観覧車   

 

  Scene.1 ’96

”ああ、おもしろかった”

”ねえ次は何に乗る?”

”お父さん、あれなんて乗り物?”

”ああ、あれはね・・・”   

 

  Scene.2 

”ねえ、次は何に乗る?”

 お前が上気した顔で尋ねる。ジェットコースターの後でかすれてはいるが、弾んだ調子で。 額には汗が光っている。

”ちょっと、ゆっくりしようよ”

”えー、私、もっと乗りたい。今の内に乗らないと、もう、暗くなっちゃうよ”

 乗りたいものがあるのなら、と言いかけて止め、苦笑する。

”じゃあ、あれ乗ろ。観覧車。あれならゆっくりでしょ?ジュース持って入ったら怒られるかな”

 決定済みだ。苦笑したまま、歩き続ける。とはいえ、むしろ好きな乗り物ではあった。

 ゴンドラの中は、やはり暑い。汗が引かないまま暑いところに入り込んだお前は、露骨に不満そうな顔をした。

上目遣いに首もとをハンカチで仰ぐ。何かに気づいた。悪戯っぽく笑う。

”ねえ、上のゴンドラ、傾いてる。前もカップルだったよね”

 要するに同じ椅子に座っているという事だ。この暑いのに。

”私もそっちに行っていい?”俺が鼻で笑うのもかまわずにお前が移る。

”後ろの人も同じように笑ってるのかな” お前が笑う。 

 音も立てず、観覧車が回るのを止めた。   

 

  Scene.3 ’81

”実家に帰る”  唐突にお前が発した言葉は、俺の時間を止めた。荷物はもう送った。

何故、問いかける必要は。なかった。現在の生活にお前が疲れ切っているのは、考えるまでもない。

予感は、あった。いつもと違う様子に。

 夕食の片づけを終え、お前は庭に行こう。それだけを言った。家の中では親の目がある。

言い争いは全て庭で。月に一度はあることだった。

しかし、今回は何かを決めたその様子が、いつもとは違っていた。嫌な予感を振り払おうとする。

 またか、わざと口にした。  

お前は遠くを見るその視線を全く動かさず、それだけ言った。無表情。

取り繕い様のないものを感じ、俺は何も言えずに頷いた。   

  Scene.4 

 雨。ジューン・ブライドと気取ってみたところで、この季節は梅雨。当たり前ではある。

二人の式は、お互いの希望と言うことで最小限に招待を控えた。理由は簡単だった。金の問題 だ。

 お前の控え室に行く。お前は着慣れないドレスを着て、歩きにくそうな、しかし弾むような 足どりで俺の方へ寄ってきた。

”私なんかが作ったもので悪いんだけど” そう謙遜するお前の友達は、そう言いながら満足そうな顔をしていた。

確かに売り物と言われても納得できる出来映えだった。

 頭を下げ、お前を見ると、嬉しそうに目を見開いて俺を見ていた。何かを求めている。言葉を期待する顔。

”綺麗綺麗” 繰り返して言う。期待に応えられない性格。 頬を膨らませながら、お前が笑った。   

 

  Scene.5  ’81  

 お前が出ていってから、眠れない夜が続いた。夢現に声が聞こえてくる。繰り返す毎日だった。

ジャージに着替える。 ”ちょっと行ってくる”もう十一時だと言う母親の声を無視する。

 ランニングシューズを履き、走り出す。1kmほどで、躰が暖まってくる。

いったん止まり、ストレッチをして躰をほぐす。更に走り始める。

 何も考えずにいるためには、躰を動かし続けるのが最も簡単な方法だった。

肉体的な苦しみは精神的な苦しみを緩和する。

何かが抑え込まれるまで、躰を苦しめる。

 衝動。

 叫び。

 抑えながら。速度を上げ、全力疾走に近い速度で走り続ける。   

 

  Scene.6    

 観覧車の故障から一時間が経った。お前の顔から、笑みが消えていた。

”このままだったらどうなるの”人一倍気が強いお前の声がオクターブ上がる。

”ねえ”  どうしようもない。言えなかった。俺の手を握りしめ、お前は不安げな顔のまま俺をじっと 見ていた。  

 いつのまにか、星が見えるほど暗くなっていた。

”天の川”俺が言うと、お前の表情が変わった。都会育ちのお前は天の川を見たことがないと言っていた。

”えっ?どこ?”下の光を遮れば見えやすいと教えてやる。

”ねえねえ、織姫と彦星は?”琴座のヴェガ、鷲座のアルタイル。白鳥座のデネヴ。夏の大三角。理科で習ったけど。

そういうお前の顔から、不安が消えていた。急にいとおしくなり、抱き締めた。  

 

  Scene.7  ’82  

 約束より十分早く着いた。俺たちが乗った後も故障を繰り返した観覧車は。

取り壊しの最 中だった。支柱だけが空を向いていた。  

 一枚の手紙。場所と時間。お前の名前。待っていますと一言だけの文。  

 何かが弾けるのを感じた。必死で押さえ込んできた感情が吹き上げる。

手紙を見てから、その時までずっと、その感情は吹き出し続けていた。  

 煙草に火をつける。煙に混じって、憶えのある香水が香った。

 振り返る。ゆっくりと。そにには、お前がいた。   

 

  Scene.8  ’82 ”

 壊されちゃったね、あの観覧車”あのときと同じ様な服を着たお前が哀しそうに喋り始めた。

”柱だけになると、なんかのオブジェみたい”手を伸ばしそうになる。堪えた。

”俺みたいなもん、かな”どういう意味。問いかけの表情で、俺の顔をのぞき込む。

思わず顔を背ける。もう一度答える。何とか声を裏返さずにすんだ。続ける。

”一番大事なものがないのに、それを支えるものだけは今でも残っている。それだけが壊せな い。頑丈なもんだよ”

”一番大事なものって”  

 苦笑。変わらない。

”何がおかしいの”そういうお前もおかしそうだ。  

 お前だよ、見据えて言おうとした。顔を上げたその時、お前の表情ががらりと変わり、涙がこぼれた。

”私だって、同じなんだから”詰まらせながら、言う。

”あなたさえ許してくれるなら。もう離れない。絶対に”  

 離れたまま共有していた、止まったままの時間。それをもう一度動かし始める。   

 

  Scene.9  ’96

”あれは、観覧車って言うの”俺が答える前に、お前が答える。新しくなった観覧車は、二周りほども大きい。

”かんらんしゃ、のる”次男が俺を見上げながら言う。チケット代を渡そうとすると、長男はもう走り始めている。

急に止まり、俺に向かって叫ぶ。 ”お父さん、並んどいてよ”向き直り、また走り始める。次男がそれを追う。

”せっかちね、二人とも”俺に似たのだと言いたげにおまえが微笑う。

観覧車に向かって歩き出そうとすると、お前が俺の手を握ってくる。  

子供に見られる、と言う前にお前が言った。

”ねえ、中であの子たちに二人の話、教えてあげようか” 悪戯っぽく笑いながら。

 声を出し、笑った。

 

Kai Story