’2000 オリンピック 一次リーグ
日本-南アフリカ戦
結果には大満足、内容にも幾つか問題はあるもののほぼ満足の試合だった。
不満なのは、ニュース、新聞などで流される解説である。
一点目。「中村のFKが素晴らしい」と口を揃えるが、 誰もどう素晴らしいのか言及していない。
二点目。「中田のスルーパスと走り込んだ高原が素晴らしい」
これも判を押したようであるが、その二人にしか言及しない。
腹立たしいのでわしが解説してみよう。一点目。どう素晴らしいのか。
まずは、落としたポイントである。 前に1mずれればキーパーの守備範囲に入り、
シュートしたところで高原はキーパーチャージの反則、 下手すれば警告を取られかねない。
後ろにずれれば密集地帯、上背に劣る日本が一発で決めるのは難しく、
たとえ一発でシュートできたとしてもキーパーが十分に反応出来る距離である。
つまり、多めに言ってもせいぜい前後の 半径1mのポイントに落とす精度を要求されていたのだ。
さらに、ボールの回転にも着目しなければならない。
高原の前にいたDFはヘディングに失敗しているのだ。
中村が強く横に流れる回転をボールに与えていたため、 DFの対応が一瞬遅れ、
ヘディングできるポイントに 一瞬速く高原が入り込んだ為に南アのDFはヘディングできなかったのだ。
体勢が悪くても、あの回転でなければ掠めることは出来たかもしれない。
もしそうであれば、あの同点劇はなかったのだ。
あのFKにどれほどの精度が要求されていたか、ご理解いただけただろうか。
二点目。確かに中田のスルーパスは素晴らしかったし、
走り込んだ高原の動きとその後のプレイも素晴らしかった。
では、あの時その二人しかいなかったのだろうか? こう言えばもうお解りだろう。
もう一人、見えないプレイをしていた 選手がいたからこそ、あのプレイは生まれたと思うのだ。
本山である。交代で入ってきたばかりの本山のポジショニングである。
中田がボールを受けたとき、本山は左サイドでフリーになって ボールを待っていた。
そして中田はそこに向けてドリブルを始めた。
DFからすれば本山にボールが渡るのは必至といったところだろう。
本山が左サイドから中央に切れ込んでくるスタイルを好むのは 情報として得ていたはずだし、
そしてそういうプレイはDF側の もっとも忌み嫌うものである。
DFは中田本山につられ、 その方向に流れた。そこに。その流れに逆らう高原がいた。
その高原を見逃さない中田がいた。 もしこの流れを作っていなければ、中田はパスすら出せなかったかもしれない。
高原がフリーでシュートを打つこと事など万に一つも無かっただろう。 そしてその流れを作ったのは、本山なのである。
これがこの得点の時に特筆しなければならないことなのだ。
こういう視点を無視して勝った負けたなどと騒いでも、である。 こんな視点を持てば観る楽しさは倍増する。
他のスポーツでも然り、だろう。 わしはその素晴らしさを伝えたいから、こうやって書く。
幾多のマスコミ、解説者にそんなつもりはないのかもしれないが。