張って送り込み、一ボランティアとして毎日汚泥の中で瓦礫の後片付けをやらせるのだが、







 平成23年7月2日
 私の住んでる鶴ヶ島市の社会福祉協議会が企画した石巻市災害ボランティアバスツアー(前夜発日帰り)に参加してきました。震災以降、私にとっては2度目の石巻市訪問です。朝早く着いたので被災現場を廻ったのですが、前回と比べ、あまり改善されているようには見受けませんでした。我々一行に割当てられた作業は、午前中「下水溝の汚泥除去」、午後は「津波で破壊された一軒家の瓦礫撤去」いずれも耐え難い悪臭かつ湿度の高い陽射しの現場で、いるだけでゴーグルとマスクに覆われた顔面から汗が噴出し、体力だけは負けないぞと自負していた私も作業が終了した夕刻にはクタクタになってしまいました。我々を指揮してくれた現地スタッフの方(2名)は、こんな作業を毎日しかもボランティアでやってる訳で、私とそんなに年齢が離れているとは見えない彼らに、真摯に頭の下がる思いでした。被災地復旧の原動力となっているのは、こういう無名の人達の努力なんですね。決して永田町でドタバタ劇を演じている身奇麗な連中じゃありません。








 平成23年6月29日
 胃カメラ&大腸ファイバーの検診を受けてきました。胃の手術以降毎年の事ですが、いつも辛い思いをするので止めたいのが本音です。でも「異常なし。」の結果がでれば、数年間は胃腸関係に関して大丈夫のお墨付きがでるので、それ欲しさに行くようなもんです。今年は特に組織を採取される事もなくスンナリ終えたのでホッとしました。胃カメラを担当したのが、新米の女医さん「よろしくお願いします。」と言われたので「お手柔らかに」と余裕をみせたのですが、中々喉を通過せず苦しい思いをさせられました。終った時お礼を言われたので、「少しは役に立ちましたか。」と笑顔で返しましたけれど、これが男の医者だったら、「金払ってんのに人を練習台にしやがって」と対応も随分違ったでしょう。私もまだまだ男の嫌らしさが残っております。








 平成23年6月26日
 23日植村花菜さん、25日は上條 恒彦さんと続けてコンサートへ出掛けました。急にエンターティメント被れが昂じた訳ではなく、たまたま重ねてチケットを入手したのです。それぞれに煌びやかな衣装や派手な舞台装置もない、歌とトークだけのシンプルなコンサートでしたが、お二人とも飾らない人柄から醸し出す思いのこもった歌は、観衆の心の襞に染み入るようでした。素晴らしい歌は心の琴線に触れるのでしょうか。聞きながら私の脳裏には美しい日本の原風景が浮び、それは2年前、日本縦断の旅で見た日本海沿いの眺めを思い起こさせました。あの時は歩くのが精一杯で風景を楽しむ余力も無かったのですが、今になってよく判ります。あの旅が私にとって、とても感動的でワクワクする楽しいものであったかという事を、
ちょいと横道に反れましたが、コンサートはそれぞれに感動的で、心地よい余韻が残りました。騒がしいものは勘弁願いたいですが、本物の歌手が聞かせてくれる本物の歌ならば再びコンサートへ出掛けてみたいものです。




 平成23年6月21日
 高速道路の一律1千円料金が先週末をもって廃止となりました。その有効最終日となった19日に谷川岳へ出掛けました。私と同じセコイ考えの人々で、朝の関越道下りはかなりの混雑ぶりです。今回登る谷川岳西黒尾根は、私が山登りを始めた20代の時、初めて歩いた本格的な登山コースです。あの頃の私は、恋人は勿論親しい人も希望も富も誇りもなく、あるのは将来への漠然とした不安だけ、そんな孤独で淋しい青年でした。そんな私に山だけが安らぎと淋しさを癒してくれました。もう、その時の記憶は殆んど薄らいでますが、きみまろさん風に言えば「あれから30年」、今私の後ろには妻が荒い息で私の後に従い、黙々と登っています。そして山頂でコーヒーを飲みながら登頂の達成感と素晴らしい展望を共有しています。平凡で晴れ舞台もないまま過ごした私の人生でしたが、「今まで生きてて良かったなあ。」とつくづく感じた瞬間でもありました。







 平成23年6月18日
 昨日、地元の消防署で催された上級救命講習を受講して来ました。これは「大震災に喚起されて」何て事ではなく、それ以前から申し込んでいたものです。簡単な救命講習は何度か経験あるのですが、一度本格的に教わろうと思っておりました。受講者は老若男女20名程で、主に心肺蘇生法(人工呼吸・心臓マッサージやAEDの操作)で学科&実地試験(簡単ですけど)まであり少し緊張させられました。講師はいずれも凛々しい消防官達で、こういう人が町の安全を守ってくれているのだな。と頼もしく思えました。丸一日の講習を終えると、最後に「上級救命講習終了証」というカードをいただけます。このカードの氏名欄の下に「上記の者は、上級救命講習を修了し、救命技能を有する事を認定します。」とあり、その気にさせられますが、たった一日の付け焼刃知識、まして衰退著しいmy脳味噌では、砂漠の水がごとく知識は消え去るのは明白。そうならぬよう時折テキストブックを開いて復習せねばと思っているところです。






 平成23年6月14日
 昨年、埼玉県主催のシニア添乗員研修を受講しましたが、その時40名いた同期の中で今でも付き合いがあるのは、5人だけとなりました。皆さん、それぞれ分野の第一線で活躍し、今も添乗員やその他いろんな事にチャレンジしている元気でヤル気満々、団塊世代の男達です。その仲間達と福島県南会津地方へ一泊ツアーに出掛けてきました。旅の中で彼らの活躍ぶりを聞くと、無為な日々を過ごす私のヤル気魂が、大いなる刺激を受けました。ところで宿泊した宿のご主人によると、「原発事故以来客足はパッタリ遠のいてしまいました。」との事で、我々が訪れた事を大変感謝してくれました。でもこの旅館、湯の花温泉、本家亀屋さん (紹介サイト→ http://shikoh2008.blog32.fc2.com/blog-entry-140.html )は、温泉の質、料理、接遇等とても良く、一日に三組のお客しか泊めないそうですが、料金もお手頃で絶対お勧めの宿です。再び登山かたがた山仲間と一緒に、訪れたいと思っています。






平成23年6月9日
 駄々っ子のように、権力に執着する菅総理の往生際の悪さを見ると憐憫さへ感じてしまいます。振り返れば野党時代、自民党の小泉総理相手に鋭い口調で丁々発止の論戦を戦わせていた頃の、カッコいい菅さんは何処へ行ってしまったのでしょうか。退き際の見事さという点では小泉さんの足元にも及びません。そういえばあの頃民主党のテレビCMで、「三人の乗組員が力を合せて船を操り、荒海に立ち向かう。」何てのがありましたよね。その三人とは小沢さん、鳩山さん、菅さんでした。今思えば笑っちゃうようなCMだけど、その続編を作るとすれば、「三人の乗組員は遭難し、船のマストは45度に傾き、民主党丸は正に沈没寸前」、こんなストーリーになるんでしょうか。まあ菅さんが全て悪い訳ではなく、引き摺り降ろす側も大いに問題だけど、「民主党は政権与党になんかなるべきじゃなかった。」と今誰よりも強く思っているのは、案外菅さんかもしれませんね。







 平成23年6月7日
 今何もない日は、毎日約1時間程ジョギングをしています。決して早くはないけれど2時間位走っても、そんなに苦ではありません。この目的の第1は、美味しくビールを飲むために、次いで2番目が、脚の筋力を鍛えて登山が出来る身体を維持するためです。だがこのエネルギー消費は、社会のためには何の役にもたっておらず、「パチンコや自動販売機何てやめちまえ。」と吠えた石原都知事が聞いたら「エネルギーの無駄だ。」怒られそうです。しかし、これをやらねば私の筋肉は直ちに衰退し、重い荷を背負って登山をする事は叶わなくなってしまうでしょう。それに、このお陰でか私の病院通いは、今のところ歯科と定期健診に留まっており、医療費節減という意味では少しは貢献しているのではと考えますので、慎太郎さんどうかご容赦ください。今後につきましてはこのエネルギーを、社会貢献のために還元していかねばと重く受け止めているところでございます。






 平成23年6月3日
 昨日否決された菅内閣不信任決議騒動は、全国各地でアキレタコールが飛び交っているので、今更言う事もないのですが、悲劇だか喜劇だか判らないけれど、まるでクサい田舎芝居を見ているようです。悪人面が定着した小沢さん、間抜けな鳩山さん、無能な親分、菅さん、賛成票を投じた松木さんは単細胞の鉄砲玉といった役どころかな。それにしても菅さんの人望の無さは気の毒な程、結局外野からキャンキャ吠えるだけしか出来ない人だったんですね。でも銃弾がドンパチ飛び交い命懸けの抗争をするイエメンやリビアといった国に比べると、こんなクサイ芝居で勢力争いしている日本は、平和でお気楽な国かも知れませんね。最後に「こんな民主党にするつもりはなかった。」と呟いた鳩山さんには笑ってしまいました。「アンタが元凶じゃないの。」とツッコミたくなったけど、案外鳩山さんは、天才的なボケ役者なのかも知れません。








 平成23年5月25日
 先日1泊2日で、石巻市へボランティアに行ってきました。津波被害にあった友人の親戚アパートの再建工事の手伝いですが、私の行った時は完成間近、大して役には立てませんでした。逆に支援物資が余っているから持ってけと。缶詰や乾電池を差し出され「それではボランティアとしての立場が無い。」と固辞したのですが、持って帰るのも支援だと言われ、手土産まで貰う始末、全く何しに行ったのやら、・・・・
 石巻の市街はけっこう賑わっており、あまり震災の影響を感じませんでしたが、一歩海岸沿いに踏み込むと津波の被害は甚大で、潰れたビルや車を見ると、どうしたらこんな壊れ方をするのかと圧倒されてしまいます。そして現場に漂う居た堪れぬ臭気、、やはりテレビ画面だけでは判らない現場の状況に、此処へ来た意義を感じました。私は、財力も技術も無い暇なオッサンですが、今後も出来る範囲で、被災地のためにボランティア活動をやっていかねばと思っています。・・・・一日本人として。







 平成23年5月19日
 東京御茶ノ水の、明治大学で開催された「2011日本冒険フォーラム」に妻と行ってきました。これは、冒険家「植村直己」の故郷、兵庫県豊岡市が主催したもので、1部が植村直己に関する紹介、2部が現代を代表する冒険家達のパネルディスカッションというプログラムです。植村直己の書籍は殆んど読破しているアウトドアオタクの私は、絶対見逃せないとインターネットで応募しました。明大山岳部同期の廣江さんが話す植村直己像は、臨場感があって面白く、又2部のパネルディスカッションでは、天野和明氏(明大山岳部出身の先鋭登山家)、永瀬忠志氏(地球4万キロをリヤカーで歩いた人)、服部文祥氏(サバイバル登山家)、松原英俊氏(慶大出身、日本唯一の鷹匠)の4名が参加、いずれもアウトドア界では超有名人ばかり、彼らの本も呼んでいて一度は実物を拝みたいと思っていました。ゲストは山好き女優の市毛良江さん、ジャーナリスト江本嘉伸氏の巧みな司会で、こちらも大変盛り上がりました。冒険家というのは気難しい人間と思っていたが、皆さん話手としても魅力があり、鷹匠の松原さんなんかTVに出ればブレイクするんじゃないかという位面白かったです。一々紹介するときりがないのですが、彼らの人間離れした活動内容を聞いていると、大震災で意気消沈している今の日本に、こんな元気な人がいるんだと思うと何か嬉しい気持ちになってきました。






 平成23年5月12日
 やる事なす事全て批判されまくりの菅総理ですが、「浜岡原発の中止要請」は一部で好評価を得ているようです。駄目だしオンリーのTBSラジオ森本さんでさへ良い事だと言っているほどですから、それでも反対勢力は「延命策に過ぎない。」と批判しています。言論の自由が保障された民主国家だから仕方ないのでしょうが「船頭多くして舟山に登る。」的もどかしさを感じてなりません。・・・・我々は自由民主主義こそ最良の国家体制と盲目的に信じてますが、こんな非常時には、賢者による独裁体制の方が優れているのかな。と過激な思いさへ頭をよぎります。別に中国見たいな国になりたいとは思いませんが、
 しかし復興の原動力は、国民一人一人が小さな力を結集する事でしょう。小さくても×一億2千万=凄い力となるでしょうから。それと今夏は電力不足が懸念されて余剰電力を削減しようと叫ばれてますが、日本は失業者やニート等、人材についても余剰を抱えています。復興庁なるものを立上げ、これらの人々を復興の担い手として雇用すれば、失業&復興対策に効果大の一石二鳥ではないでしょうか。そうなれば、余剰人員の一端を占める私も是非雇ってください。






 平成23年5月7日
 「ゴールデンウィークなのに予約が全く無い。」と栃木の有名観光地が悲鳴をあげている。そんなテレビ報道を見て、観光地へ出掛けるのも支援の一つと、早速サイトで検索し(料金の安さを主眼に検索するのが私のセコイところ)、登山も出来るので、那須湯元温泉「休暇村、那須」を予約しました。朝早く妻と二人我家を出発、久し振りの東北道は以前と変らず、「災害支援」と書かれた標識をつけた自衛隊車両が頻繁に行き交う現実だけが、この道の先に震災の被災地がある事を物語っています。サービスエリアには、戦闘服で身を固めた大勢の若い自衛官が買い物をしており、これから被災地復旧のため頑張る彼らの前で、今夜は温泉に身を沈めるであろう私は、申し訳なさに思わず頭を垂れてしまいました。それで泊った宿の休暇村、那須ですが、食事・温泉・眺望・サービス全てに満足で、何事にも辛口な妻も「又来たい。」と満面の笑みでした。那須原野を見下ろす展望抜群の露天風呂に山歩きで疲れた身体を浸すと、
あまりの心地よさに「うぅ〜極楽極楽」と呟かずにはおれず、あの災害派遣自衛官らに対する申し訳ない思いは何処へ行ってしまったのか。と軽薄な自分に我ながら呆れております。







 平成23年5月4日
 上越国境上にある上ノ倉山に行って来ました。私の念願でもあったこの山域は、猛烈なヤブに覆われて登山道は無く、登るとすれば降り積った雪の固まる残雪期がチャンスです。三国スキー場跡地から残雪を拾って尾根に登り、時折出てくるヤブとの格闘に苦しみながら進んで行きます。ひょっとしたら誰かの足跡でもないか。と期待したのですが、痕跡は皆無、。狭い尾根の一角にテントを張り、食事の後に寝袋に潜っても「大震災の悲惨な状況、我々夫婦の高齢化&この付近で地震が発生して尾根が崩壊し退路を絶たれ孤立するのではないか。」と悲観的な事ばかり頭に浮び、殆んど眠れぬまま一夜を過ごしました。
 翌朝、東の空に朝日が顔を出すと、目指す上ノ倉山が薄桃色に染まります。俄然、ファイトが噴出、勇躍歩き始めます。地図でしか知らぬセバトノ頭やムジナ平を越え、大黒ノ頭の急斜面を登り上ノ倉山に到着した。憧れていた眺望に感無量。国境尾根は更に白い天空の道となって遠く白砂山へと続いています。「来年は白砂山から此処まで歩いて来よう。」と又念願の山が一つ増えました。







 平成23年4月28日
 大震災から約1ヵ月半過ぎても、中々余震が収まりません。時には揺れてもないのに“地震だ。”とビクつく事さへあり、こうなると一種のノイローゼかもしれません。私が一番気懸かりなのは、「首都圏や福島第1原発付近で再び大地震が再発するのではないか。」という事です。そうなれば今必死に立ち直ろうとしている日本が致命的な打撃を受けてしまいます。あのスマトラ沖大津波の際も、3ヵ月後にM8.6の地震が発生しているから有り得ない事とは思えません。
 そんな状況の中、政権与党の一部先生達が、統一地方選の敗北を受けて「このままでは民主党が潰れてしまう。」と自分達が選んだリーダーを失脚させようと画策しています。国の存亡が問われている今、自分の組織防衛ばかり考えて、しかもその旗降り役が、調子のいい事ばかり言って収拾不能となり、政権を投げ出した前総理とは、
開いた口が塞がりません。菅総理を糾弾するべく両院議員総会の開催を叫んでおりますが、開催するならその場所を、教師・児童の大部分が犠牲になった石巻市、大川小学校か町長始め多くの職員が犠牲となった大槌町役場にしてもらいたいもんです。まともな神経の持ち主ならば、こんな事やってる場合じゃないと気付くはずですから。





平成23年4月23日
 春には花が咲き誇り、夏はサンサンと降る陽射しの中水と戯れ、秋は艶やかな紅葉に彩られ、冬は白銀の衣をまとう。四季折々、日本の自然は変化に富んで美しいなあと思います。その分だけ地震、台風、火山噴火と災害の多い国でもあります。これも自然を司る神が「いい事ばかりじゃないんだぞ。」さじ加減を加えているからでしょうか。でも過去幾多の大災害から日本人は力強く復活し、世界の賞賛を浴びてきました。その原動力は、「どんな国難でも俺達はうまくやってのける民族なんだ。」という日本人としての密かな自信とプライドではなかったか。と私は思います。でも今回の東日本大震災は、あまりにも被害甚大でした。福島原発事故に至っては打つ手打つ手が行き詰まり、その不手際を諸外国から避難される始末、私は日本人が自信とプライドを失いつつあるのではないかと不安すら感じています。
 こんな時だからこそ菅総理には頑張ってもらわねばなりません。先日も避難所へ行った時、被災地の住民から罵倒されていましたが、それは仕方のない事だと思います。何の罪も無いのに不条理に故郷から追い出された被災地の人は、最高権力者に怒りをぶつけなければ気持ちが収まらないのは当然の人情でしょう。ここは黙って怒りを受け止めるのも総理の務めです。
 「一昨年まで与党として原発推進した主犯のくせに、素知らぬ顔で総理批判する自民党議員」、「国難の時に総理の足を引張る民主党議員」、「政治主導でふて腐れ、ヤル気のない官僚」、「無責任に批判ばかりする大衆迎合ゴマすり評論家」等々・・・・菅総理、被災者から受けた怒りをコイツ等にぶつけてドヤシまくってください。あの「イラ菅」と呼ばれた頃の憎憎しげな程強気な菅さんは何処にいったのでしょうか。弱腰で卑屈な菅さんなんて見たくありません。支持率何か無視して逆らう奴は蹴飛ばして強気な指導者たる菅総理を私は応援します。
 





 平成23年4月18日
 春の香りを求めて甲州の山へ妻と二人、震災後初めて
遠出をしました。車が富士山麓に近づくと湖の周りはピンクや赤い花々が咲き、その頭上には真白き富士が気高く聳える。正に日本美の極致が展開しておりました。そんな中世間ではアチコチから菅総理ヤメロコールの声、それを叫ぶ与野党議員やメディアの評論家諸氏、駄目だし専門、揚げ足取りの名人ばかり、国家大事の最中に内輪喧嘩でみっともない事甚だしい。喧嘩の絶えない夫婦だって家が火事になれば協力して消火に努めます。一昨年の総選挙で国民が「民主党さんお願いします。」と頼んだのだから党首の菅さんが指揮を取るのが法治国家として当然の事。「無能だ。器が小さい。」と罵詈雑言を浴びせて、それでなくてもリーダーの資質がないと言われる菅さんの自信を喪失させて何の得があるのだろう。今被災者やその支援をする人々に必要なのは、復活へ向けての具体的な提言やサポート。後ろ向きの批判なんて事態が収拾した後に暇つぶしにやればいい。敵味方問わず皆が己の立場を忘れて助け盛り上げてあげれば、リーダーの資質無しと言われる菅さんだって頼れる指導者になれるはずです。いやなってもらわねば困ります。
・・・・(豚だっておだてりゃ木に登るんだから。)
 





 平成23年4月10日
 東日本大震災発生から1ヶ月、被災地から離れた所では計画停電やガソリン騒動も遠ざかり、平穏な日々が戻ったかのようだが、見通しのつかない福島原発事故現場や途方も無い瓦礫の被災地をテレビで見ると、3月11日14時46分を境に以前の日本では無くなってしまったと痛感せざるをえません。メディアも様々な報道をしておりますが、中には?と思うものもあります。TBSラジオ朝6時30分からの番組を聴いていると原発事故対策について「これも駄目、あれも駄目」とキャスターのM氏は駄目だしの批判ばかりを声高に発言している。それを聞かせられると我々無知蒙昧な大衆は気落ちして、「花見なんぞやってられねーな。旅行何て行く気になんねーな。」と益々ネガティブスパイラルに陥るばかりです。そりゃ真実を報道しているのでしょうが、真実の中には勇気や感動の物語だってあるはず、そういう明るいニュースもドンドン報道してください。「批判してれば正義の味方」何てポーズは天下泰平の時にやって、国民に希望と勇気を持たせる事もメディアの大事な使命でしょう。何せ今、日本という国が立ち直るかどうかの瀬戸際に立たされているのですから。








 平成23年4月5日
 今回の原発事故を受けて「二酸化炭素25%削減は困難となった。」という報道があった。という事は、「母親から毎月1500万円の仕送りを受けていながら気付かなかった。」というあの鈍感な某総理が、就任早々国連の場で華々しくブチ上げた「日本は二酸化酸素を25%削減する。」との大見得は、大幅な原発増強を拠り所にしての発言だったのか。でも原発安全神話が脆くも崩れ去った今は、それも叶わない事でしょう。とは言え、関東大震災や終戦後の焼け跡頃の日本人なら携帯やエアコン等電気が無くても生きていける強靭な生活力を有していましたが、現在の日本人は、電気が無くては生きて行けない脆弱な人々です。化石燃料による発電は二酸化炭素を増大させるし資源の限界もある。太陽や風力等の自然エネルギーも膨大な需要を賄う事は無理でしょう。とすれば日本の英知を結集してエネルギーの無駄を極限まで廃し、電気の消費量を抑制するしか日本の生きる道は無いということでしょうネ。





 平成23年3月30日
 久し振りに車の給油に行くと、あの長蛇の車列が嘘のようにガソリンスタンドは静かな雰囲気です。ジョギングで走る我家付近の田園地帯には色とりどりの春の花々が咲き誇り、その中に身を置くと大震災が起こった事は夢の話と錯覚してしまいそうです。それにしても新聞の一面は連日福島大原発の事ばかり、一部メディアは東京電力の不手際を責めているが、今は如何に危機的状況を終結させるかが問題で「たら、れば」を論じるときじゃないでしょう。それは終結した後にゆっくりやってください。又、不思議に思うのは、この原発事故では陣頭指揮で矢面に立たねばならぬ菅総理や東電社長や福島第1原発工場長達の姿がちっとも見えない事です。普段は居ても居なくてもよいけれど存亡の時こそ獅子奮迅の活躍をするのがリーダーというものでしょう。後日詳細は明らかになるでしょうが、きっとこの方々は、メディアの眼に晒さぬところで不眠不休、命懸けの指揮をとっている事と私は信じております。・・・・今ニュースが入って「東電社長が過労&高血圧で入院」しちゃったそうです。






 平成23年3月25日
 「今年の霞ヶ浦マラソンは中止となりました。」と大会事務局から葉書が届いた。こんな状況だから無理だろうとは思っていたが、楽しみでもあり目標にもしていたから少なからず落胆しました。被災地を慮って自粛自粛もわかるけど、発生から2週間過ぎ未来に向け動き出す事も必要でなかろうか。霞ヶ浦マラソンには2万5千名以上の人が参加する。その人達が一生懸命頑張る姿は決してマイナス面ばかりではないと思う。開催地の土浦市は直接の被災地でないと思うし、経済活性化の面でもプラス面はあると思うのだが・・・・
 ところで水道の放射能汚染騒ぎが勃発して、アッと言う間にぺットボトル
飲料水が品切れになったという。私も牛乳購入のため開店30分前のスーパーの行列に並んだら、最前列から飲料水購入の整理券が配られていた。GETした多くは中高年の人達です。だけど私はそのオジちゃんオバちゃん達に言いたい。「年寄りは長生きしても嫌な顔をされるだけだから、その整理券は長い人生を歩むであろう乳幼児の親御さんに譲ってあげなさい。」と・・・・







 平成23年3月21日
 地震後初めて車に乗り、青梅市のお寺へお墓参りに行ってきました。営業中のガソリンスタンドを通ると延々と車列が続く。あんまり長くて最後尾が確認できなかった。そりゃ燃料を求めて並ぶのはイイですよ。でも「イトーヨーカドー&マックのドライブスルー&ユニクロ&パチンコに車で行くなよ。2本足がくっついているだろう。その足は飾りかよ。」と私は立腹しております。私のように時間だけは持て余すような年金世代が暇つぶしに並んで、仕事や生活に追われて並ぶ事の出来ない人達が困窮しているんじゃないかと心配しております。今日も運転中、対向車がセンターラインを超え、こちらに突っ込んできました。路肩にぶつけながら辛うじて避けましたが世相が殺伐としているように感じます。最後に菅さん、今日被災地へ視察に行く予定を悪天で中止したそうですが、パフォーマンスで行くのはやめて下さい。貴方と随行者その重量分の米や燃料を送った方が、はるかに被災者の役に立ちます。それよか、放射能汚染の疑いありとして出荷停止になった野菜や牛乳を率先して試食し、害は無いんですよ。というパフォーマンスをお願いします。専門家は大丈夫と言っておりますから。






 平成23年3月18日
 地震後行動は自転車orウォークで、全く車に乗ってないからバッテリーが干上がるんじゃないかと少々心配です。ガソリンや食料を求める長蛇の列は相変わらずのようですが、さしてひっ迫もしてないのに、暇だけはタップリある輩が優先的に g e t して、本当に必要とする人々の手に入らないのじゃないかと危惧しております。某都知事が大顰蹙を浴びた「我欲」と言う言葉が、あの列の中にプンプン匂っています。でも我先に殺到する事も無く列を守り、売り側も売り手市場の中、適正価格を維持して販売する等、世界メディアが賞賛するように、世界的に見れば日本人は非常に優れたモラルの民族だと思います。映像に映らないけれど、福島第1原発の現場で決死の作業を行なう勇者達。自らも被災者でありながら避難所や被災者を支える無名の勇者達に、私は日本人としての誇りを感じております。






 平成23年3月16日
 我家に出来る唯一の被災地支援として、昨日郵便局で災害募金を振り込んできました。それにしてもメディアからの情報は暗いものばかり、日本という国が奈落の底へと滑り落ちていくような気がしてきます。スーパーの行列も相変わらずですが、一番酷いのはガソリンスタンドの行列、4〜5時間待の状態で、その車列が道路の渋滞を悪化させ、益々燃料の無駄使いや流通の阻害になっています。豊かな社会は流通によって維持されている事がよく判りました。電車が動かないので車を利用する人が増えているのも一因でしょう。徒歩や自転車での行動が可能な人は極力車の使用は控えて、給油の優先順位は被災地支援、次に必需品輸送車に徹底させるべきでしょう。
そして電車だけは大幅間引きでも良いから走らせて欲しいものです。私の住んでる最寄り駅は日中運行停止で陸の孤島みたいになっています。






 平成23年3月14日
 被害状況にしても福島原発にしても事態は悪化の一途を辿っており、気が滅入ってきそうです。先程スーパーに行くと入口は長蛇の列、私も並んで店内に入りましたが、既に保存の効く食品は売切れ状態、手当たり次第という感じで食料調達をしましたが、この雰囲気は一種のパニック状態と言えます。我家は浴槽に水を張り、18リットル缶×2個に飲料水を確保し長期戦に備えています。皆さんの所はどうでしょうか。?救われるのは、スーパーに押し寄せる人々が争う事もなく、キチンと列を守って落ち着いた行動をとっている事です。日本人の律儀さと言うか礼節を守る精神と言うか。日本人の良さを垣間見た瞬間でした。






 平成23年3月12日
 絶句、次々と田畑や家屋を飲み込んでいく大津波の映像がとても現実の出来事とは思えません。発生時、ホームセンターで食事を取っていた私は思わず屋外に飛び出したのですが、こんな揺れ方は、ズッーと以前、北海道で体験した十勝沖地震以来です。絶え間ない余震に日本壊滅の予感すら頭を掠めました。映像を見て耐え難い境遇の被災地の皆さんに「頑張ってください。」と思う事しかできない自分に無力を感じます。問題山積の老大国日本は、この大惨事から立ち直る事ができるんでしょうか。日本人の底力で必ず立ち直ると、今はそれを信じるしかありません。
我々が快適に暮らすこの社会の実態は、積み木のように危ういバランスの上に成り立っているのだと言う事を思い知らされました。








 平成23年3月5日
 本日、鴻巣バンジーハーフマラソンを走ってきました。この大会昨年は、足の故障で僅か3km地点にて棄権という不甲斐ない結果だったので、今回は絶対無理しないで気持ちよく完走しようという思いでスタートしました。ここは関東平野のど真ん中、フラットなコースは記録が出易いと評判で、私もマイペースに徹したお陰で折り返し地点を過ぎても充分余裕を残している。周囲の景色を眺める余裕もでてきた。10km地点で49分、ヨーシ後半飛ばすぞ。と張り切ったのだが、だんだん余裕が無くなってきた。ゴールに着いてタイムを見ると1時間45分、12月の小川マラソンよりは良かったものの、45分の壁は切れなかった。2年前は40分の壁を切っていたのに、ア〜ァ体力の低下と言うか老化の進捗と言うか。数字が厳しい現実を物語っている。次の霞ヶ浦フルマラソンは今日の2倍も走らなきゃならない。考えただけでもゾッとする。もうキツイ思いはしたくない。・・・・でも4月15日になったら、私は霞ヶ浦に行くのでしょう。そして去年味わった地獄の走りを、又今年も味あうでしょう。42.195kmを走り抜くというのは、普通の市民ランナーにとって容易に出来るものではありません。多くの仲間と一緒に走るから完走できるんです。アァその日が来るのが恐いような、待ち遠しいような・・・・










 平成23年3月1日
 まだまだ寒い日が続きますが、いよいよ3月、暦の上ではもう春ですね。身近な人の悲報が続いたせいか、何となくブルーな気分が抜けきりません。「心の中も春の気分に変えなきゃなあ。」と感じています。私の場合身体を動かし汗を流す事が気分転換の手段です。今週末に鴻巣ハーフマラソンそして4月に霞ヶ浦フルマラソンに挑戦します。もうどんなに頑張ってもタイムが向上する事は有り得ないので、記録に拘らず走れる喜びを感じつつ爽やかに駆け抜けたいと思います。と言っても42.195kmは実に遠く、完走できないかも知れませんが、それも仕方ないでしょう。私の人生は挫折や失敗の連続で成り立っており、今の自分に必要なのは、結果よりも挑むスピリッツでしょうから。・・・・チョッとカッコ良すぎる結言かな。








 平成23年2月20日
 18日未明、弟が亡くなった。享年58歳は日本人の寿命からすると随分短命です。多量の喫煙や偏食による不摂生が原因ではないかと思います。たまにくる電話は、借金の催促、見栄っ張りでお調子者。そんな弟を私は苦々しく思っており、兄弟関係は良好とは言えませんでした。弟の家族から危篤の報を聞いた時、亡骸と対面した時も悲しみが募るという事はなく、葬儀の間も「兄貴迷惑かけたなあ。の一言もなくあの世に行きやがって」と若干の苛立ちさへありました。葬儀を終え、出棺の挨拶でマイクを握った瞬間、突然流れ出た涙を抑える事が出来ませんでした。意識の奥底から肉親を失った慟哭が湧き上がってきたのでしょうか。財産や名誉も残さず逝った弟ですが、涙を流して別れを惜しむ家族や友がいてくれるのは、愛される性格もあったからでしょう。故人や倅の勤め先から関係者が参列してくださり、葬儀はそれなりに盛会でありました。それを見た弟の遺影の顔が「どうだ。」と自慢げな様子に見えて、再び苛立ちの思いが湧き上がる私でした。・・・・でも弟の死が最後に教えてくれた事があります。それは人が生きるというのは、どんなに貴重で有り難いものなのかという事です。ですから残された私の人生、大事に生きていかなければと思います。






 平成23年2月14日
 山の先輩の訃報が届いた。「弘中良平さん」享年82歳、遠い昔、厚岳会という山の会に入会した時の会長が彼でした。その頃の私は対人恐怖症気味の極めて人付合いの苦手な人間で、そんな私に勤務場所こそ違え、同じ組織で仕事をしていたと言う事もあったのでしょう。彼は気さくに暖かく接してくれました。もし彼が会長でなければ私は長くは会に留まらなかったと思います。そういう意味で私の人生に大きな影響を与えた人でした。
 彼の人柄を一言で言うと「万年青年」です。ある年の夏、彼と我々夫婦の三人で剣岳を越えて四日がかりの天幕山行をやったのも懐かしい思い出ですが、何と言っても彼と二人で正月に奥秩父、甲武信岳へ三度ほど登った事が思い出されます。標高差1300m余、雪の戸渡尾根を疲れも見せず登る彼に「俺より随分年上なのにタフだなあ。」と内心舌をまいたものでした。彼が毎年甲武信岳へ登った目的、それは山頂から富士山の真上に昇るカノープス(シリウスについで2番目に明るい恒星、南天にあるため中々見る事ができない。)の星空撮影、天文同好会の会長でもあった彼は、そのため深夜に標高2475mの冬山山頂に留まるのです。天体望遠鏡を持つぐらいに天文好きの私でも、それに従う気力はありませんでした。
 お酒が大好きだった弘中さん、天国には美味しいお酒がありますか。ほろ酔い気分で、今度は銀河の畔等歩いてみては如何ですか。
私は、もうしばらくこの世で山歩きを楽しみたいと思っています。そちらへ行ったら又山行ご一緒させてください。





 平成23年2月11日
 今日「僕と妻の1778の物語」という映画を観てきました。これは小説家、眉村 卓さんの実話に基づいた話で、癌で余命1年と宣告された妻に読ませるだけの短小説を毎日書き、1778話続けた物語です。その最愛の妻が亡くなった後の主人公の孤独と寂しさを、胸が痛む思いで観ました。
 仲睦まじい映画の主人公夫婦には程遠く口喧嘩の絶えない我が夫婦ですが、伴侶を亡くした時を思うと途方もない孤独と寂しさが想像されて足元が崩れていくような思いがします。でもたぶん私の方が早く死ぬでしょう。その時妻はどう思うのかな。案外「厄介者が居なくなり、これから私の時代が始まる。」何て張り切っちゃうんでしょうかね。






 平成23年2月8日
 年に一度行なわれる雪だるまクラブの一泊2日越後湯沢スキーツアーに参加しました。「障害者と健常者が一緒にスキーを楽しもう」と言うのが、この会の目的です。今回から役員を仰せつかった私は、以前のようにお客さん気分では居られず、主催者側の人間として円滑なツアー運営のため、けっこう慌しい思いをしました。2日目スキー場に到着したら「ポケットに宿のルームキーが入っており返却するのを忘れてた。」何て失敗もありましたけれど、役員になったお陰で会員の人達とより深く交流できた実感もあり、終ってみれば充実した楽しいツアーでした。ところで概ねスキー場というのは、健康な人を前提に運営されている所が殆んどなので、障害者に優しい環境のスキー場というのは中々ありません。同じく障害者用スキーツールも国産より欧米のものが優れているそうです。経済大国とは言っても福祉分野においては、日本はまだまだ欧米先進国の水準には達していないと言う事でしょうね。






 平成23年1月31日
 日本列島は寒波に覆われ、冷蔵庫の中にいるような寒さが続きますね。そんな中、新聞販売店から「相田みつお美術館」と日本橋三越の「陶芸薩摩焼、歴代沈壽官展」の入場券を貰ったので都内ウォーキングを兼て妻と出掛けました。池袋から歩き始め、雑司が谷の鬼子母神神社や小石川の凸版印刷博物館(300円の入場料ですが見所満載でお勧めですよ。)に立ち寄り、皇居北側をかすめて日本橋の三越で開催されている「歴代沈壽官展」を見学しました。場内は平日にも係わらず押すな押すなの盛況です。正直私にとって陶器は「猫に小判。豚に真珠」その良し悪しは判りません。展示されているのとスーパーで売ってる皿の何処が違うのかと思ってしまいます。さつま揚げは知ってましたが、薩摩焼は先日NHKテレビの「つるべに乾杯」で紹介されたのを見て初めて知りました。でもこんなに大勢の人が押し寄せるのだから、きっとありがたい物を見せていただいたんでしょうね。その後有楽町国際フォーラムにある相田みつお美術館を見学、相田みつおさんはよくラジオ等で紹介されてますが、書家であると言う事をここで初めて知りました。ちょうど障害の画家「星野富弘さん」との合同展示が開催されていて、お二人の書や絵の横に書かれた言葉が胸の内に染み入って、心洗われた思いでした。結局12km程も歩いたでしょうか。見所が多い都内を歩くのは、けっこう楽しいものです。そしてこの巨大都市「東京」が、意外と広くはないという事も感じました。






 平成23年1月22日
 イヤー間寛平さんのアースマラソン完走、凄い事ですね。私もジョギングが趣味だから、寛平さんが連日50km余りをを走り続け、地球一周した事がどんなに大変か一端を理解できます。ただ最後のフィナーレイベントが、オチャラケ風になったのが、少々興ざめでしたけど、まあ芸人さんだから仕方ないのでしょうね。そんな寛平さんに刺激された訳でもないんですが(いやだいぶされてるな。)私も昨日、我家から都心目指し、着替えや貴重品を背にジョギングで出発しました。川越を過ぎ富士見バイパスの広い国道をトロトロ進んで行くと、我が家のベランダからはマッチ棒くらいにしか見えない東京スカイツリーが、序々に大きくなってきます。結局3時間10分程走り、東武東上線、和光駅に着いた所でビールの誘惑に負けthe Endとなりました。距離はたぶん30kmを越えたくらいでしょう。それでも我が脚には乳酸がタップリ溜まりズシリと重い疲労感が残りました。改めて寛平さんの凄さを実感したところです。







 平成23年1月18日
 年明け早々、我家の猫キキの具合が良くありません。持病だった鼻の蓄膿症が悪化して息苦しいせいで食欲がないため元気がないのです。お医者さんの話では高齢の為病気が根治する事はないそうです。最近は、目薬のような奴を鼻の穴にたらし、バターに混ぜ込んだ薬を口に突っ込みます。キキにとっては理不尽なイジメにあってるようなもんで、必死に抵抗するのも無理はなく、毎朝夕二人がかりでやっとこさ薬を与えています。苦労して与える薬が効いたのでしょうか。ミルミル元気を取り戻してきたようです。今日病院に連れて行くと、「効いているようだから、当分この薬を与えてください。」と先生の話、という事は、当分泊りがけの登山やスキーは出かけづらいという話になるのだろうか。毎日朝夕、苦痛を強いられるキキも憂鬱だろうが、私も少し憂鬱な気持ちになってきました。妻が聞けば「何て冷たい人なの。」と糾弾されそうですけど。






 平成23年1月12日
 岳友のS夫妻と妙高へスキーに行って来ましたけれど、それにしても上越地方は凄い雪ですね。朝、出発の関東地方はカラカラの乾燥した空気に真っ青な空だったのが、上信道の信州中野を越えた辺りから見る見る雪景色へと変化します。何度も通っているので、当たり前と思っていたのですが、これって世界的に見ても驚異の変化ではないですかね。世界有数の近代都市東京から車で2時間も走れば、世界有数の豪雪地帯にワープできるんですから、「世界一高い東京スカイツリーからの展望を楽しんだ後は、高速をブッ飛ばして雪遊びに温泉を楽しみましょう。」なんて観光資源としても有望ではないでしょうか。最近増えてきた隣国の小金持ちをドンドン呼び込めば、スキー客が減って閑古鳥が鳴くスキー場や宿泊施設も少しは賑わいを取り戻せるんじゃないでしょうか。何しろ平日のスキー場は、滑っていてフト周囲を見廻すと白い世界に人っ子一人居ない事がよく有るんです。







 平成23年1月8日
 年明け早々、南ア、鳳凰山観音岳へ行って来ました。これは怠惰な日々を送る我が身に、年に一度は冬山の過酷な環境に身を置いて、試練を与えねばという危機感からの行為でもあります。零下20度近い寒気の中では、装備一つ忘れると自分の命も守れないので、半惚けの脳味噌をフル回転して注意深く行動せねばなりません。でも凍りつく大気の雪山を、ただ黙々と歩を進めていれば「アァ、今自分は生きているんだなあ。」と体感する事が出来ます。これは日々の生活では得る事の出来ないものです。雪の山中で一夜を過ごし、翌朝白銀の稜線で一人ポツンと富士山の横から昇る赤い太陽を眺めていると「今年も頑張って生きていこう。」とささやかなファイトが湧いてきました。





 平成23年1月1日
 山陰地方では大雪のため、雪崩死亡事故や交通大渋滞で大変な年明けになっておるようですが、関東地方は穏やかな天気の中、平成23年の初日の出がシズシズと昇り富士山を薄紅色に染め上げました。初日の上にかかる龍のような雲は、今年の吉兆を現しているんでありましょうか。大した事は出来なかったけれど災いも無く平和に過ごせた昨年度に感謝し、今年もいろんな事を体験して、健康で平穏な姿のまま、次回の初日の出も迎えられるよう真紅の陽光に願いを込めました。







 平成22年12月26日
 新しく買ったスキー板を試したかったのですが、雪不足のため関東地方は大部分のスキー場がオープンしておらず、営業しているのは降雪機で人口雪を降らせた一部のスキー場だけ、その一つ軽井沢プリンスホテルスキー場へ一昨日初スキーに出掛けました。ここは名前からしてあまり気の進まない場所なのですが、他がやってないので仕方ありません。来てみたらやっぱりガックリ、滑走可能は初心者コース2本のみ、そのコースは芋の子洗うような大混雑、しかも大半が世話の焼けるチビッ子連中で、数少ないリフトはまるでJR中央線のように運転停止を繰返す。滑っているのが馬鹿馬鹿しくなり、缶ビールを飲んで休んでいたら以前の職場の同僚H氏と出会いビックリ、十数年ぶりの再会でした。奥さん・子供さんの三人連れで、障害のある子供さんを奥さんが一生懸命ヒモで確保しながら滑っておりました。彼自身は腰を悪くてスキーは出来ないので暖かく見守っているのでした。一期一会、次はいつ再会できるかわかりませんが、「彼とご家族が何時までも幸せでいられますように。」と思いを秘めて、今夜は地元の温泉に宿泊するという彼と別れ、夕闇迫る上州路を我家へと戻りました。







 平成22年12月21日
 奥多摩の登山を終え小川谷林道を下山していると、屯している数人のオジサン達に遭遇した。通り過ぎる私に、その中の一人が「犬を見なかったか。」声を掛けてきた。「鹿しか見なかったよ。」と答えたが、どうやらハンター達のようです。高級四駆車に大型無線機と現代マタギは物物しい装備で固めています。最近、老齢化や成り手がいなくて有害獣駆除のハンター不足で役所が困っているという話を聞きますが、近頃やけに鹿や猿を目撃する機会が増えた気がするのは、その事もあるのでしょうか。昔は殺生する生業というのは世間から嫌悪されていて、丹沢のある山小屋等「鬼畜ハンターは立入禁止」何て張り紙があった程で、私も猟をする楽しさというのは理解できません。しかし、よく利用する図書館で半日ソファーに居座り、大口開けて居眠りしている(私も時々やってる。)オジサン達より、ひげ面のハンターのオヤジ共の方が、遥かに活き活きと生気に溢れていると認めざるを得ません。「いよー、肉食系オヤジ」と声を掛けたくなるほどです。







平成22年12月13日
毎年恒例の小川町和紙ハーフマラソンを走ってきました。正式な結果は後日送られてくるのですが、私の計測では1時間47分程かかっており、これは昨年より6分も悪いタイムで、今までのワースト記録です。何か原因があっての不調なら改善の余地もあるのですが、特に無く単純に体力の低下、即ち老化現象と言わざるを得ません。走っている最中も、抜くより抜かれる人がいつもより多い感じで、その抜く人のペースがちっとも速く見えないのです。という事は自分は更に遅い訳で「バネが無くなったなあ」という実感が現実のものとなったようです。ゴールの時点で体力の余裕は全くありませんでした。3月初旬に、もう一度ハーフを走るのだけど、それも駄目だったら、もうフルマラソンは無理でしょう。長年親しんできた市民マラソンの世界から遠ざかる潮時なのかなあと、一末の淋しさを禁じえませんでした。






 平成22年12月8日
 今度の日曜日、小川町和紙ハーフマラソンに参加するので、最後の調整練習中です。先日は3時間走をやって万全の体制です。時間だけはタップリあるので、ただ最近走っていて何か違和感を感じます。足裏の弾みがなくなった。簡単に言うと「バネが無くなった。」そんな感じですか。これが老化による体力低下という奴でしょう。老化は誰にも避けえない事だから仕方ないとはいえ、淋しいものですね。
 話コロッと変って、今テレビは何処を見ても「海老蔵さん事件」ばっかり、他に無いんですかね。大砲の弾が飛んでくる事もない。平和ノー天気日本国だから、こんなものなんだろうけれど・・・・・私的には、金星探査機「あかつき」が失敗した事の方が期待していただけに少なからずショックでした。






 平成22年12月4日
 数日前、CTと腹部エコーの検査を受けて来ました。8年前の手術以降毎年12月に受検しているのです。これは6月に受検している胃カメラ&大腸ファイバーより身体的な苦痛は少ないのですが、嫌なのは、後日検査結果を聞きに行く時で、今回も「肺に少し影がありますね。」 「ドキッ」 「腎臓も・・・・」 「ズキッ」 「でも毎回検査を受けていれば大丈夫でしょう。」と奥歯にもののひっかかったような説明の仕方。気持ちを引きずりやすい私は、割り切れぬ思いを内に秘め病院を後に、渋谷界隈を歩いていると、奇抜な衣装の若者達が、何の悩みも無さそうにノーテンキな笑いを浮かべて行き交います。でも、こんな若者達も一人になると泣きたくなるよな悩みを幾つか抱えてるいるんじゃないでしょうか。名誉にお金に美人妻と誰もが羨む、天下の二枚目「市川海老蔵」だって、人には言えぬ悩みやトラウマがあるからこそ、あんな深酒をするんでしょう。「男はつらいよ。」と言った寅さんと皆同じなんだと思いますよ。







 平成22年11月30日
 関西の山に遠征して来ました。幸い天気に恵まれて鈴鹿の藤原岳〜御池岳、御在所岳〜鎌ヶ岳、比良の武奈ヶ岳、京都の愛宕山、滋賀の霊仙山と毎日のように登る事ができました。出発前、周到に準備したはずなのに、デジカメを忘れてしまいHPに載せられないとガックリきましたが、「そうだ、携帯電話にカメラがある。」と気付きました。だけど今まで通話とメール以外使った事がないので撮影操作がややこしくて四苦八苦、でも何とか全ての山で撮る事ができました。それをパソコンに転送して見るとデジカメに比べ画像の悪さは歴然、でも映像が残っただけでも良しとしなければなりません。そんな訳で今回の山行、極めて画像の悪いHPとなっております。でも紅葉と歴史に彩られた関西の山々は中々素晴らしかったですよ。お世話になった京都のIさんありがとうございました。









平成22年11月18日
 偏見の多い私ですが、「こいつは好きになれない。」というタイプの人間がいます。まず「威張る奴」次に「やたら自慢話する奴」、最近嫌いなのが「ペット自慢それも血統を自慢する奴」。アイドルや女優さんでいるでしょう。「うちの○×チャンとっても賢いシャム猫なのー」何て・・・・こんな人間が、貧困や災害の困窮者に対して、同情めいた事を行っても「何を白々しい。」と舌打ちしたくなります。今、日本では年間何十万匹の犬や猫が殺処分されてるといいます。なのに血統の良いペットは高額で買われる(高いものはンー十万円)との事。人間の格差社会も酷いですが、ペットの世界も過酷です。だから私は、野良を拾ってペットにしている人は、それだけで好感をもってしまいます。勿論、我家の愛猫も正々堂々の捨て猫でした。確かに客観的に見れば、容姿端麗と言い難く、可愛いと思うのは我々夫婦だけでしょう。でもとても気立ての良い性格で我家に無くてはならぬ存在です。時折、妻に向って「少し見習え。」と見えない所から聞こえぬように言っているくらいです。
 アッついペット自慢になってしまいました。こんな事言ってる自分も決して好きにはなれないタイプです。

 







 平成22年11月10日  
 本日折たたみ自転車を購入しました。その目的は登山の際、登山口と下山口が異なる場合の移動ツールとして使用するためです。コンパクトなので車に積載するのも楽勝です。以前ヤマダ電機で8、800円の折たたみ自転車を買ったのですが、これが「安物買いの銭失い」長い坂道を降る時は、ブレーキがぶっ壊れるじゃないかと肝を冷やし、変速機がなく車体が重いので一寸した登りでもペタルが重く、歩いた方が速い位です。早い話が使い物にならない粗悪品。今度の奴は、英国製で3万数千円した私にとっては高級品。アルミ製の軽い車体に7段変速、その性能の差は予想以上で、これを活用して何処の山へ行こうか、今からワクワクしています。
 このところスキー道具に自転車と高価な買い物が続き、年金生活の身でと私のチキンハートが揺れてますが、元気でいられるのも今のうち、たった一度の人生ケチらずに遊べる時は遊ばなきゃと
思った次第であります。





 平成22年11月3日
 毛呂山町に住む知人のT氏から「近くの神社で流鏑馬があるから見に来ないか。」とお誘いのメール。岳友のS氏と一緒に見学に出掛けました。見学だけじゃ面白くないと若葉駅から歩いて行くことにしました。文化の日のせいでしょうか。各地で行事が催されています。
 お囃子が聞こえるので鶴ヶ島市の日枝神社に寄り道すると「高倉獅子舞」を演ずるとの事。開演時間が2時間後なので残念ながら見る事はできません。高麗川を渡って、城西大学の正門前を通ると、ちょうど学園祭の真っ最中、昼飯時なので何か食べようと校内に入れば凄い混雑振り、各出店は長い列で、結局萌えキャラコスチュームの女子大生からお汁粉を買っただけでした。
 広大な武蔵野霊園の脇を抜け、流鏑馬が行われる毛呂山の出雲伊波比神社までは、あと僅か、ところが二人とも狭い静かな道ばかり選んで歩いていたので、道に迷ってしまった。T氏から「何してんの。」との携帯電話。結局約束の時間より30分以上の大幅遅れで流鏑馬会場に到着、T氏には「済みません。」と平身低頭です。それで肝心の流鏑馬ですが、見た目も華やかですけど、伝統の重みを感じて中々勇壮な行事でした。T氏から由来等説明してもらったのですが、S氏共々足を運んで来た甲斐があったと、脳味噌に喜びと充実を浸した一日となりました。






 

 平成22年11月2日
 国勢調査の仕事を10月下旬に終えました。いろいろ思うところがありましたけれど「知り得た事は明かさない。」守秘義務の為申す事はやめましょう。
 先日、妻と私のスキー板&妻の靴を購入しました。6桁を越える我家にとっては久々の大規模ショッピング。貧乏性の私は、たかが遊び道具にこんな大金投じてよいのかと少々ビビリました。我々が手に入れたのは、勿論大幅値下げの旧型モデル。ニューモデルは板だけで、何と1組十何万円もするんです。下手な中古車が買えるじゃないですか。雪の斜面を滑るしか能のない板切れが車とタイマンを張る。この価値観には一寸ついていけません。でも私にとっては今までで一番高級なスキー板、運動神経・バランス感覚共に並以下で、あまりスキーの資質に恵まれてるとは言えない私でも、今度の冬は少しは華麗なシュプールを描けるのじゃないかと、密かに雪が待ち遠しいです。






 平成22年10月26日
 先週末、我家のあるマンションで年に一度の住民総会が開かれました。築4年なので今年で4回目、例年参加率は低いのですが、今回は特に低く、ザッと見、役員を含めても30名程の参加でしょうか。中高年の人が多いです。152世帯だから僅か20%の参加率。開催場所が1階ロビーなので、外出の際、ここを通らざるをえません。ゴルフバックを担いだ人、ペットを抱えた人、買い物袋をぶら下げた人達が出入りしています。気まずそうな顔の人もいますが、「そんなのカンケーネー。」みたいな顔もあります。それに毎日午後、玄関辺りでプラプラしてる若いママさん連中の顔も見受けません。今時のマンション住民は、こんなもんでしょうかね。年に一度の行事すら参加しないこんな自分勝手な住民ばかりじゃ、その子供達も思いやりのない身勝手なクソガキに育っていくのでしょう。自分の住んでる所が、繋がりの薄いよそよそしい環境なんだなあ。という思いを実感いたしました。
 





 平成22年10月19日
 日本縦断の旅を歩き終えてから約1年が経ちました。ゴールの日本最北端宗谷岬で遠路はるばる出迎えてくれたのが、岳友のS夫妻とI夫妻。感謝の意を込め一周年記念の会食に、我家へご招待しました。ゴールの後、我家も含め3組の夫婦で旅した北海道珍道中の楽しい話で盛り上がるかと思いきや、過去の思い出は忘却の彼方に去り、「アッチに行こう。コッチに行こう」と未来の遊ぶ計画に話は盛り上がる。皆さん還暦過ぎているのに元気だなあと感心させられます。しかし過去を振り返ると I(旦那)さんは、山の事故で障害者手帳を持つ身体だと言うし(あんなに元気な障害者がいるのかなあ。と疑惑の眼を向けたくなるが)、S(旦那)さんも、医者から「今晩が山です。」と言われた瀬戸際の過去がある。(今は重い荷を背負ってバリバリ山を登ってます。)かく言う私も、両先輩に比べると格落ちだけど、7年前に胃を3分の2切っている。それに比べて奥様方は、過去に大病を患ったなんて話は全く聞きません。「私って駄目なのよー」何て言いながら、結局女性の方が遥かに強いんですネェ。マッ、とに角、元気に動ける日々はそんなに残されていないでしょうから、今のうちに行きたい所は行っておきましょう。






 平成22年10月12日
 3連休、紅葉見物に新潟の山へ行こうと計画していたのですが、天気予報はベッタリ傘マーク、家でおとなしく読書でも思っていたら朝食を終える頃、俄かに陽が差し、好天の兆しが見えて来たではありませんか。妻とウォーキングへ出かける事にしました。私は日頃のジョギングの成果で、我家から半径10km以内の地理については、殆んど熟知してると豪語できます。未知の領域を歩こうと少し離れた川越駅を出発点として、埼玉新都心を目指しました。何処にでもある平凡な風景の中を進みますが、「二度と此処には来ないだろう。」と思えば感慨も新たです。埼玉県を分割する荒川、治水橋からは広々とした関東平野の眺めが実に爽快でした。到着した埼玉アリーナ前では、さいたま祭りが行われていて、各地の踊りやミスコン、沿道芸、出店等盛沢山の催しに、思いがけず楽しい一時を過ごしました。結局大宮駅まで歩いてウォーキングを終えました。ほど良く疲れた身体で帰りの電車に乗り込むと、車窓から関東周辺の山々が西陽の中にクッキリ浮んで見えました。ウォーキングもいいけど、やっぱり山に行きたかったなあ。







 平成22年10月4日
 テレビで、最貧国の一つ「バングラデシュ」の紡績工場で女工さん達が賃上げのストライキをしているとの報道がありました。彼女達の月収は何と2千円。ついこの間、日系企業で賃上げストをやっていた中国人が、月収2万数千円だという。以前私が勤務していた埼玉にある工場の派遣社員の人に聞いたら月に20数万円貰うと話してました。日本人に比べその差はザッと中国人が十分の一、バングラデシュの女工さんは百分の一という事になります。じゃその日本人がバングラデシュの女工さんより百倍働いているかというと、そんな事はありません。工場幹部の人が「同じ様に働いている日系ブラジル人の方が陽気でちゃんと挨拶はするし日本人より真面目に働いている。」と言っておりました。グローバル経済の中、これでは工場が海外へ逃げ出して行くのも無理はありません。
 前回の参院選で苦戦した一部野党の人達は、「大企業や金持ちへの税金をもっと上げろ。」と口癖のように訴えております。これは至極立派な正論でありますけれど、この論を突き詰めると「お前ら金持ちからもっと金を巻上げる。嫌なら外国へ行け。」と言ってるようなもので、「将来の日本は、海外へ出る程余裕のない零細企業と、海外へ出る金も意欲もない貧乏人だけの国になってしまうのではないか。」こんな私の思いは杞憂なんでありましょうか。





 平成22年9月26日 
 昨日、妻と都内散策に出掛けました。きっかけは購入している新聞店から、池袋サンシャインにあるオリエント博物館の入場券を貰ったからです。都内に出るのは久し振りです。博物館の見学を終えると時間が余ったので、東へ向けアバウトにウォーキングを開始、そのうち不忍通りを進んで行くと都立六義園
があったので中を見学、江戸時代に築かれた和風庭園です。初めて訪れた私は、コンクリートジャングルの都心に、このような水と緑豊かな空間がある事にちょいと驚きました。その後、巣鴨駅近くの刺抜き地蔵商店街を散策しました。こちらも初めての所です。中々の賑わいですが、池袋周辺みたいに人と人がぶつかり合うような混雑ではなく、歩行者天国の商店街メインロードはほど良い賑わいが好ましく、何より私の大好きな和菓子や惣菜の店が多くて、けっこう楽しめました。その後、池袋で一杯飲んで帰宅したのですが、終ってみれば中々充実した東京日帰りツアーでありました。






 平成22年9月19日
 最近「山ガール」なる言葉が流行っているそうです。そういえば今回歩いた穂高の山でも、若い女性のパーティを何組か見かけました。このところ中高年ばかりが目立ち(俺もその一員だ。)、セピア色のようになった山の雰囲気に、《山ガール》が華やかなファッションで登場してくれるのは嬉しいかぎりです。鈴のような声で明るく挨拶でもしてもらえれば、気難しいオジンも思わず顔がほころび疲れも吹っ飛ぶと言うもんです。只あまり深入りし過ぎて「谷川岳の衝立岩がどうの穂高の滝谷がどうの」何て言う《山女》に変身されちゃうのは、一寸考えものです。育ち過ぎた竹の子みたいに、煮ても焼いても喰えない可愛げのない存在になってしまいますから。






 平成22年9月11日
 一緒に添乗員講習を受講した同期の人達と川越で飲み会をやりました。皆、私と同じ最初の定年を終えた60歳代前半の人ばかりです。今年2月に始まった講習最初の説明会では150名もの参加があったのに、講習→試験→会社研修→添乗業務と経過するうちに、現在同期として付き合っているのは僅か6名だけ、そういう意味では貴重な人間関係です。バスツアー添乗で主要な業務にマイクトークがあります。同期のM氏は、このトークが苦手のようで会社研修の時、講師から随分注意を受けておりました。(Mさん。もしこれを見てたら御免なさい。)ところが、このM氏が添乗員として、今一番頑張っています。人間は第一印象では判断できませんネ。早々と添乗員から逃げ出した私は、生き生きと添乗業務を語るM氏に、深々と頭を垂れるのみです。






 平成22年9月3日
 異常気象、異常気象と大騒ぎする世間に便乗するのもなんですが、確かにこの猛暑は堪えます。我家にもリビングと寝室にエアコンがあるのですが、へそ曲がりと言うか、電気代を惜しむというか極力冷房は入れないで過ごしてきましたが、このところ妻は、午後になると寝室のエアコンだけは冷房ONにします。何故かというと、日中寝室は猫のキキが占有しており彼女の健康を損ねないという理由からです。我家の他の住民と違ってキキは「嫌味は言わない。愚痴は言わない。あれしろ。これしろ。仏頂面はしない。」一番人間(猫?)ができています。家族安泰のキーパーソン(キャット)として今後も活躍してもらわねばならず私はリビングで生ぬるい扇風機の風を浴びながら、彼女の末長い健康を願っています。






 平成22年9月1日
 最近山の遭難事故が目立つような気がします。奥秩父、両神山で男性(30歳)が2週間ぶりに救助。北ア三俣蓮華岳では女性〔61歳)が16日ぶりに救助。いずれも奇跡的生還を驚異の眼で報道されておりますが、これは天候に恵まれたという幸運があったからで、もし悪天に遭遇したら生還は無かったと思います。遭難者に共通するのは登山計画書を提出していない事、彼〔女)らは計画書を作成しないんでしょうか。かく言う私の登山は、計画書の作成から始まります。と言うより作成するのが楽しいんです。地図を見ながら作っていると自分が実際に歩いているような気になります。自分がやってるから言うんじゃないですが、計画書の提出なき登山は禁止するなんて法律はどうでしょう。?「そんな堅苦しい。高尾山みたいな山でも提出するのか。!」でも高尾山で遭難した人だっていますからね。少なくとも救助する側の苦労は減少すると思いますよ。






 平成22年8月23日
 安曇野にあるFさんの別荘に岳友,Iさん夫妻が滞在しているので、後立山連峰の縦走を終えて立寄ると、Fさんが中国の留学生Tさんご一家を連れて別荘へやってきました。Tさん夫妻と2歳の愛くるしい娘さん、それにご両親の総勢5名、外国の人と親しくお話するなんて経験殆どないので、少し緊張しました。Tさんは医師で博士課程習得を目指すエリート、なのに慣れぬ日本語で一生懸命話す、その姿に上質な人柄が滲み出ています。夕食はご両親が本場の中華料理を振舞ってくれました。とても美味しく頂きました。聡明な奥さん、愛くるしい娘さん、優しいご両親と本当に良い人達で、言葉さへ通じれば違和感無く打ち解けられそうです。国家間では、いろいろ問題もありますが、個人交流が深まれば、中国との関係はもっと緊密で仲良くなれるのでしょう。それにしても留学生支援活動の会長をしているFさんには頭の下がる思い、同じFでもこの私、自分の遊ぶ事ばかりウツツを抜かし、もっと社会貢献しなければと反省しきりであります。







 平成22年8月17日
 村上春樹の「走ることについて語るときに僕の語ること」という本を読んでいます。彼がかなりレベルの高いランナーであると言う事を今まで知りませんでした。彼の作品は何処か理屈ッポイ印象があって、あまり好きではなかったのですが、この本を読むと、同じ市民ランナーとし共感できる事柄が多々あり「ウンウン」と頷かされます。村上春樹のイメージが一変しました。彼は本の中で言っています。「ランナーでなかったら今の村上春樹は存在しないだろう。」・・・・彼のように有り余る才能の持ち主と比較するのはおこがましいですが、私が唯一、他人様に自慢できるもの「僅かばかりの持久力」も若い時から走り続けたお陰で持ち得たもの、もし走る事を趣味としていなければ、体力・知力・気力全て劣等感に覆われた凡庸な人間になっておった事でしょう。老化による体力低下は歴然足るものがありますが、体力が続く限りジタバタ続けて参りたいと思います。





平成22年8月2日
 先週、妻と青森県の白神岳へ向いました。ところがそれと併せるように東北北部の天気は大雨洪水警報の真っ只中、登山口で車中泊の予定も荒天に恐れをなし、一緒に登る予定で合流した I さん・Sさん共々八森いさりび温泉のバンガローに逃げ込みました。予報は狂わず、当日も山は雨雲に翻弄されています。登山口まで行ったものの結局登山は諦め、観光ドライブに変更、妻と二人、五能線沿いに海岸を走り、津軽半島、金木町の太宰治記念館(斜陽館)や津軽三味線会館などを見物、この地域初めて訪れたのですけど、見応えがありけっこう楽しめました。先月の焼額山と言い、今回の白神岳と言い、最近ガムシャラに登る事がなくなりました。これも無職ゆえ時間だけはタップリあるので、その余裕なんでしょうか。それとも体力・気力減退の兆しでしょうか。






 平成22年7月26日
 富士山に登ってきました。既に十何回も登っているので、今回は海抜0mから日本最高地点3776mを登るというテーマでした。具体的には駿河湾の千人浜から御殿場登山口を経由して富士山頂剣ヶ峰まで3日かけて登りました。辛かったのは登山よりも御殿場登山口5合目に至る炎天下の車道歩きで、直射日光を浴びて歩いていると半ば朦朧として傍目にはラリッたオジサン状態でした。3日目の午前9時40分、到着した富士山剣ヶ峰の標識前は押すな押すなの大渋滞です。「こんな登り方した奴は、そう居ないだろうな。」密かに自己満足。誰に喜ばれる訳でもないが、私的には冥土への土産話が一つ出来た。と言ったところです。





 平成22年7月18日
 妻の誕生日祝いと言う事で、信州の温泉に行ってきました。志賀の焼額山に登ってから泊ろうと計画したのですが、生憎の梅雨空、とても登山という天候ではなく、軽井沢観光に変更し、その夜宿泊したのは、渋温泉、金具屋旅館。これは妻の希望で、昭和初期に建てられた壮大な木造建築は、国の有形文化財に指定されており、度々テレビ等で紹介されているとの事です。翌日も観光で、地獄谷温泉の野猿を見物した後、小布施町へ・・・・此処には葛飾北斎の浮世絵等を展示した北斎館があります。北斎は江戸期の人としては長命で、90歳まで生きたそうです。その生涯年表を見ていたら私の61という年齢は、たとえ彼と同じほど生きたとしても人生の終末期が間近なんですね。この年齢まで妻と二人、健康で好きな事が一緒にできるなんて、本当にありがたい事だと改めて思いました。





 平成22年7月6日
 妻が前から見たいと言っていた、さいたまし市の鉄道博物館へ昨日行って来ました。平日にも係わらず、沢山の人(特に子供連れ多し)で賑わっています。明治初期の蒸気機関車から新幹線まで展示され、古い客車内では「これに乗って、登山やスキーに行ったなあ。」何て今では淡く切ない青春時代の思い出が、懐かしく甦ります。我々の20代は何処へ行くにも列車でしたから。・・・・シュミレーション運転コーナーや自分で運転できるミニ電車は行列が出来る程で、子供達は大喜びです。大人でも半日充分に楽しめますから、まだの方は、ぜひ一度見学される事をお勧めします。





 平成22年6月28日
 8年前に手術して以降、毎年6月に胃カメラと大腸ファイバーの検査を受けており、今年も行ってきました。担当した医師の腕が良かったのか、私の大腸の調子が良かったのか、今回は、そんなに辛い思いもせずスムーズに検査を終えました。しかし担当の優しそうな女医さん。「アレ、何でしょう。取っときましょうね。」何て言いながら大腸×1箇所、胃×3箇所も組織を採取。8年前の胃カメラでも「胃潰瘍みたいですねー。」軽い調子で言ってたのが、胃癌だった訳で、今回も結果が判るまでは「心穏やかであらず」と言うのが偽らざる心境でした。結果を聞きに行くと、パソコン画面に現れた検査結果を見ながら「問題ありません。」と言われ、ジワリと安堵の吐息が溢れました。担当が替わり、初対面の医師からは具体的な説明をしてもらえず「良かったですねぇ。」位の言葉のやり取りで喜びを共有したかったけど、まあ、取りあえず何事もなくて「良かった。良かった。」でした。





 平成22年6月18日
 山で道迷いするのは圧倒的に降りのようです。何故なら登りは山頂という一点へ行くのですから高みを目指せば、必ず山頂へと導かれます。それとは逆に、降りは山頂という点から360度拡がる裾野へ行く訳ですから、最初の僅かな誤差が、降るほどに拡がります。迷った時の鉄則は、迷う前の地点に戻る事ですが、降りの場合は労の多い登り返しとなる訳で、それを嫌い右往左往するうちに現在地も判らなくなり抜き差しならぬ事態に陥る。先日、私も迷いました。南ア、生木割山からの降りに道を見失い、コンパスの針は本来進むべき方向とは真逆を指しています。こんな時、コンパスよりも自分の感覚を信じてしまうのです。一瞬ヤバイと自信を失いかけましたが、再び山頂まで戻り、大事には至りませんでした。久々に山の怖さを味わいましたし、自分の方向感覚が当てにならぬかも思い知りました。やはりコンパスを信じなきゃいけませんね。








 平成22年6月9日(水)
 15年前までいた職場が、創立50周年の懇親会を開くというのでOBとして参加しました。久し振りの職場は見違える程綺麗になり、浦島太郎の心境です。現役の方々の頑張りに感銘を受けました。当然の事ながら、その現役も様変わりし、殆ど知っている人はいません。OBも15年ぶりに会う方ばかりで、中には「コンチキショウ」って人や「迷惑かけて面目ない」何て人もいましたが、長い時の流れが浄化してくれたのか、懐かしい話で盛りあがりました。結局二次会まで付き合って帰宅しましたが、妙に疲れて早々と床につきました。最近、世間と係わる事が減ってきたので、気疲れしてしまったのでしょうかね。精神的老化も粛々と進行しているようです。






 平成22年6月5日
 あまりに晴天が続くので山に行きたくなり、妻が仕事に出掛けている間に装備を手早くまとめ、一人車で出発しました。夕闇の中、奥多摩山中の登山口で寝支度をしていると、妻からの携帯コール「行くなら行くと、出掛ける前に言ってよ。」とクレームの言葉、ごもっともですが、長年夫婦をやっていても、時には一人になってみたい事もあるんじゃないでしょうか。妻が仕事の時、私は一人になれるけど、妻が家に居る時、濡れ落ち葉みたいに私がまとわり漬いたら嫌にもなるでしょう。チェッカーズの歌じゃないけど「解ってくれとは言わないがアー」妻に休日を気儘に過ごして欲しい。という私の思いもあるのです。定年過ぎたオッサンが、家で濡れ落ち葉化した。という話をよく聞きますが、私はそんな惨めなオッサンだけにはなりたくはありません。






 平成22年5月27日
 かって私が所属していた山岳会の集いに、妻と参加してきました。この会は随分前に解散し、現在は活動していません。。都内築地の会場には、63名もの仲間が出席し、ほとんどの人とは久し振りの再会なので、昔話に花が咲き、楽しい一時を過ごしました。思えば私は、この会に山のイロハを教えてもらい、一生の友を得て妻とも巡り合いました。もし入会していなければ、私の人生は随分淋しいものになったろうと想像されます。会の解散時に役員をしていたので、密かな負い目も感じていたのですが、共に山を駆け巡った懐かしい日々を語りあうと、青春時代の楽しい思い出が甦ります。皆さん年齢を重ね、「剣だ槍だ」何て人はあまり見受けられませんが、近郊ハイクや飲み会でもよいから、又山仲間達と人生を楽しむ事ができればなあと願っています。






 平成22年5月18日
 TVを見ていると、腹が立って、腹が立って思わずスイッチを切ってしまいました。国会内で民主党の女性議員が自民党の甘利議員に押されて「ヒッドーイ」と悲鳴をあげ転倒したシーン。国内では普天間基地の移転や宮崎県の口蹄疫流行、財政赤字等の大問題が目白押しなのに、「押したの押さないの」お前ら幼稚園の園児か。議員一人頭、1億円の年間経費が掛かっているのに、あんまりくだらない事に時間を費やすなよ。それに次期、参議院選挙立候補者の顔ぶれを見たら、政党と言うより芸能プロダクションじゃないですか。もうつくづく嫌になったので、これから我家を出て大宮駅から春日部まで歩いてきます。春日部には中古天体望遠鏡の売買をしているCATというショップがあり、前から行って見たかったのです。馬鹿げた浮世を離れて、無限の宇宙に心を馳せたい思いもあります。・・・・何て言う私もノーテンキなオッサンです。








 平成22年5月6日
 5月連休、夫婦で穂高連峰に行ってきました。妻にとっては12年ぶりの雪山です。普段歩きには自信をもっている妻も雪上歩行は勝手が違うのか、涸沢に着く頃はバテバテの状態でした。2日目は最高峰の奥穂高岳を目指したのですが、白出のコル上のハシゴ場付近が完全凍結しており、岐阜県警の山岳救助隊が装備・技術共万全なパーティしか通してくれません。当然ながら我々夫婦が登れるはずもなく、南側に位置する涸沢岳へと方向転換、30分程で山頂に到着しました。穂高連峰では脇役ながら標高3110mの立派な山です。今の私達には、これが限界でしょうね。充分満足です。妻も私も北アルプスの大展望を心ゆくまで堪能させてもらいました。







平成22年4月30日
 振り返ってみれば、4月は添乗員勤務やフルマラソン出場等で、良くも悪くもけっこう慌しい月でした。先日、添乗員同期の人達と飲み会をやったのですが、バリバリ頑張っている人は眼が輝いているなあと少し淋しい思いでした。
 昨日は、山仲間のIさんが憧れの京都に引っ越すというので、見送ってきました。以前、突然仕事を辞めてフランス留学に行ってしまった彼女、思い立ったら即実行の大胆な決断力には勝てないなあと思います。辛い山行でも決して嫌な顔をせず、皆を和ませてくれる性格の良い彼女の事だから新天地でもすぐに友達の輪が出来るでしょう。親しい仲間が遠く離れてしまうのは淋しいけれど、関西にも登りたい山がいっぱいあるので、その時は押しかけるから、静かな古都で優雅に暮らそうと思っているIちゃん、嫌な顔しないで面倒見てくださいネ。






 平成22年4月18日
 霞ヶ浦フルマラソンを走ってきました。20年ぶりの42.195kmです。3月の鴻巣ハーフマラソンを棄権して以来、添乗員勤務等もあり満足に走っていなかったので、厳しいレースになると思う反面、「火事場の○○力でどうにかなるわい。」という甘い考えもありましたが、過酷な現実の前に通用しませんでした。30km地点まで何とか動いた脚の筋肉がエンスト、機能停止になりました。それからの1キロ、1キロが長い事〜長い事、閻魔大王の地獄界をも凌ぐ苦しみです。3時間台でゴールという甘い希望は消え、完走のみが目標となりました。大勢のランナーに抜かれながらも「どんなに遅くとも歩く事だけはしないぞ。」最後の意地を貫き、4時間9分52秒でゴール。その直後意識が遠のき、思わず柵にしがみついてしまいました。最早私の身体は、フルマラソンに耐える能力を有しておりません。今後は、フルマラソンを走るなんて無謀な考えは持たない事にします。やっと我家に戻ると「チョー疲労困憊症」のため、そのまま床に臥せってしまいました。






 平成22年4月10日
 添乗員をやめたモヤモヤを吹っ飛ばそうと丹沢の山々を歩いてきました。小田急、渋沢駅から通勤・通学の人波に逆らうように歩き始め、大倉登山口から大倉尾根を登ります。以前何度も歩いた自分の庭のように熟知した道、約3ヶ月ぶりの山歩きはとても新鮮で気持ち良いです。最初のピーク塔ヶ岳は寒風吹き荒び冬の世界、これから進む蛭ヶ岳や檜洞丸は灰色のガスに包まれとても遠く見える。「このまま表尾根を下山しようか。」弱気心が芽生えます。尊仏山荘で暖かいコーヒーを飲んで気を奮い起たせます。丹沢山から大きなギャップを越え丹沢最高峰、蛭ヶ岳へ、山頂で「今日は丹沢山荘に泊る。」と言うご夫婦と会ったのを最後に後は誰とも会わず、気配を感ずるのは鹿の群ればかり、丹沢核心部は鹿の王国と化しているようです。崩壊寸前の金山谷乗越を越え檜洞丸へ最後の登り、脚の筋肉が限界警報を発しているが我慢我慢の登り、午後3時ひっそりとした檜洞丸の山頂に到着。添乗員を続けていれば、今頃雑然とした事務所でツアー準備の事務に追われ脂汗を流していた事でしょう。やめた代りに野山を駆け回る自由を得ました。バスに間に合わせようと転げるように山を降り、午後4時過ぎ西丹沢バス停に下山、何とかバスに乗る事が出来ました。やはり私は、「背広にネクタイ、革靴よりも、塩気混じりの汗だらけの身体に、タオルで首を巻きヨレヨレのトレパン、山靴姿が似合っているな。」と痛感した今日の山旅でした。






平成22年4月4日(日)
 添乗の仕事に追われて今までホームページを更新する余裕がありませんでした。想像以上に添乗員というのは大変な仕事で、趣味を楽しみながら何てノンキな事を言って勤まる世界ではありませんでした。派遣会社に登録されると同時に、3月28日、4月1日、3日と立て続けに添乗依頼のメールが入り、添乗当日は、朝は5時前から満足に朝飯も食わず出発、夜は9時10時までツアー客の面倒を見る。その前後には打合せと精算のデスクワーク(これが複雑で大変)があり、1回目の添乗で「俺には無理だな」と判断。2回目が終った時、支店長に「私は胃癌の病歴があり食事療法が必要なので添乗は無理なようです。」と登録抹消を願い出て、支店長も「お大事に」と気持ちよく了解してくれました。そして昨日3回目の添乗業務を終えて、私の新人添乗員体験はジ・エンドとなりました。最後に一言「バスツアーに来るクソジジーにクソババー(放送禁止用語?)、トイレがない。飯が不味い。案内が悪い。勝手な事言うんじゃねー。たった5千何ぼの料金で、遠くの観光地に連れて行ってもらい、食事がついて観光案内までしてもらって、お客様面するんじゃねーよ。バスを降りる時は格安料金でお世話になり申し訳ありませんでした。くらい言って帰れ。」(補足:ほとんどのお客さんは良い人なんですけどね。)感情を抑えきれずつい過激な発言となってしまいました。これじゃ客商売は無理ですね。今は激戦地から生還した兵士のような心境です。







 平成22年3月17日(水)
 4月に走るフルマラソンの前哨戦として、3月6日に鴻巣ハーフマラソンに参加したのですが、スタートして2km辺りで左臀部が痛み始め、3kmを過ぎた地点で益々痛みは耐え難く完走は無理と棄権、走りゆくランナー達を横目に、応援の観衆から憐憫の視線を受けながら惨めな思いでスタート地点に戻りました。過去に一度だけ筋を痛めて棄権した事はありましたが、こんなに早々とギブアップしたのは初めてで正直落ち込みました。それ以来、今に至るまで走ることができません。先週末には妙高スキーでコブに飛び込んだ途端、再び激痛が走り更に悪化、これではフルマラソンどころか今後ジョギングが出来ない身体になってしまったのではないかと密かに危惧しています。単なる筋肉疲労であればよいのだけど、老化のグレードアップなら脚の丈夫さだけが自慢の私には、かなり辛い現実です。







 平成22年3月9日(火)
 一昨日から一泊二日で、添乗員派遣会社I社の行うバスツアー研修に参加してきました。事前に知らされたのは集合場所と時間だけ、東京駅の集合場所には、関東近辺から32名の参加者が集まりました。講師のY横浜支店長から行程表を渡され、東北の松島〜宮城蔵王(泊)〜会津若松〜大内宿へ行く事が初めてわかりました。それから二日間、二人の講師から添乗員に必要な課題がビシビシ与えられ、20〜60歳代の男女が、うまく出来ないもどかしさに顔を歪めながらも必死に頑張りました。(含む私も)一所懸命頑張る人の姿は好ましいものです。この中で、何人の人が一人前の添乗員になれるか判りませんが、このバスツアーに参加出来た事、私には本当に教えられる事が多く「参加してよかったなあ。」と今その思いを強くしています。








 平成22年3月2日
 昨日、確定申告に行ってきました。市役所へ行くと「株や投資信託の申告は、ここでは出来ない。」と言われ、川越税務署まで車を飛ばす。税務署の駐車場は既に満杯、100m以上の車列ができています。これではラチが明かないと近くのスパーに移動して駐車しました。署内は凄い人の列、普通お金を払う方が大きな顔をして、戴く方が謙る。というのが常識ですが、ここでは全く立場が逆転、納税のため並んで待つ人々の顔は、いずれも不安そうな面持ち、「アァ日本人は何てお上に対して従順なんだろう。」と認識させられます。やっと辿り着いた申告用のパソコン、サポートの係員は、けっこう親切だったので、割合スムーズに申告できました。還付金は思ったより多く、これとて取られすぎた税金を返してもらうだけなのに、思わず係員に媚びた笑顔をふりまく私もコテコテの日本人なのです。











 平成22年2月20日

 今週初めから、会社で行うツアーコンダクター研修が始まりました。参加者は、いきいき埼玉の講習を終了したシニアが8名、他から転職(添乗員経験者)が5名の計13名。働き盛りの支店長が講師となって、我々シニアにも遠慮なしの厳しい講習内容で、会社としては、即戦力養成のため当然の事なのでしょうが、「正直お金も貰っていないのに、何でそこまで言われなきゃならないんだ。」と思わないではありません。気が向いたら山だ。スキーだ。と気楽に過ごした日々が、随分昔の事のように感じます。ギブアップすれば戻れるのだけれど、それでは私のモチベーションが、日航の株価並に下落してしまいます。まあ仲間も居る事だし、やれるとこまでやりましょう。今度の書き込みまで続いていたら「オッ頑張ってるな」辞めていたら「やっぱりなあ」と思っていただければ幸いです。








 平成22年2月12日
 本日ツアーコンダクターの講習が終了し、添乗員派遣会社の面接を受けてきました。そして夜に「採用となりましたので来週から会社の行う研修に参加してください。」との電話がありました。私は自分であまり好きじゃないのだけど、外面だけはよいようで、面接官の方もそこで判断されたのかもしれません。不採用と言われれば人間性を否定されたようで嫌だし、採用となれば、今後の苦労が眼に浮んで、今複雑な心境です。とにかく、気儘な日々とお別れして、61面下げて、しばらくは右往左往してみましょうか。










 平成22年2月7日
 先週からツアーコンダクターの講習に通っています。明日はテストなのでこんな事してられないのですが、息抜きです。子供の頃は大の勉強嫌い、今、学ぶ事が珍しいのでけっこう興味を持って受講しています。子供時代にこの気持ちをもっていたら、私の人生も違っていたのでしょうけど・・・・この後、バス研修、合同面接と続きます。私の怠け心とヤル気心がせめぎあい、どんな事になるやら、我が事ながら、今後の日々に興味があります。







 平成22年1月29日

 日帰りで尾瀬のスキー場へ妻と出掛けたのですが、その日は朝からどうも身体が重い感じでした。スキーを滑っていても楽しくありません。早めに休憩をとって食堂でモツ煮とオデンを注文し、缶ビールで一杯やっていたら何やら気分が悪くなり、結局2時間近くソファーで横になっておりました。リフト券が惜しかったのですが、結局スキーを諦め、夕刻やっとの思いで我家に戻ると飯も喰わず布団に潜り込みました。原因は「日頃の疲れが限界を越えたせいではないか。」と推測しています。「年齢を考えないからよ。」と言う妻の言葉に反論する気にさへなりません。弱々しい姿で臥せっている私に、妻は甲斐甲斐しく世話をしてくれます。こんな時、普段は憎まれ口を言って腹立つ事も多い妻に、感謝の気持ちで一杯になります。苦しい思いをしないと気付かないのが情けないけれど、夫婦のありがたさを再認識できたという事でリフト券はチャラです。・・・・でも、元気になったら忘れてしまうんでしょうけどネ。







 平成22年1月22日(金)
 「イヤァー困った事になりました。」冷かし半分軽い気持ちで申し込んだツァーコンダクター講習財団法人「いきいき埼玉」から受講決定の通知がきてしまいました。宝くじや年賀はがきの抽選はまず当らないのに、嫌だなと思うものは何故かよく当るのです。毎日がホリデイの快適な環境から、再び社会の荒波に放たれるのでしょうか。怠け者の本性を見抜いた神様が私に試練を与えたのかも知れません。しかし添乗員として登録されるのは僅かな人数と言いますから、私が採用される事はないでしょう。だけど嫌だなあと思う事が現実になる場合が多いんです。今までの私の人生。そんな複雑な思いを胸に、2月1日からの講習に参加してきます。








 平成22年1月18日(月)
 先日、財団法人「いきいき埼玉」が主催するツァーコンダクター講習説明会に参加して来ました。場所は伊奈町にある県民活動総合センターで「ちょっと豪華過ぎない。」と当惑する程立派な建物です。会場内に私と同年代の人達が150人程集まっていました。実際に講習へ進めるのは40名以下で確立は26%程、志望動機の提出用紙で可否を決めるとの事。「この仕事がないと家族崩壊です。」くらい書かないと講習も受けられないでしょう。甘い事書いた私は無理かな。講師の話も「冷やかしの人は帰ってくれ」と言わんばかりの上から目線。過去の実績から、実際にツァーコンダクターとして登録してもらえるのは数名位だと言うからけっこうな倍率です。一週間後に結果を通知するそうですが、社交性に乏しい私では、肩から下で勝負の体力仕事を選択した方が無難かな。









 平成22年1月12日(火)
 川崎市鹿島田駅近くの多摩川河川敷で行われた、30kmマラソン大会に参加しました。7年前胃癌手術して以降、こんな長距離は初めてです。走っている最中は、「あと何km」と距離を考えると気が滅入るので、「あと何分走ればゴール」と時間で考える方が気は楽でした。記録は2時間27分、目標2時間半だったので満足な結果です。しかし疲れました。帰り、駅の階段を登るだけで息も絶え絶え、あと12km余分に走らねばならぬフルマラソンはちょっと大変です。この辛い記憶が薄らいだら考えましょう。
 今大会、60歳以上の部、トップの人は、何と「2時間9分」こんな怪物みたいなオジサンがいるんですね。だから私も「まだまだ未熟者だと」練習に精を出す気になるというものです。







 平成22年1月5日(火)
 
今年の初登山は北ア、西穂高岳へ行きました。強風に妨げられて手前の独標までしか登れませんでしたが、「山は、ご機嫌が良い時に登らせていただく」という私には満足の登山でした。しかし冬山は寒いです。何千円か出せばあったかい山小屋で快適に過ごせるのを吹雪のテントに縮こまり、眠れぬ夜を過ごします。還暦過ぎて何でこんな事をするんだろう。でも寒さに震えながら思うのです。「人は皆、苦しい過程を経て、たった一人あの世に旅立つもの。こんな試練に負けてどうする。」と
 テント山行、何年続くか判らないが体力の許す限り続けようと思います。・・・・カッコつけてるけど本当の理由「山小屋料金の何千円が惜しいだけじゃないの」・・・・ン、それもあります。






 平成21年12月27日(日)
 師走だと言うのに、やれマラソンだ、温泉だ、スキーだ、テニスだとノーテンキな日々を過ごす私のストレスは、夫婦喧嘩から派生する妻の口撃ぐらいでしょうか。しかし不景気から抜け出せぬ世の中にはストレスの嵐が渦巻いているように思えます。先日日本の来年度予算が発表されました。その額92兆円とか、歳入が37兆円しかないのにやっていけるのでしょうか。友愛と英知に満ちた方々が立案されたのだから信じていいのでしょうけど・・・・今収入が激減してローンが払えず自宅を手放さねばならない家庭が数多くあるそうです。その困窮している人達に、ぜひ教えてやっていただきたいものです。収入の3倍近く使ってもヤリクリできるという方法を・・・・まさか「どうせ破産するんだからバンバン使っちゃえ」何て思ってないですよネ。








 平成21年12月17日
 健康診断の結果が届き、妻は「近視以外問題なし」私は「高脂血症」。妻は「近視が病気なのか。」と憮然としておりました。私は体質的にコレステロールが高く、以前は医者に薬を勧められた事もありましたが、現在は「善玉、悪玉」で判定するようで、私の場合、善玉が高いのであまり気にはしてません。ところで毎年参加している小川和紙ハーフマラソン、先日走ってきました。タイムは1時間41分。老化の進捗を考えれば満足な結果です。最近、他人との関わりが減ったせいか「大勢の人達とゴール目指して一緒に走る」という事に喜びを感じ、又ランニングが楽しくなってきました。1月に30km、そして4月はフルマラソンにチャレンジしようと思います。






 
平成21年12月8日(火)
 チンみたいな顔をした亀井さんに鼻面引き回されて、予算一つ決められない民主党の弱腰には困ったものです。野党時代の威勢のよさは何処にいったのでしょうか。鳩山さん国の舵取りを託されたからのだから、もっと強力なリーダーシップを発揮してくださいよ。話変って、今年の冬はどうしたのでしょうか。?寒波が弱腰なのかちっとも雪が降りません。今朝、我家から谷川岳の方を見ると少しは白くなっているようですが、もっと強力な冬型の気圧配置を発揮して、ドンドン雪を降らせてくれなければ各地のスキー場が困ります。「年内決着を急がず」なんてノンキな事を言ってられないんです。私は既に、2週間後の妙高のスキー場を予約してしまったのですから。






平成21年12月4日(金)
 好きで通院している訳ではないのですが、1日は健康診断、3日はエコー・CT検査と病院通いが続いている。この他にも年に一度は胃カメラと大腸検査を受けており、今のところ異常も無くありがたい事です。これら検査の中で私が一番苦手としているのは大腸検査。私の腸はどうも大腸ファイバーが通り難いらしく担当する医師が苦労して、それは受ける私の苦痛の増大にもつながり、検査前はいつも気が重くなります。「福来さんの腸は、プヨプヨ動いてファイバーが通りにくいんです。」と医師は言う。
 この原因、「私の内臓脂肪が少ないせいで、腸がお腹の中で固定されず動きやすいためではないか。」と密かに推察しています。この説「運動オタクの年寄りが何を言うか。」と嘲笑されそうで、まだ誰にも言えないでいます。







 平成21年11月28日(土)
 24日に61歳の誕生日を迎えました。そのお祝いという事で妻が原宿の和食料理店を予約してくれました。私としては1回の食事で万札が飛んで行く高級料理より、山歩きでもして、それよりはるかに安い値段で泊れる山里の温泉の方がありがたいのですが、妻の思いもある訳なので、久し振りに都心へ出かけました。平日の午後というのに地下鉄を降りた表参道から原宿にかけての道筋は、ベネトンや、ルイ・ヴィトン等華やかな店が立ち並び、ここが今、不況の波に翻弄されている日本の国なのかと疑うような賑わいです。完全に田舎のおのぼりオジサンと化した私は、この街に身の置き所の無い違和感を感じます。植木ひとし流に言うと「お呼びでない。こりゃ又失礼いたしました。」というところでしょうか。







 平成21年11月18日

 紅葉に彩られた梅ヶ島温泉から歩き始めて安倍川東山稜の山々を一人縦走してきました。真富士山から下山して、平野集落から路線バスで梅ヶ島温泉に戻る途中、ちょうど下校時間帯なのか十名近くの小学生が乗り込んできました。それぞれがペアで席に着いて賑やかなものです。その中で一人だけポツンと孤立している子がいます。ダウン症の女の子みたいです。子供とは純粋なるが故、より残酷なのかも知れません。部外者の私はなすすべも無く傍観するのみ、この子達が弱者を思いやる優しい心を身につけてくれればと願うばかりです。格差社会の日本で社会から脱落した人達に対して一番必要なのも、弱者を思いやる博愛の心ではないかと思います。







 平成21年10月31日
 
各地で紅葉の便りが聞かれる今日この頃ですが、今年は散々遊んだ手前、現在おとなしく隠遁生活の身です。ご午前中チョッと家事をこなし、その後パソコンと読書の日々、午後になると「これではイカン。」気を奮い立たせ、ジョギングに出掛けます。東洋大学が近いので、箱根の山登りで活躍した柏原選手ともすれ違います。年齢は彼の3倍ある私、スピードは問題外でも走る意欲は負けません。昨日は我家を出発し鳩山町〜越生町〜毛呂山町を走り2時間40分かかって我家に戻りました。脚が歩く筋肉から走る筋肉に変ってきているような気がして、12月の小川町ハーフマラソンが少し楽しみです。「小さくとも目標があれば、他の事もヤル気が湧いてくる。」これが私の性分みたいです。







 平成21年10月26日

ドラマだったら目的を達したところで「ジ・エンド」だけど現実の人生は、その後も続きます。

日本縦断の後は何をしようか現在「模索中」の身ですが、妻は「怠け者が本性を現しているだけ」と見抜いているようです。昨日、登った南ア、奥茶臼山の山頂で「どうか私でも出来る手頃な目標をお与えください。」と山の神様にコッソリお願いして参りました。







 平成21年10月3日

8月下旬、秋田県羽後本荘市を出発して一ヶ月余の9月23日、友人達や妻に迎えられて最北端の宗谷岬に到着して念願の日本縦断歩き旅が完結しました。晴れがましい事に不慣れな私は、多勢の観光客がいる中、友人が作った立派な横断幕を展開してのセレモニーに面映い心持でしたが、厚い友情に言葉に尽くせぬ感謝の思いで一杯でした。樺太までクッキリ見渡せる青空の下の宗谷岬、この情景は、生涯私の心に残る宝物です。






平成21年8月21日

脳死状態の脳波のように、私は、波風立たず平穏で怠惰で快適な毎日を過ごしています。アルコール依存が「アル中」、麻薬依存が「薬中」、こんな日々に埋没する私は楽チン依存症、即ち「楽中」患者ではなかろうか。

 明日から歩き旅に出発します。誰に言われた訳でも頼まれた訳でもなく、勝手に快適な我家から辛くて不便な旅の空に出ます。「楽中」克服のため行かねばなりません。心配なのは、根が怠け者だから又、言い訳を見つけて我家に逃げ帰るのではないか。60年生きていても人間中々変るものではありません。








 平成21年8月15日

自分で言うのも何ですが、私はどうも決断力に乏しいところがあります。簡単に言えば「優柔不断」です。この言葉あまり良い意味として使われませんが、時として良い場合もあります。決断がつかず躊躇していたら結局やらないで良かった。私の人生60年でも何度かありました。
 日本縦断歩き旅もいつ出発するか決断がつきません。だけど、今は無職で誰に迷惑かけるでなく(女房にはかけるか?)思いっきり優柔不断になって、その気になったら出発しようと思っています。これが私の性格なのだから・・・・






平成21年7月3日

退職して半年、職場との関係はスッパリ途切れた。社交性に乏しい私の性格もあるが、仕事上の人間関係は、そんなものかもしれない。今でも交流が続いているのは、昔の職場のテニス仲間と山の仲間だ。大体この人達、世間の常識で計ると変り者が多い。幾つになっても遊ぶ事に一生懸命。私にとっては、人生に刺激や彩を与えて面白くしてくれる、大変ありがたい人達だ。

 ところで明日から4回目の歩き旅に出ます。梅雨時の天候を考えると、今後の苦労を想像できる。「何で行かなきゃならないのだ。」と弱気になりながらも出発してしまう私は、世間的には“変人”に分類される人間なのだろうか。





 平成21年6月21日
 

 3回目の日本縦断の旅、6月13日に新潟県村上市まで到達した。最終日は雨、風に打たれ雷に怯え試練の歩きとなった。終わって思うのは、帰宅できる喜びと日常生活に戻らねばならぬ淋しさが織り交ざる複雑な心境だ。

今回の旅で燕市、燃料スタンドの後藤さん、新発田市、骨董店の宮嶋さんから「休んでいきなさい。」と声を掛けていただいた。お二人とも私より高齢と見受けたが、聞けば、それぞれ過去に胃癌や交通事故の後遺症で病んでおられる。行きずりの薄汚い男を休ましてやろうという優しさは、病を知る人間だからだろうか。我が身を振り返れば、老化と比例して短気で自己中になるばかり、お二人の優しさに学ばねばと思った。







 平成21年5月21日
 新型インフルエンザで騒々しい中、年金暮しも4ヶ月目に入った。今の私は背骨のない生活をしている。仕事、療養、恋愛等やらねばならぬ事。それが背骨だ。心根の弱い私は、こんな日々を過ごしていると精神の骨粗鬆症になりそうだ。悠々自適とは難しい。

 24日から再び旅に出る。舞鶴から新潟まで歩く予定。今年の夏までには北海道、宗谷岬に到達したい。日本縦断が終われば、新しい背骨が見えてくるのではなかろうか。





 平成21年4月15日

九州に続く中国地方歩き旅は、3月30日下関市小月駅からスタート、桜前線と競争するように歩き始めた。時には荒々しく時には穏やかな日本海の眺めと、のどかに広がる山陰地方の田園風景は、私に旅の喜びを感じさせてくれた。一方通り過ぎる街の商店街は、どこも活気がないような気がする。高速道路の建設には賛否両論あるだろうが、着々と進む山陰高速道路の工事現場には、インフラ整備に希望を託す地元の熱い思いをヒシヒシと感じる。私的には、後半の暑さと強い日差しには参った。次回は、もっと厳しい旅になるだろう。





 平成21年3月22日

 退職したらやろうと思っていた日本縦断の旅、3月1日九州南端、佐多岬から歩き始めて15日に関門海峡を抜け、九州縦断を終えた。初めての長期歩き旅いろんな事があった。困ったのは狭い歩道のない国道だ。通過する車に身の危険すら感じた。しかし通りすがりの方に親切を受けたり良い事も多々あった。出発前初めて買った携帯電話に、妻や友人知人からもらったメールや電話は随分勇気づけられた。メール発信には苦労させられたが、次は中国道、3月末に出発する。今度はどんな旅になるだろうか。



平成21年2月28日

 明日いよいよ日本縦断徒歩旅行に出発します。未曾有の不景気の中、多くの日本人が必死に働いているというのに、この私はお国の為に何の役にも立たない事にエネルギー消費している。真に申し訳ない事だ。もし私が無事北海道宗谷岬に辿り着き、日本縦断を成功させたら「日本の景気も盛り上がる」そう信ずる事で、自分の道楽に意義を見出して頑張りたいと思う。


 

平成21年2月12日

 1月末で退職の日を迎えた。無職になって判るのだが、仕事というのは自分を束縛するものでもあるが、人生の重りとしての役目も果たしているようだと言う事。今、私の心根はバランスウェイトをはずされたヨットのように何となく不安定。3月から日本縦断徒歩旅行を始める予定だが、決まっているのはスタート地点が鹿児島県南端佐多岬という事だけ、後は何処を行くのか又、その後何を目指すのか。全く未定。めでたく人生のピークに到達するか途中で遭難するか、神のみぞ知るというところだ。



 平成21年1月11日

「60歳の1月は富士山に登ろう」漠然とそう思っていた。百年に一度の不景気に沈む下界を後に、風雪の富士に挑んだ。しかし冬山は厳しい。今回ほど富士山頂が遠く高く感じた事はなかったが、それだけに登頂の喜びは格別だった。下山の時に現れたブロッケン現象は「よく頑張ったな。」という富士山からの祝福の印に思えた。これから老年期に向かう私の人生だが、富士山は大きな自信を与えてくれた。「まだこの身体の中に充分な体力・気力が漲っている。」と



平成20年11月24日

 とうとう60歳になった。自覚も心構えもないまま高齢者になってしまった。「歳を取ると良い事なんてない。」という声も聞くが、映画やスキー場の入場料金、散髪代だって安くなる。色恋沙汰から遠ざかり無駄な気遣いの必要もない。自分の時間が大幅に増える。今まで登れなかった山へもこれから行けるだろう。けっこう良い事もあるのだ。最近の山は年寄りばかりだから「お兄さん元気だねー」何て言われたら益々登山をするファイトが湧いてくるというものだ。




平成20年10月13日

妻と二人紅葉の木曽、御嶽山を登ってきた。古くから信仰されて、日本三名山と言われている山だけに、その風格と雄大な自然の素晴らしさを満喫した。

そんな折りの下界では、金融危機だの大恐慌だのと大騒ぎ。経済指数のバーチャルな数字に踊らされ、まるで世界が破滅するかのようだ。人間(私も含めた)とは実に愚かで、これでは自滅するのもそう遠くはないのかもしれない。




平成20年9月8日

 いつかは歩きたいと思った南ア、池山吊り尾根コースから北岳を登って来た。何しろ登山口から4百m標高を落し、再び北岳目指し2千m以上の標高を稼がねばならぬというM的ハードコースだ。しかも当日の天気ははっきりせず、三重県や兵庫県では床上浸水している状況の中では気勢も揚らない。やっとの思いでボーコン沢ノ頭に着いた時は、脚の筋肉が「モー歩けネー」と悲鳴を上げていた。

しかし夕刻、今までテントを覆っていた雲がだんだん下がり、南アルプスの雄大な山々が奇跡的に姿を現した。その息を呑む眺めに「ただ感動」、この眺めは、私の人生のアルバムにぜひ貼っておかねばならない瞬間だ。




平成20年7月25日

 山、川、湖が織り成す美しい自然と温泉、日光が日本有数の観光名所であるのも無理はない。中禅寺湖からすっくと聳え立つ男体山はそのシンボルだ。眺めていると思わず登ってみたくなる。 表登山口は二荒山神社にあるのだが、そこから登ると入山料500円を徴収される。信者の寄進で 成り立つ神社が何でお金を取るのだろう。お金を取るなら山頂に目立つ賽銭箱でも置いとけば、登った嬉しさに1万円札のお賽銭を奮発する人もいるだろう。(私はしないけれど)男体山を道具に金儲けするのは、やめてほしいものだ。30年ぶりに男体山を目指した我々夫婦は、勿論金を取らない裏登山口から登った。




平成20年6月30日

 マイカー登山が多いので、前夜は車中泊という事がよくあるのだが、その場所を探すのに意外と苦労する。変な所で泊ってガス自殺者と間違われても困る。私にとって良い車中泊地とは、「水、トイレがある。気兼ねなく駐車できる。タダである。」それに環境が良ければ言う事はない。

先日行った日光中禅寺湖、歌ヶ浜県営駐車場は、全てをクリアし、ベストエリアであった。他にも、黒部アルペンルート信州側玄関の扇沢駐車場。志賀高原野反湖、白砂山登山口駐車場等が気に入った所だ。「全国ベスト車中泊スポット」みたいなサイトを誰か開設してくれないだろうか。大変役に立つのだが・・・


 平成20年6月1日

標高の低い山へ出かけると、ゴルフ場が山麓深くまで進出している風景をよく見かける。敷きつめられた芝は本来寒冷地育ちで、温暖湿潤土壌豊かな日本では合わないはずだが、農薬等の力を借りて強引に植えつけている。航空写真で見るゴルフ場は、まるで地表の虫喰いみたいだ。現金収入の乏しい過疎地では貴重な産業かもしれないから、余所者の勝手な戯言かも知れないが、さる著名なシニアプロゴルファーが言い放った「ゴルフは自然の中で戦うスポーツ」という言葉だけは腹が立つ。「ゴルフは自然を壊すスポーツ」と言い直してほしい。





 平成20年5月1日

 会社の圧力で、4月は消防設備士の試験勉強に明け暮れた。お陰で山に行く心の余裕もなかった。嫌々始めた勉強だったが、やっていくうち何気なく見ていた消火器も深く広い世界があるのだなと興味が湧いてきた。21日の試験日は弩緊張だったが、おそらく人生最後の資格挑戦、頑張ったなという久々の充実感があった。さて肝心の結果だが、今日インターネットの合格者掲示欄を見たら私の受験番号があった。《ホッ》これで受験に費やした投資を回収できる。何しろ私の会社は合格しないと必要経費を払ってくれないのだ。





 平成20年3月17日

 3月9日に羽生ハーフマラソンを走ってきた。12月に参加した小川ハーフマラソンが不本意だったので、リベンジのつもりだ。今回は休日の参加なので万全の態勢。コースはフラット、天気も最高。スタートしてしばらくすると、物凄いピッチ走法のオバサンと前後する。パタパタ足音がうるさいので引き離そうとするが、逆にこちらが置いて行かれた。大して早く見えないのに、それより遅い自分が情けない。中間点でタイムを計ると46分。これは良いタイムだ。と思ったら残り3km地点で右脹脛に痙攣がきた。極力左足に荷重をかけ何とかゴール。タイムは1時間39分「60歳でハーフ1時間40分」が自己目標なので何とかクリア。まずは良しとするか。





平成20年2月23日

妻と二人、埼玉県の戸田から二日間に分けて荒川沿いに河口まで歩いた。暇つぶしのウォーキングだったが、下流へ行くにつれ大きく変貌していく荒川の流れが、何か人の生き様を見ているような気がして中々おもしろかった。

 堤防沿いに数キロも続く直線道路を経て、幅1kmもある荒川河口が東京湾に交わる葛西臨海公園の先端に辿り着いた時は、ちょっとした感動の瞬間だった。仕事も遊びも目標や達成感がなければつまらない。他人が聞けば何だと思う小さな目標でもいいから、これからも楽しんでいこうと思う




平成20年1月14日

 私も今年60歳になる。いよいよ高齢化の主役だ。今の日本も財政赤字、少子高齢化、年金問題と前途多難・お先真っ暗の様相。しかし過去の日本は、もっと酷い荒波を乗り越えてきた。「災い転じて福と為す」の諺もある。必ず蘇ると確信している。

今年の初登山は、八ヶ岳、赤岳を登ってきた。山の神様からご褒美でいただいたような素晴らしい天気に恵まれ、雪山の絶景を堪能した。胃癌手術からも5年を経過したし、西暦2008年は日本にとっても私にとっても、きっと明るい希望の年になるだろう。





 平成19年12月24日

 岳友、桜井幸子さんが急逝した。今夏の暑気払いの席ではお元気そうだったので、連絡を受けた時は一瞬信じられなかった。私が厚岳会に入った時、彼女は中心メンバーとして会を引っ張っていた。彼女の計画する山行はとても魅惑的で、私はその後、幾つもの山行を供にした。山の楽しさを彼女に教えてもらったようなものだ。その男勝りの行動力とは裏腹に、内面はとてもナイーブで心優しく誰からも好かれていた。好奇心旺盛な人だったから、やりたい事が沢山あっただろうに、残念でならない。彼女に送る気の利いた言葉は浮かばないが、「私の生甲斐でもある山登りの楽しさを教えてくれた桜井さん。一緒に歩いた山々、忘れがたき思い出です。本当にありがとうございました。」ご冥福を祈ります。





 平成19年11月24日

 59歳の誕生日を迎えた。後1年で60の大台にのる。50代までは社会や家族のために頑張る人生だが、60代は自分のやりたい事にチャレンジしたいと思っている。歳を取るのは嬉しくないが、そういう意味では60歳の誕生日が待ち遠しい。失敗したら恥ずかしいので、何をやりたいか人には言えないが、その為に、己の脳ミソと体力がこれ以上落ちぬよう後1年間がんばらねばならぬ。それに金も必要だから、株価もこれ以上落ちないようがんばってほしい。




 平成19年10月22日

 念願だった北ア、毛勝岳を登ってきた。思ったとおりに素晴らしく又、きつい山だった。今も残る脚の筋肉痛が、全力を出し切った証だ。もう少し歳を取ったら、こんな登山は出来なくなるだろう。しかし、奥深い山だと思っていたのが、魚津の町から僅かな距離に聳えているのが以外であった。この山域は、他にも魅力的な山が幾つかある。脚の衰えぬうちに是非登ってみたい。




 平成19年9月23日

9月から現在勤務している所の長に、強引にさせられてしまった。上からは何だかんだ言われ、下は動かずの、誰もが嫌がる典型的な中間管理職。59歳を目の前のした「イキ貝もヤリ貝もない、精々ジンチクム貝」の私には過酷な試練である。嫌だ嫌だと言っても逃れられるわけでもなく、今は僅かに残った男の意地を掻き集めて、何とか60歳の誕生日までは頑張らねばと決意している次第です。しかし当分、山には行けないかなぁ・・・・。



 

 平成19年8月11日

 15年近く共に生活した猫のハナが亡くなった。まるで蝋燭の炎が風で吹き消されるようなあっけない最後だった。
 ハナは、お腹が空いてくると、ミャーミャー騒いで物を落としたり、引っ掻いたりとうるさい奴で、ペットとしては優等生じゃなかったが、帰宅すると迎えに出て来たりと、妙に人間ッポイ良いところもあった。すっかり静かになってしまった我家には、ポッカリ穴の空いたような淋しさが残った。





 平成19年7月6日

 時々、世田谷区三宿の病院に通院しているが、最近その後で都内ウォーキングを実践している。脚の故障で走れないからエクササイズのつもりだが、今まで行った事のない名所旧跡を訪ね歩いたりしてけっこう楽しい。それに東京の地理を身体で実感できる。何より金もかからないのが(逆に交通費を節約できる。)ケチで貧乏性の私には嬉しい限りだ。
 先日は北に向って東武東上線、中板橋駅まで、その前は南の方向、川崎市の親戚宅まで約3時間余歩いた。次は西に向って何処まで歩いて行けるだろうか。





平成19年5月30日

 今、右足ふくらはぎに軽い肉ばなれを起していて、駆け足をする事ができない。先日ジョギングをやった時痛めたのだ。しかし長年クッションの抜けた安いジョギングシューズを履いていたため、衝撃に筋肉が絶えられなくなったというのが本当の原因だと思う。前々から妻に「貴方は安物買いの銭失い」と言われて反発を感じていたのだが、今回ばかりは認めざるをえない。必要と思うものに投資を惜しんではならないのだが、生まれ付いての貧乏性は、中々直るものではない。
 現在、最新モデルのミズノ製シューズを購入し、ウォーキングに励んでいる。




平成19年4月15日

 毎日アクセク暮らしていても、桜が一斉に咲き誇る春になると何となく気分が浮き立つ。5月の休みは何処の山へ行こうかと考えるだけで楽しい。その前に4月末、甘楽町の20kmマラソンを走るので、それも楽しみだ。
....しかし山を歩いている時は重荷に耐えながら苦しい思いをし、早く下山して「旨いビールを飲みたいと思う。又、レースを走ってる最中はこれまた苦しくて、早くゴールに着かないかなと思う。苦しい過程を経なければ喜べないというM的というか自虐的というか、我ながら因果な性格だと思う。




平成19年3月16日

 今年最初の山行は、笹子峠から清八峠までを歩いた。大菩薩と御坂の山々を結ぶマイナーな山域だが、嫌になるほど登り降りの連続で、下山した身体にはズッシリとした疲労感が残った。
 最近職場の同僚が、勤務中心筋梗塞で倒れた。同世代の方なので他人事とは思えず、還暦間近の身になれば何があってもおかしくない。せめて山歩きに励んで心身を強化して、病気とお友達になりにくい健康な身体でいなければと思った。




平成19年2月2日

 雪の便りを聞いて、車に寝具とコンロを積み込み、一人スキーへ出かけた。昼はスキー場巡り、夜は好きな食料を買って車中泊。いい歳をした者のする事ではないかも知れないが、気の向く所でスキーをし、気の向く所に泊り、好きなものを食べる。こんな旅がけっこう楽しい。しかし本当は、山に登って、この自由を感じてみたい。仕事を言い訳にしているが、今の自分に冬山の寒さと孤独に耐える実力と自信がないのが現実だ。今年は、まだ一度も山に行っていない。





 平成18年12月31日

 年越しを前にノロウィルスにやられた。夜勤明けの朝、スキー場へ出発しようとしたら、やけに気分が悪い。だんだん吐き気と腹痛がひどくなって我家に辿り着くのがやっとの状態。初滑りのシュプールを描くはずが、それから2日間ベッドとトイレから離れられなくなった。12月はハーフマラソンや夜勤続きで身体が疲れていたのだろう。最悪の年末となった。あまり食べていないので、まだ本調子じゃないが、今年染み付いた垢とノロウイルスは一挙に厄払いして、新年度は元気に過ごす一年でありたいものだ。
 



平成18年12月12日

 先週末、小川町マラソンに参加した。去年に続いての出場で、久々のハーフマラソンだ。タイムは1時間40分。記録の低下は老化の代償で仕方ないが、最後まで気持良く走るという目標は達成できたので、結果には満足している。「あんなきつい事、金を出してまでよくやるなあ」と言う人もいるが、完走した後の充実感。結構価値があります。これで、しばらくは元気に野山を歩く事ができそうだという自信が私にとっては嬉しい。





 平成18年11月15日
 
 先日の週末、東武小川町駅から定峰峠を超えて秩父までザックを背に走ってきた。紅葉に彩られた山道は美しかったが、延々と続く定峰峠までの長い登りは心臓が飛び出そうなほどきつく、カタツムリのような速度でしか進めなかったが、何とか走破する事ができた。以前、車でドライブしていた時、この道を走り行くランナーと遭遇して、彼の颯爽とした姿が羨ましく、文明の利器に頼り化石燃料の浪費と大気汚染を代償にして移動する我が身が気恥ずかしく感じた事があった。今度は私が、排気ガスを浴びせて追い抜いて行くドライバー達に同じ思いを味あわせてやろう。しかし彼らは思っているだろう。「車で簡単に来れるのに、何でワザワザ走ってんの、変なオッサンだなあ…」と




 平成18年10月17日

 先日の低気圧による悪天ため、各地で山岳遭難が発生した。その犠牲者の多くが私と同世代なので、無関心ではいられない。10月は山が紅葉で染まる最も美しい季節だ。そこに寒波の白い悪魔が襲い掛かった。詳細も解らず遭難者達の行動を安易に批判したくないが、登山者に体(気)力。装備。それを使う技術。この三つが備わっていれば魔の手に囚われる事はなかっただろう。自然は美しさの中に怖さを秘めている。「だから山はより魅惑的なのだ。」こんなふうに思ってしまう。山好きの困ったところである。




平成18年9月8日

 若い時から脳味噌と顔は駄目だったが、歯だけは自信があった。登山などで4〜5日歯を磨かなくても平気だったが、最近は寄る年波のせいか、歯医者のお世話になる機会が増えた。まだ1本も抜けてはいないが、私の歯はだいぶガタがきているようだ。よく老化は「歯・眼・・・」からと言われる。確かにものを噛むだけの存在でなく、歯が悪くなると、ドミノ倒しのように身体の他のパーツも悪くなっていくようだ。だから私は山に行く時、歯磨きセットは必携品である。「歯は、健康を守る最初の大きな砦」と信じて私は今、朝、昼、夜の歯磨きは欠かさない。





 平成18年8月24日(木)

 自慢話しになるが、私の勤務している凸版印刷の健保組合が募集した作文コンクールに応募したら大賞を受賞した。昨日、本社でその表彰イベントがあり、賞状とともに少なからぬ賞金も頂いた。作文の課題は「健康」で、私は自分の病気と登山について書いた。このネタでは以前TBSラジオ朝放送の生島宏の番組でも採用され、図書券を獲得した。
 「病気になって大変な思いもしたが、良い事だってあるのだ。」という事が分かっただけでも病気になってよかったのかもしれない。




  平成18年7月19日

 最近物忘れがひどい。昨日は駐車場のキーを挿し込んだまま忘れ、今日は職場の入り口カードキーをズボンのポケットに入れたまま忘れた。惚けが始まったのではないかと半ば真剣に不安になった。そういえば、今まで一番ひどかった忘れ物は5〜6年前の正月、南ア、鳳凰山に行った時、テントの冬用外張りと必要の無いフライをザックに入れ、肝心の本体を忘れた事だ。近くに山小屋があったから良かったものの、下手をすれば命取りになるところだった。まだ死にたくないので、これから冬山に行く時は小屋のある所だけにしようと思う。





 平成18年6月5日
 
 最近、山に行っていない。夜勤明けの疲れが残って、山行準備する気力が湧かないのだ。しかし休日どこにも出掛
けないでいると罪悪感を持つ性分なので、昼頃、着替えをザックに詰めジョギングに出掛ける。今日は我が家から上尾市まで、車と違い時速10kmで移動する風景は中々新鮮で楽しい。「風景に対する感受性は、移動速度に反比例する」これは私の見つけた法則だ。しかし走り始めて1時間半を過ぎると乳酸がたまって足が重くなる。その後は我慢と忍耐の走りが続く。2時間半後、やっと目的地JR上尾駅に着いた時は足が棒のようだ。だが帰りのバスで窓から、走ってきた道を眺めていると「良く頑張ったなあー」と自分の足を褒めてやりたくなる。仕上げは終点川越駅前での生ビール&焼き鳥、小さな幸せを感じる瞬間である。




平成18年5月16日

 日本人は自己卑小してものを言う傾向にあるが、私は「日本は良い国だな」と思う事が幾つかある。その一つが豊かな自然だ。私は今無人の上越三国スキー場にポツンと居る。周囲10km四方、熊・兎はいても人間は他に誰一人いない。大都会の首都圏から僅か半日でこんな大自然がある。登山を諦めて昼間から無念のビールを痛飲しているのだが、この雄大な雪景色を独り占めして飲めるなんて、けっこう贅沢な事ではなかろうか。 





平成18年5月1日

 二昔前ワープロが世に出た時、何と便利なものがと思ったが、今回その時よりはるかに安い価格で購入したパソコン(プリンター付き)の高性能には驚くばかりだ。あの時のワープロは一体何だったのかと思う。時代の進歩は凄まじい、お陰でパソコン机の前から離れられない。我が脳味噌が旧式なので中々マスターできないせいもある。しかし最新の山岳情報等も簡単に手に入るし、快適で楽しいパソコン生活を目指して、気長に頑張っていこう。





 平成18年4月11日

 3月11日に引越しをしまして、今やっと落ち着いてきました。ホームページもサイバーホームというプロバイダーの元で新しく開設しました。パソコンもデジカメも新しくしたので、まだその機能を使いこなせていません。これから序々に覚えながら、ホームページを作成して行こうと思っておりますので、よろしくお願いいたします。




 平成18年3月5日

今週末引越しますので、しばらくは山どころではありません。今度の家は、サイバーホームというプロバイダーと契約しており、このホームページも解約して、新たに作成しなければなりませんが、うまく出来るか自信がありません。うまく出来ましたら、又皆さんにお目にかかりたいと思いますので、それまでの間失礼させていただきます。




 平成18年2月18日
 
 早朝に、滝子山を登るためR16を八王子ICに向け出発したが、横田基地から八王子ICにかけては交通の要衝のせいかいつも渋滞している。圏央道が中央道と繋がればだいぶ緩和されると思うが、高尾山麓環境保護のための反対運動で、工事も中々進まないようだ。しかし、この道を利用する者のエゴを承知で言わせてもらえば「車社会を否定出来ないのなら、返って工事を完成させ、車の流れを良くした方が、地球環境的にはベターでなかろうか。」渋滞の中、いっこうに近づかぬ八王子ICを前に、そ んな勝手な思いにふける車中であった。




 平成18年1月31日

 越後湯沢の神立スキー場へは何度か遊びに来ているが、今年は本当に凄い雪だ。客が少なくて動かないリフトはよく見かけたが、雪が多過ぎて動かないリフトは初めて見た。お陰で久しぶりにリフト待ち渋滞を味わった。地元の方々が大雪対策で苦労している時、その雪で遊んでいる自分にひけめを感じているが、しかし我々が遊ぶ事で少しは地元経済の活性化に貢献できるのでは…だが、リフト料金はシニア割引、食事は持参、これでは大した貢献にはならないか。 




平成18年1月18日

 恒例だった年末年始の登山も最近はご無沙汰である。一泊二日で八ヶ岳にでもと思ったが、大寒波の襲来で取り止めてしまった。寒さが怖くて冬山登山中止ではお話にならない。これではならぬと日帰りで奥多摩、鷹ノ巣山〜六ツ石山を歩いて来た。その山頂から西の方角を望むと、遥か遠く白銀の南アルプス連山が見えた。その眺めは、少し大げさに言うとネパールの里からヒマラヤ連山を望むようで、私には到達出来ない別世界の高嶺を見るような思いがした。





平成17年12月17日

 信仰心とは一切無縁の私だが、唯一つ例外があるとすれば、マラソンや登山等足の運動は、老化防止や健康維持に最高の良薬であると信じている事だ。先日も冷たい風の吹く中、小川町和紙マラソン10kmに出場した。タイムは44分30秒程、9ヶ月前に走った時より2分も遅くてちょっとガッカリした。夜勤明けや起伏の多いコース等の言い訳を差し引いても体力の低下は明らか、57年も使ったボディはポンコツ化しつつあるようだ。だが、ポンコツ車でも動く限りは、アクセルを踏み続けなければならない。少しでも長い時を・・・・・・




平成17年11月23日

 山麓から見ると槍のように鋭い大山、周りを岩場で囲まれた天丸山、西上州の秘峰と呼ばれた帳付山、それぞれ個性的な西上州の山々を登って来た。沢有り、岩場有り、スリルと不安がスパイスされた本当に楽しい山行だった。
 その下山中、道を塞ぐようにカモ鹿が死んでいた。外傷も無くまるで眠っているような姿だ。どんな思いでこの紅葉に彩られた美しくも淋しい山中で孤独な死を迎えたのだろうか。安らかに眠れと心の中で祈った。





平成17年10月31日(月)

 久し振りに大井川源流の山、前黒法師岳と朝日岳に登って来た。いわゆる南ア、深南部の山々で被写体としてはズングリしてパッとしないが、山容は悠然と大きく、容易に人を近ずけぬ奥深さと緑豊かな自然がある。男はこの山のようであらねばと思うが、如何せん私の器量はそれに遠く及ばない。おそらく死ぬ間際まで煩悩に惑わされ続け生きて行くだろう。そんな平凡で切ない人生も味わいがあって良いのかも知れない。




平成17年10月15日

 我家から群馬・長野県境の内山峠まで1時間40分で着いた。以前勤めていた東京駅までの通勤時間と変わらないではないか。都内在住者には出来ない、田舎に住んでいる者の強みだ。ここから荒船山を妻と二人で登って来た。爽やかな秋の陽と風を浴びながら半日歩いていると、数日前から気詰まりだった夫婦の仲が融けるように修復された。山の空気と景観は、夫婦関係回復の特効剤でもある。大自然の偉大さを思い知った。





平成17年10月8日

 休日を利用して鶴ヶ島の自宅から川越〜所沢を経由して東上線志木駅まで走った。手術の後、こんな長距離に挑戦したのは初めてで、約4時間掛かったが、これだけ走れるならばフルマラソンだってできると、自信が湧いた。
 走った後困るのは身体の手入れと着替え。駅前に図書館があったので、そこのトイレに入った。しばらくすると図書館の人が来て注意された。どうもホームレスの人が利用していると思われたようだ。確かに平日の昼間Tシャツに短パンの汗臭い中年男が来たら、そう思うかもしれないが「もう少し弱者に寛大でいいんじゃないの」志木市駅前図書館のオジサン。





平成17年9月25日

 この間まで暑い暑いと言ってたのに、もう秋の気配。「自分ばかり山に行って」と不機嫌な妻を振り切り、上越、平標山に出掛けた。前日、土樽の奥の林道ゲートまで車で入り、誰もいない山中で晩酌をする。秋雨前線の雲が上空を覆う夕暮れは寂寥とした雰囲気で、我が人生の暗い行く末等考えてしまうのは、秋という季節のせいもあるのだろうか。





 平成17年8月31日(水)

 体力の限界に挑戦しようと幕営具一式を背負い、北アルプス、クリヤ谷から笠ケ岳を目指した。沢を徒渉し、ヤブを掻き分け、ずぶ濡れになりながら標高差1900mを登りきるのは、ちょっとした修験者の世界だったが、7時間の苦闘の後、笠ケ岳の山頂に立った時の喜びは大きかった。だが次回の山行は、温泉とビールでもついた楽しい登山にしようと思う。





 平成17年8月17日(水)

 悲しい事に私は仕事の都合で、夏季休暇を取れない。車で通勤の途中関越道のお盆渋滞を横目に見ると、その列が長い程正直ニンマリする。「小さい男だなあ」少し情けない気もするが、しかし私は世間が働き始める下旬頃、一人北アルプスへ旅立つ予定。そして静かな山を謳歌するのだ、只その前に難関が一つ、まだ妻の了解を得ていない。嵐の中出発するのだろうか。





平成17年8月1日

 丹沢は近場で渓谷の美しい良い山だが、車で行くには鬼門がある。R16〜厚木ICまでの国道だ。仁義なき交通戦争に渋滞、先日も大型トレーラに割り込まれ、もう少しで車体を擦られそうだった。毎日こんなストレスを強いられているプロの運転手は大変だなあと思う。そんな訳で、しばらくは神奈川県方面の山には足(車)を向けたくない。




平成17年7月18日

 先日久し振りに新宿高層ビルを訪れ、49Fの京料理店で妻の誕生日会食をしたが、食後に胃がムカムカし気分が悪くなった。胃の手術の後遺症かも知れない。「和民」や「白木屋」の料理は何でもないのに高級料理は馴染まない、根っからの貧乏症体質なのかと少しガッカリした。本当のところは、汗を流し腹を空かして食べる山の食事が一番美味しいと思っている。




平成17年7月11日

 5月下旬、北ア、鹿島槍ヶ岳に行った。扇沢からのピストンで一応天幕装備を持参したが、雨にたたられ自然には勝てぬと山小屋に逃げ込んだ。その雨が夜半雪と変わり、翌日純白の鹿島槍に登る事が出来た。
 20年程前の5月にも岳友と二人五竜岳から縦走し、この山頂を踏んだ。あの時の元気はないけれど、又この山頂に立てた事が本当に嬉しい。




 平成17年4月10日
 
 毎年恒例の鶴ヶ島10kmロードレースに今年も参加した。職場の人達と一緒に走ったので大いに張り切ったが、記録は42分34秒。現状を考えれば、思ったより良いタイムで嬉しかった。
 最近新車を購入した。今度の車(カローラフィルダー)は後部席で足を伸ばして仮眠出来るので、今から車を使ってどこに行こうかワクワクしている。




 平成17年3月5日
 
 今年初めての山歩きで、奥武蔵丸山に行って来た。出発前は面倒臭いなと思うのだが、好天の下、新雪にトレールを刻みながら歩く事は、1千mに届かぬ低山とはいえちょっとした雪山気分でとても心地良かった。暖かくなるこれから、春の山へこの楽しさを味わいに出掛けようと思っている。




 平成17年2月6日
 
 恒例となった障害者スキーツァーに1月28日〜29日参加した。義足の寺澤会長、一本足で滑る世話役の川幡さん、そのバイタリティーと技術にはいつもながら尊敬と脱帽の一言。会の人達とも顔なじみになり、一緒にスキーをして温泉に入り酒を飲む。毎年この行事に参加するのが私の楽しみとなった。




 平成16年12月20日

 木枯らしの吹く中、妙義山に行って来た。降り立った横川駅は、信越線華やかりし頃の面影はなく。うらぶれたローカル線の終着駅となっていた。・・・岩稜連なる妙義の山は手強く、相馬岳の手前の稜線で行き詰まり、エスケープしてしまった。「勇気ある撤退」聞こえは良いが、岩登りから離れて久しい私の力不足、甘く見ないでザイルを持参すべきだった。〃残 念〃安心できる所まで降ってホッと一息すると同時に、ほろ苦い寂しさをかみ締めた初冬の山歩きであった。





 平成16年11月21日
 
 先日、本栖湖の南に位置する毛無山を登った後、御坂峠近くの林道脇にテントを張り一夜を過ごした。その夜突然ライトを照らされ、2人の男性が現れた。山梨県警の警察官だった。不審者が露営していると思われたのだろう。若干職務質問して帰ったが、平凡な日々を送る者としては、けっこう衝撃的な体験であった。




 平成16年10月25日
  
 10月10日体育の日皇居で行われた視覚障害者10kmレースに初めて伴走として参加した。結果は相棒渡辺朋子さんの力走で、見事女子の部第1位、自分だけのレースでは入賞した経験がないので嬉しかった。
 伴走の役目は方向や道路状態の指示等けっこう忙しい、しかしそれが又面白さでもあり、次回のレースが待ち遠しくなってきた。




 平成16年9月30日
  
 先日久々に南ア、北岳に行って来た。やはり南アルプスはでかくて迫力がある。心身をフルに使って登山の醍醐味を味わった。本当はテント持参で3〜4日歩けば充実した山行になるだろうが、現実の環境と体力がそれを許さない。だけど、やるぞという気力は持ち続けていたい。




 平成16年8月25日
  
 新しい職場の勤務にまだ慣れないせいか、中々山に行く余裕がない。それでも7月末、富士見下から尾瀬に入り、至仏山を登って来た。久し振りに眺める尾瀬ヶ原の優しく穏やかな景色は、溜まっていたストレス解消の特効剤であった。やはり山に行かねばと思いつつも8月はまだどこにも行っていない。





 平成16年6月30日
 
 梅雨の合間を縫って、八ヶ岳を思い切り歩いてきた。宿泊したオーレン小屋は大きな風呂においしい料理、実に快適な小屋だった。
 翌日は峰ノ松目〜硫黄岳〜赤岳〜阿弥陀岳〜御小屋山〜美濃戸口と縦走した。高山植物は今が盛り、眺めも最高。実に楽しい山行だった。7月から新しい職場になるので、しばらく山に行けないが、これから大いに頑張るぞ。