KAI BAND NEVEREND TOUR KOBE 2009.12.6



                    






          さて今回は神戸国際である。

          正しくは神戸国際会館こくさいホールである。

          この平仮名にそこはかとない違和感と嫌悪感を抱くのはわしだけか。

          そんなことはどうでも良くって。


          昼過ぎには自宅を出、三宮にお出迎えである。

          そう、奇跡の復活を遂げた巨大戦隊ロボ・トクヤマンまるゆである。

          見目麗しき女性に囲まれ何年ぶりかの三宮でティータイムである。

          ここは定番のカッフェーと教わったのも既に二十年近くも昔である。

          しかし三年以上会っていない筈のまるゆは全然久しぶりな気がしないのである。

          非常に嬉しいのである。

          ホテルを案内するがうろ覚えだったのである。

          ビジネスホテルでシングルでラブホではないのである。

          午後三時からビールを呑んだのである。

          詳細を聴いて生ある事に驚きと感動を覚えたものである。

          生きることは素晴らしいのである。


          そんな想いを抱きながらのライヴであった。

          バンドを評し「有機体」等と曰ってきたわしであるが、

          それどころか「生き物そのものである」と感じるライヴだった。

          キングギドラと云うか、ヤマタノオロチと云うか。

          いくつもの顔を一つの躰に有する生き物である。


          三列目という場所は正直好きではない。

          間近に見られる喜びよりも、ステージ全体を、

          バンドを一つの生き物として感じられる悦びの方が、わしには合っていると想う。

          音響的な苦言も多少ながらあるのだが、やはり全体を感じていたいのだ。

          しかしそんな場所、音響であってすら、甲斐バンドは生き物であった。


          1ROの正面であったことも影響しているのかもしれないが、1ROは大阪厚年よりももっと顔が出ていたと想う。

          甲斐よしひろに食ってかかっていたと想う。

          「電光石火」は厚年とは全くの別物である。

          同じメロで弾いてたのかどうか誰か教えて欲しいぐらいである。

          顔が見えてきたのは、他のメンバーもそうかもしれない。

          

          いや、多分そうだと断定したい。


          「翼あるもの」のマックは昨年よりも、厚生年金よりも、明らかに強く叩いているし、全曲通してハイテンションな印象を受けた。

          松藤マックJAH-RAH三氏のリズム隊が奏でるビート、グルーヴも太くなっている。

          アイコンタクトの回数、時間とも厚年より減っているのではないか。

          坂井さんのベースも、「150屯」は言わずもがな、リピートして見返したい衝動に駆られる演奏が何度もあった。

          その度に首を振られるわしは挙動不審だったかもしれない。

          「フェアリー」の間奏、1RO佐藤徳広三氏による三重奏は太さを明らかに増していたし、

          「漂泊者」の前野さんは音響的に辛い位置でありながら迫力を増して伝わってきた。


          メンバー全員の顔が見える、バンドという生き物の、成長進化を観た。

          先ほどの例で言えば、キングギドラもヤマタノオロチも不正確だろう。

          ヤマタノオロチでも一つ顔が足りない。

          九つの顔を持つ、甲斐バンドという生命体。

          グランキューブではどこまで大きく成長しているのか、楽しみである。



          アフターでは前夜あまり呑めなかった泡盛を味わう。

          泡盛・松藤が無かったのは残念である。

          名残惜しいが翌日は当然仕事である。

          熱き抱擁の後散会した。


          悲喜交々、複雑な感情をまぜこぜに帰宅である。

          日常へ。そして次のライヴへ。




          生きることは素晴らしいのである。






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