Party 30

KAI 30th anniversary Tour

in 日本武道館

2004.11.6

 十年も昔に通った道や乗った電車など憶えている筈もなく、

ホテルのフロントで武道館までの交通を教えてもらう。

一回乗り換えたらそこはもう九段下。

同じ道を歩いている筈なのに全く憶えがない。 あの時はあの時で頭が一杯だったのだろう。

免許三種類も学位も妻も子供もなかったあの頃。

あれから十年。 僅かの間、だったような気がする。

  煙草を携帯灰皿でもみ消しながら見上げると玉葱。

武道館で演れる嬉しさで二曲も作ったバンドは空中分解してしまった。

 数人の知人と話したり声をかけても聞こえなかったりしながら人の波が止むのを待ち武道館に入る。

十年前は急遽チケットを取ったため二階席の後の方だった。

今回はアリーナである。 幸運にも右は通路。 多少暴れても許される席である。

ステージにはXXXをモチーフとしたセットというか照明。

個人的にはXが三つ並ぶと卑猥なモノという反射的思考が働くのだが・・・・それはよかろう。

 開場時間が押して開演時間が定時の筈もなく時計の長針は90度ほど回った。

暗転。

この夏、寂寥感に苛まれつつ繰り返し聴いた曲の一つ。

条件反射すら形成されてしまった曲達。

目頭が熱くなる。

25時の追跡。

Xの文字だけが闇の中で強烈な光を放ち、霞む。

音が、消えた。

 

静かなイントロが流れてきた。

 

  ポップコーンをほおばって

ピアノから始まる所謂ハッピーフォークヴァージョン。

フォークという冠の付いた場所から出てきた者の唄ではなかろう。

その音、声、リズム。

ストロボの中蠢くメンバーのシルエット。

甲斐さんが足を広げた瞬間、大森さんがよくやっていたポーズにも見えた。

偶然と思い込みの産物であり恣意的なものではなかろうが。

 

  きんぽうげ

多くの者が感傷的にならざるを得ないであろうこの曲の冒頭、

松藤さんは大きくかぶりを振ってカウベルを鳴らす。

何かが晴れたような気がした。

蘭丸のメロディはオリジナルを大事にしつつも蘭丸自身のメロディ。

MIAMI FUNKWAXが美しい。

 

  ダイナマイトが150屯

飛天で観た初めての蘭丸はこの曲だった。

蘭丸はリフも味が濃い。

その濃さに誰もが負けずにグルーヴを作り出して行く。

太くうねるリズムが躰から水分を絞り出して行く。

 

  電光石火BABY

ぱっ、とステージを明るくするにはこの曲が最適なのかもしれない。

軽快なリズムで甲斐さんは元よりメンバーの表情も明るく見える。

しかし奏でる音を軽快という表現では失礼だろう。

芯のある明るさ軽さ、である。

 

   Fight The Future

個人的には多少反省させられる唄なのではある。

歌ってみるとあまり甲斐さんにないメロディであるのに気づく。

余韻の強い蘭丸のギターに甲斐さんの軽快なステップ。

齢五十を超えてあの動きはただ者ではない。

 

  東京の一夜

東京で聴く東京の一夜。

ここ数年で重さを増してきた曲だ。

双方の気持ちが自分の中で解る。

VTRで観た甲斐さんの妖艶さは薄かったが、 そのぶん糸を引くようなギターが妖艶だった。

 

  くだけたネオンサイン

松藤さんがレスポールを弾いた。

ステージが目の中でくだけた。

 

  シーズン

この曲でこれほど強い演奏はこのバンドになってからあったのだろうか。

頑とした強さを感じた。

とにかく、強い。 全てが。

 

  ナイトウェイブ

長い後奏に入ると蘭丸が一人一人を指さしてゆくいつもの動き。

それぞれが以前のものと少しずつ変えて演奏する。

甲斐バンドも同じだった。

 

  地下室のメロディー

蘭丸にシタールギターが手渡される。

個人的にはこの詩が非常に文学的であると思うのだが、

演奏もまた文学的と表現されよう。

演奏と声で情景を細かに描写されていた。

 

  港からやってきた女

弾けるようなギター。 絡みつくホンキートンク。 拳を突き上げる。

 

  嵐の季節

叫ぶ。 長い嵐への反抗でもある。

 

  安奈

MCを挟み松藤さんのガットギターで。

音も声も、暖かい雰囲気で。

 

  陽の訪れのように

山口智充と。 ネタをきっちりやる所は偉い。 唄も巧い。

 

  Blue Letter

大友康平と。 アルバムではやや控えめだったドスの効かせも五割増しか。

彼のこの曲への思い入れの分、力も入ったのか。

 

  裏切りの街角

m.c.ATと。 トリビュートの最高傑作。

左右に甲斐さんとm.c.ATが分かれてシャウト。

偶然ではあるにしろ、彼こそが客席を代弁していた。

 

  HERO

大黒摩季と。

自分のものにして唄いきり、更に武道館という場でステージに空気を満たした力には脱帽である。

 

  風の中の火のように

DA PUMPだけで。 気圧された、か。

 

  最後の夜汽車

バラードを、の一言で始まった。

この切なさの心地よさはどうだろう。

ツアー全てのステージを観られるのであれば、

少なくとも三度は眼を閉じたまま聴き入る事だろう。

 

  レイン

蘭丸はカメルーンブーメラン。

定番と化したこの曲はそれでも進化を続ける。

 

   幻惑されて

揺らぐギターがグルーヴを加速させる感覚。

武道館という硬派な場にエロティックな空気が渦を巻く。

 

  三つ数えろ

独特のリフ。

ややスローなリズムだが、むしろこの方が詩に潜む狂気が顕在化される。

性急なリズムは単なる衝動と捉えられてしまうだろう。

ゾクリとさせる凄みがあった。

 

   氷のくちびる

間奏に差し掛かると蘭丸が逆サイドに歩を進めた。

シンクロしない動き。 むしろそれがこのバンドらしい。

後奏のギターのフレーズは明らかに往年のものとは異なっていた。

 

   翼あるもの

ステージをいっぱいに使う甲斐さん。

間奏での蘭丸と松藤さんのギターの絡みは凄まじい。

お互いに強い音でありながら緩衝なく増幅されて行く。

全身を熱いものが巡った。

 

  漂泊者

金網を背に語る大森さんの姿が目に浮かんだ。

一つの絶望的状況。

そこでも雄々しく叫ぶ男がステージに在る。

 

  冷血

十年前二階席の遙かから観たこの曲の照明は想像と映像を超えるものだった。

アリーナではその迫力が見え辛い。

しかし内包された狂気が垣間見える凄みは変わらない。

喉の痛みが愉悦へと換わる。

 

  破れたハートを売り物に

その愉悦が更に快楽にまで増強される。

マイクに向かって歩むメンバー。

コーラスが入れ替わる動き。

生きることを素晴らしいと思いたい。

逆説が強く刺さる。

 

  ブライトンロック

カラフルな照明が斬新に感じられた。

単色なイメージが強かった。

焦燥感を募らせる蘭丸のグルーヴ。

答えはどこだ。

まだ、見つからない。

 

  Love minus Zero

これもまた心地よくてともすれば眼を閉じてしまう。

貧乏性故無理矢理こじ開けてしまうのではあるが。

曲に乗り躰を揺らす事が更に心地よさを増幅する。

 

  観覧車’82

間奏で回る甲斐さんは久しぶりのような気がする。

既にこの辺では記憶が飛んでいる。

陶然と音が躰を流れ行くのを楽しんでいた。

 

   テレフォンノイローゼ

クラップはTHE 甲斐バンドに収録されたもののようにバラついたものではなかった。

客も成長しているということか。

 

   HERO

この夜登場したゲストを迎え、紹介もないまま1ROもステージに上がった。

大友康平氏は仕事にて会場を出たとのことだが、代理人はちゃんと居た。

祭りという形容に相応しい華々しいステージだ。

 

  100万$ナイト

1ROがレスポールを持つ。

甲斐バンドのメンバーがそれぞれの想いを それぞれの躰に乗せ、

それぞれの想いを持つ会場に響き渡らせる。

ミラーボールに跳ね返った光は涙の中で揺れ霞んだ。

永劫の世界は、この光と、そして音に満ちている。

 

  感傷的なステージではなかった。

むしろ、客席に感傷があった。

大なり小なり、ほとんど皆が有していたであろうその感傷を、

優しく、そして強く抱き締めるような、ステージだった。

客席にある、大森信和への想いの残滓を、メンバー自らが昇華させていった。

涙に暮れただけであれほど晴れやかな気分にはなれない。

武道館は、流れる星に飾られていた。

 

 

 さて今回はこのまま文と通称分析を進めることとしよう。

いつものように遊ぶ気にならないだけではない。

ただ単に今回は面倒なのだ、ネタを考えるのが。

 

 まずは今回のセットリストである。

 1  A   ポップコーンをほおばって

 2  A   きんぽうげ

 3  B   ダイナマイトが150屯

 4  C   電光石火BABY

 5  C   Fight The Future

 6  A   東京の一夜

 7  A   くだけたネオンサイン

 8  B   シーズン

 9  B   ナイトウェイブ

 10  B  地下室のメロディー

 11  A  港からやってきた女

 12  A  嵐の季節

 13  A  安奈

 14  B  陽の訪れのように

 15  B  Blue Letter

 16  A  裏切りの街角

 17  A  HERO

 18  C  風の中の火のように

 19  A  最後の夜汽車

 20  C  レイン

 21  C  幻惑されて

 22  A  三つ数えろ

 23  A  氷のくちびる

 24  A  翼あるもの

 25  B  漂泊者

 26  B  冷血

 27  B  破れたハートを売り物に

 28  B  ブライトンロック

 29  B  Love minus Zero

 30  B  観覧車’82

 31  A  テレフォンノイローゼ

 32  A  HERO

 33  A  100万$ナイト

曲順右のアルファベットは甲斐よしひろデビューから30年の内、

活動の時期を三つに分けて区切ったものである。

大まかに過ぎることを前提とするのはご理解願いたい。

その区別された時期とは、

  A:甲斐バンド結成〜長岡和弘脱退 =Series of Dreams vol.1

  B:〜甲斐バンド解散       =Series of Dreams vol.2

  C:ソロ以降           =Series of Dreams vol.3

ライヴ、ベストなどを除く通常のアルバムの数からいえばまあ妥当であろうし、

何故気づかなかったのか不思議なのだがしりどりの分け方そのままなのであるから

異論はさほどあるまい・・・・バカと罵られるのは当然であるが(^^;;;;;

 

  これが何を示すかを書く前に、参考として前回のイベントである

「飛天」の セットリストを同様にして挙げてみよう。

 1  C  電光石火BABY

 2  A  ポップコーンをほおばって

 3  C  レディ・イヴ

4 5 A C ダニーボーイに耳をふさいで 〜渇いた街

 6  B  シーズン  

 7  B  ナイト・ウェイヴ

 8  B  ブルーレター

 9  B  ダイナマイトが150屯

 10  C  レイン

11. 12. 13 C C B ミッドナイト・プラスワン 〜I.L.Y.V.M. 〜レイニー・ドライヴ 

 14  A  安奈

 15  B  ビューティフル・エネルギー

 16  C  幻惑されて

 17  A  きんぽうげ  

 18  A  裏切りの街角

 19  C  トレーラーハウスで

 20  A  LADY

 21  A  氷のくちびる

 22  A  翼あるもの

 23  B  漂泊者(アウトロー)

 24  A  100万$ナイト

 25  B  冷血

 26  A  HERO

 27  C  AGAINST THE WIND

 28  C  風の中の火のように

 29  A  この夜にさよなら

飛天の場合、メドレーがあったがこれはその各々をカウントするものとした。

 

 左に今回:Party 30にて、そして右に飛天にて演奏された曲を

それぞれ創られた時期で分けてみると、次のようになる。

         A:16 (14)          A:11

   Party 30  B:12 (10)      飛天  B:8

         C:5 (4)            C:10

( )内はゲストコーナーを除く数字を念のため記しておいたが、それでも大勢に影響はあるまい。

 

一目瞭然とはこのことだろう。

ソロ以降の曲が半減し尚且つ甲斐バンド初期の曲が五割増しになっている。

 ここで思い起こされるのは必然的に大森信和の死、だろう。

死後半年も経っていないこの時期に、大森信和のフレーズの印象が強い初期の曲が多く選ばれ、

その逆に大森信和の参加していないソロの曲が淘汰されているのはある意味当然の事かも知れない。

また甲斐よしひろは今回の武道館に際し、「祭り」という表現を用いたのは公式サイト他で

明らかなことである。 祭りには祭祀という意味があるのは自明であろうし、

また奉りという意味合いも当然含まれよう。

従って今回のイベントは大森信和の死を悼む追悼イベントであったため、

このような選曲になったのである。

それほどまでに、大森信和のギターを永久に喪失してしまった事は大きい。

 

 

 とは、思わない。

確かに大森さんの死は非常にショックだった。

人の死を悼み眠れなくなるなど、自分自身の経験上にも無いことである。

公私ともに。

色々と書き連ねて来てはいるが、それでもどこかに

穴の開いたような一抹の寂しさはいまだに存在している。

ましてわしなどバンド後期に聴き始めた者とは違い、

創成期から聴いている人々、更にはメンバー各々の想いなど、

わしの想像すらできない領域にあるに違いない。

だからこそ、追悼の意を示すために、

SEは25時の追跡であり、

松藤さんも1ROもレスポールを弾き、

エンディングは100万$ナイトであったのだ。

 

 ただし、追悼的なものは、これだけだった。

わしはそう思う。

今回のイベントに大森信和の祀りという意味合いは間違いなくあるが、それが全てではない。

無論、30周年おめでとう祭りでもない。

甲斐よしひろは、あくまでも甲斐よしひろなのだ。

これを前提として、ようやく本論に入ることになる。

 

 まずはこちらの一文を読んでいただきたい。

  ここ数年、古い曲はアルバムに程近いアレンジで 演奏される傾向が高い。

  第一期ソロのリアレンジかましまくりからは隔世の感さえ漂う。

  今回は特に曲の紹介無しでもイントロだけでその曲と判断可能なものがその大半である。

2002.9.27 大阪厚生年金会館でのSeries of Dreams vol.1の

ライヴレポにてわしが書いた拙文である。

オリジナル、すなわち甲斐バンドの曲に忠実に、

尚且つ今のバンドの音で演奏しているという意味で書いたものである。

わしはこの時まで、甲斐バンドと甲斐よしひろないしKAI FIVEは明確に区別されていたものと想う。

KAI FIVEが活動休止(事実上の解散ではあるが)した直後に

甲斐よしひろは全ての楽曲を「KAI」の名の下に一括するべきという意の発言をしていたが、

実際にそれを具現化するにはこのSeries of Dreamsを待たなければならなかった。

具現化するためにはこのメンバーが揃わなければならなかった、のかもしれないが。

いずれにしろKAI FIVEで発表されたHistory Liveのアレンジを聴けば瞭然だろう。

甲斐バンドの曲はあってもオリジナルとは全く異なる曲である。

飛天とすら違う。

飛天でも甲斐バンド初期の曲は多数演奏されているが、

「甲斐バンド」として演奏されていないのは

  ポップコーンをほおばって、

  ダニーボーイに耳をふさいで

  安奈

  この夜にさよなら      の、たった4曲である。

しかもポップコーンは甲斐バンド結成前に作られた曲であるし、

ダニーボーイは「渇いた街」との「融合」であるし、

安奈はアコースティックユニットでの演奏である。

ここに来て初めて解ることなのだが、純粋に

甲斐バンドのオリジナルに忠実に甲斐バンドではないメンバーで演奏されていたのは

「この夜にさよなら」ただ一曲だけなのであり、

これこそが以後5年間の流れの予告であったのだ。

 今にして思えばこれほど明確な伏線はあるまい。

かつてわしは飛天のライヴレポでこう書いた。  

  この「Golden Thunder Review」は順を追って

  1.誕生 2.融合 3.結合 4.集合 5.衝動 6.恒久 という流れで構成されている。

正しくは1.は甲斐よしひろの個、と修正するべきなのかもしれない。

と、すれば。 1.から4.までの表現形態を5.である衝動の下に

一つに取り纏めあげることが飛天以後の甲斐よしひろの活動であったのではないか。

ほぼ「純粋な」ソロ活動であるMy name is kaiに始まり、

集合体としての甲斐バンドの活動、そしてここがかなり重要だと思うのだが、

「甲斐バンドのサポートメンバー」であった前野、坂井、Jah-Rah各氏が

そのままRockment以降の「甲斐よしひろのバンド」として参加してここに至っている。

そしてもう一つ重要なのは、松藤英男氏だろう。

甲斐バンドは当然としても、ほぼ全てのステージにメンバーとして参加している。

ここから1.から4.を取り纏めるには潤滑油ないし緩衝剤としての松藤英男が

必要であったという視点も出現してくる。

「水」とか「油」とか勝手に形容するのも失礼な話であるが・・・・

これは本論に外れるので指摘程度に留めておくが、松藤英男氏に関して重要なのはそれだけではなく、

松藤×甲斐にてのプロデューサー、サポーターとしての甲斐よしひろの活動は

過去に例を挙げるべくもない新しい活動と言えよう。

飛天のレポで指摘したことは強ち間違いでもなかったのかもしれない。

正にらせん階段の如くの確実なステップアップを見せているのだから。

 さてこうしてみると、30周年を記念するイベントでありながら

デビュー5年の内に発表された曲がバランスを欠くが如く多い理由が明確になってくる。

全ての表現形態が一つに凝縮された形をこのParty 30で示す、ということになれば、

それを端的に示すことが可能で尚且つエンターテインメントを成立させるためには

この選曲が必然となる、ということではないか。

そこには決して少なくはない追悼の念も含まれはするのだろうが。

 更にまた、今後の展開の伏線がこの中には含まれている筈である。

来年は三人でのツアーを予定しているという話であるが、

飛天で演奏されなかった事でKeyとなった曲と、

ある種同じような意味を持ち珍しくカラフルな照明で唄われた曲、

この二曲に注目しつつ今後の活動を凝視していきたい。

 

KAI Lives