The Battle of NHK HALL

 

 

 ライヴ・レポを書くときにはいつも断っている。

「思い込みという私見に過ぎない」と。

その思い込みが僅かにでも掠っていれば、もう満足なのである。

 

 今年の夏行われた「Beatnik Tour 2001」に関するレポートにおいては、

「勢いを見せるためのツアーである」と書いた。

小賢しい虚飾を取り払った、甲斐バンドという有機体そのものが持つ力、

勢いを示すものであったと。

その力に触れた瞬間、爆風にも似た衝撃を体感したと。

 

 残念ながら、その衝撃までがアルバムに含まれるものではない。

その場の雰囲気、ミュージシャンの動き、

表情で作り出されたものをCDという音しか媒体がないもので再現するのは、

不可能とさえ言える。

 

 それでもわしは、あの衝撃を再度体感した。

躰全体が吹き飛ばされる程の迫力ではなかったが。

しかし後頭部へ突き抜ける何かを感じた。

躰を震わせる何かを感じた。

わしの部屋にいる筈もないメンバーの気配を感じた。

 

 わしの記述に矛盾があると思われる方は。

眼を閉じられてみると良い。

そこに田中一郎がいるであろう場所から、

ビブラートが聴こえてはこないだろうか。

松藤英男がいるステージの後方から、

リコーダーが聴こえてはこないだろうか。

大森信和が前に出てきて、

甲斐よしひろとともにギターを振り上げてはいないだろうか。

ステージの中央で、甲斐よしひろが反り返りながら叫んではいないだろうか。

パーカッションは右の奥から、キーボードは左の奥から、

ベースですら、中央やや左寄りから聴こえてくるのではないか。

 

 そして、過剰なメンバーのテンションを感じるのではないか。

 

 わしの耳がおかしいのかも知れないが、

ベースが中心からずれているのは明らかだと思う。

ギターやキーボードならいざ知らず、

ベースを中心からずらして構成する事など、一般的なやり方ではない。

それはステージ構成そのままに、

アルバムの音を構成している事に他ならないと考える。

この音により。ライヴに行った者は記憶を呼び起こされ、

行けなかった者でも十分に想像できるだろう。

 

 そして、記憶、想像という自己から出る媒体と

CDそのものの音を合わせたとき。

100%とは言わないまでも、あの衝撃の、

少なくとも一部は体感できるだろう。

このアルバムにおいては、メロディやリズムが外れたものもそのまま、である。

それは甲斐バンドを「生」のままに出したいという意図ではないか。

ステージ構成だけでなく、演奏もそのままにアルバム化することで、

「生」の甲斐バンドを伝えようとするものではないか。

甲斐バンドがこのアルバム、そしてその基となるツアーで

何を表現しようとしていたのかは全て想像空想に過ぎない。

 

 しかし、甲斐バンドという有機体を見せようとしていた事に

疑いはないと信じる。

このアルバムにより、その確信はより強いものになり得た。

 

 当然の帰結かも知れないが、わしはかなり満足なのである。

 

KAI Records