汽笛の響き

 

 

 写真付きの葉書が届く。子供。誰かの面影をそのまま残している。

笑みをこぼさずにはいられない。そっくり。声になった。

葉書に書いてある電話番号。迷わず受話器を取っていた。

 

 あの日。十二年前の夏。儚い思いはかなえられるはずもなく。

年上のあの女性はスカートを翻して改札を抜けた。 笑顔で手を振りながら。

私には好きな人がいるから。 その声だけが僕の頭を駆けめぐっていた。

歯痒さと苛立ちを掻き抱くしかない僕は、作り笑いを浮かべていた。

その頃の僕は、本当の子供だった。明らかに見て取れる作り笑いだったに 違いない。

現在なら、完全に笑顔を作るか、それとも見送りすらしないかだ。

ただ、子供だった。体裁を整えることすらもできなかった。

彼女が向こうを向いた瞬間、僕は向き直って歩き出した。

 

 駅ビルから出た時。汽笛が聞こえてきた。

彼女が乗る列車なのかどうか、どうでもよかった。

涙をこらえるのに 精一杯だった。手に入れられなかったもの。

如何なるものでも埋められぬ 隙間を、涙が埋めようとしていた。

「もう少し、呑んで行くよ。責める訳じゃないけど、僕だって、 本気じゃったもん。

このままじゃ。ね。さっきの店に連れが来とったし。

一緒に帰ったら、そのまま東福山で付いて降りそうじゃし。」

冗談めかしながら、本心だった。帰るに帰れないのは、どうしようもない 事実だった。

 

 ふらふらと横断歩道を渡る。歩き慣れた筈の駅前。

自分が何処にいるのかも 判らない街のようだった。

この先の店に戻れば、虚勢が通じる連れがいる。

救いを求めていた。自分を保つための。虚勢を張った自分でも通じる相手を。

エレベーターのボタンを押す。R。上昇に伴うGが躰の力を奪おうとする。

ドアが開く。頭を振る。哀しげな顔を払拭するために。

 

 両手を広げ、戯けてみせる。連れと笑いながら、泣いていた。

涙は、見せなかった。馬鹿笑いしながら、火傷して見せた。

どうしようもない苛立ちを自分の躰にぶつけていた。

 

 へらへらと笑いながら、連れの方にぶら下がっていた。

歩けない訳ではなかった。酔いつぶれた自分を作っていた。

「タクシーで寮まで帰る?」連れが尋ねる。頷く。

電車になど、乗りたくなかった。乗れなかった。 タクシーが動き出す。

僕は眼を瞑った。涙を見せたくはなかった。

それに、タクシーは必ず彼女の家の近くを通る。 自分が何処にいるかなど、知りたくもなかった。

 

 「着いたで」連れの声に眼を醒ました振りをする。

道路の脇に、線路があった。二号線と山陽本線。

僕は金網をよじ登る振りをした。 連れが笑いながら、服を引っ張る。

汽笛が近づいてきた。貨物列車が風を撒き散らしながら、僕らの横を走り抜けた。

金網を蹴飛ばした。 「帰ろおかあ!」二人で横断歩道を渡り、坂道を登った。

非常階段から二階に上がる。非常口を蹴飛ばし、喚き散らす。

後輩がドアを開けた。寮に入る時、もう一度汽笛が走り抜けた。

 

  「もしもし?」彼女の変わらぬ声が聞こえてきた。 息せき切るような声。

「葉書、届いたよ。そっくりじゃん」 明るく笑う声。

彼女の明るさに惹かれた自分を思い出していた。

「まだ結婚しないの?」まだできる状況ではないことを話す。

「でも、来年の春には、するよ。絶対」子供の泣き声が聞こえてきた。

「あ、泣いとるね。行ってあげて。何か動きがあったらまた報せるし」

挨拶もそこそこに、写真だけでも送ってと言いながら、彼女は受話器を置いた。

 

  無意識の内に、火傷を痕をさすっていた。

 

KAI Story