アタタカイ・ハート

 

 デビュー30周年という節目である年に発表されたアルバムであるが、

ある種の意欲を、甲斐よしひろらしい意欲を感じさせてくれるアルバムである。

 ここ数年のリズムへの傾倒は続いているが、それに加えて甲斐よしひろ言う処の

「打ち込み系」の音、デジタル音源が極端に使用されている。

極端な言い方をすれば、原始的なリズムとその対極にあるデジタルな音とを

アコースティックな音を奏でるミュージシャンを触媒として

融合させようという試みがこのアルバムからは感じられる。

ソロ・デビューとなった「Straight Life」は元々打ち込み系の音で体温を感じられる音を

創る試みであった、という意の言葉もあったが、

このアルバムはその一つの完成形を成していると思う。

それは何より、タイトルがそれを示している。

片仮名表記で「アタタカイ・ハート」である。

デジタル的表現として使われる片仮名で「アタタカイ・ハート」である。

デジタルな音造りでも人肌の温もりは表現できるのだという自信と確信を

このタイトルに表したに違いない。

 それでは如何にしてデジタルな温もりという矛盾した表現を成し得たか、

という方法論についても述べてみよう。

前回のアルバム「翼あるもの2」に於いて、三連らしくない曲に次へのヒントがある、

とわしは書いていたが、自惚れと誤信を承知で言う。

「そして僕は途方に暮れる」の音造りは、立体的、空間的なものであったと信じる。

一つ一つ音が増えていく展開に於いて、立体的な空間が形成されていく過程をわしはみた。

間奏直前に空間が創り出され、そこに響く甲斐よしひろの叫びをわしは聴いた。

そんな音造りが「翼あるもの2」にはあった。

音で空間は創り得る、のだ。

手元に「アタタカイ・ハート」を持つ人は一度試しに聴いてみて欲しい。

多少音を大きくする必要はあるが、住居条件などでスピーカーから大音量が流せないのであれば

ヘッドフォンでも全く問題はない。

全曲を通じて。

やたら「音が回って」はいないだろうか。

やたら「左右に音が開いて」はいないだろうか。

やたら「左右で似たような違う音」がありはしないだろうか。

左右への広がりを持つ音にリズムが合わされば立体的な空間が出来上がりはしないだろうか。

そして創り出された空間はほぼ自分の動きの範囲ではないだろうか。

自分自身が揺れ動く空間がそこに創られてはいないだろうか。

そこに。自分自身の体温が在りはしまいか。

すなわち方法論としては、デジタルな音で創られた空間に体温を感じさせる声と

体温を感じさせるアコースティックな響きを満たし、

更に聴き手の体温を輻射させることで温もりを創り上げているのである。

 冒頭に意欲作と書いた。

こうしてみるとその意味がより明確に表されるだろう。

挑戦的な音楽論、方法論として意欲的なだけではない。

聴き手の側にも、体温を感じられるかと挑発、挑戦してくるアルバムなのである。

これを意欲的と言わずして何という。

これを甲斐よしひろらしいと言わなくて何という。

 そして。ここもまだ「スタート」なのである。

それは詩や音から十分に伝わってくる事でもある。

こんな処もまた、甲斐よしひろ、なのだ。

 

KAI Records