ミッドナイト

 

 ACT1

”抱きしめたいと思う女はみんなだよ。

でも抱き締められたいと思う女は一人しかいない。

抱き締めたいだけじゃいずれ辛 くなる”

この言葉が彼の躊躇いを生んでいた。

何処かで読んだ台詞。

結婚するという、確信めいた予感はあった。

それを口にすることができなかった。

”抱かれたい”と思ったことがない、からだった。

ただそれだけだった。

それでも、その程度、というものでもなかった。

このまま行ける処まで。

モラトリアムのままで行ければ。

甘えた考えだった。

 

 ACT2

”結婚してよ。待ってても、あなたが言わないから。私が言う”

唐突の言葉に、彼は目を丸くした。

そして恥じた。

意を決して、言う。

”断る”

彼女の顔が困惑から泣き顔に変わる直前、見計らって、続ける。

”プロポーズは男がするもんだろ”

何処かで読んだ台詞。

彼女の表情が、晴れ上がった。

これでいい、そう思うしかない。

 

  ACT3

高速を降りる。

一つ手前で。

支給される交通費を浮かすためでもあった。

しかしそれは本心ではなく、埋められない葛藤を消すためだった。

明るいネオンの中を走る事で、何かを埋める。

叶えられない何かが、そこにあるような気がした。

そう思う。

一軒だけ灯かりのついたままの家。

彼女の妊娠が判ったときに買った家。

マンションより狭くてもいい。

彼女の言葉で決めた。

6LDK、二階建て。

彼だけの部屋。

オーディオと本棚、ソファー。

それだけ。

彼がその部屋にいるとき は妻でさえ入れない。

妻はその意味を知っていた。

家に着くと、決まって妻は迎えに出る。

それが深夜でも。

安堵感と忘れ得ぬ思いが彼の中で渦巻く。

 

  ACT4

二人しかいない部屋の中で。

彼女の意識は、既にない。

あえぐように、力を振り絞るように、呼吸する。

末期。

麻薬。

鎮静剤。

彼女を病院から連れ戻したのは、意識の残る、一週間前だった。

家にいたい。

二人で。

彼女の願いを聞きいれる形だった。

彼女との日々を思い出す。

走馬燈。

彼女は思い出しているのだろうか。

出会い、諍い、結婚、出産、子供の自立。

駆け巡る。

涙が流れる。

最後に涙したのは、いつのことだったろうか。

想い出すこともできないほど、昔の事だ。

彼女の手を握る。

握り返すことなど、ない。

もう一度、彼女に抱かれたかった。

初めて、そう思えた。

否。

自覚していなかっただけだ。

在りもしない理想の中で、彼はそれを否定してきたのだ。

遅すぎる。

今更気づいたところで。

口にする。

抱いてくれ。

答えるべき彼女の声は、ない。

彼女の息が大きくなる。

吐き出す。 そのまま、呼吸することを。

 

やめた。

彼女の顔には、笑みがあるような気がした。

痩せこけた顔に。

彼女の手を握ったまま。

座ったまま。

動けない。

彼女の手は冷たくなっていく。

カーテンの隙間から光が差し込み始めた。

 

彼は初めて彼女の手を離し、 受話器を取った。

 

KAI Story