端的に言えば、陰鬱な印象を拭いきれないアルバムである。
「スウィート・キャンディ」が明るい昼下がりの情事を謳い、
かろうじてその雰囲気を逸脱しているものの、
他は全て別離、絶望を謳う、いわゆる「暗い」唄である。
死の匂いがするものすら多い。
”血まみれ”の「ブラッディ・マリー」、
”この世にさよなら”という「この夜にさよなら」、
”死神が迎えに来るわ”と言い、”ついに彼女はあの天国へ”
逝ってしまう「8日目の朝」、
そして”最期のワルツ”を踊る、「円舞曲」。
これら4曲とも、死を連想させる詩であり、
歌詩だけ読むと目の前に斜線が入りそうな印象を受ける。
しかしそれだけで済ませないのが甲斐よしひろ、甲斐バンドである。
上記”死の匂いがする”4曲の内、
「8日目の朝」は シタールを用いてやや不穏な印象を受けるものの、
他の3曲に関しては、どうだろうか。
ちなみにこの3曲とも、メジャーコード主体の明るいアレンジであり、
メロディラインも当然ながら明るいものである。
音を聴いただけではむしろ明るい印象を持つのではないだろうか。
真偽の程は定かではないが、以前甲斐よしひろはこのアルバムは
ある一人の別れた女性を謳ったものであると言っていたことがある。
また、「最後の夜汽車」を書いた後、
”もう曲は書けない”と思ったとも言っている。
仮にそれが真実であるならば。
このアルバムで表現されているのは、別れに際し感じた、
死にも等しい絶望なのではないだろうか。
何をもっても耐え難い苦痛、何をも成し得ない無力。
先に進むことすら拒むような虚脱。
このアルバムの詩から滲み出てくるのはそんなものばかりである。
それでも甲斐よしひろは唄い続けた。生き続けた。
現に今も活動を続けている。
絶望、無力感の中、それでも唄い続けようと言う意思。
その意思が、先に述べた死を思わせる詩を乗せた
明るいメロディなのではないか。
絶望の中に光を見いだそうとしていたのではないか。
”この世にさよなら”と綴る”僕”を星が照らすように。