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愛のろくでなしツアー2(2) in Zepp Namba 2012.6.11
まずはセットリスト。
前回同様にソロ以降の曲への偏重が強いのだが、そこはもう良しとする。
いつも通りのこじつけ論の展開である。いざ。
01 レッドスター
02 ナイト・スウィート
03 浮気なスー
04 ムーンライト・プリズナー
05 橋の明かり
06 カオス
07 特効薬
08 ダイナマイトが150屯
09 渇いた街
10 ビューティフル・エネルギー(Midnight plus one)
11 立川ドライヴ
12 レイン
13 メモリーグラス
14 きんぽうげ
15 絶対・愛
16 風の中の火のように
17 漂泊者(アウトロー)
18 マッスル
~Encore1~
19 441 WEST 53rd ST-ECCENTRIC AVE.
20 HERO(ヒーローになる時、それは今)
~Encore2~
21 スマイル
22 涙の十番街
何が赤で何が青だかさっぱりだろう。
歌詩を追加してみればなんとなく言いたい事が通じるだろうか。
01 レッドスター
割れた瓶を世界中が 今踏みつけている
足元を見なよ 切り傷だらけだ
02 ナイト・スウィート
夜を 夜を走る ナイト・スウィート
03 浮気なスー
04 ムーンライト・プリズナー
月明かりの中 夜の階段 降りてくる
05 橋の明かり
家路に人はいそぐ
帰る車の流れ
06 カオス
07 特効薬
08 ダイナマイトが150屯
09 渇いた街
自分を見失い 街をさまよい歩いた
10 ビューティフル・エネルギー(Midnight plus one)
11 立川ドライヴ
Riding in the machine
12 レイン
霧雨の中を歩いた
13 メモリーグラス
こんな雨の中あの人は かけだしたんだ
行きかう人に笑われながら
14 きんぽうげ
15 絶対・愛
16 風の中の火のように
凍てつく夜のふち 過ぎ去った愛によろけ
目を泣きはらしもろく 雨の中に立つ
17 漂泊者(アウトロー)
世界中から声がする 立ち上がる時だと叫んでる
18 マッスル
街を歩いて来なよ その笑顔で
~Encore1~
19 441 WEST 53rd ST-ECCENTRIC AVE.
20 HERO(ヒーローになる時、それは今)
今が過去になる前に 俺たち走り出そう
今が過去になる前に 明日へ走り出そう
~Encore2~
21 スマイル
道行く人が 俺にきいている
22 涙の十番街
静かな雨と炎の中 ライダー追いつめるポリスたち
真夏の恋が夢に変わる前に 夜をお前と走り抜けよう
ショートしそうな夜の底で 俺は走り出す十番街
赤字は明らかに足がどうしたとか、立つとか歩くとか走るとかの言葉が用いられている曲である事はお解りいただけるだろう。更に青字は明らかにそういう単語を使っているものではないが、「歩く所」であるとか、歩く様を連想させる表現、単語が用いられているものである。ただしカオスと特効薬はわしのこじつけであるので注意されたい。前者は、演奏している時の甲斐さんのステップが根拠であり、後者はドラマの挿入歌として用いられたそのシーンが根拠である。こじつけを根拠と呼んで良いのかどうかは知らないのでツッコミを無視して話を進めてみる。つまり、22曲中17曲において「足」にまつわる曲が演奏されているのである。
一曲目から「足元を見なよ」と唄い、最後には登場人物皆が走っている「涙の十番街」である。わしはここに二つの意味を見る。
まず第一には、メッセージとしての意味合いである。メッセージが言い過ぎであれば、甲斐よしひろの気分でも良い。足元をしっかりと立ち、歩み、走りたい。もしくはその命令形。そんな気分でこのツアーの臨んだのだろう。わしは佐藤さんのきんぽうげの間奏に一滴の感傷をも感じ得なかった。大森さんの完コピなのに。以前ならおセンチな気分の一つや二つは湧いて来ただろうし、酷ければ号泣していただろう。それこそ嗚咽慟哭ものである。いや、以前でなくとも、「愛のろくでなしツアー2」の会場でなければ間違いなく感傷的な気分になっていた筈だ。しかしわしはさらりと「お。完コピ。すげ。うめ」などと感じていただけである。バイオハザードの日記みたいな感じは申し訳ないが、Live中にまとまって考えるほど無粋でもないのでその辺はご容赦願いたい。事実、そんな感じでおセンチな気分は一切無かったのだ。何故無かったか。それは足を踏ん張り歩き走る、そんな前向きな姿勢に乗せられていたからだ(断言)。そしてその根拠は、今のわしのこの気分である。怒濤であると冒頭に書いた。睡眠不足も甚だしい。いろいろややこしい事、悩むべき事も山積みである。しかしわしは元気なのである。申し訳ないぐらいに。いやさすがに今日はユーロは観ないが。足元しっかりと前向きな気分なのである。なのでしっかりスクワットもこなしたのだ。
これはまあ個人的、極私的な感想なのだが、もう一つの意味もあるとわしは想う。音楽的な意味だ。第二次ソロ以降から甲斐バンドまでの流れで、凄まじいまでのグルーヴを作り上げたにも関わらず、前回では全く違う縦波なグルーヴに変遷した。その先に「愛のろくでなし2」がある、わしはそう言いたいのだ。
1ROが蘭丸に代わり、わしの興味は「縦波グルーヴ+蘭丸の横波=?」だった。蘭丸もあのグルーヴの確立に携わる立役者の一人である。やはり横波に戻したいのか、いやさ甲斐よしひろともあろうものが一回のツアーで元に戻すのは考えられない。ではどうなるのか。
その答えのヒントが、「足」にまつわる楽曲群であろう。
つまり。「Running」でも「Riding」でも「Driving」でもいい。おそらくはドライヴ感とかいう表現が一番近いのだろうが、この辺を的確に表す言葉が出て来ないのだが。そうしてみると、「橋の明かり」や「風の中...」でフワフワ感を抑えた蘭丸のギターもドライヴのためであろう。先に「横波」と書いたが、今回の蘭丸は縦でも横でもなく、時間軸方向にグルーヴを持って行ったように想える。その分、いつもにもまして蘭丸の音が強く太く聴こえたのではないか。蘭丸だけではない。佐藤さんのギターも残像や余韻を十分に感じさせていたし、安定して休まない渡辺さんのベースはエンジンそのものであるし、「マッスル」のベースもやはり時間軸方向へのグルーヴを感じさせた。強一のドラムも、前回の打ち抜かれるような感覚ではなくどこかに連れて行かれそうなリズム、であった。これを皆が意識していたのか、甲斐さんが感覚的に指示したのか、蘭丸に引かれてこうなったのか、それはわしには判らない。打ち抜かれ射抜かれるグルーヴではない、これには間違いが無いように想う。むしろ、前に引かれるグルーヴ、ドライヴ感。
だからわしは「涙の十番街」が象徴的に想えたのだ。
この曲がエンディングに相応しい、そう想って来た人がどれほどいるのだろう。
「最後の曲。涙の十番街」という短いMCに驚きを感じなかった人はどれほどいるのだろう。
そして、この曲がこのツアーのエンディングとして相応しく無い、そう想えた人がどれほどいるのだろう。
いずれも、ごく少数に過ぎない筈だ。
この曲の持つドライヴ感、そして詩の内容。このエンディングにはこれしかない、そう想わせる説得力。
Heartbreakでも、「走り出す」のだ。
こうしてみると待ちぼうけの「Egoist」は演奏され得なかったのは必然である。
「泳ごうとしてなお 溺れている」のでは。
それはまあアレとしても、「翼あるもの」が無かった事にも頷ける。
さて、次は縦波グルーヴな1ROと横波の代名詞松藤さんにドライヴ感を有した甲斐さんとの甲斐バンドin薬師寺である。会場を含め一見てんでバラバラであるが、どんなライヴになるものやら、そしてわしはどう感じるものやら。早くも待ち遠しい誕生日前夜である。