現代ハードボイルドの第一人者と言っていい作家だった。

アメリカの社会問題を時事取り入れ、尚かつ

古典文学から現代風俗まで~シェイクスピアからフローネまで(笑)~、

ありとあらゆるモノを作中に散りばめ、

作中人物は機知に富んだ会話を続ける。

一つの作品中に何度も「ニヤリ」とさせられる部分があり、

斜め読みではその魅力は解らない。

じっくりと、そして何度も読み返させる作品である。

~読み返させる作戦もちゃんと練ってある・・・・・~

 

 主なシリーズとして、

断るまでもないスペンサー シリーズ、

元アル中の警察署長ジェッシィ・ストーン シリーズ、

そして女優であるヘレン・ハントをモデルとした女性探偵 ソニー・ランドル シ リーズがある、

更に、「Love and Glory」など単作、チャンドラーの遺作、続作など多岐に渡り

作品を発表し続けていたが、この程他界した。



以下、追悼文である。

  R.I.P. For R.B.P.


「きみを信じることができれば、自分を信じることができる。しかし。

きみなしでは......人生の目標がなくなってしまう。それが、愛と自慰との違いだ。」


甲斐バンド、「LOVE MINUS ZERO」のアルバムにおいて、「冷血(Cold Blood)」の歌詩の前にあった一文。

わしがパーカーの文に触れたのはこれが最初であった。


のめり込み始めたアーティストが、再三口にした名前。

既に20年以上前のことであるから記憶は定かではないが、

確かそのアルバムよりもその作家の名前は先に聞いていたような気はする。

LOVE MINUS ZERO」の一文を見て、所謂「ハードボイルド」のイメージではないと感じ たのを記憶している。

実質的本質的に独立独歩などありえない事に気づいた頃。そこがアーティストの云うリアリズムだと思った。

結局そこから二年近く経ったのだろうか。

初めてちゃんと読んだのは、「サウンドストリート」で名前を呼ばれる前後、そう、骨折で入院していた時だった。

「ゴッドウルフの行方」「失投」と文庫で読んだ。

Love and Glory」の名文とは違うキャラクターが、ハードボイルドのステロタイプで はないにしろ、

さほどかけ離れてもいないキャラクターがそこにはあった。

当時、第二作、スーザン・シルヴァマンが初登場となる「誘拐」はハヤカワではなかった。

退院後、高校の寮で「約束の地」「ユダの山羊」を読んだ。大学に入り、バイトで得た文字通りのあぶく銭で、

今で言う「大人買い」をした。梅田の紀伊国屋だった。順に読み進めた。

中でも、「レイチェル・ウォレスを捜せ」「初秋」「Love and Glory」「残酷な土地」 「キャッツキルの鷲」は強く印象に残った。


完璧な男であった、スペンサーは、別にも書いたが、「初秋」の後、完璧ではなくなり、

「キャッツキル」まで迷走を続ける。まさに「残酷」過ぎる設定である。

全人であることを否定され、ひ弱な一面をも垂れ流すスペンサー。

吐瀉物にまで塗れる迷走の後は、開き直りとパターン化、ではある。

ちょっくらおセンチなマッチョ(豊中在住ではない)を多方面から描き、

過去に戻ったり年を取らなくなったりしながら、さすがにそれではリアリティが無いと感じたのか

別のシリーズや歴史もの的なものを描きつつ・・・だからスペンサーは何歳やねん(笑)


長く読み続け過ぎたのかもしれない。

多分に粘着質な性格上、なんとなくという部分も含め、新作も新シリーズも読み続けてきた。

それでもウエスタン系からは距離を置いてしまったのだが。

あまり深く評価もせず、読み続けてきたのは否めない。癖、と言ってしまえばそれまでかもしれない。

職場で、訃報を知った時。

率直に、

「もうスペンサーにもスーザンにもホークにもポールにもクワークにもベルソンにも

ヘンリイにもヴィニィにもチョヨにもパールにもジェッシィにもリタにもサニーにもトニイにもタイ・ボップにも・・・・」

逢えないのだ、と思ってしまったのだ。

なんという勘違いだろう。

わしはパーカーの死よりそのものよりも、パーカーの作り出したキャラクターに逢えないことを哀しんでいた。


しかし、哀しみはそれだけではない。


洒脱、という表現がニュース上を舞っていた。

某新聞のチャンドラー絡みの記事は論外とするが、「洒脱」ってなんやねん、と、素直に思う。

そんな浅い表現で表せるものか、と。

「サイコセラピスト」を主要人物としたその意味を解っているのか、と思う。

セラピストとリアリストを対とする描き方は、現在のTVドラマでも踏襲されている@BONES

もちろんTV的に解り易くはされているのだが、それをもっと明確且つ厳密に描い ているのがパーカーの作品である。

リアリストの心理を読み解きながら、裏の裏まで読み切った会話が続くのである。

それが「洒脱」などとは鼻で嗤うしか無い。

わしがパーカーに魅かれたのは、おそらくはたがみよしひさも同意であるが、キャラクター同士の相互理解、である。

一読だけで会話の意味を理解できる内容ではない。シリーズを読み続け、読み返して解る会話、なのである。

まあ要するにまんまと乗せられてはいるのだが。


スペンサーシリーズで最も印象深い会話がこれだ。


「それに、かなり意志が強い」ホークが言った。

「たしかに」

「おじから受け継いだものだ」

「ホークおじさんから?」

「もちろん、そうだ」

「驚いたな」私が言った。

                                                              (真相 Back Story


知らない人には全くもってどうでもいい会話だろう。

しかし、それぞれのキャラクター、スペンサーとポールの関係、スペンサーとホークの関係、

それらを理解していれば、こんな会話はあり得ない筈なのだ。

「驚いたな」とスペンサーは簡潔に述べているが、読んでいるわしとしては目を剥く程の驚きであった。

現にスペンサー本人ですら、この直前にこんな会話が成り立たないと述べているのである。

ここにわしは幾重もの感動と感傷を覚えた。

はっきり言って、泣いた。


独りでは全人足り得ない、つまりは「家族」を必要とする、スペンサーの対比として描かれてきたホークである。

そのホークが、家族の存在を認めたのである。

自分が家族の一員であると認めたのである。スペンサー、スーザン、ポール、ついでにパール、その家族と。

ここまではいい。「驚いたな」でいいだろう。

当然、ほとんど理想論、理想郷的な人間関係をパーカーは描いてきたのである。

そうなっても、宜なるかな、とは言えるだろう。

しかし、おそらくは誰よりも理解し合っている筈の二人である。

その関係はある意味、家族以上の何かである。

そう描かれてきたのだ。

それなのに。

それでも。

こんな齟齬が生じてしまっているのだ。

哀しすぎる必然なのである。


この作品の邦題は、先述したが「真相」である。

全くもって素晴らしいセンスである。

パーカーを知り尽くし、理解し尽くした人間でなければこの邦題はつけられない。

・・・全くの偶然を除けば。


こんな文章、会話、ある種のリアリズムを描ける作家をわしはパーカーの他に知らない。

だから、読み続け、登場人物が知人の知人であるかのように感じ、

作品を彼らの近況報告のように感じていたのだと思う。

パーカーの死は、すなわち多数の知人の死でもあるが、

それだけではなく、リアルな、あるいは、わしがリアルであって欲しいと想える世界観を描ける作家の死であり、

わしの一つの理想郷、夢想郷の終焉でもあったのだ。


残り、三冊から四冊が日本国内で出版される予定だと聞いている。

寂しさも付け加えて読むことになるのだろう。


今後、少しずつ、好きなフレーズを抜き出して書いてみようかと思う。



 

 ゴッ ドウルフの行方

 シリーズ中最も探偵小説らしいストーリィである(笑)。

完成された、砕けて言えばできあがったキャラクターが既にそこにはある。

この当時、スペンサーは葉巻をたしなんでいた。

 

 約 束の地

 当時流行のウーマンリブ運動をモチーフとする。

女性の自立という視点をマッチョなスペンサーが

いとも簡単に否定してしまう話だが、

この作品で見逃せないのは盟友・ホークが初出演することと、

さらに下記作品「レイチェル・ウォレスを捜せ」のプロローグとして

重要な位置を占める点である。

 

 レ イチェル・ウォレスを捜せ

 「約束の地」では半ちくなウーマンリブ活動家が出てきたが、

こちらは正真正銘の、骨の髄からウーマンリブしかもレズビアンの

レイチェル~これはリベラリストの象徴的な名前なのか?~の

ボディガードをスペンサーが相務める話である。

 レイチェルの否定する方法論によりレイチェルをガードする

スペンサーは、最後にその方法により、すなわちマッチョ的な方法により

レイチェルを救出し、あろうことか涙まで流してしまう。

 相反するイデオロギーの二人が葛藤を越え抱き合う様は感動的である。

 

 初 秋

 名作中の名作。

何をも持たず、何をも出来ない少年、ポール・ジャコミンを

スペンサーが自立させて行く過程は涙腺を破壊する。

自分が何者であるか、自分に何が出来るのか

一瞬たりとも悩んだことのある人には相当響くことだろう。

この作品に於いてスペンサーのマチズモは頂点となる。

男として、父として。

 

 残 酷な土地

 何が残酷なのかと言って、作者パーカー自身が残酷である。

前作「初秋」に於いてマチズモを完成させたスペンサー像を

崩壊させようかという内容である。

スーザン以外の女性しかも依頼人を抱き、

あまつさえ彼女を死なせてしまう。

依頼人であるキャンディ・スロゥンの死の場面は

崩壊するスペンサー像を象徴するかのように、

儚く哀しい。

 

 キャッ ツキルの鷲

 「残酷の土地」以降悩めるスペンサー、そしてスーザンは

別離の道をひた走っていた。

あろうことか息子とも言えるポールにまで説教されていたスペンサーは、

本作品に於いて開き直りとも取れるドンパチを繰り広げる。

己の所業に嘔吐しながらも、スーザンを救うため撃ちまくるスペンサー。

評価は分かれる作品であるが、個人的には名作と捉えたい。

 

 ダ ブル・デュースの対決

 ほとんど謎に包まれていたホークの人生が垣間見える初めての作品。

黒人である以上味わわざるを得ない経験をしてきたホークと、

あくまでWASPのスペンサーの微妙な違いが黒人スラム街を背景に浮かび上がる。

比類無きタフ・ガイ二人の間にあったギャップの意味が、

ホーク登場より15年を経て初めて明らかになる。

いつもの軽妙な会話が瞬時にして重くなる瞬間、

アメリカという国の実態の一部が垣間見える。

 

 悪 党

 近年の最高傑作だと個人的には決めつけたい。

黒人青年の冤罪を晴らすことが今回のスペンサーの仕事だが、

それはほとんど付け足し程度である。

本作のメインは瀕死の状態から立ち直るスペンサーの姿である。

リハビリテーションの辛さを味わった者としては

丘を登るスペンサーの姿に涙を禁じ得ない。

歩くことすらままならない状態になると、元に戻す事は容易ではない。

 この作品を読むと必ず右膝を撫でてしまう・・・・(笑)

 

 真 相

 最新作であり、第三十作目となる作品である。

まさにオールスターキャスト的な登場人物達であるが、

中でも別シリーズの主人公であるジェッシィ・ストーンの出演には驚きを禁じ得な い。

自らも毀れた家庭に出自を持つポール・ジャコミンが依頼を持ちかけ、

依頼人の毀れた家庭の謎を解き明かすストーリィであるが、

メインストーリィに並行して

一般的な家庭とは言えない「スペンサーの家族」がサブストーリィ、いや、

原題である「Back Story」として語られてる。

この辺りのセンスはさすがである。

とある主要人物が自らスペンサーの家族であると語るシーンは

スペンサー同様に目を丸くさせられてしまう。

 

 

Books

 

ロバート・B・パーカー