甘いキスをしようぜ
「じゃあ」 こんな結末しか無かったのかまだ悩んでいた俺の唇。
柔らかい唇が触れた。 いつもと違う感触だった。 初めての感触のような気もした。
いつもは。いや、つい最近までは。貪り合うようなキスをしていた。
俺は閉まって行くドアを眺めながら、初めてのキスを想い出していた。五年前にこの部屋で。
その瞬間、胸が痛んだ。
五年間抱えてきた二人の葛藤。 彼女への想い。 五年間の間幾度と無く在った嘘。
胸骨の裏側を抉るような痛みを覚えた。
結局、別れるしかなかったのだ。 二人とも自分の描く将来を明確に持っていた。
その将来の中に、お互いが在ないことも解っていた。
決定づけられていた結論をその時の気分で先延ばしにしていただけだ。
どちらかに責任があるというものではない。
お互いに嘘をつき、お互いに結論を出そうとしなかっただけだ。
ただ、そこまでに五年という月日が経ったというだけの話だ。
俺は俺で仕事と家、彼女は彼女で仕事と夢を取っただけだ。
そんなものは解り過ぎている。 なのに何故こんなに辛い。 一人で布団を抱き、眠った。
どうやら俺はそんな苦しみすら忘れられる人間だったらしい。
最初は手に着かなかった仕事も、いつしかこなすようになり、
新しい彼女もでき、結婚すら考えるようになっていた。
その彼女との別れ際、彼女は言った。
「じゃあ」 俺の唇にそっと触れた。 可愛い女だと思いながら、車を出す。
唐突にフラッシュバックが起こった。 同じ台詞。激痛が胸を襲う。
ハンドルにもたれそうになる。 どこかで声がする。
「打算か」 否定しきれない俺が在た。
打算だろうとなんだろうと、今の彼女と結婚したいのは事実だ。
「結婚する女と一緒にいる女は違うのか」 また、声がした。
車は坂道を下り、広い幹線道路に出た。
このまま真っ直ぐ行けば、あの彼女の家がある。
自分がどこかで求めていた、彼女の家が。
抱かれたかった、彼女の家が。
いつも俺を慰めてくれた、彼女が恋しかった。
真っ直ぐ行けば。
真っ直ぐ。
ハンドルを切った。