中島みゆき

 何故この人の名前がここに、と疑問に思った方もいらっしゃるだろう。

ところがどっこい、この人の小説、詩(叙事詩)も相当なものである。

わしは以前からこの人と甲斐よしひろに関しては

「歌詞」と書かずに「歌詩」と言ってきた。

この両名に関しては言葉に相当な拘りを持っており、

「歌の詞(うたのことば)」ではなく、

「歌の詩(うたのし)」「歌うための詩」を創っていると思うのだ。

 彼らの唄うその言葉は、吟味、選択、配列など様々な観点から

「詩」と呼ぶにふさわしいと思うのだ。

 

 そんな中島みゆきが言葉だけで表現したものが、

「女歌」をはじめとした小説、

戯曲から小説、そして叙事詩となる「夜会」シリーズ などである。

 どの作品にも共通して言えることは、

生きる事に対する懐疑と肯定の狭間でもがく様を描いている。

そしていずれかといえば、肯定する立場である事も示している。

 

 

  女歌

 中島みゆき初めての書き下ろし(だったと思う)短編小説集。

小説と言うよりも周囲にいる、またはいた女性のドキュメンタリー、

ノンフィクションという感が強く、明らかな創作小説とは言い難い。

しかし少なくとも事実を基にしているため、リアルな哀しさが漂ってくる。

その中でも、「エレーン」そして「夜会〜問う女〜」のモチーフになったとされる

外人娼婦ヘレンとの交流、

そこで垣間見られるヘレンの哀しさ

そしてヘレンの死を描く

冒頭の短編は印象深い。

 

  この空を飛べたら

 ジョージ・P・ペレケーノスのような同時同所多視点の小説である。

すなわち同じ時、同じ場所で起こった事柄についてそれぞれの登場人物の

視点から描写することにより、そのシーンの多様な意味を示そうという手法である。

そして、登場人物自身もまた、置かれた状況の多様性に気づき、

そこから自分の生の意味を知るという展開である。

 手法論はともかくとして、自分の生の意味を考えた時、

客観的に、尚かつ多様な視点から考えれば考えるほど

否定的にならざるを得ないのは必然とも言える。

ならば如何に肯定すれば良いのか。

上記の共通項が最も如実に示された作品である。

 

  海嘯

 「夜会」シリーズではvol.6「シャングリラ」までは

戯曲または台本という呈で単行本化され、

「2/2」「問う女」では小説として発刊されているが、

この「海嘯」は叙事詩として世に出されている。

元々コンサートとも芝居ともとれない表現形態の「夜会」であるため、

そのテーマが伝え難く、また理解され難い事もあったと思われる。

そこでVTR化するだけでなく、「夜会」を文章化することによっても

テーマを伝えたいという中島みゆきの想いがあったのではないかと推測される。

そこで上記の如くの形で文章化され、世に出されたものであるが、

「海嘯」は中でも素晴らしい作品である。

詩としてのリズム感はこの厚い本一冊を通して狂うこともなく、

心象風景の描写も見事である。

リズム感を体感しながらページを捲り続ける内、

本の中の世界で登場人物を眺める自分に気づくだろう。

 

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