2002年 ワールドカップ 決勝トーナメント

日本-トルコ戦

終わった。

否、終わっていた。

この日の代表は、一次リーグ三試合の代表とは別のチームだった。

トルシエの賭けは裏目に出、 選手のパフォーマンスもまた、

雨という悪条件を差し引いても尚、 一次リーグを勝ち抜いてきたチームのそれではなかった。

中田浩二のミスからコーナーキック。

ゴール前で敵選手をフリーにするミス。

楢崎の迷い、判断ミス。

ミスにミスを重ねた失点。

攻撃陣も度重なるパスミスでチャンスの灯を消す。

どう攻めるべきなのか、どうシュートに結びつけるべきなのか。

そんなものが見えた気になり、消える。

チームが、機能していなかった。

足の止まったトルコを攻めきれない。

後半に入ってもリズムに変化はない。

敗北を、確信させられる。

そしてその確信に間違いは。

なかった。

 

勝てない相手でも、勝てない試合でもなかった。

しかし、勝てる内容では、あり得なかった。

 

トルシエの賭けを責めるのは容易い。

日本の選手がシステムの変更に順応する能力が十分ではない事を自覚しながら

安定していたシステムを変更した事は批判の対象となりうる。

メンバーを入れ替え、噛み合わなかった攻撃陣の未熟を責めるのも容易い。

システムを変更された事により、自分のプレーすら忘れた未熟さは批判されていい。

ミスを多発した全員を責めるのもまた、容易い。

ミスは生じうるものだが、それを多発連発し失点した事実は動かしようがない。

ふがいない試合を見せた代表を叱咤できなかったサポーターを責めるのも同様だ。

祈りを声に乗せ、掌に乗せ、叱咤激励できたとは言わせない。

トルコ代表にプレッシャーをかけたとは、絶対に言わせない。

 

わし自身ですら。

安堵していた事実を隠すつもりはない。

少なくとも義務を果たしてくれた事を手放しで喜んだ。

想像していたよりも、代表はチームとして練れていた。

ベルギー戦でも苦しみながら引き分け、

ロシア、チュニジアを下してくれたその結果にどこかで満足していた。

 

甘かった。

 

それ以外に言葉はない。

皆が。

監督も、選手も、サポーターも。

わし自身も。

決勝トーナメントを闘える状態ではなかったのだ。

そのレベルでは、なかったのだ。

残念ながら。

 

ただし。

だからといって日本代表が残した結果、成果が曇るものではない。

日本は元より、韓国ですら、過去のワールドカップで勝利を収めたことなどないのだ。

日本は前回大会で初めて出場し、徒手空拳で臨み、

全敗という結果で終わっているのだ。

二度目の出場でベスト16に残った国が、

これまでどれだけあるというのだ。

短期間にこれだけ成長した国が、どこにあるのだ。

一次リーグ三試合のような素晴らしいパフォーマンスを見せた代表が、

この国に、いつ何時存在していたというのだ。

メンバーを変更しても戦力が劣ることがない代表が、 どこにあったというのだ。

試合により戦術を変更し、そしてそれが結果に結びつくという

日本代表が、どこにあったというのだ。

そんなチームを作り上げた監督が、どこにいたというのだ。

類い希なFWが育たない日本でも得点できるシステムを

作り上げた監督が、どこにいるというのだ。

結果だけでなく、経過も含めて、 最高の日本代表であったではないか。

 

その事実に疑いは微塵もない。

 

たらればはもちろんある。

もっと強いチームにする事も可能だったかも知れない。

韓国のようなメンタリティを持つ事も可能だったかも知れない。

準々決勝に進む事は、十分可能な事ですらあった。

それができなかったのは、不動の事実なのだ。

それこそが、次への課題にもなるのだ。

問題点など、日本に限らずどこの国にでもある。

それを把握し、解消できてこそ、強豪国となりうるのだ。

 

わしは我が代表が一次リーグを突破したことを讃える。

本当に嬉しかった。

 

しかし、トーナメントでは失望と羨望を憶えた。

それを切望に換え、次の闘いへ。

 

次の、ワールドカップへ。

 

 

 

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