久しぶりに挟んでみましたが。
まだまだ続きます。
ここからの考証はこれまで以上に極私論になりますが。
前回までをまとめてみれば、「飛天」〜「Party 30」の五年間と
同じ様なことを巡らせてみるのではないか、
つまり「飛天」〜「Party 30」の展開と以後の展開は相似形になるのではないか、 そのような仮説を立てた。
ただそこに問題が生じる。
言うまでもなく「甲斐バンド」の不在である。
「甲斐バンド」としての活動はあり得ない。
仮に残った三人で「甲斐バンド」と銘打ってツアーに出たとしても、
それは「甲斐バンドとしての活動」とイコールで結ぶのには
心情的にも音楽的にも困難、敢えて言えば不可能だろう。
従って「甲斐バンド」に対応する何かが必要になる、という事になるが、
前回まででは結論を出すことはできなかった。
ここまでを一覧で対比させてみるとこうなる。
1.
アコースティック | My Name is KAI | アコギなParty 30 |
甲斐バンド | Beatnik tour 2001 | (BOX) |
実験的ライヴ | Rockument | Classic KAI |
年代別解析 | Series of Dreams | Rolling Circus Review |
または
2.
アコースティック | My Name is KAI | アコギなParty 30 |
甲斐バンド | Beatnik tour 2001 | Classic KAI |
実験的ライヴ | Rockument | Rolling Circus Review |
年代別解析 | Series of Dreams |
となる。
しかし、「アコギなParty 30」はあくまで「Party 30」のアンコールツアーであり、
その一環に入るとも考えられる。
そうすると「Classic KAI」はアコースティックに対応する事になり、
甲斐バンドの曲のみと銘打ったRCRは甲斐バンドに対応しうる事になる。
すなわち
3.
アコースティック | My Name is KAI | Classic KAI |
甲斐バンド | Beatnik tour 2001 | Rolling Circus Review |
実験的ライヴ | Rockument | |
年代別解析 | Series of Dreams |
ともなりうるのだ。
と、色々な組み合わせが成立してくるとわしの仮説自体が疑わしいとも思えるが、
ここは敢えてこのまま続けてみよう。
消去法で最も説得力がないのはどれか、と考えてみると、 やはり2.であろう。
アコースティック+ストリングスで幾らオリジナルの演奏に近づけたとはいえ、
それを以て「甲斐バンド」とするのは無理がありすぎる。
誰がそう言ったと言われても「わし」としか答えられないのだが。
しかもそれだけでなく、 今回のツアーが実験的か否かと問われれば、
確かにRockumentでこそ演奏されそうな曲はあるものの
それは一部にしか過ぎず、全体のイメージとしても実験的な風合いは無い。
むしろ完成度の高いものに、先述の如くの「力」を付与して 提供された感が強くはないか。
挑戦的であっても実験的とは言えまい。
以上を以て2.の考えは捨てることとしよう。
では次に否定されるべき仮説はどれか。
あくまでも”ライヴの展開”という観点からすると 考えるまでもなく1.は弱い。
BOX SETを以て「甲斐バンド」に対応させるには無理がありすぎる。
誰がそう言ったと言われても「わし」としか答えられないのだが。
そうすると「Classic KAI」がどこに対応するか、を検討すべきだろう。
スタイルを考えればアコースティックユニットであり、
「My Name」の進化形であるのには相違あるまい。
ストリングスとの競演という実験的意味合いを考えれば
「Rockument」の亜形とも考えられよう。
ちょっと恣意的に言葉を選んでみたが、 進化形と亜形のいずれが妥当か
、ちょっと別の視点、 しかし甲斐よしひろについて考えるには絶対外せない視点から見れば
この設問への解答へは自ずと導かれるのではないだろうか。
ここで自分のレポートからの引用であるが、
「飛天」における拙文の一節(一拙?)である。
これを踏まえて考えてみれば。
”さよなら”とは、ステップアップのことではないのだろうか。
一周廻ってステップアップ。
お気づきだろうか。 これが”Thunder”と合致することを。
この視点に間違いはなかろう。
以前「堂々巡り」と書いたが、言われるまでもなく
「同じ内容、同じ意味合い、同じ心持ち」という意味ではない。
そこにはあくまでも「ような」という言葉が付随するし、
冒頭には「一つ上の段階で」という言葉が被されてもいいだろう。
これが甲斐よしひろのスタイルである事に異論はなかろう。
そうすると仮説1.も否定され、 最も妥当なのは3.であるという事になる。
従って「アコギなParty 30」のレポを書きつつ予想した
”次はバンド”はここ、RCRに至る、という事になる。
要するにわしの予想は先走りすぎたということになるのだが、
こうしてRCRのレポートを書いてみると、
我ながら正解なのではないかと思えてくる。
それほどまでに、今回のライヴでの音は凄かった。
”凄い”とか”凄まじい”とか単調な言葉しか綴れないが、
それ以外に妥当な表現がないのだから仕方はあるまい。
「甲斐バンド」とは異質ながら、相当な迫力のある音だった。
決めつけてしまおう。
RCRはバンドの力を見せつけるライヴであったと。
そして次には実験的な試みの強いライヴが見られることであろう、と。