Jasmin
「どうする?」
やわらかい手が、触れた。
鼻先を花の香りが掠める。
目が、潤んでいた。
深く、どこまでも透明な湖をのぞき込むような錯覚。
ふと、飛び込みたくなる幻覚的な衝動。
酒のせいだ。
酒に酔っただけだ。
そして、彼女も。
酒が誘わせてるのだ。
そう、思おうとした。
「いいのよ」
上目遣いで、俺の顔を眺める。
表情が強張るのが、判る。
抗いようの無い誘惑。
目を、逸らそうとした。
俺の視線は、彼女の目に引き寄せられたままだ。
酒の、せいだ。
頷いて、いた。
彼女は俺の手を握り、ストゥールから降りた。
引かれてもいないのに、俺はついて降りた。
彼女は振り返り、俺を視た。
湿った唇が、笑む。
唐突に携帯で呼び出された。
上司。
ホテルのバー。
仕事の話だと思って、来た。
仕事には何の関係もない、取り留めのない話をしていた。
そして。何時の間にか。
誘われていた。
応じていた。
むしろ、積極的に。
ドアを開き、俺を招き入れる。
振り向く。
俺の首に細い腕が、絡みつく。
唇を合わせてきた。
やわらかい舌の感触。
アルコールの匂い。
花の香りの香水。
芯に火が着いた、感覚。
酔っていたでは済まないのは解っていた。
理性など霧散させる、抗えない衝動。
「焦らないで」 耳元で囁き、唇を耳にあてる。
僧帽筋を泡が駆け登る。
俺の腕から、彼女が擦り抜ける。
「シャワー、要らないよね」
頷いていた。
彼女はジャケットを脱ごうとしていた。
「あなたも、脱いで」
彼女が下着姿になるのを食い入るように見つめる俺がいた。
促され、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを解く。
乱雑に、ハンガーにかける。
彼女はもう、ベッドに入っていた。
俺は靴下を履いたまま、彼女を追いかけた。
彼女の横に滑り込む。
彼女の香りが、ベッドに満ちる。
花の香り。
だけではない。
僅かな、香り。
アルコールと、彼女自身の香り。
入り混じった香り。
その中に、潜り込もうとした。
手で、遮られる。
ま。だ。
声を出さず、囁く。
俺の肩を押し、躰を入れ替える。
熱を持った舌が、這い、包む。
くく、と笑い声が聞こえる。
何を、問おうとした。
俺の声は上擦り、言葉にならなかった。
含まれたまま、吸い込まれていた。
彼女の髪が、俺の顎に触れた。
首に、生暖かい湿り気を感じる。
俺は彼女の肩を掴んだ。
もう一度、入れ替える。
唇を合わせる。
濡れた唇が、俺を受け入れる。
声。
高く掠れた声が、部屋に響く。
彼女の声が途切れたとき。
俺の動きも途絶えた。
二人の匂い。
その中に、花が微かに香った。