アコギなKiller Gig

京都会館第二ホール

2006.9.23

 

 目覚めると空は快晴。

美しき秋晴れの日である。

自宅から京都への道のりは近いようで遠く、遠いようで近い。

しかもこの日のの会場は京都会館である。

駅から遠いのだ。

実を言えば一週間ほど前よりどうやって行くかずっと考えていた。

車か単車か電車か・・・・

 

  しかしこの好天である。

ここで単車に跨らないわけにはいかない。

 

  というわけでやおら久しぶりの革ジャン革パンにブーツを身に着ける。

ガソリンを入れたら後はお山にまっしぐら、である。

ところがやたらと車が多い。

それもその筈連休初日しかも清々しき秋晴れの日である。

余野まではひたすら我慢して、 そこから423号線を駆け上がる。

ほとんど車もなく唯我独尊状態である。

コーナーはあっても緩い。

従って高速コーナーが苦手なわしの格好の練習場である。

鼻歌混じりに走っていると山の中に入り込む。

今度は低速コーナーの連続である。

これもいい練習になるわいなと思っていたら目の前はご老人の運転する車。

止まりそうな速度でオーバーランしつつ目の前を塞いでくれる。

やっとのことでパスしたらもう直線(ToT

 

 後は会場までひたすら擦り抜けるしかない道路状況である。

混んでしまってはとにかく暑い。

メッシュにしとけば良かった。

会場近くの駐輪場に単車を停める。

某建物内のトイレで革パンをジーンズに、ブーツをスニーカーに替える。

大荷物を抱えてホールスタッフに訊ねるもコインロッカーはなし。

クロークはあるとのことで一安心。

クロークも迷惑なほどの荷物ではあるがまあよかろう。

 

 ひたすら開場を待った後、会場内で幾人かと話してると やっぱり近いのねカール夫妻(笑)

なんだか常に視野に入ってるような気がするのだが。

 

 さていよいよ開演であるがその前に。

今回は通法を辞める事にする。

理由は会場に足を運んだ人には察して貰えると思うが、 祟りが怖いからである(爆)

いつもどおり各曲について書いていくとどうしても祟りに触れざるを得ない。

というわけで、今回は総評と考察のみとする。

 

 Jokerなどは常にベクトル違い云々と宣っているが、

こうなってくるとわし自身も相当ベクトルが分散してきているように想う。

「ギター・松藤英男」と紹介されてはいるが、 その実ドラムもベースも兼ね備えたリズム隊である。

とにもかくにも松藤さんのリズムとグルーヴなくてはこのライヴは語れない。

従ってわしの目はグルーヴの効いたギターと クラッシャーの透けるウエストに分散されることとなった←こら

クラッシャーの服装はともかくとするが、 甲斐さんそしてクラッシャーのリズムの良さとも相まって、

いつものアコギ・ユニットとはまた違うグルーヴであった。

ストリングス4枚を重ねたClassic KAIともまた違う。

数が少ない分ヴァイオリンの音の太さが際立つのに加え、

多分クラッシャーも意識しているのだろうが、 ヴァイオリンのグルーヴ感も以前とは全く違う。

Classic KAIでは甲斐、松藤両氏のグルーヴ感に 幅と厚みを持たせただけだったものが、

今回は共に波とうねりをもったものに進化していた。

そしてこれはきっちり記しておきたいのだが、 メンバーを替えたのに加え、

アコギ・ユニットでの定番の曲でも アレンジを加え新たなグルーヴを見せつける心技体は絶賛されるべきだ。

発表から三十年になろうかという曲、幾千となく演奏されてきた曲を アコギ・ヴァージョンにしただけではなく、

それをも更にアレンジを加える心根の部分、

いわゆるリズム隊が無いのにも関わらずグルーヴ感を感じさせて止まない技術の部分、

そしてそのグルーヴ感を弾ききり唄いきる体力の部分、 これら全て賞賛に値すると想う。

 

  体の部分にはダイエット成功をも含めて良いのかもしれない。

 

  アコギ・ユニットでは叙情的に為りすぎたきらいのあるあの曲、

アコギエレキ問わず定番中の定番のあの曲、

回を追う毎にグルーヴも迫力も増してきたあの曲、

行ってなければ判るまいが。 全ての曲、と言っても過言ではあるまいが、

それぞれの曲のグルーヴは増幅し、 いつまでもは座っていられない感覚を躰に叩きつけられるようであった。

廿歳の頃なら早々に立ち上がっていただろう。

(これぐらい読みなさいって)

そしてライヴでは初めてという曲、 以前のアコギ・ユニットではお蔵入りになっていた曲なども

演奏された事実を併せて考えてみれば、

「過去のアコギ・ユニットをなぞっただけ」のライヴではあり得ない。

常に進化を求める姿勢は相変わらずである。

個人的にはこの辺りの「バンドでは演奏されていない曲」を

バンドで演奏したらどうなるのか興味をそそられる処でもある。

まあ極私的欲求は今回も果たされることはなかったのだが、

それも含め、是非演奏して欲しいと想う。

 

 

 

 

  さて。 前回までの考察にどう折り合いを付ければいいのか解らないわしである(自爆)

今回はRockment的なものと言ってしまったが、 果たしてこう言い切れるかどうか。

全て勘違いであるならばそれで終わってしまうのだが。

敢えてここは持論を貫いてみる。

 

  全く以て自信はない(爆)

 

  ただ一つ、可能性があるとすれば、クラッシャーの発するグルーヴに

Rockment=実験的ライヴとの共通項を求めることは出来る。

Classic KAIと構成上は類似しているが、 その実ストリングスのグルーヴは絶対的な差違が在りはしないだろうか。

わしには全く別物と感じられた。

こじつけているのではなく、クラッシャーの弾くヴァイオリンは

明らかに甲斐松藤両氏のグルーヴに絡みついていた。

Classic KAIにおいてストリングスは添え物的な雰囲気は否めなかったが、

今回は全く同一体の音ではなかったか。

このイメージを式で表せば Classic KAI=(甲斐∞松藤∞前野)+ストリングス であり、

アコギなKiller Gig=甲斐∞松藤∞クラッシャー ではなかったか。

これをわしは意識的なものとみる。

明らかにクラッシャーはグルーヴを意識した演奏を行っていた。

 

  が、ここでもう一つ忘れてはならない事実がある。

ギターの音の太さは、ヴァイオリンのそれには比較すべくも無い。

これは物理的事実である。

クラッシャーがイヤホンをして演奏していたのがこれを端的に示している。

イヤホンをしていなければ他の音が聞こえない、それほどの音量なのだ。

 

 では訊ねてみるが、その物理的事実を自覚した観客はいかほどか。

客席にいた人は思い返して欲しい。

物理的に勝るヴァイオリンを同一の音、グルーヴの中に組み込んだ時、

甲斐よしひろの唄、松藤英男のギターはどう聞こえたか。どう捉えられたか。

 

 実のところ、訊くまでもない、これが答えではないか。

甲斐よしひろの声も、松藤英男のギターも、彼らそれぞれのグルーヴも、

全てしっかりと届いていた筈だ。

少なくともわしにはきっちり届いてきた。

物理的ハンディをものともせず演奏する二人の力が伝わってきた。

実験的、というよりむしろ挑戦的というべきかもしれない。

 

 この視点、ヴァイオリンを自らのグルーヴの中に取り込むこと、

これが本当にRockment的な意味合いとするべきなのかどうかは知らない。

というよりそう言ってしまう自信は皆無である。

しかし一つ間違いなく言えることは、 Classic KAIではストリングスとの共存をはかっていたものが、

Killer Gigにおいてはストリングスとの一体化をはかったものに進化している、ということである。

この点は間違いないだろう。

 

  となると興味が湧いてくるのはストリングスのグルーヴをバンドに取り込めるのかどうか、である。

次のツアーがどのような形態になるのかは現時点不明であるが、

是非ともクラッシャーを含めたバンドを観てみたい気がする。

 

KAI Lives