Rockument 」
2001.11.28
at On Air OSAKA
Zeppじゃなくって
凄まじいライヴでした。
これが全てであったりもするのだが、
それだけで終わらせるわけにはいかない。
それはわしの屁理屈こきのプライドが許さない(爆)
ということで、まずは一曲一曲、行きましょう。
Oh my love
蘭丸のギターが響く。 この曲が一曲目とは。
そんな驚きは厚みのある音に吸い込まれ、
ステージに引き込まれていく感覚。
切なさを越える哀しさ。
レッドスター
JAH-RAHと坂井さんの下半身に響くリズム。
局部から大腿をぶち抜く。
合わせて、躰が跳ねる。
蘭丸のギターからは太い音色。
なのに、繊細。
もし音をメスで切ることができるのならば、
彼の音からは血が流れ出るに違いない。
切り傷だけでは済みそうのない現実がフラッシュバックする。
詩が、突き刺さる。
CRY
甲斐よしひろのリアレンジの巧さが如実に現れる。
原曲よりも力強いリズムが哀しみを増幅する。
もう二度と味わうことの無いだろう痛み。
味わうつもりはない、しかしどこかに残ったままの痛み。
恋のバカンス
判り易い曲紹介(笑)
そんなドラマもあった、そんな懸想を吹き飛ばす音。
蘭丸のギターは意外ながら必然的にレトロな曲に合う。
Against the wind
リズムパターン。
歌詩と矛盾する力。
優しさを消さなければならない現実。
情を捨てる事すら求められる現在。
隠してきた涙が溢れる。
嵐の明日
「蘭丸と演りたかった」そう言って始まった曲。
蘭丸のギターの余韻がはまり過ぎる。
”あの日のように”というフレーズが 胸に突き刺さる。
それでも。 嵐が来るとしても。
なんでここにいないかなあ、ウチの奥さんは(爆)
Thank you
JAH-RAHと二人で。
甲斐バンドのツアーでは見えなかった眼が可愛らしい(笑)
1オクターブしかないメロディで二人だけ。
なのに、幅を感じる。
そして僕は途方に暮れる
本邦初公開と。 バナナで演ったじゃん(爆)
ここで松藤さん登場。
いつもの笑顔に、何故か眼鏡(笑)
ちゃんとレンズはある(爆)
GUYの時より、凝ったフレーズのギター。
甲斐さんの声がいい事を、改めて認識させられる。
リラックスした雰囲気なのに、
ゾクゾクするような感覚。
レイニードライヴ
定番。 しかしお約束は感じない。
いつも通りのハーモニー。
なのにその絶妙さに乗って詩が染み込む。
安奈
センターにアコーディオンを抱えた前野さん。
確かに、異様な絵柄ではある(笑)
笑いを瞬時に溜息に換える演奏。
SG以外のギターを抱えた蘭丸。
マドモアゼルブルース
松藤さんが去る。
バンドのテンションが張り詰める。
会場も当然のように。
蘭丸もコーラス。
ほんと、似合う。
グッドナイトベイビー
蘭丸がメンバーを眺めて微笑む。
甲斐さんも、他のメンバーも楽しそうに演る。
メンバーが楽しそうに演る事が、
客にとっても一番楽しい事。
絶対・愛
後ろの人には多大な迷惑をかけたようだが(謝)、
これで躰を動かさない訳にはいかない。
甲斐さんはいつでもそうなのだが、
リズムのメンバーが凄く良い。
坂井さんのベースに絡む蘭丸のギターと
甲斐さんのシャウト。
既にジーンズは汗を吸って重い。
ブライトン・ロック
蘭丸が全身から音を振り絞る。
この人はギター弾いてないね。
ギターと一緒になって音出す人だわ。
坂井さんも同じ。
甲斐さんももちろん、全身から音を出す。
見あたる筈も無い解答をそれでも探そうとする。
バンドが、弾けた。
風の中の火のように
遠くて近い音が遠くて近い者を想わせ、
遠くて近い真実に歩ませる。
涙が、伝う。
レイン
これもまた定番。
「レインの人」はいくらなんでもだが(笑)
そしてまた違うフレーズを奏でる蘭丸。
届かない叫び。
それでも叫ぼうとする心。
ジャンキーズロックンロール
〜どっちみち俺のもの 〜夜にもつれて 〜ジャンキーズロックンロール
「Singer」以来のロックンロール・メドレー。
この展開で踊らずにはいられない。
ジャンジャンジャンジャン叫び捲る。
甲斐さんも、客も。
その中にはもちろん、あの男がいる(爆)
ダイナマイトが150屯
飛天の150屯も凄まじかったが、
今回のも凄まじさでは劣ることはない。
坂井さんのベースが脅威的。
鳥肌が背中を舐めた。
冷たい愛情
本当に今回のメンバーの音は太い。
選曲とはほぼ不一致な程に。
その太い音達が甲斐さんのシャウトを後押しする。
哀しい詩に涙を流すが、
何故か拳には力が加わる。
堪える力ではない。
前に進むための、力。
叫びだしたい衝動を抑えた。
Beatnik Tourのサポートメンバーをそのまま用いながら、
甲斐バンドとは明らかに違うサウンドだった。
甲斐バンドでは一つにまとまった緊張感を炸裂させて見せたが、
今回は一人一人が野太い音をそれぞれに発していた。
音を切れば血が流れるような立体的な音を。
先程蘭丸のギターを評しそう書いたが、 それは蘭丸だけではない。
全ての音が太く、生物的にわしの躰に響いて来た。
音が生き物であることを実感させられるライヴだった。
否、これこそがこのライヴの目的に違いないと思う。
生を感じ、生を楽しみ、生を歓び、生を感謝する。
これを実感させる事こそ、このライヴで表現されてものではないか。
アンコールの時、甲斐さんは
”STOP KILL”
と書かれたTシャツを纏っていた。
逆説的に言えば、それは”生かせ”ということであり、
”生きろ”という事でもあると思うのだ。
メンバーが生き物としての音を発する事ができるように、
”生を生み出せ”と叫んだのではないか。
メンバーのみならず客も含め生きている事には相違ない。
生きているからここにいる事は相違ない。
しかし。 生きているだけ、では。
ただ呼吸するだけならば。
生は無意味に堕す。
わしは、生きることを、生そのものを感じた。
前に向かう力を更に得た。
そしてまた、前進を続けて行くだろう。
いくつもの小石に躓こうとも。
ロッキュメントに携わった方々に深く謝意を表します。
お仕置きしてあげます(爆)
このパターン、いつまで続けられるんじゃろ(自爆)
まだまだ続きはあります。いざ。
お気づきだろうか。
今回のセットリストの中身に。
その中身と上述したわしの感想に限りない矛盾があることを。
その伏線はそれぞれの部分に散りばめておいた。
前を向くのはいい。
そうでなければ、進むことなどできないのだ。
しかしながら。 自分自身はそのつもりでも、それが叶わぬ事など。
数限りなく、ある。
己の足を阻むものなど、いくらでもある。
それは自分自身であったり、
他人であったり、
社会であったり、
国であったり、
道徳であったり、
およそ世界を構成する全てのものが、
歩を進めようとする足を、阻んでやまないのだ。
先程小石等と書いたが、それどころのものではない。
その阻むものを唄った曲。
そんな曲、歌詩がここには多いことにお気づきだろうか。
叶わない、儚い想いを綴った歌詩。
むしろ、絶望的な想いを唄った曲。
そんな詩が多い事に気づかれただろうか。
無論、そのような詩が甲斐よしひろには多いのは
自明のことでもあるのだが。
更にまた、今回のロッキュメントの選曲は、
アメリカに於ける同時多発テロに始まる
戦争に影響された部分が少なからずあると思う。
「どんな風に殺せばいいの」と問う”Oh my love”然り、
「流れ弾に二人倒れた」”ブライトン・ロック”然り、
「撃たれても痛み感じないからさ」と唄う
”ジャンキーズ・ロックンロール”然り、
「孤独な砂漠を道行く兵士のような」”冷たい愛情”然り。
戦争に限らず、絶望的な現実は幾芥、である。
”CRY”、”そして僕は途方に暮れる”、”レイニードライヴ”
等における、消し様のない想いと
帰ってこない愛という現実もそうであるし、
”嵐の明日”における形の存在しない不安もそうである。
絶望など、どこにでもあるものなのだ。
むしろ、付き纏っていると言ってもいいだろう。
それでも胸を張り、声を出し、歩を進めろ。
甲斐よしひろはそう叫んでいると信じる。
絶望的な現実に抗う事など、容易な筈がない。
悲観的に考えないとしても。
いくら楽観的に考えたところで。
絶望を振り払うことなど。
不可能と言わざるを得ない。
絶望の中に希望を見い出すことは、
暗黒の闇を僅かな星明かりの灯る夜に変えることでしかない。
絶望的な現実に抗うことは、 その星明かりに手を伸ばすことでしかない。
それでも。 歩み続けるしかなく、
抗い続けるしかない事が。
生きる事であるならば。
わしは歩こう。
否、走り続けよう。
そう、想った。