翼あるもの2

 

 

 ほぼ全編が「三連」のリズムを持つ曲であり、

人のDNAレベルに訴えかけてくるアルバムである。

原始的な何かに触れるリズムだからこそ、

民族音楽、土着の音楽にはこのリズムが多用されているのだろう。

我が家で最も原始に近い存在である愛息がそれを証明した。

音が鳴り始めた瞬間コンポの方向へ振り向き、

食い入るように音の中心を見つめ、リズムに躰を委ねていた。

思えば知人の娘が反応したブライアン・フェリーの

「Nobody loves me」も同様に三連のリズムだった。

理屈抜きで躰の本能とでも言うべき部分を惹起するリズムがこれなのだ。

小室とのコラボレート、ラジオでの発言等から

甲斐よしひろがこのリズムに傾倒している事は明らかであるが、

その集大成とでもいうべきアルバムになったのではないだろうか。

 

 このアルバムに込められたものはそれだけではない。

兼田達矢氏によるライナーノーツで指摘されていることであるが、

「赤い靴のバレリーナ」に顕著なように無いはずのリズム、音が聞こえてくるのだ。

わしはこの「無いはずの音」を聴かせる試みは

「My name is KAI」に端を発すると考えている。

ほとんどエイトのリズムでギターを弾いても

聴くものが16のリズムで感じとることができるかどうか、

すなわち弾いていない筈のリズムを感じさせる事が

あのライヴの目的だったと思ってきたのだが、

そのアルバムとしての帰結はここにあるとわしは断ずる。

必要最小限、最低限の楽器しか使わないのは第一次ソロ後期と同様であるが、

当時は「音のない空間に楽器の音を広げる」事が目論見であったのに対し、

この一連の動きは「音のない空間に無いはずの音を作り出す」事が目論見であると

断じて差し支えないのではあるまいか。

錬金術的な試みかもしれないが、その底流には

理論と確信が力強く存在している。

 

扇情と錯覚を論理的に惹起するアルバム、とでも纏めておこう。

 

さて次の動きは・・・・一番三連らしくない曲にヒントがあるような気がするんじゃが、わしは。

 

 

KAI Records