あなたはいつもそうだった。
僕といるときにはいつも笑顔だった。
僕に対し怒っているときでさえ。
その目には、優しい笑みが宿っていた。
”大阪へ、行くんだ” あなたは、喫茶店の窓際の席で、そう云った。
”・・・”
僕には、返す言葉がなかった。
そんな僕に、あなたは微笑みながら、 こう云った。
”もう、この街には居られない”
あなたは、いつも微笑んでいた。
あなたのその笑みは、辛いということを知っている者のみが持ちうる、
人を包み込む笑みだった。
あなたとは、2年前に知り合った。
僕は、その優しい笑みに魅かれた。
笑うということが嘲りと同義だった僕にとって、
その笑みは理解しかねるも のだった。
しかし、その笑みこそが僕を人たらしめるものだった。
人を信じることを教えてくれた。
つきあって行く中で、あなたがどうやって暮らしてきたか、 知ることができた。
あなたが何故この街に越してきたか。
これまでに住んでいない地方はないの。
そう言って笑えるあなたの強さは、僕には信じられない ものだった。
”いつ行くの” かろうじて答える僕に、微笑みながらあなたは答える。
明後日。そんなに急がなくても、冗談めかす僕に、あなたは声を上げて笑う。
急いでいる訳じゃないわ。
急いでいない筈は、ない。
あなたを車で送る。その間話したことはどうでもいい、
何の取り留めもない ことだった。
あえて語ることもない。
あなたがこの街から出て行くその訳は、 二人にとって了解済みだった。
その門を曲がると、あなたの家が見える。
言葉が切れた。
車は静かに、 ゆっくりと曲がる。
車が止まる。
”さよなら。じゃあね。”
あなたはそれだけ云うと、僕を見送ることもなく、家の中に消えていった。
おそらくあなたの姿はこれが最後だろう。
最後の笑顔のその中で、あなたの目は。
初めて見る目だった。
”お前の彼女は?”
数人の連れと喫茶店で駄弁りながら、不意にその問いは向かってきた。
知らん。そう答える僕に、皆は不思議そうな顔をしながら、
触れられない何かに気づき、黙り込む。
僕の記憶の中に在るあなたの笑み。
あなたを思い出す度に感じた苦さは、 その笑みによって優しいものへと昇華して行く。
”ねえ、何考えてるの?”
あなたはよく、僕にそう尋ねた。
あなたの笑みの意味を考えているときに。
”笑いの本質って、何かってね”
あなたの答えは、いつもその笑みだった。