私憤

 

先にお断りを。

以下の文章は私憤的テキストです。

こういうものを晒すのは本意ではありませんが、

あまりにも頭に来たので書かせてもらいます。

ご意見などありましたらBBSメールにて。

 

この日本では、ワールドカップ/日本代表というものは、

結局他人事でしかないのだな、と思わざるを得ない。

無責任極まりなく、思慮思考が皆無な言葉を、

現役のサッカー選手であり、しかも元代表である選手が吐く。

これがこの国の現実である。

 

山口素弘よ。

貴様はフットボールを愛してない。

それとも、自身を代表に選ばなかったトルシエ監督に対する

私憤をイエローペーパーに吐露したのか?

 

わしは貴様のようなクズを選ぶ程に

トルシエが愚かでなかったことを嬉しく思う。

 

以下山口素弘の文章に対し、私見を述べさせていただく。

(黄色斜字が山口の文章)  

 

トルコ戦を観戦していて、あれっ? と思った。

あれほど、1次リーグで躍動していた選手の流れがない。

それは明らかに雨のせいでなかった。

なぜだろうと思っていたら、報道陣から

「フラット3についての疑問の質問が試合前日にあった」とか。

ピ〜ンときた。 それで前日練習では、DF陣全員を集めてフラット3の

基本練習をやっているじゃないですか。  

トルシエ監督は形相を変えてやっていたけど、

選手たちは「?」の表情。こういうことって、本当に尾を引くもの。  

 

確かに選手の動きはおかしかった。

それには同意しよう。

その原因は、わしなりに述べたのでここでは省略しよう。

しかし、その原因がフラット3の基本練習とは思わなかった。

まず聞きたいのだが、試合直前にシステムの基本をチェックする事が

おかしいことなのだろうか?

わしはシステムにしろ個人技にしろ、

基本があってこそ 初めて機能しうるものだと考えている。

従ってそれは何度確認しても足らないものではないのか。

事実、本大会の失点は全て基本的なミスから生まれているではないか。

特に一次リーグでの失点、ベルギー戦の2失点は

ラインコントロールのミスにより生じているのだ。

修正是正すべき点の第一に挙げるのは必然とさえ言えると

わしは思うのだが、どうか。

更に、件の報道陣からの質問に同意しているかのような記述だが、

山口は本当にサッカー、否、団体競技をしたことがあるのかどうか疑ってしまう。

ゴーストライターが書いたものなら納得できるのだが。

フットボールに限らず、団体競技においては全て、

最低限の基本、取り決めがあり、

その上で現場、 則ち選手が実際にそれを動かすものではないのか。

時と場合によれば変更もありうるものではないのか?

例えばフラット3と呼ばれる日本のシステムは文字通り

DFは3人がゴールラインと平行に並ぶのが基本となるが、

そのラインに両サイドのMFが場面に応じて入ることは当然ではないか。

(実際のところ、ベルギー戦での失点はMFの位置がラインとずれている為に生じた)

日本の場合は3-5-2の変形であるが、

3-5-2システムの基本型として、

5、すなわちMFの両サイドは通常サイドバックの選手が行うものではないか。

従って3-5-2が場面に応じて5-3-2に変化しなければ

それは機能していないとしかいいようのない状態なのである。

ブラジルを見れば一目瞭然である。

現在のブラジルは3-5-2システム(これも変形)であるが、

両サイドのMFは誰が務めているか山口は知らないのだろうか?

カフーとロベルト・カルロスである。

カフーについては所属するローマでは右サイドのMFで 出場することもあろうが、

元々は右サイドバックである。

ロベルト・カルロスは現在でもレアル・マドリーでは DFでの登録で出場している。

実際ブラジルの試合を観てみれば、 カフーにしろロベルト・カルロスにしろ、

最終ラインの中で 守備をしている場面などいくらでもある。

というよりも、それが必然なのである。

要するに件の質問とやらは無知以外の何物でもなく、

採るに足らないというよりも無視して然るべき、 むしろ恥ずべき質問である。

それを正すのならいざ知らず、その質問によりトルシエが感情的になって

ラインの確認をさせたとでも言いたげな内容には恐れ入る。

トルシエが件の質問で感情的になった、

というのだけなら納得するが。

わしでも頭に来ると思う。

あんな席でシステムの極基本から説明しろと言われたようなものである。

大学の講義で学生から1+1の概念を説明しろと言われたら、

どんな講師でも怒るだろう。

 

まだある。

基本を確認させたトルシエに選手達が「?」という表情を 浮かべていた、

とあるが、それなら何故それを諫めない。

先にも述べたが、基本は幾ら確認しても足りることなど無い。

それに疑問を持つ選手にこそ問題があるのではないのか。

それとも、ジーコですら明言する基本の大事さを否定するかのような選手に同意するのだろうか。

(ジーコ曰く「試合中のイマジネーション、インスピレーションは 反復的な基本練習から生まれる」)

一応、わしが見た限り試合前の練習において

そのような表情を見せた選手はいなかったと思う、と述べておこう。  

 

冒頭のこの文章を見る限り、どうやら山口は

トルシエも代表メンバー侮辱したいようである。

トルシエは感情的に選手をいたぶる悪いヤツで、

代表選手は基本をおろそかにしてふてくされる輩である、と。  

 

 

 

 

 

1次リーグのシステムは、抜群に良かった。

読者の皆さんは、西沢君が機能していなかったと思うかもしれない。

それが全体のバランスというもの。

サッカーの場合、バランスが最優先されるものだ。  

1次リーグはゴールに結びつかなかったが、

柳沢君と鈴木君で前線をかきまわしていた。

アレックス(三都主)は懸命にセンタリングをあげていたけど、

その落下地点にきちんと選手がいましたか? そういうこと。  

日本のパターンが研究され尽くしているのなら分かる。

でも、今回のトルシエ監督が取った戦術は間違いなく

『奇策』といっていい。 スタメンを外れた選手も「えっ、何で?」と絶対、思ったはず。

サッカーの場合、最初から出場するというのは、

選手にとってとても大事なことですから。  

さらに、日本はレギュラーの中に故障者が少なく、イエローカードもない。

つまり、決勝Tの16チーム中、一番いい状態にあった。

それに、ホームアドバンテージは、とてもつもなく大きかった。  

 

一次リーグのシステムが抜群に良かった、という事は

「一次リーグのシステムが機能していた」の意なのだろうか。

攻撃システムとしては、ヒデや柳澤のスペースを作るための動きは絶賛されてもいいだろう。

しかし、ロシア戦での1点差を守りきった守備は、

システムが機能していたとは言い切れない。

ラインを下げ対応したまでは良いが、 クリアボールが全て拾われる結果になったのは

以前にも述べたが、システムが機能していなかったからに他ならない。  

トルコ戦は明らかに機能していなかった。

ワントップというシステムが機能しなかったのは、

もちろん奇策的、博打的にこのシステムを採ったトルシエにも一端の責はある。

同じメンバーで臨む、という選択ももちろんあって良かったという意見は、

結果が敗戦である以上当然あって然るべきである。

 

しかし、これまでに西澤ワントップというシステムは何度もやってきた。

好結果も残してきた。

だからこそ、わし自身は西澤ワントップが最も機能する、

得点に結びつき且つ守備にも優れたシステムだと思ってきたのだ。

その経験にも関わらず、機能させることができなかった責は選手にもある筈である。

トルシエだけに責があるものではない。

選手が疑問に思うことも当然あろう。

しかしそれでも尚かつシステムを機能させなければならないし、

勝たなければならないのが選手ではないのか。

それとも、現代表選手には元々そのような能力がなく、

過去の経験、記憶がすっぽり抜け落ちる程のものでしかないとでも言いたいのか。

選手を擁護したいのか幼児扱いしたいのか解らないが、

多分両者なのだろう。

 

代表の大先輩であらせられる山口にとっては、

現代表の選手は擁護すべき可愛らしいボクちゃん達なのだろう。    

 

 

 

 

もうひとつ、いわせてもらえば、トルコのギュネス監督は、

ずぶぬれになりながら指示を出していたが、

トルシエ監督のスーツは、試合中まったくぬれていない。

さすがに、インタビューでは涙ぐんでいましたが

「今ごろ、何を泣いているの」って思うのが選手。

それはヒデ(中田英)の表情をみていればわかる。

0−1で負けているのに、ずっとベンチに座っているではないですか。

そういうことも、選手は微妙に反応するもの。  

 

トルシエは元々、立ち上がって彷徨くタイプの監督では無いと思うが。

元来のスタイルのまま、戦況を見つめていただけだろうが・・・

まあ代表に選出されていない選手なのだから、

そのスタイルを知らなくてもしょうがないことなのかも知れない。

同情はしないが、可哀想にはなってきた。

 

振り向いてもらえなかった女の服の趣味にケチをつける男のようである。

 

例えが稚拙で申し訳ないが、

このような可哀想な男にわしは会ったことがないのでご容赦願いたい。

ヒデの表情についても同様。

山口はエスパーなのかどうか知らないが、

ヒデの感情が表情だけで明確に理解できるらしい。

ヒデが負けた時、トルコ戦に限らず、

納得がいかない表情を晒し、首を傾げるシーンなど幾らでもあったではないか。

シニカルともとれる表情を浮かべインタビューの場に立つことも、

幾らでもあった話ではないのか。

ましてこの日、ヒデがどれだけのミスパスをしたことか。

自分自身納得できる内容ではなかったろう。

わしはヒデを直接知るものではなく、性格など知る由もないが、

この日の自分自身、または選手の出来の悪さを棚に上げて

トルシエのせいだけにするような選手ではないと信じる。  

 

いつもの表情からここまで言い切れる

 

山口は超能力者である。

 

登録名は本名でなくても良いのだから、

いっそこれからは

 

「エスパー山口」

 

 

 

もしくは

「エスパー・モト」

 

として登録するが良い。

ならばこの言動を認めてやる事にしても良い。  

 

 

今大会は、ホームという以上に、大きなアドバンテージがあった。

それは湿度。90%を超える湿度を欧米人は体験したことがないはず。

上位を目指すには、千載一遇のチャンス。

なぜなら、06年W杯ドイツ大会は、ホームアドバンテージがゼロですから−。  

 

現役の選手とは思えない言動である。

全くの他人事

 

 

 

呆れる他にない。

 

 

もう自分が代表に選ばれることはないと固く信じているのか。

更に、日本が4年の間に全く成長することがないというのか。

一次リーグ突破という栄誉といってもいい程の結果は、

これ全てホームアドバンテージのみによるものだとでも言うつもりなのか。

 

自らが選出されなかった代表とその監督を貶め、

次回ワールドカップを目指す選手を貶め、

 

自分自身をも明確に貶めるとは。

 

 

冒頭にクズと書いたが、クズの方がまだ利用価値がある。

一刻も早く引退し、人目を避けて生きるが良い。

貴様のような言葉を吐く者は、有害以外の何ものでもない。  

 

 

しかし・・・・

山口自身が経験したはずのクロアチア戦に、

猛暑というアドバンテージがあったのはわしの記憶違いだろうか。

山口は確かスタメンだったはずだ。

あの試合の中、クロアチアの選手は時間を経るにつれ

見るも無惨に体力を消耗し、足を止めていったのはわしの夢物語なのだろうか。

 

その試合においてさえ、日本の勝機は皆無だった。

アドバンテージを有効に活用できなかった者が、

アドバンテージ云々について語る事ができるとは・・・

 

 

ここまで山口の言葉に対して述べてきたつもりだが、

これは本当に山口素弘の言葉なのかどうか自信が無くなってきた。

夕刊フジの記事は、嘘を垂れ流しただけなのだろうか。

もしそうならば、わしは山口素弘に謝罪する。

むしろ、嘘だといって欲しい。

それならば。

わしは地面に額を

擦りつけてでも謝罪する。

 

 

 

 

 

 

 

 

そうでなければ。

 

 

 

 

消えろ。

 

 

 

 

わしは何度となく、日本にジャーナリズムが存在しないことを嘆いてきた。

それは特にフットボールに関して、だった。

何故、と思わずにはいられなかった。

理由の、少なくとも一つは明確になった。

したり顔してスキャンダリズムに協力する現役の選手がいるのだから。

わしは日本のフットボールを取り巻く現状に対し、

これほどまでの哀しみを味わったことはない。

 

日本代表を他人事ととして騒ぐだけの輩が横行するのは無理もない。

現役選手自身がワールドカップを他人事として捉えているのであれば、

ボールを蹴ったことがない人々が我が事として考えよう筈もない。

元代表選手自身が日本の成長が望めないと言うのであれば、

TVを眺める人々が成長を信じて応援しよう筈がない。

 

前回のフランス大会。

わしは日本代表を応援できなかった事は何度も述べた。

協会、スタッフの体制が許せなかったのもあれば、

戦略、戦術から絶対勝てないと判ってもいたからだ。

負けに行くと明言するかのような代表を応援できる筈もない。

そして、応援できなかった事が、

これほどまでに正しかったとは

思いたくなかった。

 

 

応援しなかった自分が正しいと思いたくなかった。

しかし、わしは正しかったようだ。

上を向いてゲロを吐くような人間を誰が応援するものか。

誰が「我が代表」等と呼ぼうものか。

 

 

繰り返す。

自分の正当性がこれほどに哀しかった事など、ない。

この哀しみを想像すらできないモノが、

人の表情で感情を想像するな。

この哀しみの意味が解らないモノが、

元代表、などという冠を付けるな。

 

 

わしは、哀しい。