Kobe
2008.11.15


久しぶりの神戸。新しくなった国際会館は初めて。
学生時代は月に二回はバイトで訪れたホール。
B’Zの母ですけど楽屋はどこですか?」などと尋ねられた階段はもうない。
立ち見の客が並ぶ。
長いエスカレーターを昇り、会場に入る。
ステージ奥のネットには「Kai Band」の文字。
全然関係のない話だが、家にある「愛犬カタログ」には片仮名表記の下に英語表記があり、そのフォントが例のあの字体なのである。
これは実物を見てもらった方が早いだろう。


・・・編集に甲斐ファンがいるに違いない。


当然定時には始まらない。始まるはずもない。
定時に始まる方が驚く。一回か二回しかないが。

席は8列目。わしには近過ぎる。
贅沢だが、もう少し後ろで観たい。
厚生年金はどうだろうか。

25
時の追跡。
メンバーがステージに上がる。
嬌声も上がる。
わしは声が上げられない。

胸いっぱいの愛
エンジン音に右からなめるライト。
高性能な単車の音ではこの雰囲気は出ない。
ドライヴ感を増した胸いっぱい。
わしの胸もなんだかいっぱいである。
心地よく躰が温もる。

感触
始まった音がテンポアップした胸いっぱいに思えた(^^;
以前Wordで演っていたようにブレイクからの演奏かとも思ってしまった。
JAH-RAH
が走る。
音が分厚い。
メンバーはソロの時とそんなに変わらないのに、音の固まり方が全然違う。
何故そんなにも違うのかわしには解らない。
というよりもう考えてられないのだな。

ガラスの動物園のテーマ
徳広さんが吹いているわけではなかったのだな。
こういうのが入るのはわしは初めてである。
そしてこれに続く曲と言えば・・・

らせん階段
これしかない。
けど、アルバムの頃の線の細さはない。
成長、というより既に変異を遂げている。
甲斐バンドでは無い甲斐バンドがここにある。

ナイト・ウェイブ
1RO
が大森さんのパートを弾く。
エモーショナルなギター。
感傷的にならないよう観るつもりだったが、それも無理からぬ事だった。
マックがJAH-RAHを見る目が妙に優しい。
松藤さんとマックは終始笑顔である。
前野さんのパートはこれまでにない音。

シーズン
前曲で感傷的にされた処にこれである。
痛いってば(^^;

ビューティフル・エネルギー
この海三連発、絶対甲斐さんは気に入ってる(笑)
松藤さんがソロ。声の通りが良い。
途中で松藤さんを押しのけるように甲斐さんが唄い出す。
あの二人まぜこぜヴァージョンも観たかったが。

カーテン
松藤さんがドラムに移る。
こうやって比べてみると、JAH-RAHsolidに聴こえる。
松藤さんの音は太いが柔らかい。
音が太いのは音響のせいかパワーのせいか。
扇情的な色合いが薄い。
まあこれで大森さんのギターがあったら、わしは勃起してしまうだろうが。

シネマ・クラブ
これは結局初めて。
ピアノ、いいなあ。
しかしやはり・・・・

裏切りの街角
佐藤さんがイントロを弾く。
しきりに唄うよう促す甲斐さん。
松藤さんは誰かと目を合わせては笑っている。

安奈
歌詩が判らなければサビだけでも、というMCに続いて。
今日は歌って良いそうだ。

嵐の季節
アンプラグドな佐藤さんのギターで始まる。
声が掠れてきた。
わしの声だが。
声を張り上げすぎたようだ。
だが張り上げるしかない。

地下室のメロディー
マックのパーカッションから入る。
1RO
はシタールギター。
クラップが五月蠅い。

氷のくちびる
往年のライト。
間奏では1ROが前に出る。
これを初めて聴いて、25年を過ぎた。
変わらぬ感性が嬉しくもある。

ポップコーンをほおばって
ストロボ。
1RO
が右手を回す。
このアクション。

翼あるもの
マックのパーカッションが効いている。
どこまでも高揚させる音である。
間奏のリフは1RO

LADY
間奏は佐藤さん。
だからこれはいかんって。
顔は汗と涙でぐしゃぐしゃである。
まあ元々大した顔ではないが。

HERO
オーソドックス・スタイルという表現は間違っているだろうか。
これだけオリジナルに忠実なHEROはわしは初めてである。
やはり促す甲斐さん。


Encore1

きんぽうげ
後奏で佐藤さんと1ROが並ぶ。
対側で坂井さんに出ろと促す甲斐さん。
坂井さんはちょっと控えめに。
で、さらりとあんなフレーズ。
天才を自称されても頷くしかない。
最後のマックのフレーズが効きまくり。

漂泊者
音が塊になっているだけに、やはり炸裂感は凄い。
ソロの時にはない爆発力である。

観覧車‘82
虹色のライトにサックス。

Encore2

破れたハートを売り物に
左から佐藤松藤甲斐1RO
甲斐バンド、である。
声は出ない。出せない。

Love minus Zero
Party30
では完全に再現されたこの曲だが、むしろPartyに近い音だった。
前野さんのキーボードがガツンと入り込んでくる。
「サンキュー、じゃあね」
どこに向けた言葉なのか。

100
万$ナイト
いつもの前野さんのイントロがない。
ミラーボールが近い。
ぼやける視界に無数の星が舞う。
甲斐よしひろの叫びに、田中一郎のフレーズ。
25
時の追跡。
涙が噴き出した。
思わず下を向いた。




感傷と戦いながらのライヴであった。
無いものを痛感せざるを得ない。
無い音を求めても仕方がない。
それは判っている。
求めてはならないのだ。
そう戒めた筈の想いは、戒めなければならないほどであるからこそ、音の前にいとも簡単に尚かつ微塵に打ち砕かれた。
ソロとも違い、甲斐バンドともまた違う、甲斐バンドだった。
甲斐バンドであるからこそ、甲斐バンドであることとの差異が明確になってしまうという矛盾。
そしてだからこそ、哀しく切なく、痛い。

今回は各曲に関する記述がいつもより薄くなってしまった。
まあさほど濃いものを書いているわけでもないのだが、正直あまり憶えていないのだ。
8
列目とかなりステージに近い席であったことが一つの要因かも知れない。
全体を見渡すよりも、目移りするかのようにそれぞれのメンバーを観ていたのも確かにある。
だが、それでも冷静さは保てているのがこれまでだった。
昔厚生年金で一列目ど真ん中ということもあったが、その時の方がむしろ記憶は鮮やかである。
今回に限っては、なんだかぼんやりとした記憶しかない。
やたらコーラスの(たぶん)坂井さんの声が大きくなってしまった~おそらくは音響的な原因で~場面もあったが、どの曲だったか憶えていない。
どの曲で松藤さんがマックと目を合わせ、笑っていたのか憶えていない。
マックがJAH-RAHを親のような優しい目で見ていたのもどれだったか。
かといってやはり気持ちいい音であるのは間違いない。
BTR
の三人がコーラスとなった時の気持ち良さはやはり至極であるし、
1RO
のバイブレーションはわしの身をも震わせるし、佐藤さんのチョーキングは尾骨に響く。
身を包む音にはいつも以上に浸っていた。
告白するがわしはほとんどクラップしてない。
煽られたとき以外に自発的にすることは皆無だった。
どうしてもグルーヴと我が手のクラップが相容れないような気がしてしまったのだ。
ただひたすら躰をグルーヴに任せるのみであった。
熱く、厚い音とグルーヴに漂う感覚は、これまでに行った全てのライヴの中でも最高に気持ち良いものだった。
そうやって素直に音に浸れるようになったのも記憶を飛ばす一因だろう。
冷静さを失わせる音だったからこそ、感情的になり、感傷的になってしまったのかもしれない。

わしは大森さんの音は狂気の音だと想う。
喋る姿はバンドの中で誰よりも落ち着いていた。
一番まともな大人に見えた。
しかしそのギターから放たれる音は、誰よりも、甲斐よしひろよりも、狂気を孕んでいたと想う。
言葉を選ばなければ、「気違いじみた音」というのが最も当てはまる。
わしの中ではこれ以上に的確に表現できる言葉はない。
そしてその音は、知る限り、唯一無二な音だ。
だから、バンドとして一つの音塊、一つのグルーヴを醸し出した時、その違いが表れてしまったのではないか。

いや、表れてしまった、のではないだろう。
おそらく、それは意識的なものだ。
表した、のだ。
甲斐バンドとして、甲斐バンド以上の音/グルーヴを作り出せるからこそ、このメンバーで甲斐バンドとしてのツアーを行ったのだ。
坂井さんはBTRのライブでのMCで「俺はサポートだから」と宣ったが、
そう言える立場で尚かつバンドにかけがえのない一員としているからこそ、
甲斐よしひろは甲斐バンドとしてのツアーに踏み切ったのだと想う。
勿論前野さんもJAH-RAHも同様だろう。
わしは勝手に断言するが、他のメンバー同様、この三氏がいなければ、甲斐さんは「甲斐バンド」も「Final」も、銘打つことはなかった筈だ。
彼らがいてはじめて、甲斐バンドが成立したのだ。
Party
以前の甲斐バンドをサポートしていない彼らがいてこその甲斐バンドだったのだ。
彼ら抜きにこのグルーヴは成立し得ない。
グルーヴの成立こそが甲斐バンドを成立せしめたのだ。
そして甲斐バンドが成立したからこそ、甲斐バンドへの訣別が言い切れたのだ。

「サンキュー、じゃあね」と甲斐さんは言った。
これは誰でもない、大森さんへ、そして甲斐バンドへの言葉としか思えない。
「完全終結」とも言った。
甲斐バンドとしての活動はないということだろう。
もちろんイベント的なものはいずれかあるかもしれない。
営業面を考えれば、ほとんどせざるを得ない活動だろう。
まさかミック・ジャガーみたく「最後といえば客が入るんだ(笑)」ではないだろうが。
どこかにそうであって欲しいという気持ちもあるが。

わしが感傷を制御できないのも、仕方がない事だった。
直後のParty30、そしてそれ以降、さほどに感じなかった痛み。
それをまざまざと感じざるを得なかった。
だが、おそらく、ステージの上はそれを解っているからこそのライヴだったのだろう。
そうでなければ半泣きの顔をあの甲斐よしひろが見せるわけがない。1ROも鼻を拭うようなことはなかったはずだ。
あまりにもエモーショナルなステージだった。
そこで客に感傷的になるなと言われても無理な話である。
ましてわしにはもっと無理である。

わしは次に厚生年金に参戦である。
多少なりとも冷静さを保って観ることだできるだろうか。
それとももっと感傷的になってしまうのだろうか。
怒濤の年末の中、体調を整えその日を迎えたいものである。

さて。
いつもならここから分析作業が始まるのだが、今回はもう既に不要だろう。
わしの予想はほぼ正しいことが示されている。
ただ甲斐よしひろの、ではなく、甲斐バンドの「総括」としてこのライヴがあった、と言い換えなければならないが。


しかし不安なのは・・・・
できあがったらぶっ壊すんよなあ、甲斐さんて。
まさか全然違うメンバーを一から集めて、みたいな事をするつもりじゃなかろうなあ、甲斐さん。
わしとしてはやはりここまでの路線をどこまでも追求して欲しいんじゃけど・・・

KAI Lives