ワールドカップ総括

  フットボール全般に関して マスコミに関して

一瞬1 一瞬2 一瞬3

トルシエ1  トルシエ2  トルシエ3

日韓共催

 

 

 

一ヶ月間楽しませてくれたワールドカップが終わって既に三週間が過ぎた。

いろいろ想うところがあるので書きとめてみたい。

なんにせよ、いろんな事が明らかになったと想う。

フットボールに限らず。

 

というかそれ以外のことがこのテキストのメインだったりもする(爆)

とにかく、想うまま、書いてみる事にする。

 

Football

フットボールに関して

全試合を観たわけではないので非常に

大まかな言い方になってしまう事は先にお断り申し上げておく。

全体的にレベルが下がった、という声がある。

むべなるかな、である。

高温多湿しかも梅雨時の開催である以上、

コンディションも含め相当にタフな戦いを強いられたのだから。

決勝まで残った2チームを見ればお解りいただけるだろうが、

一次リーグ3試合トーナメント4試合の計7試合を

戦う為のコンディション作り、各試合の戦術等、

則ち戦略を持った上で戦ってきた両チームが残ったことに疑いはない。

その戦略上、抜ける力を抜かなければ勝ち上がることはできなかっただろう。

従ってブラジル-イングランド戦に顕著なように

省エネフットボールが増え、そのため 消極的に映る試合が増え、

レベルが下がったように見えるのは 致し方ないことである。

代表チームのレベルに関して言えば、 個人レベル、組織レベル共に、

「下がった」という印象はわしにはない。

 

まあ、マラドーナが言う決勝戦のレベルに関して言えば認めても良かろう。

1986年メキシコ大会の決勝を戦ったマラドーナが言うのだから。

しかし、本大会における決勝戦は見応えがあったと思う。

メキシコ大会のアルゼンチン-西ドイツ(当時)ほどの熱戦ではないにしろ、

ドイツ、ブラジルとも持ち味を出し、

超一流の個人技、組織を見せた事は間違いない。

ノーガードの殴り合いという程の攻撃的な試合運びではなかったが、

両チームとも攻守のバランスを保ったまま得点を狙い、

チャンスを何度も作り出した。

両国の人間からすればハラハラドキドキだったかもしれないが(笑)、

これほど楽しく、見応えのある試合はそうないだろう。

 

更に、手で敵を抑える反則、ホールディングやプッシングを

両チームとも避けようとしているのは明確であり、

その結果クリーンな試合運びになったことは明記しておきたい。

この手の反則に対しては今後一層判定が厳しくなることだろう。

それを避けた結果、クリーンな好ゲームになった事は今後の模範となりうる。

その意味でも、素晴らしい決勝であったと言えるのではないだろうか。

Football

 

マスコミについて

一言「バカ」で済ませたいんじゃけど(笑)

新聞TV雑誌を問わず、ワールドカップを扱ったものに、

わしの懸念通りというよりも、それを越えるほどに

ジャーナリスティックな報道はなかった。

おそらくジャーナリスティックな報道があるとすれば、 一部専門誌のみだろう。

 

メディアというメディアでまともな報道は皆無。

ワールドカップというものにお祭り的要素は多分にあるけれども、

報道自身がお祭りになるというのはどうなんだろう。

 

お祭りの様子を伝えるのがマスコミの筈じゃないのだろうか。

 

 

ま、元々報道じゃないって言われれば反論のしようはないけどね。

 

もしかしたらちゃんとしたTVとか新聞とかあるのかも知れないけど、

わしが見たのにまともなものは全然なかった。

 

特に最悪なのは、TV。

不勉強なのに加えて偏向しまくったアナウンスもひどいし、

まともに解説できる人も極わずか。

民放では一様にバラエティ扱いしかできないというのもまたひどい。

NHKのハーフタイムの木村和司や長谷川健太の解説は

まだ納得できるレベルにあるが、中継解説はひどすぎる。

前日本代表監督と前々日本代表監督とやらは白痴丸出し。

 

洞察も知識も経験も話術もなしで解説するって凄いな、マジで。

 

その最たるものが決勝戦でのブラジル(ロナウド)の得点シーン。

リバウドがボールを持った瞬間からロナウドの得点まで、

その気になればここだけで30分話はできる。

次の更新ではこれを書いてみるけど(笑)

試合後のインタビューで、ブラジルの監督であるフェリペ(スコラリ)が

「個人的能力の差が結果として表れた」という要旨で語ったんだけど、

まさにこのシュートシーンこそがその「差」を顕著に表すものだった。

 

その辺は、次回に(ひつこい)

 

ニュース番組ももちろんひどい。

ダイジェストになるのはともかくとして、

映るのは韓国の攻撃シーンばかりで

ミスジャッジ絡みのシーンはおろかスペインの攻撃シーンは皆無ってのも凄かった。

 

ま、TBS系なんじゃけど(笑)。

 

後はイエローペーパーに文章載っけるバカ代表として

山口素弘金子達仁馳星周

 

他にもおると思うけどわしが実際に読んだのはこいつらなので名前出しとこう。

まあ金子氏についてはまともな批判もあるので 一概にバカ呼ばわりするつもりはないけど、

単純すぎる考察で 結論が短絡的になりすぎてフットボールの素晴らしさは伝わらない。

 

他二人は間違いなく断言できるバカ。

洞察知識は元より恥も外聞も彼らの脳味噌の中にはない。

言ってみればただの野次馬。

 

馳は素人なので野次馬でもいいけど、

そうなると最低中の最低は山口

 

こいつは絶対に許せん。

バカとけなすのは簡単なので、こいつらがどうバカか、

次回のあのゴールシーンの解説にて明らかにしましょう。

あくまで素人レベルの解説が、こいつらよりどれほど面白く、

フットボールの素晴らしさを伝えうるものであるか、 身を以て示すために。

 

Football

 

一瞬

前回の前振り通り、今回は決勝戦でのロナウドの得点について詳細を述べてみたい。

リバウドがボールキープしてから得点まで僅か数秒。

この間に両チームの組織力、ブラジルの優勝に決まったその理由、

そして更に現代フットボールの全てが凝縮されている。

それをここから論証してみたい。

 

1.個人の能力を最大限に活かすドイツの組織的な守備  

これは是非ご理解いただきたいのだが、

ゴールの2.44×7.32(m)という広さは、

たった一人で守るには広すぎるのだ。

PKを見れば理解の助けにもなろう。

どの程度の確率で決まるか、ちょっと見ればもう十分だろう。

11mという距離を以てしてもこのゴールの広さの前では近過ぎる。

(PKはゴールから11mの距離にあるペナルティスポットから行われる。念のため)

その広さをどう打ち消すか、それが守備戦術となるのである。  

 

繰り返しになるのを承知で言うが、

ドイツの守備は前線からのフォアチェックにより

ドリブル、パスなどの攻撃コースを両サイドに限定する事を基調としている。

則ちピッチ上の大半を占める範囲でワンサイドカットをかけ、

その後方では空けられているワンサイドへの攻撃を大前提としてポジションを取るのである(図1)。

図1

 

簡略化された上の拙いアニメではあるがドイツ守備陣の動きがご理解いただけるだろうか(笑)

このような動きの下、ドイツは敵の攻撃コースを限定して行く訳であるが、

これはゴール前においても然り、なのである。

この場合攻撃コースというよりシュートコースになるのであるが。

これもまた図により示そう。  

対比として、トーナメント一回戦で顔を合わせたチラベルト率いる

パラグアイのゴール前の守備も提示してみる(図2、3)

 

図2      図3 

 

 

パラグアイの場合では躰全体を使ってでも

シュートコースの全てを消そうとする動きを見せる。

パラグアイDFが倒れ込みながらシュートを躰に当てて防ぐシーンなど

この大会だけでも何度観たか判らない。

しかも可能な限り二人で守備に当たるため、

勢いに任せて突っ込んだところを相手攻撃陣にかわされても

もう一人がカバーリングできる。

このようなパラグアイの守備を一言で表現するならば

シュートを打たせないことを大前提とする守備とでも言うべきだろう。  

 

これに対しドイツの場合、守備の選手が無理に躰を寄せることはない。

確実にシュートコースをワンサイドを削り、

シュートを打たれてもカーンよろしく、である。

突破されても同じ事である。

突破されるコースは図1の如く限定されているのだから、

突破された瞬間、そこに向かってカーンが飛び出せばいい。

決勝戦前半終了近く、ロナウドのシュートが

ゴール左脇に逸れたシーンなどはその典型的な例である。

如何にロナウドと言えど、シュートコースがなければゴールを挙げる事などできない。

カーンの読み、シュートに対する反応及びセービングの能力を信頼した守り方と言える。

パラグアイに対比するならばシュートを打たれてもゴールは挙げさせない守備である。  

 

もちろん、カーンに対する信頼だけではなく、

逆にDF陣へのカーンからの信頼も厚くなくては不可能な守備である事は明記したい。

カーンが優れて見えるのは、DFに対する全幅の信頼故である。

反射的な動き、セービングだけで言えば、カーンに優る者などいくらでもいる。

しかし彼には信頼に足るべきDF陣と、信頼に応えうる守備力がある。

ピンチの際でも、カーンはDF陣を、DF陣の行うワンサイドカットを信じて

ポジショニングを取り、更に相手の攻撃を読む。

先を読んでいるからこそ、迅速な対応がカーンには可能なのだ。

尚かつ、逆を取られることがないに等しいとすら言える

ドイツDF陣の守備能力があってこそ可能な守備でもあるのだ。

更に言えばボールを奪ってキープする能力だけで言えば

ドイツのDF三人は本大会出場DFの中でトップクラスとは言えない。

しかし、確実なワンサイドカットを行えるという点では、

敢えて言えばこれはボールを奪うことよりも容易な技術であるが、

この三人が上位五人に入ると思う。  

 

ドイツはこのような守備戦術により堅牢を守ってきたのである。

長くなったので続きは次回に譲らせていただく。

本論に入ってないのはご了承いただきたいm(_ _)m

次は、堅牢を誇るドイツを打ち崩す事になった

リバウドのシュートに関して述べる。

 

 

Football

 

2.ドイツの守備を打ち崩したリバウドのシュートとロナウドの組織的な動き  

 

まずこの図を見ていただこう。

 

簡略化というよりむしろ手間を省くため他の選手は省略させてもらい(笑)、

且つ多少の位置、コースのズレはあろうが

要旨はリバウドのシュートの性質なのでご了承いただきたい。

 

この得点を流れに沿って表してみる。

ボールを奪ったロナウドがリバウドにパス。

リバウドは振り向きゴール前にドリブル。

ドイツDFは遅れながらもゴール右サイドをカットする位置に走り込む。

この時リバウドから見たシュートコースは図黄線に囲まれた範囲である。

リバウドは左足を振り抜きシュートを放つ。

インステップ(甲)で蹴られたシュートは図の白いボールの如くの

軌跡を描きゴール左隅に向かうコースを採るかに見えた筈だ。

カーンはそれに従い躰を左方向に傾け、

横方向へのセービングの準備姿勢に入る。

しかしここで虚を突く出来事が起こる。

ピンク色のボールの如く無回転のボールは鋭く曲がり、

カーンの足元に向かって落ちた。

カーンが弾く。

詰め寄るロナウド。

シュート。

そして、ゴール。

 

これがあの得点シーンの一連の流れである。  

 

まず見落としてはならないのがリバウドのシュートの変化である。

リバウドはトルコ戦でも同様のシュートを見せた。

トルコ戦においては、同じ様な位置、

同じ様なフォームで蹴られたボールは

TVで観てもはっきりと判る程度に急角度に曲がり落ちた。

ルシュトゥの足に大きく弾かれてはいたが。

 

ボールを曲げる技術には他に

インサイドで高回転をかけるもの、

インフロント(つま先近く)で比較的緩い回転をかけるものがあるが、

このインステップで回転のないボールを蹴り、

且つ曲げるというものが最も難易度が高い。

ちなみにわし自身、上記二つについては速度と変化量はともかく、

それなりのボールを蹴ることはできるが、

このリバウドのシュートのようなボールを蹴ることは真似事すらできない。

回転がなく揺れるボールや落ちるボールであれば

数十回に一度ぐらいはできるだろうが。  

 

話を決勝でのゴールに戻そう。

TV、VTRで観ていて、はっきりと曲がるボールであるとは確認しがたい。

しかしよくよく観れば、シュート直後のコースは図に示したように

ゴール左隅に向かって一直線に飛ぶ方向である。

それが何故かカーンの足元で弾んだのだ。

左方向に曲がり、尚かつ落ちたのは明らかだ。

しかもリバウドのフォーム、ボールが無回転であることからして、

トルコ戦で見せたシュートと同じ類のものであることは容易に想像できた。

 

一応断っておくが、少なくともわしは蹴った瞬間に

「曲がる」と確信できた。

 

明言するが、あの変化が判らないモノにフットボールの解説を行う資格はない。

正に想像を絶するリバウドの技術の凄さを理解せずして

他人を評価する行為である解説という作業ができる筈はない。

ましてフットボールの素晴らしさを伝えられる筈もない。  

 

次に、カーンが弾く寸前にボールがバウンドしている事実も見逃せない。

無回転のボールが雨に濡れた芝に弾かれると思わぬ変化を生じるのだ。

水切りのように滑るように飛んで行く場合もあれば、

急激に速度を落とす場合もある。

このシーンの場合、VTRを観ると低い弾道のボールが勢いを失うことなく

滑るようにカーンの眼前に迫っているのが判る。

このバウンドをカーンが予測し得たかどうか。

これは訊いてみなければ判るものではないが、

不慮の変化を来すとは判っていても、

ボールの方向の予測まではできなかったのではないだろうか。

言い方は悪いが来たとこ勝負、にならざるを得なかったのではないか。  

 

カーンの視点からこのシュートが如何なるものであったか、 順を追って書いてみよう。

1)リバウドがボールをキープした。  

シュートが来るかも知れない。  

シュートコースは左しかない。

2)リバウドがシュート体勢に入る。  

左足でのインステップのフォーム。  

あの位置で、あのフォームならば右方向に来ることはあり得ない。

3)リバウドがシュートを打った。  

回転をかけたシュートではない。  

読み通り左方向に飛んでくる。  

左に重心移動し、セービングの体勢を取ろう。

4)シュートが変化し、正面に曲がり落ちてきた。  

体勢を立て直し、前傾姿勢で止めるしかない。

5)前方でバウンドする。  

どの角度でバウンドするか読めない。  

来た球を止めるしかない。

6)胸の高さに来た。

キャッチできず、前方に転がるボール。

7)ロナウドが走り込んできた。  

間合いを詰めるしかない。  

左へシュート。

取れなかった。

 

まとめてみよう。

リバウドのシュートはカーンの読みとシュートに対する反応の裏を掻き、

かつ偶然性も併せ持った鋭く曲がり落ちるボールだったのだ。  

不幸にしてカーンはボールを前方に弾いてしまったのだが、

ここには当然の如くトップスピードで走り込んでくるロナウドがいた。

先程トルコ戦のリバウドのシュートを引き合いに出したが、

ロナウドの動きにおいても同様である。

何故ならばロナウドは全く同じようにゴール前に走り込んできていたのだから。

正にVTRを観るが如くである。

これが監督の指示の下行われた戦術(というほどのものではないが)だったのか、

リバウドとロナウドの二人の間の取り決めだったのか、

ロナウドの勘によるものだったのかどうか、

本人達が語らない以上判るものではない。

しかし確実に言えることは、

ロナウドの動きはフォローに回るものであり、

他者がいて初めて使用できる単語であるフォローという行為こそが、

組織の動きの第一歩、基本中の基本であるという事である。

そしてロナウドはその基本を、組織の動きを忠実に果たしたという事なのである。

あれはなんとなくそこにいた、という類のものではない。

義務を果たすためにロナウドは走り込んでいたのである。

猛然とダッシュし、トップスピードで。

 

そこには明らかな得点への意志と確信がある。

ボールが零れる可能性が十分にあると信じて。

則ちリバウドに対する信頼に基づいて、

ロナウドは責務を果たしたのである。  

 

今回も長くなったので結論は次回に送ることとさせていただく。

そろそろ30分語れると言ったのが

妄言ではないことぐらいは証明できただろうか(笑)

 

Football

 

 

3.結論  

 

ここまででドイツの守備方法、

そしてそれを打ち破ったリバウドのシュートについて示してみた。

以上をまとめてみると、以下のようになる。

 

1)ドイツの守備は確実なワンサイドカットと

その後方の選手の先読みを基調とする守備であり、  

それはDF、GKの個人能力に裏打ちされたものであり、  

かつその個人能力を最大限に活かすためのものである。

 

2)リバウドのシュートはドイツの個人組織共に

整えられた守備を破綻に導くものであり、  

それは驚愕に値する技術により放たれたものであった。

 

3)実際の得点となったのはロナウドの組織的な動きの結果であった。  

 

こうしてみると、フェリペ(スコラリ)監督の言葉が正しく理解できよう。

わしなりの解釈として詳しく書いてみれば、

 

「両チームとも世界最高のチームを決める闘いに相応しく

個人の能力と組織の整合性の双方が高いチームであり、

決勝戦においても個人能力組織力共に十分に発揮する事ができた。

総合的なチーム力としては非常に拮抗したものであったが、

リバウドのシュートは、ドイツの組織的な守備は

元より個人の能力をも凌駕するものであり、

事実上これが勝負を決めることになった。

これは端的な事例であるが全体として個人の能力はブラジルが優っていた」

 

こういう事になろう。    

 

もうキーボードを叩く指にタコができそうなほどだが(笑)、

しつこく繰り返しておこう。

フットボールにおいて強国になるためには 組織と個人の能力が共に必要であり、

その点においては南米スタイルも欧州スタイルもないのである。

 

いまだに南米スタイルは個人技重視などという者は

日本人男性の髪型はちょんまげであると言う者に等しい。

 

近代以降、組織力のない強豪はあり得ないし、

個人能力の足らない強豪もあり得ないのだ。

もしかするとわしの知らない、

VTRなど残っていない過去ですらそうだったのかもしれない。

 

いずれにしろ、本大会の決勝戦を闘った2チームとも、

双方を兼ね備えた素晴らしいチームだった事に間違いはない。

そして勝利を得たのは、突出した個人技を持つ選手、

リバウドを擁するブラジルであったのだ。

これは各国の強化策に影響を与えざるを得ないものではないか。

短期的なものはともかく、長期的にはやはり個人の能力を

伸ばさなければならないと再確認させ得るものではないだろうか。

 

まあ、当然の帰結ではあるのだが。  

 

あのシーンにおいて。

ロナウドがボールを奪ってから僅か数秒の間に。

両チームの力、組織力と個人能力の双方、

則ち現代のフットボールの粋が端的に凝縮されていた事だけではなく、

将来のフットボールをも示唆し得るものが存在していた事も

これでお解りいただけただろうか。

 

そしてまた。

僅か数秒のシーンでも素人に過ぎない者が

これだけ語れるという事が解っていただけただろうか。  

 

あの僅か数秒の間に、何があったのか。

少し考えるだけでも、前述の如くのものがあったのである。

 

しかし、それだけではない。

 

最後に追加して、この項を終えよう。  

 

 

 

 

 

 

フットボールはファンタジーであると誰かが言った。

理論を打ち砕く何かがそこに在る、そういう意味であれば

リバウドのシュート〜ロナウドの得点のこのシーンほどに

この言葉を示すものは本大会に於いて他にない。

このシーンこそがフットボールなのである。  

 

 

 

 

 

 

 

フットボールには人生があるとわしの師が言った。

人生に於いて、完璧に見えていて完璧に遂行されていた筈のものが

破綻した瞬間に全てが崩壊することもある以上、

この失点において敗戦に導かれたドイツこそが

この失点シーンに於いて人生の悲劇を表現し得たのである。  

 

 

 

 

 

 

僅か、数秒の間に。

 

Football

 

トルシエについて

 

不当に低い評価をされとるように感じるのはわしだけかね(笑)

繰り返しておくが、あのような闘いができる日本代表などなかったのに。

もちろんそれだけ選手の質が向上しているのは事実だろう。

戸田などはその最たるものだ。

過去に例える選手などいない。

しかし同じように、これほど得点能力があり且つ

守備力も十分な代表チームを作り上げた監督などいないのだ。

 

トルシエを揶揄する手法として、

ラインを下げてロシア戦を守りきった「フラット3」と

トルコ戦でのシステム変更を含めた采配、

そして韓国代表ヒディンク監督との比較が

よく使われているのでこの3点に対しトルシエを擁護してみたい。

 

1.フラット3  

現在のところ、オフサイド崩れからの失点を機に

ラインを上げるディフェンスだけではなく

ラインを下げる場合もあっていいと選手が自発的に

守備戦術の変更を行ったとされ、 これがトルシエ批判=フラット3否定+選手賞賛となっている。  

先にも書いたが局面に応じてポジショニングを変更するのは当然だし、

ラインコントロールも同様である。

当然のことが行われていただけである。

 

これだけでも充分なのだが(笑)、一応詳細を述べてみよう。

まず、フラット3そのものがどう機能していたかについて。

基本としてDFラインを高い位置に保つ以上、

中盤から前も高い位置になり攻撃を仕掛けやすい、

これがトルシエの言うフラット3の最大のメリットである。

個人能力が突出しているわけではない日本が

得点を挙げるためには数的優位とスピードが必要になる。

この意味では、日本が勝つために有効なシステムであったと思う。

敢えて言えば、「ボランチ=ディフェンシヴハーフ」である稲本が

2得点を挙げたのもこのシステムだからこそ、でもある。

もちろん稲本の能力、チャンスをかぎ分けた判断力があってこそだが、

ボランチが最前線に出易いシステムであったことも付記せねばならない。

攻撃の面では、充分機能していたと考えるべきだろう。  

 

次に、守備に関して。

いたずらにラインを上げなかったという事が過大評価されているのだが、

ロシア戦のレポートでも書いたように

中盤にスペースがぽっかりと空く結果になり、

攻撃を受け続ける事態になった事が見えてなかったのだろうか。

ラインを下げて待つ、というのも一つの守り方であるから、それはいい。

しかし、それならば中盤から前線も下がってこなければ守りきれるものではない。

クリアした筈のボールが相手選手へのパスになるようであれば

それはクリアと呼べるものではない。

GK経験者のわしからすれば、目の前のスペースよりも

DFラインの前のスペースの方がよっぽど恐ろしい。

そのスペースは攻撃のパターンを幾重にも与えうるものであるのだから。

何が来るか判らない、のだから。

 

当然ながら、数的優位を保たなければならないのは攻撃だけではない。

むしろ守備にこそ数的優位を保たなければならないのだ。

それができなかったのにも関わらず、

選手達に高評価を与えるのは間違いではないだろうか。

守るには守ったが、ラインを下げた以上、

中盤のスペースを埋めるべく MF、FWのポジションも下げなければならなかった。

それはDFやボランチの指示も必要だったろうし、

MF、FWの選手の自発的なポジション変更がなければならなかったという事ではないか。

ロシア戦を無失点で勝利したのは守備システムの変更だけによるものでは断じてない。

 

蛇足ながら。

ロシア戦でトルシエはラインを上げるように指示を出したとされているが、

一番恐ろしいスペースを埋める方法はこの場合二つしかない。

ラインを上げるか、前線を下げるか、である。

そしてここまで築き上げてきたシステムは、前者なのである。

どちらの習熟度が高いか、ということである。

ならばトルシエの指示は必然とも言える。

 

やはり長くなってしまったのでまた次回に譲ることとする。

次回は、トルコ戦におけるシステム変更について述べてみたい。

 

Football

 

2.トルコ戦のシステム変更という謎

トルシエ批判の最先鋒がおそらくこれだろう。

当初はわしも「?」と思わずにはいられなかった。

現在ですら、一部には疑問符が残っている。

まあ解説者とやらは手放しで批判しているのだが(笑)

これをわしなりに解釈してみたい。

まず考慮しなければならないのは、

日本代表の選手達の フレキシビリティ、

変化に対応する能力である。

残念ながらこの点において、強豪国には格段に劣ると言わざるを得ない。

その理由については過去何度も述べてきたので詳細は略すが、

基本に劣る事は則ち戦術への対応も劣るという事なのである。

いくつものシステムに簡単に適応できるぐらいなら

日本はとうに強豪国の仲間入りを果たしているだろう。

しかもまがりなりにも無敗できたシステムである。

負けているのならともかく、

一応は結果を出してきたシステムを変更する必然性はなかった。

 

あくまでも、必然性ではあるが。  

 

更にわしの私見を言えば、西澤のワントップなら森島を使うべきだったと思う。

この二人のコンビネーションはかなり高いレベルにある。

アレックスであれば一人でも攻め込めるという利点があり、

回数的にはアレックスの方が攻撃的であったかもしれない。

しかし得点の確実性と相手DFを脅かす意外性という点では

西澤-森島のコンビの方が優っていると思う。

 

この点においてのみ、今でもトルシエは間違っていたのだと思う。

 

さてそれではトルシエは完全に間違っていたのだろうか。

トルシエを批判する者達は大まかには以上のような理由で扱き下ろしている。

日本の能力、無敗で一次リーグを勝ち抜いてきた経過、

システム内のコンビネーションの熟成度、

この三点が批判の対象となりうるのは致し方ないことではある。

これはわしも認める。

 

しかし彼らの論評の中で完全に欠落している事があるのにお気づきだろうか。

彼らの論評にあるのは日本代表内の事に限定されている事にお気づきだろうか。

対戦国であるトルコを過去の戦歴だけで不当に評価してはいないだろうか。

ヨーロッパ予選を勝ち抜き、一次リーグを勝ち抜いて来た

トルコの実力を見切った上での意見だろうか。

本大会三位という結果、フランスを破ったセネガルを破り、

アウェーであるにも関わらず日本、そして韓国を破った実力を

トーナメント一回戦の段階で完全に把握していたと言えるのだろうか。

 

わしは日本以後のトルコの試合を観るにつけ、

これほどの力を擁していようとは思わなかった自分を恥じた。

トルコは紛れもない強豪であった。

三位という結果はまぐれでも何でもない。

当然とすら言える実力だった。

もしブラジル戦や韓国戦のパフォーマンスであれば、

日本がどのような有様で敗戦したか、想像するだに恐ろしい。

 

ここで、トルシエがトルコの実力を把握していたとしたらどうだろう。

その結果、これまでのシステムでは通用しないと判断したとすればどうだろう。

あくまでわしの想像に過ぎないが、これ以外にシステムを変更した理由は見あたらない。

正しかったとは言い切れないが、わしは妥当だと思う。

 

トルコの攻撃力に対応するためにボランチを3枚半(戸田稲本服部(小野))とし、

トルコの守備力に対応するためにドリブラーであるアレックスと

ポイントで得点できる西澤を使ったのではないだろうか。

結果的には敗戦となってしまい、批判されるのみとなってしまったが。

そして更に、トルコが日本戦で最高のパフォーマンスでは無かったことが

勝てる試合だったと錯覚させてしまった事もトルシエにとっては不幸だった。

しかしトルコの以後の闘いを観れば一目瞭然、

先を見越して闘っていた事に疑いはない。

尻上がりに調子を上げ、三位を勝ち取ったチームである。

 

例えばイングランドに対するブラジルのように、

日本に対するトルコは最低限の力を用いて日本をねじ伏せたのだと考えられるのではないか。

書いていて寂しくなるが(笑)、おそらくこれは間違ってないだろう。  

 

明らかに実力が上のチームに相対する時、

奇策や博打を打たねば勝てるものではない事は、

よく比較されるヒディンク率いる韓国が示しているではないか。

 

というわけで、次の項ではヒディンクと比較し、

本当にトルシエが劣っているのかどうか検証してみたい。

 

Football

 

3.トルシエとヒディンク

 

結果だけを見れば、ヒディンクは韓国をベスト4にまで

導いたのだからヒディンクは優れているように見える。

攻撃的な選手を注ぎ込む交代とその結果は確かに圧巻だった。

韓国の攻撃を単調な縦一本の頻用から横へのショートパスを多用するタイプに

変化させたのは間違いなくヒディンクの成果である。

 

対してトルシエは日本の攻撃力を増大させたことに疑いはないものの、

結果もベスト16であり、交代を含めた選手起用に疑問を挟む余地を残してきた。

一見ヒディンクの方が優れているようにも見える。

 

しかしわしはそうは思わない。

ヒディンクは確かに二大会連続でベスト4のチームを率いてはいるが、

アグレッシヴに過ぎる彼の戦術で決勝まで闘いきれるチームがあるとは思えない。

断言するが、優勝できる監督ではない。

持久力では世界でもトップクラスにある韓国の選手達が

スペイン戦辺りから失速していたのは明らかである。

ワールドカップで優勝する、ということは 7試合を戦い抜くということである。

ヒディンクのスタイルで7試合戦い抜く事が可能なチームなど、

おそらく地球のどこにも存在しないだろう。

体力的に楽な時季、場所で開催されていても7試合は保たないだろう。

あり得ない仮定ではあるが、ヒディンクがドイツの監督を務めたとしても

優勝させることはできないだろう。

 

ブラジルだとすればもっとその可能性は低い(笑)。

 

対してトルシエはどうか。

トルシエも比較的体力的負担の大きい戦術を採る監督ではある。

しかしヒディンクほどではない。

これが逆に余力を残して敗退したように見せ更なる

批判の対象ともなりうるのだが(笑)。

過去に強豪国を率いたことはなく、仮定の話にならざるを得ないのだが、

ドイツやブラジルの監督になったとすれば

優勝の可能性は十分にある。

この辺りは実際にプレイする選手、チームとの兼ね合いもあり

非常に難しい問題ではあるのだが、この視点からすれば

ヒディンクが優れているとは言えないのである。

 

ではレベルの低かった日本韓国のチーム力を引き上げたという点ではどうだろう。

韓国を単調且つシンプルな縦一本から脱却させたヒディンクと

攻め手は個人の能力に全て任せてきた日本にあらゆるポジションから

ゴールを狙えるようにしたトルシエ。

元のタイプが違う選手に対しこれまたタイプの違う監督が指導するのだから

この点で比較するのも難しいのだが、 両チームとも明らかに攻撃力は増大していることに相違ない。

守備においては、ヒディンクは韓国を愚直なマンツーマンから脱却させ、

トルシエは定型の無かった日本にゾーンディフェンスの新たな形を提示した。

いずれにしても、単純な攻撃から失点する事などほぼ無いと言っていいシステムを作り上げている。

二人とも攻撃守備いずれにしても困難な仕事をやり遂げている。

これも甲乙つけがたいと思う。  

 

選手起用についてはどうだろう。

がむしゃらにFW登録の選手を注ぎ込んだヒディンクが高評価され、

負けていても攻撃的選手を下げるというトルシエが低評価されている。

これもただ単にスタイルが違うというだけではないのだろうか。

守備のバランスを崩し失点を重ねてしまえば敗戦が決定される事を

恐れたか恐れなかったかの違いただそれだけである。

尚かつ、韓国にはFWでありながらペナルティエリア付近まで戻って守備をして

また最前線までダッシュで駆け上がる馬車馬のような選手が多くいたが、

日本にはそのような選手はいないということも考慮しなければならない。

地力に優るトルコ相手に守備の選手を減らしていれば、

更なる失点を喰らっていた可能性は得点を挙げる可能性の数倍は高かっただろう。

言うなれば、ヒディンクが韓国代表においてFWの選手を注ぎ込むのは丁半博打ぐらいだろうが、

もし同じ事をトルシエがやれば手本引きでスイチに張るようなものである。

 

解り易い例えが思い浮かばなかったので申し訳ないm(_ _)m

 

要するにこの点においてヒディンクが

トルシエに優っていたという事はないのである。

 

しかし、この二人に差はなかったのかと問われれば、

わしはあったと答える。 一次リーグ突破で満足したかしなかったかの差が明らかにあった。

前回ベスト4のヒディンクと、過去一次リーグ敗退のトルシエの間には

トーナメントを勝ち抜こうという意識の差が明らかにあった。

トルシエはチュニジア戦の後、ノルマは果たしこれからはボーナスだと語ったが、

それが全てではないとしても慢心があった事は否定できまい。

是が非でも勝とうという意志が薄弱であったことは否めない。

この点でトルシエはヒディンクに確実に劣っていた。  

ただし、この点でトルシエだけを責めるべきではない。

その責務はわしら自身にこそある。

日本人の中にこそある。

決勝トーナメントで勝ち抜く事を、どれだけの日本人が切望し得ていたというのだ?

それほどのものを、どこに持ち得ていたというのだ?

にも関わらずトルシエを批判できるほどわしは厚顔無恥ではない。

少なくとも、これまで日本を率いてきた中では最高の監督だったとわしは思う。

結果だけでなく、戦術の組立も含めて。

 

ただ、人間的にどうだったのかは知らない(笑)

 

またも連載になってしまったが(笑)、如何だろうか。

わしはトルシエが良い監督であったと信じる。

少なくとも歴代の日本代表監督の中では最高だったと思う。

次のワールドカップまで、日本の監督はジーコが務めることになった。

ジーコがトルシエより監督としての能力があるのかどうか。

更に高いレベルにまで導いてくれるのか。

興味深く、且つ熱烈に応援したい。

Football

 

日韓共催

ワールドカップに関する項で、やはりこれは書いておきたい。

さほど多くの眼に晒される訳でもないこの場所で書く事が

陰口にもならない卑小なものである事は承知の上だが、

さりとて他の場所で無責任に書く事が

便所の差別落書きに堕する事にもなり得るのであれば

自分の責任範囲の中でする方が好ましかろう。

 

ここまで書けばこれから何を書こうとしているかもうお解りだろうが(笑)

共催国、韓国そして日本についてである。

 

正直に言って、韓国は少なくともその民族的思想に於いて

幼稚且つ未熟であると宣言したに等しい。

その排他的思想は及びそれに則った行動には呆れる他にない。

対戦国の国家斉唱の際にブーイングを行い、

共催国である日本の失点に大統領自ら喜色を露わにし、

対戦国やその選手に対しあらぬ誹謗中傷を投げつける。

これら全て暴挙、愚行と一言で片付けるべきものである。

 

わしはこれら愚行の中、おそらく極一部しか知らない。

しかしカーンらの遺影やナチス云々という誹謗を飾ったことだけでも

その排他的且つ侮辱的な蛮行は非難されるべきである。

さすがにナチス云々は早々に撤去されたらしいが。

ここから露わになるのは朝鮮民族の小中華思想を基にする

他者を侮蔑、差別する民族感情である。

対等を認めないという民族意識である。

心中はともかく、少なくとも表面上に於いて対等を認めるのであれば、

上記の行いが如何なるものか考えるまでもなかろう。

公的な場で国家そのものを侮辱するに等しい行動が取れるのは、

そのような感情、意識を露呈することに他ならない。

 

しかしながらこのような唾棄すべき行動も羨ましくはある。

再燃した教科書問題に触れ、

「韓日関係はワールドカップ共催により好転したのにも関わらず云々・・・」と

韓国外交筋に言われそれに頷いてしまう日本外交筋に比較すれば、

中韓に言われるがままで反論の一つも成し得ない日本の政治に比較すれば、

愚かであろうと感情論をそのまま吐露できるお国柄は羨ましい。

 

感情も正論も押し込め相手にとりあえずは頷いてしまう国民性からすれば。

 

思うに和を尊しとし和の為の謙譲を美とする思想も、

公的な場に於いては幼稚なものに過ぎない。

向こうが子供のようにごり押して言いたい放題ならば

こちらは子供のように感情を押し込めたべんちゃらを言うだけなのである。

自らの精神性に無自覚な事を「子供」と定義するのであれば、

日韓いずれも子供に過ぎない。

情けない話ではあるが、海の向こうからすれば

日韓の争いは子供同士の言い争い程度であり、

ワールドカップの開催はその子供達に玩具を与えてみた、 そんな程度の事なのだろう。

 

元々共催させること自体が差別感情の吐露なのだが、

海の向こうではその差別を区別と確信しているかも知れない。

それに無自覚なままの両国が情けないだけのことである。

 

Football