残酷な予想
そろそろ北京オリンピックが始まるらしい。
彼の国でのオリンピックなどに興味は持てないのだが、
とか言いながら始まるとやはり幾つかの競技は観てしまうのだろう。
愛国心らしきものよりも単純に、スポーツが好きなのだ。
水泳も柔道も陸上も、なんのかんのと観てしまうだろう。
ところで我がフェイバリットスポーツ、フットボールであるが、
日本の結果、成績など考える必要もあるまい。
三戦全敗が最も可能性としては高い。
戦術を固めてくるアメリカ、身体能力のナイジェリア、 基礎能力のオランダと勝てる要素は皆無である。
まあ一分けでもできれば上等な結果と言えるだろう。
上等、と書いてしまった。
本当は上等でも何でもない。
そこには、二敗一分リーグ最下位という最上の結果にはおそらく、
非常に哀しく、そして無意味な犠牲が伴うに違いない。
わしが観るところ、反町にチームを構築する能力はない。
戦えるチームは創れない。
できるのはただ一つ、選手を鼓舞することだけ。
わしはここに残酷な予想を持つ。
明らかに物理的戦力差が違う相手と戦うために、何が必要となるか。
大東亜戦争をちょっと想い出せば十分だろう。
特攻隊である。
彼らは祖国のために様々な、しかも想像を絶する葛藤を越え、人間爆弾と化した。
政治の側、軍略の側からすれば、坂口安吾の言葉を待つまでもなく、世界史上最低最悪の作戦である。
それでも安吾は特攻隊員そのものに対しては美と敬を見いだした。
わし自身も、特攻隊が残したものは少なからずあると信じている。
それは平たく言ってしまえば想う心、護る心であろう。
本来はこんなにも簡略に述べるものではないが、本筋ではないのでご了承されたい。
要するに、オリンピックのフットボールで同じ事が起こる、とわしは予想しているのである。
反町という愚官に乗せられ、選手達は極限の戦い、いやむしろ、 極限を超えた戦いを強いられる事は想像に難くない。
勝とうとすれば、それしかないのである。
それ以外に作戦はないのである。
兎に角頑張る、それだけなのである。
23才以下、いわゆるユース世代の彼らが、である。
その作戦の結果、何が起こるか。
特攻隊は若きインテリ層、気概を持った人間を犠牲にした。
これが今の日本に悪影響を与えたとする論もある。
サッカーにおいては、勝とうとして頑張った選手を犠牲とすることだろう。
一試合につき一人ずつ、選手生命を危うくするほどの故障を負う選手が出てもわしは驚かない。
将来的に日本のフットボールを担うかもしれない、 日本にフットボールと呼べるスポーツを構築するかもしれない世代の彼らが、である。
わしは彼の国に赴く選手達に対し切に願う。
頑張るな。頑張っても怪我だけはするなと。
頑張るほどのものではない。
そんな義務も義理もないのだ。
君達の犠牲の上に日本のフットボールが成り立つわけでもない。
たかがオリンピックなのだ。
たかがユースの大会なのだ。
その程度のもののために犠牲になる意味など無いのだ。
これはオリンピックだけに限ったことではない。
これから始まるワールドカップ最終予選についても同様のことだ。
組み合わせ的にもワールドカップに出れはするだろう。
出れなかったらそれはそれで凄まじい結果なのだが。
しかしそこに伴う犠牲はオリンピックの比ではないだろう。
屍累々という表現を敢えて使う。
203高地、ハンバーガーヒルもかくあるやな状態となるだろう。
今現在ダイヒョーに名を連ねる選手達の中で、三年後に何人が引退を表明することか。
五人で済めば良いだろう。
岡田は戦術構築能力の無さは反町と同レベルだろうが、
彼は鼓舞することだけに関しては反町より相当上だろう。
そして敵は更にハイレベルなのだ。
その状況が何を生むか。
考える必要など無い。
残るは焼け野原、だ。